ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

『日清戦争』 - 4 ( 下関条約前段の話 )

2021-09-10 15:44:23 | 徒然の記

  『日清戦争』を読み終えました。戦争が終わったのち、李鴻章が下関に来て、講和を結んだのは知っていましたが、これほど揉めた上での条約だったとは知りませんでした。

 「開戦以来清国軍は連戦連敗、ついに勝算のないことが明らかになったので、」「一刻も早く戦争の終わることを望んだが、中でも李鴻章の如きは、」「どんな代価を払ってでも、平和をあがなわなくてならないと決心したようであった。」

 明治27年の頃です。しかし中華の体面を気にする清国は、敗戦国として和を講じる決意がなく、欧米各国に仲裁してもらいたいと嘆願したと言います。ヨーロッパの各国がこれに応じなかったことを、氏の著書で知りました。

 やっとアメリカが清国の嘆願を受け入れ、アメリカ公使を通じて、日本へ講和の提案をしてきました。ところが時を同じくして、ドイツ人が伊藤首相宛に、李鴻章の照会書を持参します。ドイツ人の狙いは、日本政府の講和条件を探るためで、実意のないことが見え透いていました。

 日本政府はアメリカ公使を通じて、講和条件は提示できないが、資格のある全権委員を任命するのなら、講和に応じると回答しています。氏の次の叙述に、私は注目しました。

 「一方、ヨーロッパ諸国は、日清両国の仲裁の労を取ることには応じなかったけれども、」「これを機に、自らの目を東洋に集中した。」「機会があれば、干渉に乗り出してやろうという動きも、」「十分に察知された。」

 学徒として教えられたのは、「歴史は繰り返す」と言う事実と、「いつの時代も変わらない国際社会」という現実です。日韓の対立であれ、日中の対立であれ、他国は常に注目し、干渉する機会を窺っているということです。米中の冷戦状態も、米国のアフガニスタンでの騒動にしても、他国は、自国の益になるものは無いかと、鵜の目鷹の目です。

 「日本国憲法」が言う、「平和を愛する諸国民の公正と信義」は、どこにもありません。また、公正と信義と平和を愛する諸国も、存在しません。敗戦時の疲弊と困窮の中で、日本以外は正義の国だとアメリカに言われ、その憲法を受け入れ、国を守る軍隊の放棄も約束しました。

 あれから75年が経過しますが、日本の指導者たちと、国民の多くが、屈辱の憲法を有り難がっています。せめて息子たちと、「ねこ庭」を訪問される方々だけでも、松下氏の著書で目を覚まして欲しいものです。

 「11月30日、12月18日、翌年の1月2日の3回にわたり、」「清国はアメリカ公使を通じ、講和談判を申し込んできたが、」「日本政府はその提案が意に満たないので、その都度拒絶した。」

 大国の面子を失いたくない清国は、言を左右にして日本をあしらいました。陸奥外相は伊藤首相と相談し、閣僚の同意を取りまとめ、1月27日の御前会議で、明治天皇の裁可を得ます。

 こう言う準備を整えた上で、2月1日に清国の全権大使と会見します。

 「ところが清国側の持参した国書は、一種の信任状で、正式の全権委任状でなかった。」「そこで日本の全権は、これを清国に突き返し、直ちに談判を停止した。」「清国の全権たちは、やむなく長崎を経て帰国した。」

 相手が大国の中国であっても、国際法上認められないことには、凛として引かなかったご先祖さまの姿があります。敗戦後とは言いながら、同じ日本で、国益を守るべき外務省が、国際法違反の「日本国憲法」を推し頂いているのとは、大きな違いです。

 「日本はこれから先、アジア諸国に対し永久に謝り続けなければならない。」と、外務省のトップだった小和田恒 ( ひさし )次官が、国会で答弁しました。以後これが今日に至るまで基本方針となり、外務省は日本の国益を害する一番の省庁となっています。

 氏の意見は、俗に「ハンディキャップ外交論」と呼ばれ、戦後外交の縛りとなっています。いわば国民の目に見えない、外務省内の「日本国憲法」みたいなものです。これを変えるためには、正式な閣議決定が必要だと言われますが、氏が雅子皇后陛下の父君でもあるせいなのか、歴代の総理大臣の誰も、閣議決定の動きをしません。

 「温故知新の読書」で得た知識によりますと、小和田恒氏を重用したのは、福田赳夫元総理でした。昭和51年に内閣総理大臣だった当時、有能な小和田氏を秘書官として身近に置き、家族同士のつき合いもしていたと聞きます。幼い娘さんがいて、福田総理が頭を撫でながら、言ったそうです。

 「雅子ちゃんは、将来の皇后陛下だね。」

 この部分だけはネット情報ですから、嘘かほんとか、真偽の程は不明です。ただ私が言いたいのは、福田赳夫元総理も、日本の外務省を「害務省」に変質させた自民党の政治家の一人だと言うことです。話が横道へ逸れましたので、本題の日清交渉に戻ります。

 「日本政府が清国全権を拒否したことは、国際法上当然のことではあったが、」「この事件を契機として、3、4のヨーロッパの強国政府が、」「日本に対して、干渉の態度を示すようになってきた。」

 この情勢は日本に好ましくないので、政府は拒絶するのを止め、アメリカ政府を通じて、御前会議で決定した講和条件を知らせました。すると清国から、2月18日に正式な全権大臣を決定すると回答があり、李鴻章の来日がやっと決まりました。

 しかし、これで全てが順調に進んだわけでなく、あと一山も二山もあります。不甲斐ない戦後の自民党の政治家の姿を、息子たちに知らせるためにも、次回を頑張ります。時間に都合のつく方は、「ねこ庭」へ足をお運びください。

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