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<ご当地サーモン 37.>愛知 うつのみやストロベリーサーモン

2025-01-02 16:10:41 | 食品

 「うつのみやストロベリーサーモン」

 水道局がマス養殖、水質PR狙う 宇都宮、餌は特産のイチゴ 2024/12/31 共同通信

 宇都宮市上下水道局が2024年から、浄水場で食用魚の養殖に挑戦している。水道水のきれいさのPRが狙い。傷が付いて売れない栃木県特産のイチゴを農家から引き取り、餌に混ぜた。「うつのみやストロベリーサーモン」と名付け、ブランド化を目指す。25年1月にも飲食店に売り込みを始めたい考えだ。

 魚はニジマスを改良した品種「ヤシオマス」。浄水処理前の地下水をためて水質を確かめるための「監視用池」に、200グラムの魚を100匹放った。餌は、ミキサーで液状にしたイチゴをペレットに混ぜて与える。試食すると、身が締まったサーモンの食感で「だんだん脂が乗ってきている」という。

*https://nordot.app/1246712037485888377?c=110564226228225532 より

 イチゴのエサでマスを養殖…「うつのみやストロベリーサーモン」 2024/06/29 05:00 読売新聞オンライン

イチゴを食べて育ったヤシオマスが、宇都宮市の新たな特産品になるかもしれない――。市上下水道局が浄水場の原水を活用し、イチゴ入りのエサを与えたヤシオマスの養殖に取り組んでいる。その名も「うつのみやストロベリーサーモン」。水道水の水質をPRするとともに、イチゴと掛け合わせたブランディングでヤシオマスの認知度を高めるのが狙い。11月以降の水揚げを目指している。(奥山大輝)

 ヤシオマスは、県水産試験場が品種改良した大型のニジマス。産卵しないため肉質が劣化することなく、脂のノリがいいのが特徴だ。

 市上下水道局が養殖を行うのは、市内北東部に位置する白沢浄水場の一角。県水産試験場から飼育方法の指導を受けた上で、水源である地下水の水質に異変がないかをチェックする「水質監視用池」を活用し、ヤシオマス100匹を1月中旬から育て始めた。

 水道局によると、この地下水の水温は年間を通してマスにとっての適温である15度前後を保っており、成長速度を速める効果が見込まれるという。現に、出荷水準である2~3キロに成長するまでに通常なら2年ほどかかるところ、この浄水場のヤシオマスは、200グラムの大きさで搬入されてから、約半年で1キロ超にまで育っている。

 さらにエサには、ミキサーで液体状にしたイチゴを既製のペレットに染み込ませ、乾燥させたものを与えている。使用するイチゴは浄水場の近くの農家から規格外のスカイベリーを無償で提供してもらった。大事に育てているため水道局職員も試食しておらず、イチゴが魚の味に与える影響は未知数だそうだが、イチゴに含まれるビタミンCやポリフェノールによって魚がより健康に育つ効果も期待される。

 水道局が専門外のマス養殖に乗り出したのは、「市のおいしい水道水の水質をPRする」ためだ。水道局はこれまでも、ボトル入り水道水を販売したり、水質をアピールする動画を製作し公開したりするなど、様々なPR策を展開してきた。

 今回のヤシオマス養殖もその一環で企画されたものだが、さらに一歩進んで、育てたヤシオマスを市の新名物にすることを考案した。県の特産品として名高いイチゴとコラボすることで、養殖したヤシオマスのブランド価値をさらに高めたい考えだ。

 今後は11月をめどに一部を水揚げし、高級レストランや料亭、ホテルなどの関係者を招いて試食会を行う方針。残る一部は養殖を続け、3キロ程度まで成長した個体を来春頃に出荷する計画で、反響次第では、養殖事業を拡大することも検討している。

 水道局の担当者は「宇都宮のご当地サーモンとして広く知らしめることで、普段触れている水道水が、いかに安全でおいしいのかを実感してもらうきっかけにもなれば」と話している。

*https://www.yomiuri.co.jp/local/tochigi/news/20240628-OYTNT50214/ より

 

 本日-24/01/02 gooがネットトラブルに見舞われUPするのがこの時間に(悲

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<知ってるようでよく知らない言葉・モノ・コト> 厚底シューズ戦争

2025-01-02 16:07:17 | 知ってるようでよく知らない言葉・モノ・コト

 「厚底シューズ戦争」

 「ついにナイキ王国落城へ」箱根駅伝の厚底戦争で新首位候補の"2社"が完全包囲…投下するエゲつない新ギア 2025/01/01 9:00 PRESIDENT ONLINE
 より軽く、より跳ねる…プーマ、オンも追い上げて群雄割拠状態

 2025年の箱根駅伝を制するのはどの大学か。レースの行方とともに、毎年注目されるのが選手が履くシューズだ。ナイキが2017年に厚底を投入後、ずっとシェア率のトップを突っ走ってきたが、最近はライバル社も猛追している。スポーツライターの酒井政人さんがシューズ戦争の最新事情を報告する――。
 箱根駅伝「ナイキ王国」は落城するのか
 国民的行事となっている箱根駅伝。近年は箱根ランナーたちが着用するシューズも注目を浴びており、スポーツブランドの“戦い”が過熱している。

 ナイキが2017年に反発力のあるカーボンプレートを軽量でエネルギーリターンの高いフォームで挟んだ“厚底シューズ”を投入すると、シューズ革命が起こった。駅伝やマラソンのタイムが大幅短縮したのだ。

 箱根駅伝を走る選手のシューズシェア率は2018年大会からナイキがトップを独走。2021年大会では95.7%(210人中201人)に到達して、1社独占のような異常事態となった。

 その間、他社もカーボンプレート搭載の厚底モデルを開発。近年はナイキの圧倒的優位が崩れている。

 前回の2024年大会(記念大会で230人が出場)はナイキが42.6%(98人)でトップを守るも、アシックスが24.8%(57人)まで上昇。アディダスも18.3%(42人)と肉薄。さらにプーマが8.7%(20人)と大躍進した。他にもミズノ(5人)、オン(3人)、ホカ(2人)、ニューバランス(1人)、アンダーアーマー(1人)、ブルックス(1人)がいて、過去最多となる10ブランドが新春の舞台を駆け抜けた。箱根駅伝のシューズシェア争いは“群雄割拠”の時代に入ったと言っていいだろう。

 そして2025年大会。「ついに王者・ナイキが首位から陥落する」。そんな予測も出てきた。では、新王者はどこか。候補はアシックスとアディダスだ。

 V字回復を実現しつつあるアシックス
 アシックスは2017年大会でシェアトップだったが、2021年大会でまさかの0人。かつての王者が屈辱的な大惨敗を喫した。崖っぷちに立った同社は2019年11月にトップアスリートが勝てるシューズを開発すべく各部署の精鋭を集めた社長直轄組織「Cプロジェクト」を発足。2021年3月にランナーの走り方に着目した「METASPEED」シリーズを発売した。

 ストライド型(歩幅を伸ばすことでスピードを上げる)のランナーに向けた「SKY」と、ピッチ型(ピッチの回転数を上げることでスピードを上げる)に向けた「EDGE」の2種類があり、ともにストライド(歩幅)が伸びやすい仕様になっている。

 同モデルを履いた当時33歳だった川内優輝が、25歳の時に出した自己ベスト(2時間8分14秒)を大幅に塗り替える2時間7分27秒をマーク。「METASPEED」が脚光を浴びるようなると、アシックスが反撃を開始した。

 箱根駅伝は2022年大会でシェア率を11.4%まで取り戻して、2023年大会で15.2%にアップ。前回大会で24.8%まで引き上げて、ナイキの背中がグンと近づいてきた。

