ねこ庭の独り言

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『世紀末の幸福論』 - 3 ( 新しい発見 )

2022-10-27 07:44:06 | 徒然の記

 素直な気持ちで再読しても、引っ掛かるのは変わらないようです。

 「いつの間にか人間は自然の上に立ち、自然を利用し自然を克服するものとして、自然を己の視野に収め、まったく無遠慮にそのありようを操作できるものと思い始めている、というのが実態だったというべきでしょう。」

 こういう見方も意見も間違いではありませんが、言い古された言葉なので心に響きません。

 「そうして人間としての可能性が最終的に到達したもの、それが産業革命の結果であり、人類の文明の進展であり、世俗化としての都市化現象の徹底でありますが、いつのまにか人々の心は、ひたすらわがままと貪欲の方に目が向けられてきたのです。」

 産業革命については学校の世界史で教わったので、なんとなく覚えています。18世紀から19世紀にかけて、イギリスで起こったエネルギー革命で産業構造が大きく変化しました。当時の日本を調べてみますと、ちょうど10代将軍家治の頃で、有名な田沼意次が権勢を誇った時でもあります。

 氏の言うような世俗化の都市化現象が、その頃の日本にあったのでしょうか。確かに江戸や京都、大阪などの大都市が栄えていましたが、産業革命時のイギリス社会と共通点があったのでしょうか。

 次の行では、話が突然現在へ飛びます。

 「今では身綺麗にして街を歩く人、綺麗な人は多いのですが、社会人のマナーなどでは身勝手な人が少なくないようです。あきらかに、自分のことしか考えなくなっている人が少なくないようです。」

 「しかしお金をかけて、珍しいものを身にまとえば、それが一種の自己主張になるという考え方は、さすがに少しは見直されてきたようです。」

 イギリスの産業革命の説明が、どうして現在の日本人の話になり、社会人のマナーに欠けた人間が増えた話に繋がるのか、理解に苦しみます。社会人のマナーがなく身勝手な人間が増えたのは、敗戦後の日本を占領軍が支配し、日本人の精神構造を変革すると意気込んだからだと、同じ使い古された言葉を使っても私の方が常識的な気がします。
 
 占領軍は、封建制度に縛られた日本人が支配階級に盲従し、個人としての生き方を知らないと誤解し、「個人の権利」「自由」「平等」を教えようと、善意と哀れみと悪意を混じえて頑張りました。結果として彼らは、自然を大切にし祖先を敬い、亡くなった人の魂を尊ぶ日本の文化や伝統を破壊してしまいました。何もかも素晴らしかったと言うつもりはありませんが、以前の日本人は国の一員として生きていました。
 
 連合軍の支配者たちは、死を恐れない「神風特攻」をする日本人には、「個人の権利」「自由」「平等」の考えが欠けているのだと考えていました。死を恐れない戦いができるのは日本人が持っている愛国心の発露であると、彼らには理解できませんでした。
 
 彼らは日本人を救うためにも、二度と戦争をさせてはならないと考え、日本の伝統も文化も変革しようとし、実現するための「憲法」まで作ってしまいました。この政策を進める中心にいたのが、マルキスト集団と言われたホイットニー准将以下のスタッフでしたから、容赦ない手段で強行しました。
 
 善意と無知の彼らがどのようにして日本人を困らせ、感動させたかについて、吉田総理が回想録の中で語っています。
 
 敗戦後の日本に、社会人のマナーに欠けた人間が増えたのは、イギリスの産業革命でなく、占領軍による日本改造に原因があります。自由と放縦の違いを知らないままに育ち、権利ばかり主張する人間が増えたのは、彼らの作った憲法で教育された人間が増えたからだと、私ならこう言いますし、イギリスの産業革命を持ち出すより、もう少しまともな意見と思います。
 
 列強に侵略されるアジア諸国の情勢を、織田信長と豊臣秀吉は知っていました。キリスト教の宣教師が尖兵の役割をし、日本人を奴隷として売買している事実を知った秀吉は、「バテレン追放例」を出しました。家康は、列強の侵略を防ぐため「鎖国政策」を取り、長崎の出島だけを外国への窓口にしました。
 
 まるで日本史の復習になりますが、立派な経歴を持つ氏のような学者が、なぜこうした普通の説明を省略し、西欧人の自然破壊思想やイギリスの産業革命の話を持ち出すのでしょう。再読して分かりましたが、なるほどこれでは真面目に本を読む気にならなかったはずです。言葉として読まず、単に文字を読み飛ばしていたから、何も心に残らなかったということになります。
 
 314ページの著作の、序章の10ページでこの有様です。国難を前にした国会で、反日左翼の野党が日本の国民と領土を守るための議論をせず、相変わらず「統一協会」と「国葬」問題ばかりで政府を追及しています。焦点のズレた氏の意見を読んでいますと、反日弱小野党の姿と重なってきます。
 
 氏が教える大学の学生でなかったことを、幸せに感じる私です。読んで不幸になる『幸福論』があるのだと、新しい発見をしました。
コメント (2)
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