いいもの見ぃ~つけた!

「いいもの」は探せばいっぱいあります。独断と偏見による個人的「いいもの」情報発信所です。

イッピンNHK 「受け継がれる名工の神業~栃木 大谷石~」

2023-05-29 08:25:13 | イッピンNHK

 第37回 2013年10月8日 「受け継がれる名工の神業~栃木 大谷石~」リサーチャー:とよた真帆

 番組内容
 今回は、栃木県宇都宮市大谷町で採掘される石材「大谷石」。加工しやすく、温かみのある表情が人気の石だ。教会やホテルなど数々の名建築に使用されてきた。床や壁に用いれば洗練された雰囲気に。一流ホテルのロビーを飾る、繊細なレリーフにも使われている。そんな作品を手がける石工・渡邉哲夫さんは、3メートルもある巨大オブジェを制作中。制作現場に密着、渡邉さんが“基本でありながら究極の技”と呼ぶ技術を紹介する。

*https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A201310081930001301000 より

 「大谷石とは」
 栃木県宇都宮市大谷町は日本有数の石材の産地です。
 大谷町で産するところから通称「大谷石」と言われていますが、地質岩石学上の名称は「流紋岩質溶結凝灰岩りゅうもんがんしつようけつぎょうかいがん」という凝灰岩の一種です。
 
 約1500から2000万年前に、火山から噴出した火山灰や軽石岩片が海底に蓄積、固結して生まれました。
 緑泥石などの緑色の鉱物を含むため、全体的に緑がかった「緑色凝灰岩」(グリーンタフ)として知られています。
 
 大谷町には、標高20から30mまで隆起した凝灰岩(大谷石)の奇岩群が連なる独特な景観が広がっています。
 この奇岩群は所々に松の木が茂り、田んぼの水面に奇岩が浮かぶ姿から「陸の松島」と呼ばれています。
 
 奇岩群が作る丘陵に、とても大きな半球形状の洞穴があります。
 洞穴には弘仁元(810)年に開基された「天開山 大谷寺」(おおやじ)があり、洞穴内の壁面には、平安時代に彫られた国内最古の「磨崖仏」(まがいぶつ)と言われている高さ4mの日本最古の石仏「大谷観音」(千手観音像)が刻まれています。
 「磨崖仏」(まがいぶつ)とは、石仏の一種で、自然の懸崖や大石を彫刻して仏像などを陰刻や浮彫りで表したものです。
 

 天開山 大谷寺 栃木県宇都宮市大谷町1198

 「大谷石の採掘場」
 大谷町では、古くから大規模に採掘が続けられており、その埋蔵量は約6億tと推定され、採掘箇所は廃坑も含むと約200箇所も及びます。
 そのうち現在稼働中のものは6箇所で、年間約1万t程度が出荷されています。
 一部露天掘りも行われていますが、大部分は地下採掘です。
 地下数10mから100m以上の深い坑底で坑内掘を行っています。
 
 大谷の採掘場「跡」が、観光スポットとして注目されています。
 大正から昭和期にかけて掘られていた「大谷石地下採掘場跡」(おおやいしちかさいくつじょうあと)です。
 
 長い階段を下っていくと共に、気温も下がり始めます。
 更に進んでいった先には、神秘的な地下神殿のような光景が広がり、現代にいることを忘れさせてくれるような美しさ!
 至る所で、色彩豊かにライトアップされていて、なんとも幻想的です。
 戦時中には地下の秘密工場であったという事実も、訪れる人々の冒険心をくすぐるミステリアスな要素もあります。
 
 大谷石地下採掘場跡 栃木県宇都宮市大谷町909

 今なお「現役」で採掘が行われているのが、大谷石産業の最新の地下採掘場「石の里 希望」です。
 ここには、大谷石を使った作品が並ぶギャラリーがあります。
 ギャラリーには、帝国ホテルのレリーフが再現されていました。

 最新の地下採掘場「石の里希望」平場掘りの状況です。 | 大谷石産業株式会社

 「石の里 希望」 栃木県宇都宮市大谷町1198

 「大谷石特徴」
 1.優れた耐火性
 大谷石は火に強く、1000度以上の熱に耐えることから、かまど、七輪、石窯、焼却炉にも使われています。
 最近では大谷石のピザ窯も人気です。
 遠赤外線が美味しさを増幅させます。

 2.柔らかで加工しやすい
 柔らかく加工がしやすいことから、古くから、基礎石、擁壁、土留め、石塀、敷石、タイル、ブロックなどの建築材として用いられてきました。
 また他の石と比べて温もりを感じさせることから、内装材・オブジェなど様々な加工品としても広く用いられています。
 
 3.天然のゼオライト
 天然ゼオライトの「多孔質構造」は、 温度・湿度を一定に保つ調温・調湿効果があります。
 吸音・音響、シックハウス症候群の防止や消臭、防臭の効果も発揮します。
 

 また大谷石に含まれる「ゼオライト」成分は、 大量のマイナスイオンを発生。
 癒し効果が高く、リラックス出来る良質な空間を演出します。
 
 また「遠赤外線」による「熟成効果」により、味噌や漬け物、チーズ、ワイン、日本酒を美味しく仕上げます。

 

