日朝会談といえば、険悪なムードの中で行われる、困難で厄介な会議と相場が決まっています。言を左右にする北の対応に日本側がいかに苦労したかと、そのような報道がされます。しかし、金丸訪朝団は違っていたようです。2022 ( 令和4 ) 年5月30日の『ウィキペディア(Wikipedia)』 の記事を紹介します。
〈「日本社会党」の記事における「金丸訪朝団」の解説 〉と表題がついていますから、社会党の広報文書から引用しているのかもしれません。
「1990 ( 平成2 )年9月26日、北朝鮮有数の景勝地・妙香山の招待所で自民党の金丸信、社会党の田辺誠、北朝鮮主席の金○成が顔を合わせた。訪朝は北朝鮮に拘束されていた第18富士丸の船長紅粉勇ら日本人二人の釈放と、日朝友好親善が主目的だった。
「訪朝団に対する金○成の歓待ぶりは、すさまじかった。2万人が動員されたマスゲームは代表例で、〈金丸信先生と田辺誠先生の引率する日本使節を熱烈歓迎する! 〉という人文字が表示された。」
この文章を読みますと、日本から多額の資金援助と技術支援を得た鄧小平氏が、日本を「熱烈歓迎」した頃の中国を思い出します。稲山氏から最新鋭の粗鋼一貫製鉄所、松下氏からは家電生産工場一式を、技術指導とともにプレゼントされた日中蜜月時代がありました。取れるだけのものを取った中国は、その後どうしたのか。正しい歴史認識を持てと逆に日本を説教し、国内で手のひら返しの反日教育を始めましたが、『ウィキペディア』の記述は、そこまで書いていません。
「9月28日自民党、社会党、朝鮮労働党の3党共同宣言がなされたが、その中に記された〈戦後45年間の謝罪、十分な償い〉の文言が、北朝鮮への戦後賠償の表明と見做されたため、のちに大きな批判に晒されることになった。」
「土下座外交」と激しい批判を受け、三党合意は結局うやむやになったと記憶しています。この話をわざわざ「ねこ庭」で紹介する理由が、3つあります。
1. 北朝鮮は国交回復時の「賠償金」を得るため、金丸訪朝団を熱烈歓迎したこと
2. 金丸氏も田辺氏も外務省の川島氏も、「拉致被害者」のことを考えていなかったこと
3. 巨額の戦後賠償をすることについて、3氏ともに疑問を抱いていなかったこと
北朝鮮が得意とするハニートラップとも気づかず、歓待の宴席で美女に囲まれ、訪朝団の一行は北朝鮮びいきとなり帰国したのではないでしょうか。それ以後日本からの訪朝団が下記の通り行っていますが、熱烈歓迎をされたとは聞きません。
・1990 ( 平成 2 ) 年 金丸訪朝団
・1995 ( 平成 7 ) 年 渡辺美智雄副総理訪朝
・1997 ( 平成 9 ) 年 森喜朗前総理訪朝
・1999 ( 平成 11 ) 年 村山元総理、自民党・野中広務幹事長訪朝
・2002 ( 平成 14 ) 年 小泉総理訪朝
・2004 ( 平成 16 ) 年 小泉総理訪朝
貧しい国である北朝鮮は、隣の韓国が日本から巨額の賠償金を得て「漢江の奇跡」と呼ばれる経済発展を遂げたことを知っており、国交回復をして賠償金を得ようと力を尽くしています。
この点を考えますと、今回蓮池薫氏が語っているのが北朝鮮の本音であり、氏が代弁しているとも考えられます。氏が言っているのは、切実な賠償金のことです。
・北朝鮮にとって日本の経済協力は虎の子。これは変わっていない。
・北が苦しい状況になった時、手を伸ばす選択肢に日本がなるための環境を、作っておくべきだ。
田中氏が日朝会談が失敗した原因を、核問題と断言しているのは頭の良い官僚らしい「後付けの理屈」でないかと思います。
「拉致問題」解決のためには、先に米朝会談が成功していなければならないと、氏は今までこういう観点から意見を述べていません。私の知る限り、氏が批判していたのは安倍元総理の強い姿勢でしたから、共同通信社の記事を読み違和感を覚えました。
たいぶ横道へそれましたので、次回は蓮池薫氏がかってどのような発言をしていたのかにつき、関連する情報を紹介します。