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<日本の名水百選> 群馬 雄川堰

2024-10-10 08:29:22 | 名水百選

 「雄川堰」

 小幡地区の北に構築された雄川堰(別名「大堰」)は、一級河川雄川より取水し、小幡地区の南3km北の「翁橋」下手に高さ約7mの堰堤であり、雄川の表流水を取水している。

 開削の時代は不詳であるが、藩政時代以前に「古雄川堰」が存在していたと推考されている。現存する用水は1865年(慶応元年)、7か月と250人の労力で造られ、長さ6m、幅1mの1枚岩を3枚組み合わせた「吹上の石樋」により水を漏れなく下流へ送れるようになった。

 1615年(元和元年)、織田信長の二男織田信雄に大和国宇陀郡3万石と上野国小幡2万石が与えられ、翌年に信雄の子織田信良が福島に入り、織田氏による小幡藩政が開始された。

 1642年(寛永19年)に小幡陣屋が完成し、3か所に取水口を設け陣屋内の生活用水や庭園に引き込まれ利用されてきた。この移転工事に際し、雄川堰も改修され、現在見られる姿になったと考えられている。
— 『甘楽町史』1979年(昭和54年)甘楽町編纂

 小幡地区の南方より取水し、武家屋敷の東側を北流しながら途中で「外馬場堰」で二手に分水され、横町を迂回して再び大手門前で合流し、町屋地区を貫流して下流の水田地帯の灌漑を担っている。また、楽山園(国の名勝)の池の水源となっている。

 特に疏水沿いの桜並木は江戸時代初期より現在まで受け継がれ、石積みの疏水は名水百選や疏水百選に選定されている。

 2014年(平成26年)、その歴史的背景が評価され国際かんがい排水委員会によるかんがい施設遺産に登録された。

*Wikipedia より

 雄川堰はおよそ400年前に構築されたものと推測され、古くから住民の生活用水や非常用水、下流の水田のかんがい用水として利用されてきた。4月上旬の桜まつりの時期には、その景観の美しさに多くの観光客が訪れる。

 水質・水量
 水質、水量は選定当時とほぼ変わらず、良好な状態を保っている。水質はどちらかと言えばアルカリ性であり、BOD(生物化学的酸素要求量)は常時2mg/lを下回っていることからも、汚濁の少ない良好な状態と言える。
 由来・歴史
 織田信長の二男、信雄が大阪夏の陣の功績により、元和元年(西暦1615年)7月23日に大和国松山(奈良県)三万石と、上州小幡二万石を家督相続させた後、織田宗家として小幡に陣屋を築いたときに整備したものである。織田氏及びその後を承継した松平氏は、御用水奉行を置き、水の大切さを説き、雄川堰の管理に力を入れたが、現在は地元住民の手により守られている。
 水質保全活動
 地元住民により、毎週水路内のゴミ等の回収活動が行われる他、用水組合が年3回水を止めて清掃作業を行っている。

 おすすめの時期-年間を通じて堰には水が流れているが、特に4月の桜の開花時期は咲き乱れる桜の花と、雄川堰の清らかな流れを両方楽しむことができる。
 周辺の自然環境-周辺は雄川堰の清らかな流れに沿って、城下町小幡の古い家並みや桜並木が続いている。
 利用状況-標高1,370mの稲含山を水源とする雄川の中流部から取水し、城下町や昔の武家屋敷地帯を生活用水として潤ている他、その下流にある水田の灌漑用水として利用されている。
 イベント情報-4月上旬 名水地周辺では、桜祭り(武者行列)が毎年行われ、多くの観光客が訪れている。

*https://water-pub.env.go.jp/water-pub/mizu-site/meisui/data/index.asp?info=19 より

 飲用水としての利用がされていないため、ミネラルウォーターなどの販売も行われていません。

*https://www.flair-water.jp/meisui/2560/#i-7 より


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