 今年3月にはパリ五輪を前に「METASPEED PARIS」シリーズを発売。新採用された「FF TURBO PLUS」というミッドソール素材が従来素材と比較して、約8.0%軽く、反発性は約8.2%、クッション性は約6.0%向上した。その結果、「SKY」は約20g、「EDGE」は約25g軽くなった。また「SKY」はカーボンプレート前足部の幅を拡大、「EDGE」は前足部の厚みを3mm増加させたことで反発性がアップした。

 今季の学生駅伝は前年と比べて、10月の出雲駅伝で4.4%、箱根予選会で7.6%、全日本大学駅伝大会で2.7%も着用率がアップ。先日行われた全国高校駅伝でもアシックスの着用者が目立っていた。

 アディダスは8万円スーパーシューズに注目
 前回の箱根駅伝は青山学院大が往路をぶっち切ると、復路も独走。優勝の立役者となったのが、花の2区で区間賞を獲得した黒田朝日と、3区で日本人最高記録を叩き出した太田蒼生だ。このふたりは8万2500円(税込)のスーパーシューズ「アディゼロ アディオス Pro EVO 1」で爆走。従来のレース用シューズより40%軽い片足138g(27.0cm)という超軽量モデルが彼らのポテンシャルを引き出した。

 「抜群に軽さが違っていて、履いていても、シューズが気にならないくらいに軽いんです。僕はなかなかすごいペースで入ったんですけど、後半に何回も仕掛けることができた。脚に余力があったのは、シューズのおかげでもあるのかなと思います」と太田は振り返っている。

 「アディゼロ アディオス Pro EVO 1」は大量生産が困難なモデルで、前回大会の着用者は3人しかいなかった。徐々に有力選手への提供も進んでおり、着用者が大幅に増えそうだ。今大会でもレースの命運を左右する存在になるかもしれない。

 アディダスは最新のレーシングモデル「アディゼロ アディオス プロ 4」を11月27日、世界に先駆けて日本国内限定で先行発売した。箱根駅伝ではこちらが主要モデルになるだろう。また國學院大のエース平林清澄(4年)はさほどソールが厚くない「アディゼロ タクミ セン ナイン」を愛用している。

 アディダスは2025年の箱根駅伝で「ブランドシェアNo.1」を目標に掲げているが、正月決戦の前哨戦ともいえる11月の全日本大学駅伝(関東15校)のシューズシェア率はナイキの32%に迫る28%だった。

 前年(59%)を27ポイントも下落したナイキに対して、アディダスは前年を8ポイントも上回った。またプーマも前年の6%から17%に伸ばしている。

 プーマは全日本大学駅伝での着用者が2021年0人、2022年3人、2023年10人、2024年22人と右肩上がり。箱根駅伝でも着用者が倍増するだろう。山口智規(早稲田大3)、斎藤将也(城西大3)、青木瑠郁(國學院大3)、馬場賢人(立教大3)らレースのカギを握る選手が着用予定で、新たなドラマをつくるかもしれない。

 王者ナイキはどう対抗するのか
 最近はアディダス、アシックスらに押され気味のナイキだが、世界の舞台では結果を残している。昨年9月のベルリンマラソンで「アディゼロ アディオス Pro EVO 1」を履いたティギスト・アセファ(エチオピア)が2時間11分53秒の世界記録(当時)を打ち立てて、関係者を驚かせたが、今年10月のシカゴマラソンでその記録を今度は「ナイキ アルファフライ 3」を着用したルース・チェプンゲティチ(ケニア)が2時間9分56秒という驚異的なタイムで塗り替えたのだ。

 ナイキが現在販売中の最新レーシングシューズは「アルファフライ 3」と「ヴェイパーフライ 3」というモデルだ。しかし、ナイキは水面下で「ヴェイパーフライ 4」と思われる一般発売前のモデルを一部選手にプッシュしているようで、その影響がどれぐらいあるのか。

 それから前回の箱根駅伝で3人が着用したオンにも注目したい。全日本大学駅伝は5人の選手がオンのシューズで出走。国内ではまだ未発売の「Cloudboom 4」というモデルを着用した駒澤大・篠原倖太朗(4年)が7区で青学大・太田蒼生(4年)、國學院大・平林清澄(4年)らを抑えて、ハイレベルの区間賞をゲットした。

 また全日本大学駅伝では3区でトップを突っ走った青学大・折田壮太(1年)、創価大・吉田凌(4年)という実力者もオンを着用していた。ふたりが使用していたシューズがまた斬新だった。今年7月に発表した最新テクノロジーを搭載した「Cloudboom Strike LS」というモデルになる。

 自動化されたロボットアームで素材をスプレー噴射することで、接着剤フリーのつなぎ目のないアッパーを実現。超軽量の立体成型のため、極薄でシームレスなつくりで靴紐なしで着用できる。とにかく足へのフィット感が抜群で、サポート性を発揮。インソールも中敷きもなく、足が直接ハイパーフォームに接するため、エネルギーのロスも少ない。ビジュアル面でも目立つ“近未来シューズ”で快走する選手が出てくると一気に話題になりそうだ。

 王座奪還を目指す駒大のキーマンとなる佐藤圭汰(3年)もオンを着用する可能性が高い。前回はシューズシェア率が1.2%(3人)だったブランドが、箱根駅伝2度目の登場で強烈なインパクトを残すかもしれない。

*https://president.jp/articles/-/89796 より

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<社名の由来> チョーヤ梅酒

2025-01-02 15:56:59 | 社名の由来

 「チョーヤ梅酒」

 チョーヤ梅酒株式会社(チョーヤうめしゅ、英語: CHOYA UMESHU CO.,LTD. )は、大阪府羽曳野市に本社を置くリキュールメーカーである。

 概要
 日本を代表するリキュール企業の一社で、特に梅酒において日本では約30%の市場占有率を有する。仕入れ農家は約5000軒で、そのうちの8割が和歌山県に拠点を持つ。また、売上の3割が世界向けであり、約70か国以上に販路を形成している。

 創業当時はワインの製造をおこなっていたが、ブランデー製造を経て、現在では梅酒の製造が主流となっている。日本で初めて酒税法の認可を得たウメの実入り梅酒の販売を行ったのも当社である。主力製品の「チョーヤ梅酒」は全商品、日本産の梅を100%使用、添加物は一切使用していない。その他、かりん酒・朝鮮人参酒なども製造している。

 元の社名の「蝶矢」は、同社が本社を置く羽曳野市駒ヶ谷地区から南東に聳える二上山・葛城山・金剛山にギフチョウなど数多くの蝶が生息していたこと、また二上山で採取される讃岐岩が石器時代に鏃や石包丁として利用されていた歴史・地理的な背景を持つ。

 2000年に梅酒製造40年を機に「チョーヤ梅酒株式会社」に社名を変え、現在に至る。

*Wikipedia より

 創業地で本社所在地でもある大阪府羽曳野市東部に聳える二上山に、多くの蝶が生息していたのと、矢尻が多数発掘されたことから、創業者がその歴史と自然を見直そうと、「蝶矢」の造語を商標として使用したのに由来。旧社名は『蝶矢洋酒醸造』で、2000年に現在の社名となる。

*Wikipedia より

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< 郷土料理 > 山梨 じゃがいもとひじきの煮物

2025-01-02 15:55:42 | 郷土料理

 「じゃがいもとひじきの煮物」

 主な伝承地域 富士吉田市、富士河口湖町

 主な使用食材 じゃがいも、乾燥芽ひじき、砂糖、醤油、みりん

 歴史・由来・関連行事
 富士山信仰で訪れる信者に対して、宿を提供し、もてなす役目の御師が、富士山山開きの7月1日に振る舞ったのが「じゃがいもとひじきの煮物」だという。また、富士登山の安全と無事、暑い夏を健康に過ごせるよう祈願するものとして、富士山や神棚に供えたと伝えられている。「海のものと山のものを用い、開山をお祝いする」というのがもともとの意義であり、100年以上前から食べられているこの「じゃがいもとひじきの煮物」は現在でも習慣として山開きの日には食べられるという。

