ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

『憲法・新版』 - 9 ( 田母神論文事件 )

2021-09-04 21:41:25 | 徒然の記

 芦部信喜氏著『憲法・新版』( 平成11年刊  岩波書店 )を、読み終えました。読後の印象を表現しますと、「田母神事件を思い出した ! 」の一言です。

 覚えておられる方も多いと思いますが、今から13年前の平成20年に、航空自衛隊の空将だった田母神俊雄氏が、論文を発表・公開した事件です。民間団体が募集した懸賞論文に応募し、最優秀賞を受賞しましたが、「政府見解に反する」として大問題になりました。

 「日本は侵略国家であったのか。」というタイトルの論文で、「日本は侵略国家ではなく、素晴らしい国だった」と、自説を述べていたと記憶しています。

 「日本だけが間違っていた。」「日本だけが、非道な軍国主義国家で、近隣諸国を侵略した。」というのが、当時も今も政府見解ですから、現職の自衛官でしかも高位の航空幕僚長が意見を公表したので、大騒ぎになりました。国会に証人喚問され、マスコミで叩かれた田母神氏の姿が今も記憶に残っています。

 私にすれば、普通の意見ですが、あの時は反日左翼マスコミがこぞって氏を糾弾し、野党の議員はもちろんのこと、保守自民党の議員も誰一人弁護せず、反日勢力と一緒になり、氏を批判していました。

 「こいつに喋らせるな。」「演説をさせるな。」「黙らせろ。」

 国会に証人喚問され、答弁しようと立ち上がると、議員のヤジが飛び交い、氏の説明を遮断しました。今でも忘れませんが、その異様な雰囲気は、本で読む中世ヨーロッパの、「魔女狩り裁判」そのものでした。

 結局氏は航空幕僚長の任を解かれ、航空幕僚監部付きに格下げとなり、その年の定年時に慰労式で労われることもなく、退官となりました。参考までに、氏を冷遇した当時の内閣の主要大臣をネットで調べてみました。

  内閣総理大臣  麻生太郎    総務大臣  鳩山邦夫    法務大臣  森英介

  外務大臣   中曽根弘文    財務大臣  中川昭一    文部科学大臣 塩谷立

  防衛大臣   浜田晴一     内閣官房長官 河村建夫

 この4年後の平成24年11月に、「田母神作文徹底批判」というタイトルの、You Tubeの動画がありました。九段中学の社会科教諭で、東京都学校ユニオン委員長という増田氏が発信していました。彼女がどのような観点から批判をするのだろうと、興味を抱いて見たのですが、期待は破られました。

 氏は田母神氏を、歴史を何も知らない事実ねつ造の右翼と決めつけ、「彼はこんなことも知らないのです」「これも勝手なねつ造です」「こんな人が自衛隊のトップにいるなんて、とても信じられません」と誹謗し続けました。

 田母神論文を逐条的に批判し、日本が、朝鮮と中国でどんな悪どい仕打ちをしたかと、まるで福島瑞穂氏のように、いきりたって述べました。増田氏の話は、田母神氏と日本への悪口雑言のオンパレードです。中身のある批判なら聞けますが、最初から最後まで一本調子の批判で、聞くに耐えられなくなりました。

 母神氏の論文を読みましたが、不愉快にならず、国を思う自衛官の主張として頷けるものを感じました。個別の数字や年代にズレがあったとしても、すくなくとも田母神氏の論文には、愛国心がありました。感情を込め、熱弁を振るっても、増田氏の言葉には、日本を思う心が感じられませんでした。

 芦部氏の書評の「総まとめ」として、なぜこのような話をするのか、きっと息子たちには分からないはずです。「ねこ庭」を訪れる方々にも、疑問かもしれません。理由は簡単なのです。単細胞の私が考えることに、複雑な話はありません。

 「田母神事件を思い出した ! 」とがってんした時、頭に浮かんだ図式が次です。

  〈 反日・左翼の批判者 〉   〈 批判されている対象 〉

     増田委員長           田母神論文

     芦部教授            明治憲法

 芦部氏と増田氏は、敬意を払うべきものの前で、空っぽの空き缶を叩いているように、空疎な批判を並べていました。増田氏は叫び、芦部氏は静かですが、共通するものがあります。

 どんなに言葉を並べても、「日本を大切にする心」がなければ、国民には届きません。

 これが私の「総まとめ」です。おつき合いくださった方々に、感謝いたします。

コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『憲法・新版』 - 8 ( 憲法改正の限界説 )

2021-09-04 15:19:48 | 徒然の記

 360ページの本ですから、いよいよ最後が近づいてきました。本日は、356ページ、「憲法改正の限界」の講義です。

 「憲法改正の手続きに従えば、いかなる内容の改正も許されるかと言えば、決してそうではない。」「憲法、人権、国民主権の本質を、どのように考えるかと言う、」「憲法の基礎理論と、密接に関連する。」

