これから紹介しようと思うのは、平成30年9月に、「FMA・自由メディア」の動画に出演していた青木理 (おさむ) 氏です。以前「ねこ庭」で取り上げていましたが、当時の氏の略歴は下記の通りでした。
「昭和41年、長野県生まれ、51才。」「慶應義塾大卒。元共同通信社社員。」「ジャーナリスト、ノンフィクション作家。」
「ねこ庭」では名前を呼び捨てにしませんが、吉田清治、本多勝一、植村隆、田原総一朗に関しては、日本を駄目にした張本人として例外扱いをしています。最近では青木氏も、この中に入れなくてならないかと考えていますが、氏の言葉をまずは読んでもらいたいと思います。
「私はジャーナリストとして、少数者、弱者、庶民の側に立つという立場で、仕事をしてきました。」「ジャーナリズムは、常に権力と戦うものであり、そして巨大な権力に、永遠に負け続けるものでもあると、そんな風に考えています。」
氏の言う少数者、弱者、庶民は、ほとんどの場合国内の反日政治家、反日活動家を指していますが、彼らは果たして弱者なのでしょうか。
「私は、国益というものを頭におきません。国益を考えていたら、仕事にならないのです。」
氏のいう福田氏とは、福田康夫元総理、当時の官房長官のことです。
「私は外務省の田中均さんと、個人的には親しくしていませんが、何度かお話ししたことはあります。安倍さんみたいな強硬論でなく、現実的に、拉致問題の解決に取り組んでいた方です。」
「結局田中さんは、安倍さんに反対され、交渉担当を外され、自宅を右翼に放火されましたね。石原慎太郎さんが、国賊だからやられて当然みたいなことを言ってましたが、酷い話です。」
氏は田中氏を庇いますが、私の知る田中氏は違っています。拉致された国民より、北の意を汲むことに心を砕き、北への謝罪と賠償を第一とした人物です。
「小泉ー田中ラインでやったことは、実は大変なことだったんです。ある意味で、戦後の日本史を根本から変えたとも言えます。」
「敗戦後の日本はアジアの国、特に中国と韓国や北朝鮮に対しては、ずっと加害者の立場でした。ところが小泉訪朝で北のトップが拉致を認めたので、ここから日本は、初めて被害者という立場になれたのです。」
「安倍さんはこの立場を利用して、北を攻撃し総理になりました。これを口実に、防衛費の増額を図り、対話を拒否し続けることによって、政権の延命に利用しています。」
氏は蓮池透氏と同じ意見ですが、二人はどこかで接点があるのでしょうか。それともこのような考え方が、反日左翼の人々の間で信じられているのでしょうか。拉致問題に関して、私は安倍総理を二人のような目で見たことがありません。
北朝鮮は核問題ついてカーター、クリントン、トランプ氏と、アメリカの歴代大統領も振り回しているのですから、安倍総理には同情する気持ちがあるくらいです。
ここで私は、別途調べた青木氏の経歴を紹介します。 氏がなぜ常に北朝鮮・韓国側に立つ主張をするのかが、見えてきます。
1. 平成9年から平成10年 (2年間) 韓国延世大学留学
2. 平成14年から平成18年 (5年間) 共同通信社 ソウル特派員
3. 平成18年に共同通信社を退社 オーマイニュース社 副編集長
オーマイニュース社は、韓国政府の支援で作られた市民参加型新聞で、朝鮮語版、国際語 (英語 ) 版、日本語版の三種類があります。日本語版のオーマイニュース社は、青木氏が共同通信社を退社したその年の、平成18年に設立されています。同社は韓国オーマイニュース社と、孫正義氏のソフトバンクの共同出資会社で、編集長が鳥越俊太郎氏です。
この会社が今どうなっているのか知りませんが、反日左翼の人間は、私たちの知らないところで繋がっている事実は間違いないようです。私がこうして「ねこ庭」で紹介している事実は、亡くなった安倍氏のご遺族の方々は知っていても言えない話だと思います。言えばマスコミと反日評論家たちが、総ががりで攻撃してきますから、私が代わりに紹介しています。
「ねこ庭」を訪ねた方が「鎮魂歌」を読めば、安倍氏が多くの敵と戦っていた事実を知ることができます。つまりこれは、安倍元総理へ贈る「3つ目の鎮魂歌」です。
次回は、朝鮮○○と日朝議員連盟について紹介します。