 食習の機会や時季
 山開きの7日1日に食べられるが、庶民の味として普段でも食卓にあがる。特に皮が薄い新じゃがが出回る5月から10月までの間はよくつくられる。じゃがいもの芋類、人参の緑黄色野菜、干ししいたけのきのこ類、ひじきの海藻類と栄養バランスに富み、夏の猛暑に負けないとされている。

 飲食方法
 ひじきはよく洗ってから水に20分程度浸してもどし、ざるに上げて水気を切る。じゃがいもは皮を剥き(新じゃがいもの場合は好みにより剥かなくても良い)半分に切る。鍋に入れた油が熱くなったらひじきを加えて全体に油が回るまで炒め、じゃがいもを加え、ひたひたの湯を加えて煮る。じゃがいもに火が通ったら砂糖、醤油を加え弱火で煮る。(15~20分程度)
 仕上がる直前にみりんを加え、全体に照りがでるまで煮る。彩りや栄養面から、人参、干ししいたけ、さやいんげん、油揚げを入れたりする。

 保存・継承の取組(伝承者の概要、保存会、SNSの活用、商品化等現代的な取組等について)
 山梨県が次世代への継承に取り組んでいく郷土食176品目「やまなしの食」のうち、さらに代表的な47品目としてしぼられた「特選やまなしの食」に選定されている。富士山山開きの日には各家庭でつくられるほか、小中学校・集団調理施設の給食でも提供され、素朴な味わいが”ふるさとの味”となって伝承されている。

*https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/jagaimo_to_hijiki_no_nimono_yama_nashi.html より

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<B級ご当地グルメ> 広島 広島風お好み焼き

2025-01-02 15:49:23 | B級ご当地グルメ

 「広島風お好み焼き」

 特徴
 お好み焼きは「大阪方式」と「広島方式」の2つに大別される。その違いを「大阪方式(関西方式)」は、"混ぜ焼き"、「広島方式」は"重ね焼き"あるいは"乗せ焼き"と表現されることが多い。広島のお好み焼きは、小麦粉を水で溶いたものを薄く伸ばして焼いた生地の上に野菜や肉といった具を重ねてひっくり返し、生地でフタをして「蒸し焼き」にするのを特徴とする。生地そのものを食べる関西のものと違い、広島の生地は脇役的存在。生地には味はついておらず、具材を蒸し上げるために蒸気を閉じ込めるためのフタとしての役割が大きい。このため、具と小麦粉で出来た生地を混ぜて作る"混ぜ焼き"とは全く異なる形状、及び食感となる。同様の調理法の「お好み焼き」を供する地域は広島以外にも存在するが、中華麺を加えることが多い点と、具材として大量のキャベツやもやしを用いること、これらを含めた全ての食材が層状に構築されるという点が決定的なオリジナリティとなっており、他の地域のスタイルと区別される。野菜をたっぷり食べる栄養バランスのとれた一品とされる。関西では「お好み焼はおかず」と言われることもあるが、広島のお好み焼はそばやうどんが入っているため、それ自体で満腹となる主食として成立し、一緒にご飯を食べることはあまりない。当然、広島のお好み焼店にはご飯は置いてない。また他県の人には驚かれることも多いが、夜も勿論食べるが、広島のお好み焼は昼食のイメージが強い。

 歴史
 戦前に子供のおやつであった「一銭洋食」が原型である。鉄板の上で簡単に作れる広島のお好み焼きは、原爆で焼け野原となった広島の復興を象徴する食文化として独自の発展を遂げた。広島でお好み焼きが発展した理由は、戦前まで軍都だった広島は重工業が盛んで、鉄を扱う工場が多く、鉄板が庶民の手に入りやすかったこと、広島市観音地区が観音ネギの産地で、食材も比較的調達しやすい環境だったこと、戦後にアメリカから小麦粉を大量に押しつけられたMSA協定も関係があるという見方もある。広島市中心部の新天地エリアを中心に、夕食やお酒を飲んだ後に立ち寄るお客で屋台が賑わい、これが集合してお好み村となり、また広島の町のあちこちに自宅の一部を改装した小さなお好み焼き店が生まれた。

 1975年(昭和50年)には山陽新幹線が広島県内にも延伸開業し、広島カープが初優勝した。この頃から旅行ガイドブックなどにも掲載されるようになり、西城秀樹や島田洋七など、広島出身者らがマスメディアで広島のお好み焼を紹介したり、1980年代に修学旅行向けのガイド本で紹介されたりし、80年代までは広島県民しか知らない地方のマイナーグルメは、全国的にその名が広まっていった。1970年代までは大手新聞や雑誌メディアに広島のお好み焼きを取り上げた記事はあまり見られないが、1980年代からは急増している。『週刊ポスト』1984年(昭和59年)2月28日号のお好み焼き特集では、お好み焼きの三大派閥として「広島/関東/関西」を取り上げ、『週刊読売』1986年(昭和61年)6月8日号では、「東京もんじゃ焼きvs広島お好み焼」と題してこの二大対決を12頁にも亘って紹介している。この記事では都内の「広島風お好み焼き店」として12店が紹介されており、「広島風お好み焼き店」は有名人の来店が多いと書かれており、ビッグネームが列挙されている。原宿竹下通りにあった「もみじハウス」店長は「歌手やタレントが広島にコンサートや舞台の仕事で訪れ、本場のお好み焼きの虜となり、東京の広島風のお店に来るのではないか」と述べていた。NHK広島放送局の制作で1986年(昭和61年)8月6日に全国放送された『ふたたびの街』は、原爆の被害から免れた広島市の段原でお好み焼き店を経営する家族の物語で、重森孝子脚本・渡辺紘史演出、大滝秀治・井川比佐志・宮本信子らの出演だった。広島お好み焼きを取り上げた『朝日新聞』1987年(昭和62年)4月23日付に「広島カープの本拠地広島の名物のひとつ、お好み焼き。野菜がたっぷり、太らず健康にいいとかで、今や全国的に知られている」と書かれている。近年では「ご当地グルメの代表格」ともいわれ、「関西風」の"混ぜ焼き"と「広島風」の"重ね焼き"の2つによってお好み焼きは「国民食」と呼ばれるほどの人気となった。

 2006年(平成18年)現在、広島市だけで800軒以上(1992年中国新聞調べからの推定)、広島県内には1,700軒以上あるといわれる(総務省統計局、平成21年経済センサスより)。店舗数では全国3位、人口あたりの店舗数では日本一といわれ、コンビニエンスストアより多いともいわれる。その県のコンビニ・スーパーでしか売っていない「ちょっと珍しい商品」としては、広島の場合は"お好み焼と盆燈籠"が挙げられる。広島市内には徒歩5分圏内に10軒はあるという説もある。2023年(令和5 年)5月に広島市で開催されたG7広島サミットでは、同市を選挙区とする岸田文雄首相の推しもあり、「お好み焼きは広島」を世界にアピールした。

 1950年ごろに発生した屋台街(1967年お好み村になる)で開業した、みっちゃんの井畝井三男と善さんの中村善二郎が広島風お好み焼きの元祖と言われている。その他、初期のお好み焼きの屋台の流れをくむ店は「麗ちゃん」、「へんくつや」などがある。1950年(昭和25年)当時のお好み焼きはねぎ焼きに近い物であった。

 戦争や原爆で夫を亡くした女性が自宅の土間を改造して店を始めた例も多く「〇〇ちゃん」という屋号が多いのはその名残りである。戦地から帰還した家族が見つけやすいようにという理由もあったとされる。また、1963年(昭和38年)に中国地方を襲った昭和38年1月豪雪(三八豪雪)で、中国山地の農村から一家で離村し、高度経済成長期の広島市に移住した農家の主婦が住宅地に開業した例も多い。現在も町の小さなお店に、老婦人やその家族が焼く小規模な店舗が残るのは、こうした理由もある。

