『世紀末の幸福論』 を初心に戻り再読するため、ページに付けていた付箋を取りました。なるほどと思った意見、ちょっと違うなと感じた主張、初耳だったと新鮮な思いで読んだページに付箋をつけながら読むのが私のやり方です。
疑問についてはネットで検索し、「Wikipedia」「ロイターニュース」、「注目トピックス・経済総合」、「FISCO」「ANNニュース」などの説明を参照します。時には「あかはた」だったり、「朝鮮〇〇」の広報記事だったりします。
goo事務局の警告にあったのは、私のブログがこうした検索記事を紹介することにあると思われます。
「会員自らが作成した記事その他会員が作成した会員ページ上のコンテンツ(以下「ブログコンテンツ」といいます)にかかる著作権は、当該ブログコンテンツを作成した会員に帰属するものとします。」
g00事務局の言う「ブログコンテンツ」に、検索情報のどれが該当するのか良く分かりませんんが、どれかが引っかかっているようです。そう言う情報には、「記事の転用を禁止します」と注記されていますから、その場合は「ねこ庭」で紹介しないように気を付けていますが、それでも引っ掛かっています。
注記されていない公開情報を、「ねこ庭」で紹介できないのだとしたら、私のブログが続けられなくなります。幸いなことにgoo事務局の警告が曖昧であるため、いつまで続けられるかを気遣いながら、注意して作業を進めています。
いまひとつgoo事務局が警告しているのが、次の項目です。
(7)他の会員又は第三者に対する誹謗中傷、脅迫、嫌がらせを行う行為
(8)他の会員又は第三者を差別又は差別を助長する行為
これになりますと、対応のすべがありません。私のブログの目的は、日本を憎み、否定する反日左翼勢力の間違った出版物、報道、政党、学者などの意見が、息子や孫たちの世代を汚染しないようにすることです。
戦後に突然発生した過激な反日左翼勢力が、過激な言葉で日本の歴史や文化を攻撃しているのですから、対応する私の言葉も激しくなります。相手が誹謗中傷、脅迫、嫌がらせをしている時、我慢することが正しいと思いませんが、goo事務局は規定に従い警告を発します。無料のツールを使わせてもらっているのですから、私も強いことは言えません。goo事務局を困らせないように注意しつつ、「ねこ庭の独り言」綴っています。
こう言う状況を息子や孫たちに説明しつつ、本題に戻ります。まず本の目次を紹介します。
序章 煉瓦の幻想
I 過去を消す文明
II 幸福論の視点
III 朝(あした)のうちに種をまけ
終章 世紀末の幸福論
あとがき
再読すれば印象が変わるのかもしれませんが、氏の幸福論が『旧約聖書』を元に書かれているため、日本の歴史に関する叙述に違和感を覚えます。
「アダムとエバの末裔は、シナルの地に平野を得て、そこに住んだと言われております。」「人々はやがて土から煉瓦を焼くことを覚え、しっくいの代わりにアスファルトを使うことを知るようになります。」
「そうして地球上の人類はいつの間にか、文明という都市化の道をひたすら爆進してきたのです。」「今様々な欲望の追求に明け暮れる人間という存在は、いわば尻尾をくわえた蛇のような、こじつけめいた感じを与える姿のまま、自分でもよくわからないハイテク技術の脅威的な進展ぶりに、振り回されているのが現状ではないでしょうか。」
「 序章 煉瓦の幻想 」の書き出しの言葉ですが、果たしてこれは日本の歴史、日本人の現在を説明しているのでしょうか。goo事務局の警告に戸惑っている私は、たしかにハイテク技術に振り回されていますから、全部が間違った意見とは言いません。
しかし日本の歴史は、アダムとエバが出発点ではありません。土から煉瓦を焼き、漆喰の代わりにアスファルトで家を建てた先祖もいません。長い神話の時代を経てこれもまた何万年という縄文時代があり、弥生時代へと続きますが、こうした日本の歴史はどこへ消えたのでしょう。
なぜ氏の著書が印象に残っていないのか、再読して分かったことは、そもそも日本人を語る出発点から噛み合っていなかったのです。
「細かいところにこだわるな。氏はキリスト教徒だから、いいではないか。」「幸福論そのものが、間違っていなければ良いではないか。」
もしかすると大らかな心の日本人が、氏を弁護するのかもしれません。ということで、今回は素直な気持ちで書評を続けますので、関心のある方、時間のある方だけ「ねこ庭」へ足をお運びください。