「聖祖 康熙帝」
(1654〜1722)中国
国内を平定し北モンゴル。チベットを領土とした漢王朝の皇帝。ロシアからの侵略を防ぐ条約も成立させた。また、西洋文化を積極的に取り入れたことでも、中国歴代皇帝でも最高の君主とも言われる。息子が35人にもいたようで後継者選びには、かなり悩んだらしい。
*https://www.chickennoneta.com/entry/%E7%95%B0%E5%90%8D%E3%81%A8%E8%8B%B1%E9%9B%84#%E8%81%96%E7%A5%96%E5%BA%B7%E7%86%99%E5%B8%9D より
康熙帝(こうきてい)は、清の第4代皇帝。諱は玄燁(げんよう、燁は火偏に華)。満洲人、君主としての称号はモンゴル語でアムフラン・ハーン、廟号は聖祖、諡号は合天弘運文武睿哲恭倹寛裕孝敬誠信功徳大成仁皇帝(略して仁皇帝)。在世時の元号康熙を取って康熙帝と呼ばれる。
西洋文化を積極的に取り入れ、唐の太宗とともに、中国歴代最高の名君とされ、大帝とも称される。その事実は歴代皇帝の中で聖の文字を含む廟号がこの康熙帝と、宋と澶淵の盟を締結させた遼最盛期の皇帝聖宗の2人にしか与えられていないことからも窺える。また祖の文字も、通常は漢の高祖(太祖高皇帝)劉邦など、王朝の始祖あるいは再建者に贈られる廟号であるが、康熙帝は4代目であるにもかかわらず太祖・世祖に続いて3番目に贈られている。
*Wikipedia より
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