 広島大学工学部教授の石丸紀興は、「戦後復興のエネルギーとなったお好み村のような屋台の系譜と、原爆で夫を亡くすなどした妻たちが、自宅の軒先で始めた子供相手のお好み焼き店がどの町でもあちこちにでき、広島市民はお好み焼きに馴染むようになった。この2つがあったことで、広島お好み焼きは一気に普及した。プロパンガスや厚い鉄板の普及により、独特の重ね焼きが可能になった。地場のソースメーカーが店と協力して、甘味があり、こってりとした専用ソースを開発したことも大きかった」と論じている。広島に於けるお好み焼き店は小規模で、大手資本もほとんどない。言い換えれば、広島に於けるお好み焼きは小規模経営で、庶民の味となっており、地元の食文化として定着している。

 矢野新一は「広島県人は新しいものに敏感で、全国販売に先駆けてのテストマーケットになることが多い。だから"広島お好み焼き"が誕生したときも、すんなり受け入れられたのではないか」と論じている。

 1960年代ごろまでは、家から卵や肉をお店に持っていって入れてもらうことができた。現在は肉や卵(合わせて肉玉と呼ぶ)は当たり前に置かれているが、昔は野菜とそばだけ、あるいは野菜だけを頼むことも珍しくなく、この頃の野菜だけで作られたお好み焼きの値段は250円程度だった。まだプラスチック製や発泡スチロール製のトレーが普及していなかったため、持ち帰りの場合は各家庭から平皿を持っていってお好み焼きを載せてもらったり、新聞紙にくるんでいた。もう少し時代が下ると、ラップで包んで持ち帰っていた。

 焼き方
 広島お好み焼きの焼き方は、昔から今まで一貫して生地と具材を混ぜずに焼く「重ね焼き」である。当初は、肉が入っていない野菜の重ね焼きで、二つ折りにして新聞紙にくるんで提供されていた。キャベツや揚げ玉などが入れられていたが、この頃はまだ、そば等の麺は入れられていなかった。このクレープのような生地に、焼きそばやうどんと卵焼きを二つ折りにして挟むというスタイルは現在でも呉地方を中心に残っており「呉焼き」とも呼ばれている。円盤状のものに比べて場所をとらないため、スーパーマーケットやコンビニエンスストアの惣菜の一つとしてもよく売られており、また片手で食べることも可能になるので、祭りなどの露店ではこのスタイルで売られることもある。
 使用する食材
 戦後の焼け跡時代は、少量のメリケン粉を多めの水で溶き、生地を薄く伸ばして焼き上げて空腹をしのいでいた。物が出回るようになるとかまぼこを入れたり、地元産の観音ネギを混ぜて一緒に焼いたものが主流になった(現在も使う店もある)。続いて戦後悪化した食料事情により、季節により供給量が左右されるネギよりも、単価が安く年間を通して手に入りやすいキャベツに変えた(もやしは後年入れられる事になる)。「お好み焼」と「焼きそば」はある時期まで別々のメニューだったが、ある日、『みっちゃん』で焼きそばの上にお好み焼を乗せて食べてみた客が、とても美味しく満腹感もあり、それを見た別のお客も欲しがった。2つをドッキングすることで、別々に注文するより安くつくというメリットもあり、こうして今の麺類を入れるお好み焼の原型が誕生した。当時はアメリカから大量に小麦粉が届けられた一方で、米はまだ貴重で、お好み焼は主食に変化していった。
 食べ物が豊かになるにつれて豚肉、卵、もやし、ねぎなどのたくさんの具を"お好み"で乗せて焼くようになった頃、「お好み焼き」と呼ぶようになった。具材が多くなったため、二つ折りが難しくなり、円盤状のままで出すようになった。こうして、1955年(昭和30年)ごろには現在の広島お好み焼きになった。このように、現在のような広島お好み焼きの完成形がある日突然できたわけではない。当初は屋台営業の為、他店のレシピや調理技術が盗み易く、各店が互いに影響を与え合いながら現在の形へと進化させていった。
 ソースの変化
 1922年(大正11年)、「佐々木商店」として広島で創業したオタフクソースは、醤油類の卸と酒の小売を営む商店から始まり、1938年(昭和13年)から醸造酢の製造を手掛けた。1945年(昭和20年)8月6日に原爆で会社が燃え尽くされたことから、創業者は家族で新たなことに取り組みたいという思いを持った。納入業者から『これからは洋食の時代になる』とアドバイスを受けたことから、1950年(昭和25年)にソース作りに乗り出した。最初はウスターソースの製造を始めたが、ソースの販売は最後発と遅く、問屋の特約店縛りが厳しく交渉に困難を伴った。そこで新たな営業先として飛び込んだのが、お好み焼き店だった。広島お好み焼きも、当初はウスターソースを使っていたが、少し味がキツイという問題や、具材が増えていくにつれ、ウスターソースはとろみがなくサラサラしているため、生地にとどまらずに垂れ落ちてしまい、鉄板に流れ落ちて焦げ付いてしまう、蒸発してくる酸味でむせる等の欠点があり、お好み焼き店は共通の悩みを持っていた。そこで1952年(昭和27年)にオタフクソースが開発したのが、日本初のお好み焼き専用の濃厚ソース「お好みソース」。餡掛け料理のとろみを参考にしてソースを作り直し、五味の調整を取りながら試行錯誤を重ねて、完成まで2年の歳月をかけた。防腐効果のある塩と殺菌作用のある酸をウスターソースは多く配合しているが、それに比べてお好みソースは塩分と酸味を落とし、防腐剤などの添加物は一切入れず。最初はお好み焼き店からも「こんなどろっとしたソース、気持ち悪い」と酷評された。また殺菌技術も発達していなかった時代で、酵母などの菌が死滅せずビンの中に残って発酵が進み、発酵ガスがビン内に充満してビンが破裂してしまうケースが頻出し「爆弾ソース」という異名がつけられた。店内がソースで汚れた場合、すぐに駆けつけ店舗を掃除しなければならないから、広島県内だけでしか販売出来なかったという笑い話もある。その一方、「お好み焼きに合って、おいしい」と評判を取り始め、同社の看板商品へと成長を遂げ、1970年代までは広島県内に限定して販売を続けた後、1982年(昭和57年)にソース業界初のスクイズ容器「フクボトル」で家庭用お好みソースの販売を契機に、四国松山市を皮切りに全国へ販路を拡げ、広島お好み焼きの浸透とともに事業も拡大した。オタフクソースはTVCMなど、大々的なプロモーションを打ったことはないが、関東地方などに転勤した広島県人がスーパーマーケットなどでオタフクソースを見つけ、近所や友人に口コミで広めたのではないかという説もある。業界でも「お好みソース」という新たなカテゴリーを創出した功績も大きい。以降は、広島県内のみならず、全国でもオタフクソースが高いシェアを誇っている。ソース類では国内の生産量シェア25%の最大手で、お好み焼きソースの売上は全国1位。2022年(令和4年)現在、年間約5万キロリットルを生産し、東南アジアや米国など約50ヵ国で計約2千品目を販売している。今日でも小さな工場では昔ながらの製法で作っている所もある。
 呼称
 広島地方においては、広島風のお好み焼きのことは単に「お好み焼き」あるいは「お好み」と呼ぶ。ただし、広島県三原市では、旧来の麺無しをベースとして「お好み焼き」と呼び、中華麺またはうどん入りを「モダン焼き」と呼んでいる。名前については、当初は決まった名前はなかった。好きな具材を入れていく事で「好み焼き」と呼ばれていたが、この名称では良くないのではとなり、接頭語としておを付けてお好み焼きになったらしい。自然発生的に「お好み焼き」という名前が現れ、それが一般に定着して今に至っている。

