「金泉寺」
金泉寺(こんせんじ)は、徳島県板野郡板野町にある高野山真言宗の寺院。亀光山(きこうざん)釈迦院(しゃかいん)と号す。本尊は釈迦如来で、脇侍に薬師如来・阿弥陀如来を安置する。四国八十八箇所第三番札所、阿波西国三十三観音霊場(東部)第23番札所、阿波北嶺薬師霊場9番札所。
本尊真言:のうまくさんまんだ ぼだなん ばく
ご詠歌:極楽の宝の池を思えただ 黄金(こがね)の泉すみたたえたる
概要
寺名が金(きん)の泉(いづみ)の寺ということで金運上昇の御利益があるとされる。なお、所在地である大寺の村名は、当寺に由来する。板野郡は、板東と板西に分かれていたが、その境は当寺の堂の扉板をもって境としていたとされる。
歴史
寺伝によれば天平年間(729年 – 749年)に聖武天皇の勅願により行基が本尊を刻み、金光明寺と称したという。弘仁年間(810年 – 824年)に、空海(弘法大師)が訪れた際に、水不足解消のため井戸を掘り、黄金井の霊水が湧出したことから寺号を金泉寺としたという。
亀山法皇(天皇在位1259年 – 1274年)の信仰が厚く、京都の三十三間堂をまねた堂を建立、千躯の千手観音を祀った。また、背後の山を亀山と名付け山号を亀光山と改めた。また、『源平盛衰記』には、元暦2年(1185年)に源義経が屋島に向かう途中本寺に立ち寄ったとの記載がある。
1582年(天正10年)には長宗我部元親による兵火にて大師堂以外の大半の建物を焼失したが、建物はその後再建され現在に至る。境内からは奈良時代の瓦が出土しており、創建は寺伝のとおり奈良時代にさかのぼると推定される。
境内
山門
朱塗りの山門を入り小さい橋(ごくらくばし)を渡ると左手に手水鉢がありその後に鐘楼・慈母観音がある。向かいに観音堂がありその前に修行大師像が立つ。正面に本堂が建ちその左に護摩堂が、手前右手に大師堂がある。大師堂の右奥に黄金の井戸と閻魔堂がある。手水鉢の場所から奥へ入ると納経所があり、その手前に弁慶の力石が置かれている。なお、熊蜂(クマバチ)が季節になると飛びまわるので要注意。
主な堂宇
山門(仁王門) - 三間一戸楼門、入母屋造。
本堂 - 本尊は両脇仏とともに2014年(平成26年)以降、開帳されている。
大師堂 - 2008年(平成20年)11月改築。堂内で参拝し大師像を拝観できる。
護摩堂 - 不動明王立像と二童子。格天井に花鳥画が描かれている。
観音堂 - 本尊は聖観世音菩薩像で、阿波西国三十三観音霊場札所。
閻魔堂
黄金の井戸 - この井戸に自分の顔が映れば長寿であると伝えられている。
満願弁財天像・倶利伽羅龍王像・慈母観音像 - ブロンズ像。
天満宮(祠)
長慶天皇の御陵
多宝塔(阿弥陀堂)
鐘楼
弁慶の力石 - 力試しに弁慶が持ち上げて見せたと伝えられている。
沙羅の木(ナツツバキ) - 大師堂の左側にあり、6月頃花をつける。
句碑 - 「宇免柳みずもふた手に王可連介理(梅柳水も二手に分かれけり) 菖渓」「西耳悲がし丹鶯のこゑ八十?(西に東に鶯の声八十歳) 菖宇」が本堂の東にある。
宿坊 - なし。
駐車場:14台・バス4台 - 無料。
文化財
板野町指定史跡
金泉寺
金泉寺 徳島県板野郡板野町大寺66
*Wikipedia より
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