 「1.大谷石彫刻家・渡邉哲夫さん」

 大谷石は火に強く、1000℃以上の熱にも耐えられだけでなく、他の石と比べてとても軽く、柔らかくて加工もしやすいため、古くから基礎石、土留め、石塀、外壁、屋根といった建造物の一部に用いられてきました。
 現在は建物の内外装材としての使用が主流になっています。
 そうした建築物の中でも、特に大谷石の存在を全国だけでなく、世界に広める役割を果たしたのが、米国人建築家フランク・ロイド・ライトにより大正時代に設計された旧帝国ホテル本館です。

 関東大震災や第二次世界大戦末期の空襲にも耐えた建物として、一段とフランク・ロイド・ライトの名声を高めた「伝説的代表作」のひとつと言われています。
 
 現在、東京の帝国ホテルの1階ロビーの壁面には、大谷石のレリーフが飾られています。
 大谷石彫刻家の渡邉哲夫さんの作品です。
 
 渡邉哲夫さんは、大型建造物から手のひらサイズの彫刻、オリジナルのカエルまで制作する他に、リペア(修復)作業にも携わる大谷石職人です。
 
 渡邉さんにとって原点は、旧帝国ホテル移築の際の修復作業だとおっしゃいます。
 
 旧帝国ホテル(通称「ライト館」)は、大正12(1923)年に2代目本館として建てられました。
 今年、令和5(2023)年は、「ライト館」開業から100周年を迎えます。

 ところがその後、客室数の少なさや老朽化の問題から、昭和42(1967)年に建て替えが発表され、昭和43(1968)年に解体されました。
 
 そんな中、ライトがデザインした由緒ある建造物を遺したいと、国内は勿論、海外まで、保存問題が物議を醸しました。
 そこで旧帝国ホテル解体後、昭和51(1976)年より約10年かけて、中央玄関部が、愛知県犬山市の博物館明治村に移築保存されました。

 旧帝国ホテルの復元の話が持ち込まれたのは、渡邉さんがまだ28歳の時。
 当時は、図面が読める大谷石職人がおらず、復元の依頼を誰もが断る中、石彫り職人を父に持ち、東京の建築学校で学んだ渡邉さんに白羽の矢が立ったのです。
 
 その後も大谷石を使った建築物の復元の依頼が次々に舞い込み、旧宇都宮商工会議所復元彫刻や、横浜山手聖公会の復元工事など、様々な復元を手がけてきました。
 
 また、一年半の月日をかけて復元作業を行い、改めて大谷石の魅力を知った渡邉さんは、大谷石の魅力を広めたいと、様々なシーンでのプロデュース活動にも力を入れています。
 
 なお、当時の図面を基に蘇った意匠は、平成16(2004)年には登録有形文化財に登録されました。
 渡邉さんは当時の石工の技術に頭が上がらないと語っていました。

 「2.大谷石細工の「カエル」」

 かつて栃木県大谷町には女性の石工もたくさんいました。
 鈴木千江子さんと亀田スエ子さんは、「大谷石細工のカエル」を専門に作っています。

 大谷の町では、昔から「カエル」が「無事に帰る」ことから、「縁起物」として伝わり、大谷石を加工して作られたカエルを象った民芸品は、大谷寺の門前で売られていました。
 今でも、玄関回りに置いているところも多いです。(大谷石は天然ゼオライトを多く含んでいるので、消臭効果があります。)
 
 作家さんによってカエルの形、表情も違いますし、子供が載っている親子カエルや特注の大きさのカエルもあります。
 
 道の駅「うつのみやろまんちっく村」(新里町)には、大谷石ギャラリー「無事カエル館」があります。
 総合案内所前などに設置された大型の無事カエル像は、前記で紹介した、渡辺哲夫(わたなべてつお)さんが制作しました。
 
 この「大谷石細工のカエル」は、高度成長期のマイカーブーム時代に、事故を起こさず「無事帰る」の語呂合わせで縁起物として広まりました。

 大谷町は、かつて「荒針町」(あらはりまち)と呼ばれていました。
 名前の由来は、大谷石のミソが抜け落ちて出来た空洞に蜂が巣を大量に作っていたからだと言われています。
 
 布教のために弘法大師が周辺を歩いていると、地域住民が蜂の大群に苦しめられていることを知ります。
 そこで弘法大師は蜂を退治するために一晩で千手観音(大谷観音)を彫りました。
 千手観音が完成すると、天が開き、どこからともなく親子ガエルが現れます。
 親子ガエルは岩肌にしがみつき、蜂の大群と戦い、住民を守りました。
 それ以来、地域住民は親子ガエルに感謝し、地守神様として崇め奉りました。

 そして時は過ぎ、第二次世界大戦後、戦死戦没者の供養と、世界平和を祈って、当時の大谷観光協会と地元の熱心な後援の元、東京芸術大学教授・飛田朝次郎氏と大谷の石工達により昭和23(1948)年から6年の歳月をかけて、高さ27m(88尺8寸8分)の「平和観音」を完成させました。
(平和観音:〒321-0345 栃木県宇都宮市大谷町 1174)
 
 昭和31(1956)年に開眼式が行われると、昭和30年代のマイカーブームも手伝って、関東一円から大谷に観光客が押し寄せるようになります。
 この時、観光客向けのお土産品として目を付けられたのが、大谷町に古くから伝わる弘法大師伝説の「親子ガエル」でした。
 その全てが手彫りで制作されています。

*https://omotedana.hatenablog.com/entry/Ippin/Tochigi/Ohyaishi より


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« < お米 > お米の品種・銘柄... | トップ | 昨日の藤井叡王-5/28 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

イッピンNHK」カテゴリの最新記事