 広島県外では「広島お好み焼き」の他に、「広島焼き」とも呼ばれることも多い。1970年代にマスメディアによって広島のお好み焼きが"発見"され、「関西風」「広島風」という名称が両者を区別するために用いられ、これに伴い「広島焼き」と呼び方も生まれた。広島焼きという呼称を正式に採用したのは、記録のある限りでは1983年(昭和58年)に東京下北沢に開業して2023年も当地で営業を続ける広島出身者の経営「広島焼きHIROKI」が最古である。都内初の広島スタイルのお好み焼き店といわれた。1975年(昭和50年)4月創業の千駄ヶ谷「お多福」は、店の看板に「ひろしま風」と掲げていた。東京出身のエッセイスト・如月小春が『宝石』で「大学四年のときに初めて食べた広島風のお好み焼きがマズかった」と書いていることから、1970年代後半には広島スタイルのお好み焼きを提供する店が都内にあったことが分かる。1990年代初めに県外で広島のお好み焼きを出す店が増えて看板に「広島風」が使われ始めた。その際オタフクソースとしては「広島流」と呼んでいた。2008年(平成10年)に社内で呼び方を統一し、広島のお好み焼きを「広島お好み焼き」関西のお好み焼きを「お好み焼き」と呼び分けるようになったという。但し、広島県民にとってはそんなことはどうでもよく、「広島焼き」の呼称を嫌う傾向があり、広島ではケンカの火種になる言い方であるという。2016年(平成24年)9月20日にNHK総合テレビで放送された『サラメシ』の広島特集の中で、「広島風お好み焼き」に「広島焼き」とテロップをつけたところ、広島県民から「そんな食べ物はない!」などと批判が相次いだため、2日後の再放送ではテロップが「お好み焼き」へと修正された。広島で公演をするアーティストの楽屋には「MCにおける注意事項」として「広島風のお好み焼を『広島焼き』と呼ぶことは絶対におやめください」と注意書きがあるといわれる。ここまで愛される郷土食も少ない[78]。広島と大阪は互いのお好み焼きを認めないとされ、広島の「お好み焼」は、「広島風」でも「広島焼き」でもなく、「お好み焼」だと主張する者もいる。広島では「広島のお好み焼」が「お好み焼」で、関西風が「関西風お好み焼だ」と主張する者もいる。1980年代はまだ地方のマイナーな存在だった広島のお好み焼きが全国進出する際に「広島焼き」「広島風お好み焼き」という二つの呼称が発生し、この呼称の生みの親は広島県人自身とする見方もある。全国的に有名になったら今度は「広島焼き」という呼称に怒り始めたという意見もある。

 「広島焼き」の呼称が嫌われる理由には諸説あるが、有名なものに「お好み焼きを作っているのだから名称は『お好み焼き』であり、わざわざ「広島」と地名を付けて強調する必要が無い」、戦中や戦後直後の悲劇を知る高齢者を中心に「『広島焼き』は、その言葉の響きから原爆投下で焼けた広島を想起させる」と諸説ある。「お好み焼き」だと地名がわからないが、「広島焼き」「大阪焼き」と分けた方が直接のアピールになるのではという意見もある。

 調理法
 基本的な作り方

 1.水で溶いた小麦粉を円形に薄く伸ばして生地を焼く。
 2.生地の上に魚粉、キャベツ、その上に肉とその他のトッピングや天かす等を乗せ、つなぎとして少量の小麦粉を垂らしてひっくり返し、生地を蓋として具材を蒸し焼きにする。
 3.生地を上にしたまま、炒めた中華麺(またはうどん)に乗せる。
 4.卵を割って円形に伸ばし、その上に生地を上にしたまま本体を乗せる。(黄身は割るが伸ばすだけ)
 5.ひっくり返して卵の面を上にし、ソース、青海苔等をかけて完成。
 主な材料
 基本の材料
 小麦粉・水
 鶏卵
 中華麺またはうどん
 豚肉(バラ肉等のスライス)。豚肉の代わりに牛肉、ひき肉、ホルモン焼きなどもある。
 野菜 - キャベツ、もやし、ネギ等
 とろろ昆布(店舗に依る)
 主なトッピング
 広島のお好み焼きには、定番の具材がある。今日、トッピングと表現されるものは、広島(市)民にと っては世代によって捉え方が違う。自宅から卵や皿を持って行った高齢者にとっては、その卵やそば・うどんもトッピングといえる。ただ「肉玉そば (うどん)」「そば (うどん) 肉玉」が定着して以降にトッピングのイメージがあったのはイカ天だけである。中心部から外れた店舗では基本食材以外で必ず置かれていたのはイカ天だけだった。2021年2月4日に放送された『秘密のケンミンSHOW 極』(読売テレビ)で、広島県各地の知られざるご当地お好み焼きが紹介されたが、この回にゲスト出演していた広島市青崎出身の金本知憲は「トッピングにイカ天以外が使われていることは知らなかった」と話した。以降、店舗によって、観音ネギを増量したり、大葉やもち、キムチ、チーズ、生イカ、エビなどをトッピングとして置くようになった。今日でも中心部から外れた店舗ではイカ天しか置いてないところも多い。

 近年では新しいトッピングも増え[出典 83]、カキ、コーン、牛すじ(県東部限定)、タコ、ベーコン、鶏肉、きのこ、トマト、アボカドなどが使われる。広島のお好み焼きにカキを入れたのは大山のぶ代という説もある。チーズやネギはキャベツと混ぜて使用することもある。
 主な調味料等
 ソース(特濃ソース)、マヨネーズ、紅生姜、カツオの粉(魚粉)、鰹節、桜えび、青海苔、天かす、とろろ昆布など。
 調理の際には植物油またはラードを使用する。
 麺
 関西風は基本的には麺は入れないが、広島では麺を入れる形が一般的。広島ではそば(中華麺)が主流で、中国新聞の2023年10月の統計では約80%がそば派。うどん派は18%。うどんよりそばが主流になった理由についてはよくわかっていない。お好み焼きに使用される麺は中華麺で、多くはお好み焼き用に製麺されたものが使用されることが多いが、焼きそば用の麺が使用されている店もある。店舗によって寸胴で茹でてから鉄板に出す「生麺」、予め茹でてある「ゆで麺」、蒸してある「蒸し麺」の3種類のうち一種類が使用される。3種類の中では生麺が比較的人気で、お好み広場やお好み村の店舗やガイドブック等に掲載されているような店舗では生麺が使用されることが多い。しかし、生麺を焼く時に使用するラードのカロリーを気にしたり、調理時間を短縮するため、人気店でもゆで麺や蒸し麺を使う場合もある。中華麺に代わるバリエーションとしてうどんがあり、うどんは中華麺がない時などに、古くから代用されてきた。近年ではうどん入りも人気を高めている。蕎麦やパスタを用いる店舗もある。

 2010年代ころから以前よりも麺がカリカリになるように、パリッと焼き上げるスタイルがトレンドになっているといわれる。

 ソース

 関西風と広島風で味わいが異なるのがソースの味付け。関西風のお好み焼きで使うソースは、辛口であることが一般的。これに対して広島風のお好み焼きでは、濃厚な甘口のソースが使用される。広島のお土産として甘口ソースを購入する人もいる。

 ソースは広島のメーカーであるオタフクソースがお好み焼き専用のソースを製造し、お好み焼き店の開業を積極的に支援していることや広島県内をエリアとする民放でのCMの効果もあり、多く利用されている。味は若干甘口。それ以外には、毛利醸造のカープソース(やや辛口)・サンフーズのミツワソース(ヒガシマルソースもある)、センナリの広島ぢゃけん、中間醸造(三原市)のテングソースなどのお好み焼きの専用ソースも使用されている。

