本日は122ページに戻り、「憲法における平等原則」の講義です。平等の原則を憲法上どのように規定するかは、国により、時代によって異なると述べ、氏は明治憲法と日本国憲法の比較をします。
明治憲法は、公務就任資格の平等という形でしか、保障していない。
「日本臣民は、法律命令の定めるところの資格に応じ、」「均しく文武官に任じられ、またその他の公務に就くことを得。」
これに対し日本国憲法は、平等権ないし平等原則の徹底化を図っている。
「14条1項において、法の下の原則を宣言し、さらに個別的に、」「14条2項で貴族制度の廃止、同3項で栄典に伴う特権の廃止、」「15条3項で普通選挙の一般原則、44条で選挙人資格の平等、24条で夫婦の同等と両性の本質的平等、」「26条で教育の機会均等と、規定を特別に設けている。」
明治憲法が「平等の原則」を一つしか規定せず、日本国憲法が総則宣言の他に、6つの規定を設けている事実については、面倒なので再検証しませんが、このような講義を受けると、歴史を知らない学生はおそらく騙されます。
今度は154ページに移ります。なんであちこちに飛ぶのかと、不審に思われるかもしれませんが、深い意味はありません。息子たちに分かりやすいようにと、「羊頭狗肉の反日講義」を思いつくままに取り上げています。氏の講義自体が、ごった煮の「雑炊」みたいに整理されない思考の陳列ですから、ちょうど良い気がします。154ページは、「学問の自由」に関する講義です。
「憲法23条は、〈学問の自由は、これを保障する〉」と定める。」「この規定は明治憲法にはなく、また諸外国の憲法においても、」「独自の条項で保障する例は、多くない。」
ここでもまた、明治憲法の批判です。反日・左翼の氏は、東大での自分の講義を正当化するためにも、力がこもっています。
「昭和8年の滝川事件や、昭和10年の天皇機関説事件などのように、」「学問の自由が、国家権力によって侵害された歴史を踏まえて、」「特に規定されたものである。」「学問の自由の保障は、個人の人権としての自由のみならず、」「特に大学における学問の自由を保障することを、趣旨としている。」「これを保障するため、〈大学の自治〉の保障も含んでいる。」
長い文章なので、項目に分解し列挙しますが、どこに論理的構成力が発揮されているのか、よく分からない文脈です。むしろ、ごった煮「雑炊」の好例とする方が適切かと思えますが・・
・学問の自由の内容は、「学問研究の自由」「研究発表の自由」「教授の自由」の3つがある。
・学問の自由の中心は、真理の探究を目的とする、「研究の自由」である。
・研究の結果を発表することができなければ、研究自体が無意味になるので、当然に「発表の自由」が含まれる。
・「教授の自由」については、大きな議論がある。
・従来の通説・判例は、教授の内容を、大学等における教授のみに認め、小・中学校と高校の教師には認めないとしていた。
・しかし今日においては、初等中等教育機関においても、「教授(教育)の自由」が認められるべきという見解が、支配的になっている。
厳密に言えば、「教授」と「教育」は別なはずですが、氏はさりげなく一つにしています。こう言う誤魔化しめいた説明を称して、私は「ごった煮の雑炊」と名付けます。
・最も、初等中等教育機関で教育の自由が肯定されると、教育方法・内容につき、国が画一的な基準を定める可能性がある。
・あるいは、教科書検定が、教育の自由を侵害するのではないかと、問われることになる。
・この問題は、いわゆる教科書裁判(家永裁判)や、文部省が実施する全国学力テストの適法性事件(学テ事件)で、特に論議された。
教科書裁判は反日・左翼教授として有名な家永教授が起こしたもので、学テ事件は中学校の反日・左翼教師たちが騒いだ事件です。双方に言い分がありますので、いずれの意見も紹介した上で、学生に考えさせるのが大学の講義だと思いますが、氏はそうしません。
「完全な教授の自由を認めることは、到底許されない」と言う、最高裁の判例を示し、言外に国家権力の不当な干渉を批判しています。全てこの姿勢で貫かれていますから、私は氏の教科書を「羊頭狗肉の反日講義書」と呼びます。こんな教科書が憲法講座の教材として、全国の大学で使われていると言うのですから、恐ろしい話です。
現在、360ページの著作の186ページを読んでいますから、やっと半分です。学徒の習慣で、最後まで読みますが、次回も書評を続けるべきかを、考えています。有害図書の書評を、何のためにするのかと、疑問が生じているからです。
ちょうど良いところで、スペースが無くなりました。本日はこれまでとします。