「クリーン三木/バルカン政治家/議会の子 三木武夫」
三木 武夫(みき たけお、1907年〈明治40年〉3月17日 - 1988年〈昭和63年〉11月14日)は、日本の政治家。
徳島県出身。内閣総理大臣(第66代)を歴任した。衆議院議員当選19回、在職51年。称号及び栄典は、正二位大勲位、衆議院名誉議員など。「クリーン三木」、「バルカン政治家」、「議会の子」と呼ばれた。
*Wikipedia より
一貫して派閥の寄せ集め状態の自民党の体質からの脱却、党の近代化を訴え、時の政権、党執行部とも衝突を繰り返した。1974年、田中角栄の金権政治が暴露され田中が失脚すると、三木の「クリーンさ」が田中と対照的で有権者受けするとみなされ、椎名裁定によって首相に擁立される。周囲は田中の「金権」イメージ一掃のための中継ぎの予定であったが、三木は政治改革を行おうとして田中やその後継の大平正芳らと対立、自民党は分裂・下野寸前に陥る。結局第34回衆議院議員総選挙で自民党は過半数割れの惨敗を喫す。三木は保革伯仲国会を招いた責任をとって在任2年で退陣、自民党は70年代後半の混迷期に入る。
大政翼賛会や田中派などの大勢力と対立し、一貫して小規模の政党・派閥を渡り歩きながら首相にまで上り詰めたため、バルカン政治家の代表格とされる。
*Wikipedia より
バルカン政治家(バルカンせいじか)とは、その時々の状況変化に応じ、敵味方を目まぐるしく変えていく政治家、もしくは他国との関係を国際関係の変化に応じて目まぐるしく敵対・同盟に変化させる外交政策を推し進めようと図る傾向の強い政治家の事である。また、特に政治の場ではなくても、比喩(例:「まるでバルカン政治家の様だ」)で使われるケースもある。
*Wikipedia より
三木は、自らを「議会の子」と称し、議会制民主主義に立脚した政治を大切にした。「人、信無くば立たず」を座右の銘とし、政治は国民の信頼を得なければ成立しないとの信念から、国民との対話である演説に全力を尽くした。小柄だが声は大きく良く通り、自分の言葉で語りかける演説には人を惹きつけ納得させる力があった。
*https://www.awa-kankou.jp/mikitakeonituite/ より
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