「瀬戸勇次郎」 金-柔道・男子73Kg級
*https://www.asahi.com/paralympics/2024/results/profile/?qrkydpg_paris2024_page2=PROFILE-2016492-------------------- より
瀬戸 勇次郎(せと ゆうじろう、2000年1月27日 - )は、福岡県糸島市出身の日本の柔道家。
九星飲料工業株式会社所属。
*Wikipedia より
パラリンピック 柔道 瀬戸勇次郎が金メダル 男子73キロ級 2024年9月7日 6時29分 NHK NEWS
パリパラリンピック、柔道の男子73キロ級、障害の軽いクラスで瀬戸勇次郎選手が金メダルを獲得しました。前回の東京大会に続く2大会連続のメダル獲得です。
銅メダルを獲得した東京大会から3年、瀬戸選手は“階級”の変更に苦しみながらもつかんだ金メダルでした。
目次
瀬戸勇次郎が金メダル 2大会連続のメダル獲得
瀬戸勇次郎「集大成を出せたことがうれしかった」
瀬戸勇次郎が金メダル 2大会連続のメダル獲得
瀬戸選手はパラリンピック初出場だった前回の東京大会では男子66キロ級に出場し、銅メダルを獲得しました。
今大会から障害の程度によるクラス分けが導入された影響で66キロ級がなくなり、73キロ級に階級をあげました。
瀬戸選手は準決勝までの2試合をいずれも一本勝ちで勝ち上がり、決勝でジョージアのギオルギ・カルダニ選手と対戦しました。
瀬戸選手は開始6秒で得意の「背負い投げ」で技ありを奪うと、その後も積極的に技を仕掛けて45秒で2つ目の技ありを奪い、合わせ技一本で勝って金メダルを獲得しました。
前回の東京大会に続く2大会連続のメダル獲得です。
瀬戸勇次郎「集大成を出せたことがうれしかった」
自身初の金メダルを獲得した瀬戸選手は「すごくうれしいが、思ったよりも落ち着いていて不思議な気持ちだ。この3年間は背負い投げ1本で勝ち上がってきたので、その集大成をパリパラリンピックで出せたことがうれしかった」と喜びを話しました。
また、前回の東京大会は銅メダルだったことを踏まえ「3年前には見せることができなかった金メダルを見せることができ、応援してくださった方々に感謝を伝えたい」と話していました。
注目
【解説】“階級の差”乗り越え
銅メダルを獲得した東京大会からの3年間を「しんどかった」と振り返った瀬戸勇次郎選手。
その理由は“階級”でした。
東京パラリンピック(2021年)66キロ級
東京大会の時は66キロ級で戦いましたが、大会後、障害の程度による2つのクラスが導入されたことに伴い階級の数が減り、66キロ級はなくなりました。
このため瀬戸選手は73キロ級に階級を上げて戦わざるを得なくなったのです。
そこでは、もともと、この階級だった選手に加えて、同様に廃止された81キロ級からも実績ある海外選手が加わったことで、瀬戸選手には、これまで以上に「パワー」が求められるようになりました。
東京大会のあとの国際大会では、得意の背負い投げがパワーで封じられて、初戦負けということもありました。
稽古を重ねる瀬戸選手(2023年2月)
その後は、それまで「稽古で筋肉は十分につく」と取り組むことが少なかった筋力トレーニングを増やし、パリ大会の出場権獲得に必要となるポイントを得られる大会を欠場してまでジム通い。特に、背負い投げには重要となる背筋を中心に鍛えてきました。
その成果はすぐに出て、1年で体重はおよそ8キロ増加。
相手の体勢を崩し切れていない場面でも「背負い投げ」で一本を取れるようになり、国際大会で次々と優勝していきました。
「金メダル候補」として臨んだパリ大会の初戦の準々決勝でも開始19秒に「背負い投げ」で一本勝ち。
勝ち進んだ決勝での相手は、東京大会以降の対戦成績が2勝2敗と五分のジョージアの選手でした。
ここでも開始早々「きれいな形ではなかった」としながら、鍛えてきたパワーを生かして「背負い投げ」で技あり。
その後も背負い投げで攻め続けて相手が警戒して重心が後ろになったところにタイミングよく「出足払い」で、再び技ありを奪い、合わせ技一本で勝ちました。
1分たたずに勝利を収める圧倒的な強さでした。
試合後「決して体の調子はよくなかった」と明かした瀬戸選手。
それでも「そういう中でも勝ち切れたのは体の部分で勝っていたことが大きい」と積み重ねてきた成果を感じていました。
表彰台で金メダルをかけられて涙があふれた瀬戸選手。
「自分の柔道人生すべて」という背負い投げにこだわり続けて勝ち取った栄冠でした。
*https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240907/k10014575171000.html より