ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

共同通信社の情報操作 - 6 ( 熱烈歓迎の金丸訪朝団 )

2022-10-14 15:42:12 | 徒然の記

 日朝会談といえば、険悪なムードの中で行われる、困難で厄介な会議と相場が決まっています。言を左右にする北の対応に日本側がいかに苦労したかと、そのような報道がされます。しかし、金丸訪朝団は違っていたようです。2022 ( 令和4 ) 年5月30日の『ウィキペディア(Wikipedia)』 の記事を紹介します。

 〈「日本社会党」の記事における「金丸訪朝団」の解説 〉と表題がついていますから、社会党の広報文書から引用しているのかもしれません。

 「1990 ( 平成2  )年9月26日、北朝鮮有数の景勝地・妙香山の招待所で自民党の金丸信、社会党の田辺誠、北朝鮮主席の金○成が顔を合わせた。訪朝は北朝鮮に拘束されていた第18富士丸の船長紅粉勇ら日本人二人の釈放と、日朝友好親善が主目的だった。

 「訪朝団に対する金○成の歓待ぶりは、すさまじかった。2万人が動員されたマスゲームは代表例で、〈金丸信先生と田辺誠先生の引率する日本使節を熱烈歓迎する! 〉という人文字が表示された。」

 この文章を読みますと、日本から多額の資金援助と技術支援を得た鄧小平氏が、日本を「熱烈歓迎」した頃の中国を思い出します。稲山氏から最新鋭の粗鋼一貫製鉄所、松下氏からは家電生産工場一式を、技術指導とともにプレゼントされた日中蜜月時代がありました。取れるだけのものを取った中国は、その後どうしたのか。正しい歴史認識を持てと逆に日本を説教し、国内で手のひら返しの反日教育を始めましたが、『ウィキペディア』の記述は、そこまで書いていません。

 「9月28日自民党、社会党、朝鮮労働党の3党共同宣言がなされたが、その中に記された〈戦後45年間の謝罪、十分な償い〉の文言が、北朝鮮への戦後賠償の表明と見做されたため、のちに大きな批判に晒されることになった。」

 「土下座外交」と激しい批判を受け、三党合意は結局うやむやになったと記憶しています。この話をわざわざ「ねこ庭」で紹介する理由が、3つあります。

  1.  北朝鮮は国交回復時の「賠償金」を得るため、金丸訪朝団を熱烈歓迎したこと

  2.  金丸氏も田辺氏も外務省の川島氏も、「拉致被害者」のことを考えていなかったこと

  3.  巨額の戦後賠償をすることについて、3氏ともに疑問を抱いていなかったこと

 北朝鮮が得意とするハニートラップとも気づかず、歓待の宴席で美女に囲まれ、訪朝団の一行は北朝鮮びいきとなり帰国したのではないでしょうか。それ以後日本からの訪朝団が下記の通り行っていますが、熱烈歓迎をされたとは聞きません。

  ・1990 ( 平成 2 ) 年 金丸訪朝団

  ・1995 ( 平成 7 ) 年 渡辺美智雄副総理訪朝

  ・1997 ( 平成 9 ) 年 森喜朗前総理訪朝

  ・1999 ( 平成 11 ) 年 村山元総理、自民党・野中広務幹事長訪朝

  ・2002 ( 平成 14 ) 年 小泉総理訪朝

  ・2004 ( 平成 16 ) 年 小泉総理訪朝

 貧しい国である北朝鮮は、隣の韓国が日本から巨額の賠償金を得て「漢江の奇跡」と呼ばれる経済発展を遂げたことを知っており、国交回復をして賠償金を得ようと力を尽くしています。

 この点を考えますと、今回蓮池薫氏が語っているのが北朝鮮の本音であり、氏が代弁しているとも考えられます。氏が言っているのは、切実な賠償金のことです。

  ・北朝鮮にとって日本の経済協力は虎の子。これは変わっていない。

  ・北が苦しい状況になった時、手を伸ばす選択肢に日本がなるための環境を、作っておくべきだ。

田中氏が日朝会談が失敗した原因を、核問題と断言しているのは頭の良い官僚らしい「後付けの理屈」でないかと思います。

 「拉致問題」解決のためには、先に米朝会談が成功していなければならないと、氏は今までこういう観点から意見を述べていません。私の知る限り、氏が批判していたのは安倍元総理の強い姿勢でしたから、共同通信社の記事を読み違和感を覚えました。

 たいぶ横道へそれましたので、次回は蓮池薫氏がかってどのような発言をしていたのかにつき、関連する情報を紹介します。

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共同通信社の情報操作 - 5 ( 北朝鮮の狙いは、国交回復と賠償金獲得 )

