ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

渡辺恒雄氏と読売新聞 - 3 ( 正力松太郎氏と大野伴睦氏 )

2022-10-02 20:55:35 | 徒然の記

 渡辺氏の現在を語るには、政界での経歴と大野伴睦氏を抜きには出来ないので、まず大野氏に関する情報を紹介します。

 「義理人情に厚い性格から、〈 伴睦殺すにゃ刃物はいらぬ、大義大義と云えばよい 〉という戯れ歌でも知られた。」

 反日左翼の政党は科学的社会主義を信じ込み、理路整然とした意見を述べるのが政治家だと思っていますが、自由民主党の政治家が大事にしているのは、大義です。息子たちのためには、ここから説明しなくてなりません。辞書を索きますと、つぎのように書かれています。

  大義・・・  人のふみ行なうべき大切な道義。

         人倫の大きな筋道。君臣、親子、男女の道など。

  道義・・・ 人のふまなければならない道

 最初から、マルクス主義とは相容れない考えだということが分かります。共産党を筆頭とする反日左翼政党は、君臣関係を否定し、親子関係を否定し、男女の道も否定しています。個人の自由と人権を全面に掲げ、「皇室の廃止」、「親よりも子供の人権」、「男女差別も区別もなくした社会」と、無秩序で放縦な国を作ろうとしています。

 更に言えば、彼らは国の壁もなくした民族共生社会を理想としているようです。不思議なことに、こうした社会を作るために、異論を抑え弾圧し、強権で国民の思考を統制しようとします。個人の自由と人権はどこへ行ったのかと、これがマルクス主義の最大の矛盾ですが、彼らはここに目を向けません。

 保守の大義も、義理人情も、彼らから見れば非論理的、前近代的幼稚な思想であり、こんなものを大事にする保守政治家や国民をバカにします。けれども私は、数々の苦難を乗り越え、「大義」のために尽力した昔の政治家を最近は見直しています。

 「政治は義理と人情だ。」と言った大野伴睦氏を紹介すれば良いので、これ以上横道へ入るのはそろそろ止めます。

 「猿は木から落ちても猿だが、代議士は選挙に落ちればただの人だ。」

 この名言を言ったのが、大野伴睦氏だったと今回知ったところで、渡辺恒雄氏の話に戻ります。

  ・渡辺は、『週刊読売』の記者を経て、政治部記者となる。

  ・警視庁出身の出身の社長正力松太郎の眼鏡にかなって、自民党党人脈の大物、大野伴睦の番記者になった。

  ・以後保守政界と強い繋がりを持つようになり、大野の事務所を行き交う札束攻勢を目の当たりにする

  ・渡辺に対する大野の信頼は篤く、大野の依頼を受けて自民党総裁や衆議院議長ポスト獲得交渉の代行、自民党政治家のゴーストライターとして、週刊誌の論説の執筆まで引き受ける

 正力松太郎氏も、大野伴睦氏も凡庸の人物でなく、人を見る目がないのではありません。「ねこ庭」では好ましからざる人物として説明していますが、渡辺氏はいろいろな面を持つ人間であることが分かります。思想信条をすぐに変えられるところが、氏の短所であると同時に長所でもあるようです。軍国主義と天皇を否定するため共産党に入り、党員勧誘に本気で取り組んだように、正力や大野氏の信じる「大義」にも本気で取り組んだのだと思います。

 義理人情に厚い両氏は、共産党員だった氏の前歴を知っていても、信頼し重用したのではないでしょうか。マルクス主義と大義を要領よく利用し他人を騙したのでなく、その時その時は真剣だったのだと思います。以下の説明が、私の予測を裏付けています。

  ・児玉誉士夫と懇意になり、児玉の指令のもとに、九頭竜ダム建設の補償問題や日韓国交正常化交渉の場でも暗躍したとされている

  ・また鳩山一郎の次の自民党総裁、総理大臣を狙っていた正力松太郎が、中曽根康弘を参謀格に自分の派閥を結成し、総裁選出馬準備を進めていた際、正力から中曽根との連絡役を命じられて付き合いが始まり、大野の死後は中曽根と親密になった。

  ・中曽根とは、1957(昭和32)年の自民党総裁選の最中に出会った。渡辺は、初入閣を望む中曽根と、副総裁の大野伴睦との仲を取り持った。

  ・大野は造船疑獄の際に、自らを追及した中曽根を快く思っていなかったが、渡辺の執り成しによって態度を変え、入閣を確約した。

  ・1982(昭和57)年の自民党総裁選の時には、渡辺は中曽根擁立のため、田中角栄の秘書早坂茂三に引き合わせ働きかけた

  ・早坂と中曽根の秘書の小林克己は、渡辺と同じ元日本共産党員だった。

  ・1966(昭和41)年の、大手町にある国有地払い下げ払い下げ問題でも、大きな役割を果たしている

 自分の思想信条が何年か経つと変わるというのは、凡人には普通の話でしょうが、政治家、学者、経営者などという人物にはあまり見られません。指導的立場にある人間がそれをすると、一般的には恥ずべき「変節」と言います。なぜこういうことができるかと言いますと、答えは簡単です。吉田松陰が言った、「わが秋津洲の大和魂(たま)」が無いからです。

 自分の住んでいる国を大切にせず、感謝も愛することもない人間は、自分を引き立ててくれた人への恩も次第に忘れ、自己主張、自己顕示欲で動きます。悪気があまりないから、放言をしても周りが目をつぶっていますが、こういう人物が国のリーダーの一角にいると国民は大きな迷惑を被ります。

 次回は、具体的な事例を紹介いたします。 

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