 多くのお好み焼き店では単一メーカーのソースを使用しており、ソース会社では、納入先のお好み焼き店に自社の名前が入った暖簾を提供している。そのため、暖簾にあるメーカー名を見ることで、その店がどのメーカーのソースを使っているか分かることが多い。近年では幟(のぼり)を立てている店も多く、より分かりやすくなっている。なお、一部の店では複数のソースを独自にブレンドしたり、前記以外の製造会社にソースを特注したりしている。

 また、お好み焼きを食べるときに用いるヘラ (コテ) やお皿、ソース差しなどの道具にも、ソースのメーカー名がついていることがある。特に、多くの小規模な店舗がある広島市内では、ソース会社がお好み焼き店の開業支援をしており、「近所の主婦」が内職で自宅の一部を改装し、安価で店を開くことができた。

 広島県は日本酒の産地であり、そこから派生して酢の製造も盛んであった。先述のオタフクなど多くのソースメーカーは酢の醸造会社をルーツに持ち、今もソースと酢の両方を製造している。

 広島県民は自宅の冷蔵庫にお好みソースを常備していることが多い。

 マヨネーズ
  お好み焼きにマヨネーズをかけるのは元々関西風が発祥で、広島のお好み焼きにマヨネーズは使わない。吉川晃司が年齢で約10歳差がある猿岩石と『ミュージックステーション』で共演した際、広島のお好み焼きにマヨネーズをかけると話した猿岩石に「マヨネーズの味が強すぎて、本来の味が台無しになる。広島のお好み焼きにマヨネーズをかけたらダメ」と、生放送中に説教したこともあった。吉川は2016年5月15日に放送された『関ジャム 完全燃SHOW』でも「広島のお好み焼きにマヨネーズをかけてはダメだ」と改めて否定している。一般的にはマヨネーズはかけないが、最近では若年層や観光客向けに卓上に置いてあったり、注文すれば提供してくれる店舗も増えている。店側で責任をもってソースを塗るからと、卓上にソースやマヨネーズを置かない店もある。

 注文方法
 広島のお店の注文書(メニュー)には「お好み焼き そば (うどん) 肉 玉子」という風に書いてあることもあるが、これを「肉玉そば (うどん) 入り」「そば (うどん) 肉玉」などと注文する。よく分からなかったり、迷ったりしたら「肉玉そば」と注文すれば問題ない。デフォルトである肉玉そば(うどん)にお好みでトッピングを付加したり、そば(うどん)抜きなどとすることも可能である。おすすめや人気のトッピングの組み合わせは「餅チーズ・肉玉そば(うどん)入り」などとメニューに併記したり、「スペシャル焼き」「○○ちゃん焼き」などと店舗独自の名前を付けていることもある。

 そば(うどん)の下に「W」と書いてあることがあるが、これはそば(うどん)を2玉使う「ダブル」という意味である。「ちゃんぽん」または「ミックス」という言葉が使われている地域もあり、そばとうどんを半玉ずつ使用することを意味している。またミックスダブル等の呼び名もありこれはそばとうどんを1玉ずつ使うことを意味している。

 広島でも自宅で作ることはあるが、焼き方に技術を要するため、お店で食べるか持ち帰るかが一般的で、外食率は95%。広島ではお好み焼店に注文し持ち帰って食べる、いわゆる「お持ち帰り」の文化が昭和30年代から定着していた。土曜日の学校が半ドン授業だった時代には、学校が終わると友達とお好み焼を食べに行ったり、お店から持ち帰ってお好み焼を食べながらテレビを観たりは、ある年代の広島市民にとっては原風景であった。さらに旧い世代では新聞紙にくるまれたお好み焼を持ち帰ったら、新聞紙の裏にソースがベッタリも原風景かもしれない。

 テイクアウト、出前、電話予約などを行う店舗も多くある。近年では海外からの観光客のため英語や中国語などのメニューを用意している店舗もある。また、広島市等では、店内での食事ができず、原付で配達するケータリング専門の店舗も存在し、お好み焼きの出前文化が定着している。そのため、フードデリバリーサービスWoltの日本初進出地に広島市が選ばれた理由の一つに挙げられている。

 食べ方
 典型的な広島お好み焼きの店は、真ん中に大きな鉄板を擁するテーブルがあり、その周辺にいくつか小さめのテーブルが配置されていることが多い。客はお好み焼きを作る大きな鉄板の周りに座り、焼かれたお好み焼きを鉄板の上から直接小型のヘラを使って食べるのが基本である。広島や東京ではヘラと呼ばれることが多いが、大阪ではテコやコテと呼ばれる。歴史的には、昔からある広島のお好み焼き店は自宅を改装したようなところも多く、小規模なお店が多かった。鉄板の周りにしか席がないような狭い店では、必然的に客は鉄板の上で食べるしかなく、食べている間に冷めるのを防ぎ、最後まで熱々のまま楽しむため、また、屋台発祥の店では、客に鉄板で食べさせ洗い物やそれに必要な水を減らすという理由や、物が豊かではない時代に割り箸の消費量を減らすという理由もあり、ヘラで食べるようにしたところ、これが功を奏し慣習となったとされている。鉄板上で食べる場合は、お好み焼きをヘラで格子切りにし、一口二口程度で食べられる大きさをヘラに乗せて口に運ぶ。ピザ切りは広島県民とっては一般的ではない。

 大きな鉄板のあるカウンターは店に一つしかないことが多く、鉄板で同時に食べられる人数には限りがある。そのため、店の中には鉄板のない小さいテーブル席も配置されており、その場合は皿に載せられたお好み焼きを箸で食べる。近年では大きな店が増えテーブル席が増えたことや、ヘラで食べるのはコツが必要で観光客や外国人には扱いが難しいこともあり、皿で出す店や、出す前に皿か鉄板を聞く店も多くなった。鉄板で出す場合も小皿や箸を用意し、卓上のソース等をお好みで自由に使えるようになっている店舗が多い。

 地域差
 同じ広島県内であっても、地域によって色々なバリエーションがある。特に近年、「ひろしまフードフェスティバル」で「てっぱんグランプリ」を開催して競うこともあり、年々進化しつつある。毛利元就の故郷・安芸高田市では、石丸伸二市長の音頭取りで、地元の食材を使った「あきたかた焼き」を考案した。中国・九州地方の一部の県で、お祭りの露店・屋台で見られる割り箸に巻きつける形で焼いた「はしまき」「箸巻き」「はし巻き」の箸を抜いた状態の「広島お好みロール」などもある。

