男女平等が叫ばれる昨今、千葉日報社の二つの記事に違和感を覚えています。
1. 8月29日 ( 17・社会面 ) 本人の写真入り 5段組 紙面の約4分の1の扱い
2. 9月7日 ( 1面トップ ) 本人の写真入り 4段組 紙面の約4分の1の扱い
1. は、広島高等検察庁に着任した、畝本直美検事長 ( 59才 ) に関する記事です。
「女性初の高検検事長に就任 畝本直美さん(59)」
「男女が能力活かせる職場に」
「千葉市出身 謙虚さ胸に」・・という見出しがついています。
2. は、千葉県教育長に就任した、冨塚昌子氏 ( 60才 ) に関する記事です。
「女性初の県教育長 冨塚昌子氏」
「八街事故 子供の安全使命」「健やかに育つ環境を」
「働き方改革にも意欲」
記事の内容を、紹介するつもりはありません。「ねこ庭」はこの「女性初の」という言葉に、違和感を覚えます。他国の新聞を読んだことはありませんが、女性が何かの組織でトップの地位に就いた時、「女性初の〇〇」という見出しでその度に報道されるのでしょうか。
千葉日報社は、「男女平等の社会」を作るため、県民の意識を高めたいのかもしれませんが、逆効果である気がしてなりません。女性が公的機関の高い地位につくたび、「女性初の〇〇」と大きなニュースになるのでは、いかに狭い心の県 ( 国 ) であるかを強調しているようなものです。
大きな記事にしても、「女性初の〇〇」の見出しを止め、普通の紹介記事にすれば良いのではないでしょうか。いつまで経ってもこんな記事だと、「男女差別」を強調していることになります。
「千葉は、こんなに遅れている県だ。」と、県民に注意を喚起するだけでなく、このようなトーンが続くと、「千葉日報社の感覚は、こんなに遅れているのか ?」と、逆に疑問を抱かれてしまいます。女性が、女性がと強調せず、活躍しているニュースを発信すれば県民の意識は自然に変わります。
「女性をもっと登用しましょう。」「活躍の場を広げましょう」と言いたいのなら、「女性初の〇〇」の言葉を使わなくても、記事は書けます。要するに、センスの問題です。
千葉日報社だけでなく、配信会社である共同通信社が、「女性初の〇〇」の野暮な記事を書いていますから、真似をしているだけなのかもしれません。わざわざ強調しなくても、戦後の女性は強くなっています。やる気と能力があれば、色々な場所で活躍している女性が無数にいます。「女性初の〇〇」をやめて、そういう人たちの記事を、どんどん書けば良いだけの話ではないでしょうか。
いくら共同通信社が巨大な会社だからといって、こんな野暮ったい記事を真似る必要はどこにもありません。読者の一人として、提案いたします。