「窪田幸太」 銀-競泳・男子100m背泳ぎ
*https://www.asahi.com/paralympics/2024/results/profile/?qrkydpg_paris2024_page2=PROFILE-2016638-------------------- より
窪田幸太(くぼた こうた、2000年3月6日 - )は、日本のパラ競泳選手。千葉県千葉市出身。
所属 NTTファイナンス
*Wikipedia より
パラリンピック 競泳 窪田幸太が銀メダル 男子100m背泳ぎ 202 年9月1日 6時47分 NHK NEWS
パリパラリンピック、競泳の男子100メートル背泳ぎ、運動機能障害のクラスで、窪田幸太選手が銀メダルを獲得しました。
目次
窪田幸太が銀メダル 初のメダル獲得
荻原虎太郎「自分の100%は出せたので悔いはない」
窪田幸太が銀メダル 初のメダル獲得
パラリンピック2大会連続出場となる窪田選手は予選2位のタイムで決勝に進みました。
決勝のレース、窪田選手は序盤からスピードに乗ってトップを争い、50メートルの折り返しを全体の2番目、トップと0秒06差の31秒89のタイムで通過しました。
後半はややペースを落としましたが、それでも順位をキープして1分7秒03のタイムでフィニッシュし、銀メダルを獲得しました。
窪田選手は初めてのメダル獲得です。
金メダルは1分5秒58をマークしたスペインのインゴ・ジョピス サンス選手でした。
また、同じく決勝に進んだ荻原虎太郎選手は1分8秒94のタイムで8位でした。
窪田幸太「ベストを出せれば金メダルをとれていた」
窪田選手は「ちょっと悔しい。タイムが思ったよりよくなかったし、ベストを出すことができれば金メダルをとれていた」と初めてのメダル獲得にも満足した様子はありませんでした。
レース内容については「金メダルを獲得したスペインの選手は後半に強い選手だと去年の世界選手権でわかっていたので、自分も終盤にスピードを上げたつもりだったが、最後は届かなかった。世界選手権と同じような負け方をしてしまったことが悔しい」と反省を口にしていました。
荻原虎太郎「自分の100%は出せたので悔いはない」
8位だった荻原選手は「自分の100%は出せたと思うので、悔いはない」と笑顔を見せました。
荻原選手は2大会連続の出場となり「前回の東京大会からモチベーションを維持するのが大変で、いろんな人の協力があったのにそれに応えることができなかったが、それでも初めて決勝に残っていい経験ができてうれしい気持ちだ」と話していました。
注目
【解説】ドルフィンキック磨き銀メダルも「悔しい」
2大会目で初のメダル獲得にも、レース後に繰り返すのは「悔しい」ということばばかり。その理由は、みずからの力を発揮しきれなかったことにあります。
金メダルのジョピスサンス選手のタイムは1分5秒58。窪田選手は1秒45及びませんでしたが、実は自己ベストのタイムは金メダルより0秒02速い1分5秒56でした。
「ベストタイムで泳げていれば勝てたと思うと“悔しい”」
「“悔しい”そのひと言に尽きますね」
「世界で2番目」になっても繰り返した“悔しい”ということばは、5位だった東京大会のあとに積み重ねてきた自信の裏返しと言えます。
大学時代からタッグを組む鷲尾拓実コーチとともに取り組んできたのが“ドルフィンキック”の習熟でした。
生まれた時から左腕に障害があり右腕だけを使って泳ぐため、1回のキックで大きな推進力を生む両足でのキックを取り入れることにしたのです。
世界でも極めてまれだというこの泳ぎで去年3月に日本記録を更新。悔しさが残る東京大会から3秒余りもタイムを縮めました。
窪田選手と鷲尾コーチは2人そろってパリ大会の金メダルをスマートフォンの待ち受け画面にして「金」だけをターゲットにパリに乗り込んできました。
そのレース、スタートから得意の“ドルフィンキック”でスピードに乗り、50メートルでのジョピスサンス選手との差はわずか0秒06でしたが、後半の失速が目立ちリードを広げられました。
レース直後には「悔しい」を連発したものの、セレモニーでメダルを授与されると、ようやく笑顔が戻りました。
そして、鷲尾コーチの首にそのメダルをかけました。
「東京大会の時は観客席で表彰式を見ていたので、この3年間は間違っていなかった。初めて表彰台に立てたことは素直にうれしい。次はメダル争いではなく、しっかりと金メダルを獲得したい。今度は鷲尾コーチに金メダルをかけたい」
悔しさは成長への一歩。
窪田選手は、そう自分に言い聞かせているようにも見えました。
*https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240901/k10014567781000.html より