 府中市は、人口あたりのお好み焼き提供軒数が広島随一ともいわれ、豚バラ肉の代わりにミンチ肉や細切れ肉を入れ、これを「府中焼き」と呼ぶ。地場産業の家具・桐箱製造業で働く母親が多く、お好み焼きは子どものおやつや夕食だったため、子どもがお小遣いで食べられるようにと、バラ肉ではなく安い合い挽き肉を使ったのが始まりである。脂の多いミンチ肉は細かいため熱を通すとよくダシが出てうま味が増し、脂も多く出て麺がカリッと焼き上がるのが特徴。府中市民にとっては「自分がミンチだとしたらハンバーグになるより府中焼きの中に入る方が幸せ」という。また、卵も溶き卵にしたものをソースを塗ったお好み焼きの上からかけて仕上げる方法も存在する。狭い鉄板でたくさん焼けるようにという工夫から、形は楕円形をしている。尾道市では砂ズリ(砂肝)を入れる店がある。「フワ、コリ、サク」「サクッ、ザクッ」などと食感が良いという。旧因島市のお好み焼きは「いんおこ」と呼び、うどん入りが主流で、麺をカツオ節とソースで炒め、コンニャク・のしいか・かまぼこ・ちくわを入れる店が多くある。三原市では、モツ (鶏のレバーや玉ひも、キンカン)を入れる店が市内全体(約80店舗)のうち7割でトッピングとして取り扱いがある。三原市は養鶏が盛んで、鶏肉の生産量は広島県全体の約半数(46%)を占めており、広島県の地域資源にも認定されている。昔から安価で新鮮な鳥モツが容易に手に入れることが可能だったため地域に根付いた。また、そばやうどんを入れたお好み焼きを特に「モダン焼き」と呼び分けるが、これは関西地方独特の呼び方で、広島県内で広島風のお好み焼きを出している地域ではあまり見られない特徴。戦前、戦後から三原市の産業基盤を築いていた「帝人」や「三菱」では、当時から関連企業の仕事で関西からの来客も多かったと思われ、関西での呼称である「モダン焼」と注文を受けることが多く定着したという見方がされる。竹原市では、生地に酒粕と日本酒を練り込んだ「竹原焼き」を提供する。呉市ではうどんを入れたり、普通に焼いた後、半分に折り半月型にする場合が多いといった特徴がある。庄原市は、広島市から遠い事もあってお好み焼きは馴染みが薄かったが、近年町おこしの一環として、「庄原焼き」を考案。麺の代わりに庄原産の米を入れてポン酢で仕上げているのが特徴。

 2014年の「第5回てっぱんグランプリ」に出展された地域の産物を使用した最新のご当地お好み焼きは以下の通り。

 三原市「三原焼き」は、三原で人気の鳥モツ入り。
 世羅町「せらの恵み焼き」は、トマト、大葉、チーズ入り。
 神石高原町「神石高原焼き」は、神石牛、こんにゃく麺入り、トマトソースを使用。
 三次市「三次唐麺焼き」は、ピリからの赤い色麺「唐麺」とカープソースを使用。
 呉市「呉焼き」は、細うどんを使用し卵でとじて半月状に折る。
 広島市「広島生めんお好み焼き」は、茹でて焼きパリっとさせたお好み焼き用の麺とチーズ入り
 尾道市「尾道焼き」は、砂ずり、いか天、わけぎ入りで、尾道オリジナルソース使用。
 廿日市市「はつかいち牡蠣盛焼」は、廿日市産の牡蠣と大葉入り。
*Wikipedia より

*https://www.okonomi.co.jp/menu.html より

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<料理用語-和食> 打豆

2025-01-02 15:46:08 | 料理用語

 「打豆-ずんだ」

 打豆とは、茹でた枝豆をすり潰して塩や砂糖で調味したものである。

 菓子では宮城県の「ずんだ餅」、料理では「茄子の打豆和え」など。

*https://temaeita.net/top/t2/kj/93_J/033.html より

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うまいッ! NHK 「甘味が強く風味豊か! くり 〜熊本・山鹿市〜」

2025-01-02 15:44:28 | うまいッ!NHK

 甘味が強く風味豊か! くり 〜熊本・山鹿市〜 2023年10月16日

 秋の味覚くり。西日本一の産地である熊本県を訪ねると、山深い急な斜面にくり畑を発見。日当たりがよく、昼夜の寒暖差が大きいことが、くりを甘くしてくれるのだそうです。

 熊本県内で最もくり栽培が盛んなのが山鹿市。山の斜面に植えられたくりの木は、樹高を低く、枝を横に広げるように栽培。日光をたっぷり浴びることで甘いくりの実が育つのだそうです。山の中で育てる苦労の一つがイノシシによる食害。畑を、なんと4キロにもわたってフェンスで囲い、防御しています。山鹿市では特産のくりをアピールするため9月から11月まで“スイーツフェア”を開催。和・洋のさまざまなデザートを満喫できます。

 「うまいッ!」の秘密
 山鹿市のくりは山の斜面で育てている場所が多いため、太陽の光がよく当たり、光合成が活発になって、糖が蓄えられ、甘くなります。さらに、太陽の光が葉によく当たるように、木を、低く、枝を広げるように剪定しています。

 くりは熟れて落ちてから収穫します。気温が上がると水分が抜けてパサパサになるため、早朝から急いで収穫することがおいしさのカギ。山の急斜面に生えたくりも地面にネットを敷くことで、草や根に引っかからずに転がるため、下で楽に早く収穫することができます。

 「くり」を使った料理レシピについて
 「くりの石垣だんご」※くりが石垣のようにゴツゴツしているだんご
 <材料>(20個分)
 ・くり(皮をむいたもの):300g
 ・小麦粉:300g
 ・塩 :少々
 <作り方>
 1) くりを4つ割にカットして、水洗いする。
 2) 1)のくりと塩を鍋に入れてゆで、楊枝で刺せるくらいになったらザルにあげる。(ゆで汁は 残しておく)
 3) くり、小麦粉、冷ましたゆで汁を入れて、くりが出ないように丸める。
 4) 沸騰した湯に敷き布を敷き、3)を入れて15分ほどゆでる。少し浮いてきたらできあがり。

 「くりの揚げまん」※くりを贅沢にたくさん使った揚げまんじゅう
 <材料>(30個分)
 (あん)
 ・くり(皮をむいたもの):1kg
 ・砂糖:250g
 ・塩:少々
 (バッター液)
 ・小麦粉:200g
 ・卵:1個
 ・水:適量
 <作り方>
 1) くりを40分ほど蒸して軽くつぶす。(粒が残るくらい)
 2) 1)に砂糖と塩少々入れて、丸める。
 3) 卵、小麦粉、水で固めのバッター液を作る。
 4) 2)に小麦粉(分量外)をまぶし、バッター液につけて170度の油で揚げる。
 5) こげ目がついたらできあがり。

 「くりのキッフェルン」※アーモンドでなく くりを使ったキッフェルン
 <材料>(24個分)
 ・くり(皮をむいたもの):200g
 ・バター:150g
 ・砂糖:80g
 ・コーンスターチ:100g
 ・薄力粉:100g
 ・グラニュー糖:適量
 <作り方>
 1) くりは蒸してから裏ごしする。
 2) バターは常温で溶かしておく。
 3) 1)と全部の材料をこねて混ぜ、20gぐらいの大きさに丸める。
 4) 200℃のオーブンで、12分ほど焼く。
 5) 焼きあがったらグラニュー糖をまぶしてできあがり。

*https://www.nhk.jp/p/umai/ts/P7R4N8K39M/episode/te/L6P9WG27VV/ より

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<異名-スポーツ選手> キング

2025-01-02 15:40:47 | 異名

 「キング エリック・カントナ」

 エリック・ダニエル・ピエール・カントナ(Éric Daniel Pierre Cantona、1966年5月24日 -)は、フランス代表の元サッカー選手、俳優。マンチェスター・ユナイテッドでは、FAカップとの2度のダブル(2冠)を含め、4度のリーグ優勝を経験した。

 カントナは低迷していたマンチェスター・ユナイテッドの復活に貢献した中心選手であると考えられており、自身もクラブとイングランドのサッカーの看板選手たる地位に立っていることを楽しんでいた。2001年には、マンチェスター・ユナイテッドの20世紀最高のサッカー選手(Manchester United's player of the century)に選ばれ、「キング・エリック」のニックネームで親しまれている。

 練習にも精魂を傾けるフットボールへの真摯な取り組みはチームメイトに多大な影響を与えた。しかし唯我独尊の態度で孤高の存在であったカントナは、他人の意見や規範による柵を徹底して嫌い、厳格な態度で規律を重んじるアレックス・ファーガソンの流儀に括られることもなかった。デビッド・ベッカムは「エリックは特別だった」と発言している。

 1998年にはフットボールリーグの歴代の名選手100人(Football League 100 Legends)に選出され、2002年にはイングランドのサッカーの殿堂入りを果たした。