2022-10-14 09:02:37 | 徒然の記

 意外なところで発見した「拉致問題」関連情報は、今年の7月に読んだ本の中にありました。李 忠国 ( イ・チュングク  )氏著、『金○日の核と軍隊』( 平成6年刊 講談社  ) がその本です。こんなところで役に立つとは思いませんでした。

 著者の李氏は、北朝鮮の核開発関連の研究所で働いていた軍人ですが、北朝鮮の厳しい身分制度の中で、自分の将来に絶望し脱北した人物です。機密情報を知っていますから、捕まれば死刑になります。中国との国境の川を泳いで渡り、北京経由で韓国に亡命しています。

 この書は、脱北するまでの氏の半生を語ってものですが、1990 ( 平成2 ) 年の金丸訪朝団に関する叙述がありましたので紹介します。金丸氏が訪朝し金○成首領と対談した時、すでに次の人たちは拉致されていましたが、話題にもなっていないことが分かります。

  ・1977 ( 昭和52  )  久米 裕 ( ゆたか ) さん ( 52才・石川県 ) 

  ・1977 ( 昭和52  )  松本京子 さん ( 29才・鳥取県 )  

  ・1977 ( 昭和52  )  横田めぐみ さん ( 13才・新潟県 )   

  ・1978( 昭和53 )   田中実 ( みのる)  さん ( 28才・兵庫県 )  

  ・1978( 昭和53 )  田口八重子   さん ( 22才・県不明 )  

  ・1978( 昭和53 )  地村保志 ( やすし)  さん ( 23才 )  地村富貴恵 さん( 23才・福井県 ) 

  ・1978( 昭和53 ) 蓮池薫 ( かおる)  さん ( 20才 )  蓮池祐木子さん ( 22才・新潟県 ) 

  ・1978( 昭和53 )  市川秀一 さん ( 23才 )  増元るみ子さん ( 24才・鹿児島県 ) 

  ・1978( 昭和53 )  曽我ひとみ さん ( 19才 )  曽我ミヨシさん ( 46才・新潟県 ) 

  ・1980( 昭和55 )  石岡亨 ( とおる  ) さん ( 22才 )  松木薫 ( かおる  ) さん ( 26才・欧州 ) 

  ・1980( 昭和55 )  原敕晁 ( ただあき  ) さん ( 43才・宮崎県 )  

  ・1983( 昭和58 )  有本恵子 さん ( 23才・欧州 )  

 該当する部分を、転記します。

 「私が新兵訓練を受けたこの年1990 ( 平成2 ) 年は、日朝国交正常化とソ連の裏切り韓ソ修交で、外交情勢が複雑な展開を見せた時期であった。ともに、9月のことだった。」

 氏の説明によりますと、新兵訓練時の講義の内容は次のようなものでした。

  ・日本の陰の実力者である金丸氏が、北朝鮮を訪問した。

  ・金丸氏は金○成首領様の前で、涙を流しながら次のように誓った。

  ・日本が行った36年間の植民地統治と、戦後45年間朝鮮人民に対して行った罪を、日本人民の名前で謝罪し、日朝国交正常化のため自分の生命を捧げる。

  ・今回朝鮮労働党と、日本の自由民主党と社会党の3党による共同宣言は、すなわち首領様の偉大さに対する良い実例だ。

  ・宣言の発表は、親愛なる首領同志様の賢明な処置であった。

 座学では同時に、人民軍最高裁判所判事のあり得ない意見が教えられています。

  ・世界で一番民主的で、党と首領様と人民が一つに団結したわれわれと修交がない限り、日本は一歩も進展できないし、その上少数の日本統治者たちを除いて、ほとんどの日本国民は、われわれとの修交を希望しているのだ。

  ・われわれが日本との国交正常化のため、三党共同宣言を発表したが、親愛なる指導者同志様は、「絶対にここで幻想や期待をせず、さらに革命の銃を強く握りしめて、前進せよ」とおっしゃった。

  ・われわれは、日朝国交正常化が前進すればするほど、党から受けた革命を最後まで達成しなければならない。

 金丸氏が涙を流して誓ったとは、日本人なら信じる人間はいませんが、軍の座学で教えられるのですから、兵士たちは信じたと思います。最高裁判所の判事の意見は、私たちにとっては恐ろしい話です。国交を正常化したら、日本での革命を銃を握りしめても遂行するという意味に取れますから、とんでもない話です。

 今はこうして、国交正常化交渉に関する北朝鮮側の情報が出版物やネットで分かりますが、当時の日本人は知っていたのでしょうか。訪朝したのは、副総理の金丸信氏と社会党委員長だった田辺誠氏で、随行したのが外務省の川島参事官でした。数ある訪朝団の中で、金丸訪朝団が最初のものですが、北朝鮮側の目的は「国交回復」とそこで得られる日本からの「賠償金」だったことが分かります。

 金○成首領が対応した金丸訪朝団は、異例ずくめの対談となっています。これについても詳しい情報がありますので、次回に報告します。

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