 「自主憲法の制定」を願う私に、そうはさせないぞとする反日教授の威嚇でもあります。氏の説明によりますと、憲法を改正する権利を、「制憲権」と言うのだそうです。学徒ですから先生の話には耳を傾けますが、氏は言葉を使うだけで、説明しませんのでネットで調べました。

 「制憲権」とは、憲法制定権力を言い、憲法を制定し、憲法上の諸機関に権限を付与する権力を指す。

 何のことか、私には分かりませんので、もう少し読みます。

 「近代市民革命当時に、憲法制定の論拠として説かれたのが、」「この概念の始まりである。」「エマニエル・シェイエスが、フランス革命の際、」「著書『第三身分とは何か』で著したのが、この見解である。」「この考え方は、現代においては、憲法改正の限界を基礎付けることともなっている。」

 氏独自の見解かと思っていましたら、これもフランスの受け売りでした。無知を啓かれるのは学徒の喜びですが、日本の憲法を語るのに、西欧の話ばかりでは聞く気になれません。

 氏が学生に向かって述べたいのは、「日本国憲法は、改正できないのだぞ。」という話です。氏に協力する気はありませんが、ついでなので、ネットの結論も紹介します。

 「憲法が、国家による不当な諸権利の制限から、国民を保護するものであるとする、」「法の支配の考え方からすれば、国会が憲法制定権力を有することは、」「泥棒に、自らを縛る縄をなわせるのと同じことであるから、」「立法府のような国家機関が、この権力を持つことには矛盾が付きまとう。」

 元々国会には、「憲法改正」の権限はないというのが、この説です。最初からそう言えば良いのに、大学教授の権威を示したいのか、氏は難しい講義をします。聞いたことがありませんが、わが国には「憲法改正理論」として、「無限界説」と「限界説」二つの説があるそうです。

  1. 「無限界説」

   ・国民の主権は絶対的であり、改正権は制憲権と同じであり、憲法規範には上下の序列を認めることはできない。

   ・したがって、憲法改正の手続きを踏みさえすれば、いかなる内容の改正もできる。

  相変わらず、何を言っているのか不思議な説明ですが、これが「無限界説」です。氏の目的は「憲法改正不可」なので、次の説明が本命です。3倍くらいの長さで叙述しています。それを3分の1に省略し、転記します。

  2.  「限界説」

   ・制憲権は、憲法の外にあって憲法を作る力であるから、実定法上の権力ではない。

   ・近代憲法では、制憲権を憲法典の中に取り込み、これを国民主権の原則として宣言するのが、大体の例となっている。

   ・改正権の生みの親は制憲権であるから、改正権が、自己の存立の基礎ともいうべき、制憲権の変更をすることは許されない。

   ・いわば自殺行為であって、理論的には許されない。

 かって吉田茂氏は、講和条約に反対論を述べる南原繁東大総長を、「曲学阿世の徒」と批判しましたが、芦部教授にも同じ言葉を贈る必要があるようです。現在の国際情勢がどうなっているのか、日本の平和主義が、どれほどの不幸を国民にもたらしているのか、氏の思考には、そんなものがカケラもありません。

 ひたすら条文の文字をひねくり回し、どうすれば悪法の「日本国憲法」を維持できるのかという、専門バカの思考だけです。しかもその根拠にしているのが、230年以上も前のフランスの学者の意見です。西洋かぶれの氏は、日本のご先祖さまが、「国への愛」や「庶民の幸福」について考えていた事実を、知らないのでしょうか。信念を曲げないで獄に送られ、処刑された学者が何人いたのか、調べたこともないのでしょうか。

 大学の自治が憲法で保障されているとはいえ、こうした「曲学阿世の徒」でしかない教授たちのする、日本崩壊の授業を放置していて良いのでしょうか。私は過激な思想も手法も嫌悪しますから、彼らを大学から追放すべきとは、言いません。

 大切なのは、「両論併記」ですから、右の学者も左の学者も、それぞれが講義をできる環境をこしらえるべきではないのでしょうか。戦前は、保守系の学者が学界を支配し、左系の学者が冷や飯を食べさせられていました。戦後は、その反対の状況となり、宮沢・芦部両教授のような人物が威を振るっています。

 文部省に期待したいところですが、前川喜平氏みたいな反日・左翼官僚が次官になっていますし、誰に望みをかければ良いのかに悩みます。

 こうなりますと、息子や孫たちに願いを託すしかありません。合わせて庶民の武器であるネットを活用し、千葉の片隅からの発信も続けます。次回は、「総まとめ」をし、芦部氏の書評にケリをつける予定でから、暇があればお越しください。

 氏の本は、いつも通り中学校か小学校の「有価物回収の日」に、再生可能なゴミとして出します。トイレットペーパーにでも再生されれば、誰かの役に立つでしょう。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする