「温故知新」の読書も大事ですが、日々の出来事も疎かにできません。9月6日の千葉日報に配信された、共同通信社の記事を読み、看過できなくなりました。
「識者評論」というシリーズ記事に、今回は、学習院大学の野中尚人教授が寄稿しています。共同通信社が取り上げる「識者」には、ロクな人物がいないので普通は読まないのですが、タイトルに引かされ、読みました。
「菅首相退陣」「指導力欠如の結末だ」「権力闘争、国民不在」
私も菅総理を批判していますから、野中氏が識者としてどのような観点から意見を述べているのか、興味を覚えました。
冒頭は、菅総理が、総裁選に立候補しないと表明したことに関する批判です。
「だが実態は、コロナ禍で国民への説明責任を果たさないまま、」「内閣支持率が低下して、再選がおぼつかなくなったから、」「不出馬を決断したのだろう。」
国民の誰もが考えていることを述べており、目新しい意見ではありません。
「こうした政治姿勢は、安倍晋三前首相の時から変わっていない。」「つまり、国民に向き合わない体質を、継承した結果である。」
共産党を支持しているのか、立憲民主党を応援しているのか不明ですが、識者の意見というより、反日野党の代弁であることが見えてきます。前向きな意見というより、悪口でした。
「コロナ禍のような有事では、平時にも増して、宰相の資質が問われる。」「今回の辞意表明は、菅首相のリーダーシップ欠如の結末だ。」
「武漢コロナ」の蔓延には、世界中の政治家が悪戦苦闘し、抑え込みに成功したトップは、誰もいません。氏は国際社会に目を向けず、菅総理だけを見ているようです。
「安倍前首相の時には、官房長官として役割を果たせたかもしれないが、」「国家のリーダーとしての才覚は、持ち合わせていなかった。」
氏に説明されるまでもなく、国民は誰も気づいています。遠慮ない批判を控えているのは、「武漢コロナ」の手強さが並大抵でないと知っているためです。菅総理を批判しながら、安倍前総理を批判し、自民党そのものを批判しているのですから、氏は反日野党の代弁をしているに過ぎません。
「自民党のやり方は、全くの旧態依然で、政権交代がない一党優位をいまだに前提としている。」「国民不在も、甚だしい。」
ちょっと待ってください先生と、言いたくなるではありませんか。自民党が一党優位を維持しているのは、民意です。批判するのなら反日野党の方で、自民党に言うのは筋違いです。
野党が要求する国会開会を受け入れない、自民党への批判が続きます。
「そこから逃げてきた菅首相、そして自民党は国民に背を向けている。」「もはやこの期に及んでは、自民党のためにも、」「次の衆院選で政権交代した方が、古い体質から脱皮するため良いのではないか。」「それが国民のためにもなると、考える。」
だから反日野党へ政権をと、氏は言っていますが、この人には状況判断の常識があるのでしょうか。野党が自民党より優れた政党なら、いつまで経っても一桁台の支持率で推移するでしょうか。国難時の国会であっても、新聞や週刊誌のゴシップで国会を紛糾させたのは野党でした。重要議題をそっちのけで、つまらないスキャンダルで国会を空転させたのも、野党でした。不甲斐ない自民党より、さらに不甲斐ない野党だから、国民の支持がない事実を氏はスルーしています。
次第に批評する気持ちが薄れてきましたので、私は息子たちに、父としての結論を述べます。
1. 自分も菅総理を批判しているが、こんな人物と同じに扱われては迷惑する。
2. 批判する前に、菅総理に対してはご苦労様という感謝の気持ちが必要。
3. 野中氏の主張は識者の意見でなく、反日・左翼野党の代弁に過ぎない。
4. 私はこんな愚見を読むために、千葉日報新聞を購読しているのではない。
5. 共同通信社は、読者に背を向けている会社だ。
以上です。