*Wikipedia より

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<慣用句・諺> 恥を掻く など

2025-01-02 15:28:42 | 慣用句・諺

 「恥を掻く」

 人前で恥ずかしい思いをする。面目を失う。

 

 「恥を曝す-はじをさらす」

 公衆の面前で恥をかく。自分の恥を大勢の人に知られる。

 

 「恥を知る」

 恥ずべきことを知る。恥であることを自覚する。

 

 「恥を雪ぐ-はじをすすぐ」

 受けた恥をぬぐい消す。名誉を取り戻す。

 

 「恥を捨つ-はじをすつ」

 恥を恥とも思わないで行動する。

 

*goo辞書 より

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<日本酒メーカー> 新潟 久須美酒造

2025-01-02 14:59:49 | 日本酒

 「久須美酒造」

 創業天保4年(1833)。「日本酒は、土地の米と水と人情と自然が醸す風」を基軸に、米づくり・酒づくりに努力しています。

 7代目蔵元で代表取締役社長の久須美賢和さん
 酒蔵を訪ねると杜氏や蔵人にインタビューすることがある。なぜ、酒造りをしたいと思ったのか、と。 彼らはたいていこう答える。「夏子の酒に影響されて」「夏子の酒に感動したから」と。

 多くの蔵人を生んだ『夏子の酒』

 「亀の尾」を使った純米大吟醸『亀の翁』
 『夏子の酒』とは、1988年から1991年にかけて講談社の雑誌『モーニング』に連載された尾瀬あきらの漫画。造り酒屋を舞台に「幻の酒米」を復活させる物語で、酒造米をテーマに日本のコメ作り・農業問題をクローズアップ。
 同時に日本酒業界の抱える構造的問題も明らかにした。 1994年にはテレビドラマ化されて、世間に広く知られるところとなった。ドラマを見て、日本酒を飲んでみたいと思った若者や女性たちも少なくない。
 この造り酒屋というのが、周知のように「清泉」を醸す久須美酒造である。昭和初期まで日本酒に使われていたコメ「亀の尾」を3年かけて復活させ、日本酒『亀の翁』を完成させた事実をモチーフに描いたのが『夏子の酒』だ。

 代表銘柄『清泉』の名は自家湧水に由来

 亀の尾を栽培する田んぼ
 蔵があるのは長岡市の旧和島村。名水の里として知られる。
 「1985年に環境庁が全国の美味しい水を調査した際、新潟名水36選のひとつに当社の仕込み水が選ばれました。現在は68ヶ所が指定され、長岡市は4ヶ所。そのうちの2つが和島地区にあります」と、7代目蔵元で代表取締役社長の久須美賢和さんは紹介する。
 敷地内にある井戸から湧き上がる水は、樹齢200年から250年ともいわれる老杉に覆われた裏山が水源。きれいに澄んだ軟水である。
 「昔から当家は清水屋の屋号で呼ばれ、自家湧水に恵まれていました。代表銘柄『清泉』の名もこの自然水に由来します」
 この裏山は久須美家の所有。酒造りに必要な良質な水は、山の杉を育て守ることが不可欠で、代々の杉山との深い関わりによって名水は育まれたのだろう。

 復活劇が日本酒業界に残した功績

 洗米は米が割れやすい作業。手間を惜しまず、竹のざるで米を手洗い
 久須美酒造の名を一躍世に広めたのは、幻のコメ「亀の尾」の復活劇だ。 このコメは明治時代半ば、庄内地方の篤農家・阿部亀治が発見し、育成。
 「不世出の名品種」として戦前は作付面積を誇ったが、病害虫に弱く、倒伏しやすいなどから徐々に姿を消していった。
 そんな折、久須美酒造6代目・久須美記廸氏は、越後杜氏の長老から「亀の尾で造った吟醸酒が忘れられない」との話を耳にする。 「その米でぜひ酒を造りたい!」との想いに駆られ、6代目の「亀の尾」の種籾探しが始まった。
 時代は地酒ブームのさなかだったが、日本酒の将来を思えば何かせずにはいられなかったのだろう。 1980年、苦労の末に手にしたのは穂にしてわずか10本、約1500粒の種籾だった。
 この貴重な種籾を元に、生産農家でもある蔵人と二人三脚で3年がかりで復活させ、「亀の尾」を使った純米大吟醸『亀の翁』は誕生した。1983年冬のこと。夢にまで見た幻のコメは蘇り、香り高い酒となったのだった。
 この酒はその年の三大鑑評会で金賞を受賞。やがて「夏子の酒」の題材となり、多くの日本酒ファンに感動を与えた。さらには日本酒の造り手を生み、飲み手を増やすなど、日本酒業界に残した功績は誰もが認めるところだ。

 コメ作りにかける蔵元のDNA

 技術の継承も大事な役割
 「父は常々言っていました。造り酒屋の役目は美味い酒を造るだけではない。仕事を通じて世の中のためになることが大事。コメは江戸時代まで通貨だった。通貨で酒造りしている国は非常に珍しい。そのことを肝に銘じろ、と」
 その意味するところは、造り酒屋はコメが十分なときには磨きを上げて美味い酒を造るが、ひとたび食糧危機になればコメは食に回すべきだということ。
 また、たくさんコメを使って田んぼを枯らさないことが国土保全につながり、国民の食料確保にも役立つということ。こうした造り酒屋の役割を自覚したいと、先代の理念をかみしめるように語る。
 そこには確かに受け継がれた酒蔵の蔵主としてのDNAが見えた。 実際、予期せぬ自然災害によって凶作はもたらされる。
 2004年の水害と中越地震、2007年の中越沖地震で久須美酒造は合わせて約5億円の損害に見舞われ、蔵は存亡の危機に瀕したという。
 コメ作りと共にある酒造り。そのことを深く心にとめて久須美酒造の蔵人を中心にする「亀の尾生産組合」では、酒米を栽培している。

 伝統の職人技を後世に

 槽は木製だが内部はステンレス張り
 久須美酒造では昔ながらの手法にこだわり酒造りをしている。食品の安全性を第一にするから、コストはかかるが普通酒まで含めて全量自家精米。
 原料処理には甑や麹蓋を使い、酒母は汲み掛け法を繰り返して立てている。職人技を大事にするのは、酒造りの技だけでなく、環境も含めて文化を正確に伝えていくためだという。
 「日本酒は古来の知恵や大自然の恩恵でできたことを伝えていきたい。微生物が働きやすい環境を作ると言うが、じつは日本酒の酵母菌は餌がありすぎるといい働きをしない。
 いかに過酷な場所を作ってやるかが大事。命のせめぎあいからいい酒ができるんです」
 久須美蔵元の透徹した眼は蔵の明日のみならず、業界の未来を見据えているようだった。

 久須美酒造株式会社 新潟県長岡市小島谷1537-2

*https://www.niigata-sake.or.jp/kuramoto/kusumi/ より

 代表銘柄

清泉 純米吟醸

純米造りを得意とする久須美酒造の代表作。
”五百万石”と”わせじまん”を55%まで磨き上げ、「新潟県の名水」に選ばれた湧き水で仕込まれた純米吟醸酒です。
穏やかで落ち着いた香りとまるく柔らかな米の旨味が、清らかで深みのある風味を生み出しました。

商品名 清泉 純米吟醸
(きよいずみ じゅんまいぎんじょう)
酒蔵 久須美酒造株式会社 [1833年創業] /新潟県長岡市小島谷1537
特定名称 純米吟醸
原料米 五百万石/わせじまん 精米歩合55%
仕込水 酒蔵敷地内湧水 新潟県名水指定『酒屋の清水』(軟水)
アルコール度数 15度
生酒/火入れ 火入れ酒(加熱処理済)
日本酒度 +4
酸度 1.6

 

 

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