ねこ庭の独り言

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『日清戦争』 - 2 ( 愛国の左傾学者と令和の総理 )

2021-09-07 18:05:53 | 徒然の記

 明治15年以降開国をめぐって、朝鮮は大院君と閔妃の権力争いに明け暮れます。最初は閔妃が大院君を追放しますが、閔妃一族の不祥事が騒ぎとなったのを好機として、今度は大院君が閔妃を追放します。

 暴徒に襲われ、殺されそうになった閔妃は、難を逃れて清国へ救援を求めますが、内紛の背後にいたのは、日本と清国でした。閔妃も大院君も国のためでなく、自分の権力を守るため、その時の情勢を見て強い方へなびき、変節を繰り返します。

 朝鮮の独立と改革を考える憂国の士がいても、国のトップが自己保身を優先すれば、人心が乱れ国も乱れます。日本、清国、ロシアの国益が、優柔不断な朝鮮王朝を翻弄します。

 63ページを読んでいますが、今の日本と重ねますと、他人事でなくなります。保守自民党も、反日の野党も、自分の国を忘れ、大国の力を頼り、大国の鼻息を伺うリーダーばかりです。親米派、媚中派、親露派と入り乱れ、他国の利権のため働いています。中国共産党のカネに取り込まれた政治家、米国内の反日勢力に媚を売る政治家など、当時の朝鮮とそっくりに見えます。

 戦後75年経っても、亡国の「日本国憲法」が改正できないというのですから、日本のリーダーたちは、明治のご先祖さまに恥ずかしくないのでしょうか。

 左傾の学者とは言っても、松下氏の方が、今の政治家よりまだまともな気がします。107ページの叙述を紹介します。

 「日本としては、最初は開戦を好まなかった。」「日本の戦争準備はなお不十分であったし、国の発展のためには、」「戦争を避けた方が、当然有利だったからである。」

 「だから当時の外交方針は、極めて平和的で、」「破局の一歩手前までも、できるなら国交を調整したいと、」「努力したのである。」

 ここには、現在の反日学者が口を揃えていう、「軍の独走」や「軍国主義日本の暴走」はありません。

 「清国政府が協調せず、眼前の利益に惑わされ、」「日本に挑戦し、日本の一部好戦者を刺激して、」「ついに開戦に至ったことは、清国外交の大失敗であったと言わざるを得ない。」

 私が松下氏を、一般の反日・左翼学者と同様に見ないのは、こうした冷静な意見にあります。停職処分を受けたとはいえ、それは氏が、陸軍中尉だった経歴からくるのでしょうか。開戦前の李鴻章の考えも、紹介しています。

 「日本は今、国を上げて政争に明け暮れ、」「政府は幾たびか議会を解散し、朝野反目し、」「政党は互いに排撃し、国民の一致は見られず、」「たとえ清国が出兵しても、日本の出兵は思いもよらない。」

 「ところがさすがの李鴻章も、遺憾ながら皮相の見というべく、」「真の日本及び日本国民の認識を誤った。」「世界の大勢を見誤り、日本制圧を企画した李は、」「さらにここで日本の実態を見誤り、挑戦的態度に出た。」

 日清戦争は日本の侵略でなく、防衛のための戦いであったと、氏は言外に述べています。芦部教授もそうでしたが、反日・左翼の学者はこのような説明をしません。日清、日露、日中戦争の全ては、軍国主義の日本が起こした侵略戦争だったと、日本の過去を汚します。

 私が心配しているのは、現在の日本が、戦前と大きく違っている点です。

 「日本は今、国を上げて政争に明け暮れ、」「政府は幾たびか議会を解散し、朝野反目し、」「政党は互いに排撃し、国民の一致は見られず、」・・と、当時と似た状況ですが、無くなっているものがあります。

  1. 国を守る軍隊の不在

  2. 国民の心を一つにする中心の崩壊

 別の言葉で言い換えますと、次のようになります。

  1. 自衛隊の手足を縛る亡国の「日本国憲法」

  2. 進みつつある皇室の崩壊

 反日・左翼メディアと手を組んだ、反日学者たちが、国民の目の届かない場所で巣を作り、政界、官界、法曹界、財界を洗脳しています。今の日本で、中国共産党政府軍や、北朝鮮の全体主義国が攻めて来たら、

 「さすがの李鴻章も、真の日本及び日本国民の認識を誤った。」「、日本制圧を企画した李は、日本の実態を見誤った。」

 とは言えなくなります。それどころか、日本は間違いなく滅亡します。国民の心を束ねる中心として、国民敬愛の真ん中におられた天皇は、残念ながら昭和天皇までです。日本の国と国民を背負われ、生涯を歩まれた陛下であればこそ、兵士は命を捨てて戦いました。

  大君の辺にこそ死なめ 

  顧みはせじ

 将軍から一兵卒まで、死を恐れず戦ったのは、天皇陛下のため死ぬことが、そのまま国のためだったからです。同時に愛する妻や子や、大切な親のためと、そっくり重なったからです。皇室への尊厳は、他の国にない日本の文化であり、伝統でした。

 南原繁、宮沢俊義、芦部信喜といった、学者たちがこれを破壊し、今も威を振るっています。このような曲学阿世の徒を、最高学府の東大に放置して来た歴代の宰相たちを、糾弾せずにおれません。

 皇室を崩壊させた後、日本の中心は誰なのでしょう。総理大臣でしょうか。申し訳ないことながら、安倍総理や菅総理のため、国民は一つしかない命を捨てません。「武漢コロナ」への対応一つを見ても、それが分かります。

 国民には「不要不急の外出をするな」と言い、飲食も、歓談もやめさせ、医療が崩壊すると大騒ぎしています。

 しかし安倍総理が、一度でも、日本の病院にいる入院患者の、国別の数字を発表したことがあったでしょうか。「武漢コロナ」の荒れ狂っている時に、中国からの入国者を何人足止めをしたのでしょうか。細菌を運ぶ入国者を放任し、人数も、国別情報も隠し続けたのが、安倍、菅両総理です。

 病床逼迫と言いながら、開業医の病床は空きスペースだらけなのに、医師会の言うがままに、そこには手を入れませんでした。日本はイギリスの4倍の病床があるのに、一部の病院の逼迫だけを報道しています。

 大切な情報を隠すような総理と、昭和天皇の歩まれた道を比較すれば、答えはすぐに出ます。陛下は国民に隠し立てをされない、高貴な、無私の方でした。陛下は日本国そのものとして、亡くなられるまで私を捨てて生きられ、国民の敬愛の中心でした。

 貴方々は、その大切な皇室を、「皇室の将来を考える有識者会議」などという、愚かな委員会を作り、反日・左翼学者の言うままにさせました。KK問題一つさえ、解決する勇気がありません。

 息子たちがびっくりするだろうと思いますが、氏の著書は、令和の私たちにそのような警鐘を慣らしていると、私は考えています。だいぶ脱線しましたので、次回は本題の「日清戦争」に戻ります。

コメント (2)
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