松下芳雄氏著『日清戦争』( 昭和41年刊 人物往来社 ) を、読んでいます。ネットで氏の略歴を調べますと、興味深い人生を送った人物であることが、分かりました。
「明治25年新潟県新発田市生まれ、日本の軍人( 陸軍中尉 )、軍事評論家。」
「大正2年陸軍士官学校卒、同期には武藤章。」「大正9年、大杉栄の紹介で友愛会幹部と親交」「幹部に送った私信が元で、社会主義に共鳴した将校として、東京日日新聞が報道。」
「同年7月、田中義一陸軍大臣の指示で、停職処分となる。」「同年日大法学部へ入学し、大正13年卒業。」「その後、片山哲が経営する『中央法律新法』の編集長となり、軍縮問題に関心を持つ。」
「戦時中は日大講師、戦後は軍事史研究に専念し、工学院大学教授も務めた。」「昭和58年、91才で没。」
氏が大杉栄の紹介で友愛会の幹部と親交を持った、大正9年は世界恐慌が始まった年で、前年の大正8年は、第一次世界大戦が終わり、国際連盟が設立されています。簡単な氏の経歴の中にも、凝縮された日本の歴史があります。
氏を赤い将校と報じた東京日日新聞は、現在の毎日新聞です。朝日新聞と肩を並べる反日・左翼新聞ですが、戦前は左翼軍人の追放に協力していたことが、分かります。
私は今、氏の著書の282ページを読んでいますが、左翼特有の露骨な反日の叙述はありません。左傾の文章ですが、履歴を知らなければ、気がつかないで読みそうです。
『最後のご奉公』の主人公だった幣原氏が、外交官になろうと決意したのは、日清戦争がきっかけでした。読み終えたばかりなので、まだ覚えています。
「日本は黄海海戦に勝利し、旅順口を攻略し、山東作戦を実施し、ついに清の北洋艦隊を降伏させた。」「李鴻章との間で講和の談判が始まり、下関条約が調印された。」
「幣原が大学三年だった1年間、日本国中が、」「日清戦争一色に、塗りつぶされた。」「同じ年頃の若い者は、口を開くと悲憤慷慨し、国の行く末を論じ合った。」
「日本は下関条約で、清から台湾と遼東半島を獲得しが、」「ロシア、フランス、ドイツの三国が、異を唱え、日本は遼東半島を還付させらた。」
「日本は戦争に勝って、外交に負けた。」「こんなことではいけない。」「国運を打開するため、俺は外交官になる。」
そんな重要な戦争の本ですから、真面目に読んでいます。内容は大きく4つに分かれています。
1. 新興国日本と極東情勢 2. 日清戦争の勃発
3. 日清交戦の経過 4. 講和談判と三国干渉
戦前の左翼主義者が、あからさまな反日でない証が例えば34ページの叙述です。
「明治維新ののち、政府は朝鮮との修好を図ろうとし、」「明治元年対馬藩主を通じて、書を朝鮮に送ったが、」「摂政の大院君は、鎖国主義を盾にし日本の要求を拒んだ。」
「修好を望む政府は、いろいろ手を尽くしたが、」「朝鮮は日本を軽んじ、拒否し続けた。」「ここにおいて、朝鮮の無礼は許し難いと、征韓論が起こった。」「朝鮮もまた、攻め来るのならば、釜山の浦頭で応戦しようという挙動を示した。」
この辺りになりますと、次第に左翼系のトーンが強くなり、歴史的な背景をきちんと説明しません。日本が修好を結ぼうとしたのは、列強のアジア侵略から日本を守るためには、朝鮮との相互協力が不可欠だったからです。互いに手を組み、列強と対峙する計画でした。
しかし氏は、こうした極東情勢の説明を省略し、日本が力づくで朝鮮との修好を推し進めたように書いています。朝鮮の日本蔑視の態度は、「小中華思想」から来ているもので、彼らは中国には臣従していても、それ以外の他国は「夷狄」に過ぎませんでした。
当時大院君は、「犬畜生と同じ日本と通じる者は、死刑に処す。」という立札を立て、日本を嫌悪していました。こうした事実を省略すると、明治政府の怒りは読者に伝わりません。極東情勢については、客観的な説明をしていますので、53ページの叙述を紹介します。
・アヘン戦争、長髪族の乱、これに伴う南京条約、北京条約と、支那は南方から、一歩一歩英仏二国に侵略されていた。
・北方からはロシアが、満州と日本の侵略に手を伸ばしていた。
・ロシアはカムチャッカ半島を取り、樺太・千島・蝦夷地を伺い、日本海の沿岸にウラジオストック港を開いた。
・フランスも負けずに、サイゴンを占領し、コーチ・シナを取り、カンボジアを保護国とした。
ここまで世界情勢を掴みながら、やはり氏は、左傾の学者らしく日本には冷淡な書き方をします。
「このようにヨーロッパの列強が、東洋侵略の爪牙を磨き、着々と植民地の実現を見ている時、」「同じ東洋の二国、日本と清国が、干戈をとって立ち上がろうとしていたのである。」
日本の敵はヨーロッパの列強であり、特に眼前の敵はロシアでした。日本は、朝鮮や中国を侵略しようと意図していたのでなく、むしろ最初は同盟関係を作ろうとしていました。この隣国が、日本の申し出を拒絶したのは、「中華思想」でした。犬畜生と同じ未開の野蛮国が、何を対等な口を聞くのかと、この尊大な思想について説明しなければ、日本政府の怒りと屈辱は読者に伝わりません。
平成11年の出版だった芦部氏の『憲法・新版』でさえ、「東京裁判史観」を根底に書かれていました。昭和41年の松下氏の著書が、「日本だけが間違った戦争をした。」「非道な軍国主義国だった。」とする、東京裁判の影響を受けていても、当然だろうと思います。
松下氏を肯定しているのでなく、もっとレベルの低い芦部氏の著作と比較しての話です。これだけ国際情勢を客観的に捉えながら、彼ら左傾の学者は、どうして日本を語る時だけ、物が見えなくなるのでしょう、日本だけが間違った戦争をしたと、なぜ思いたがるのでしょう。
不思議な左翼系学者たちの著作を、今回の計画では7冊読みます。楽しい読書になる予感がします。「ねこ庭」の雑草の中にも、ひねくれた雑草もありますし、楽しいのは全部抜いて、ゴミ袋に入れた時の達成感です。読書も、似たようなものですから、気にしないのが一番です。