「憲法問題研究会」というのは、東京・京都を中心とする、五十数名の学者の、日本の憲法の研究団体である。
本のまえがきで、大内兵衛氏が述べていましたが、京都の学者を取りまとめているのが、末川博氏です。敗戦後に立命館大学学長に就任した氏は、幅広い著作と実践活動を通して、戦後日本の民主主義と平和運動の発展に貢献し、大きな影響を与えた人物として知られています。
別途調べた、氏の経歴をを紹介します。
「明治25年、山口県に生まれ、大正8年に 京都帝国大学法学部を卒業。」「大正9年に助教授となり、ハーバード大学・プリンストン大学など欧米で法律を研究。」「 京都帝国大学教授となり、民法・ドイツ法講座を担当」
「日本の民法学者。日本学士院会員。京都名誉市民。」「京都帝国大学教授、戦後に立命館大学学長。」「立命館では、末川を名誉総裁として顕彰。」「長男は立命館大学名誉教授で、歴史学者の末川清。」「清の妻は日本画家・橋本関雪の孫娘。」「勲四等瑞宝章、従四位、受勲。」
別の情報では、次のように書いてあります。
「昭和33年6月には、末川博を中心に、憲法問題研究会の関西支部が結成された。」「研究会は、民主・人権の憲法原理が、戦後政治と国民生活の原動力となってきたという立場から、護憲勢力の一翼を担ってきた。」
「月1回の研究会をもち、毎年5月3日の憲法記念日に、講演会を催すほか、安保改定時には反対声明を出すなど、日常活動も行った。」「昭和51年に解散。」
この説明から分かるように、氏は関西における平和・人権活動の中心的存在でした。昭和8年に京大で「滝川事件」が起こり、警察の弾圧が行われた折、氏は大学を依願退職しています。この時京大法学部は教員の2/3を失い、再建も困難になったほどでした。
氏は大阪商科大学で教鞭をとる傍ら、事件により、止む無く辞職した助教授・副手の復帰に向け活動しました。敗戦後、元教授たちの京大復帰が叶うこととなり、法学部の宮本、瀧川、恒藤、末川の四教授の復職が確実となりました。この歴史的な決定を受け、新聞記者のインタビューに、末川氏が次のように答えています。
「復帰の正式交渉は受けていない。しかし万一そんな話を持込んできても、はっきり断るまでだ。」「官等や位階勲等を身につけて、講壇に立っている官立大学に、どうして真に民主主義的な学園が、生まれよう。」「研究の自由、大学の自治が、期待出来よう。」
「欧米の有名な大学、権威ある大学は、殆んど私立である。」「私学においてこそ、学門的良心に反しない、研究態度が求め得られるのだと信じている。」「現在のような教授の顔触れの中に、私が再び仲間入するようなことがあれば、凡そ頭脳を疑われると思うがね」
反骨精神で氏はさらに有名になり、立命館大学で活躍することになります。氏の業績が詳しく述べられていますので、これも紹介します。
[ 昭和21年 ]
第二次世界大戦が終結すると、立命館大学が末川を学長に迎える。なお、京都大学
も末川を学長に迎える考えであったが、末川は立命館大学の抜本的改革に着手。
憲法と教育基本法を尊重して、「平和と民主主義」を教学理念に据えた。
[ 昭和24年 ]
・理事者・評議員・専任教職員・学生・生徒からなる全学代表による、総長公選制を導入。(初の選挙により同大学総長就任)
・同年、学園運営の重要事項の合意を形成する理事会、教授会、学友会・教職員組合などの、全ての学園組織と学生の代表を加えた、全学協議会制度を創設する。
・以降、学生・大学院生・教職員と理事会の協議の場を拡大し、教学の民主的発展に努力を行い、末川の思想に基づき「立命館民主主義」と呼ばれる学園運営を行う。
立命館大学法学部学舎「存心館」の、1階ホールには氏の言葉が掲げられています。
法の理念は 正義であり
法の目的は 平和である
だが 法の実践は
社会悪と たたかう闘争である
末川氏の業績を語るものとして、次のような情報もあります。
「現在、立命館国際平和ミュージアムに建立されている、記念碑「未来を信じ 未来に生きる」の由来記にある「わだつみの像」は、」「日本戦没学生記念会(わだつみ会)の委嘱によって、昭和25年に彫刻家・本郷新が制作したものです。」
「アジア太平洋戦争の戦場に出征し、生きて帰ることのなかった戦没学生たちの、〈嘆き、怒り、黙(もだ)した苦悩〉を象徴した記念像として、 当初は、東京大学構内に設置する予定でしたが建立できず、以後本郷新氏のアトリエで眠ったままとなっていました。」
「昭和26年、立命館大学で開催された「全立命戦没学生追悼慰霊祭」の席上、」「末川総長が、「わだつみ像」を立命館大学に受入れることを表明し、」「全学挙げて誘致の取り組みの結果、立命館大学に建立されることとなったのです。」
「 未来を信じ未来に生きる。そこに青年の生命がある。
その貴い未来と生命を、聖戦という美名のもとに奪い去られた青年学徒のなげきと、怒りともだせを象徴するのがこの像である。本郷 新氏の制作。
なげけるか いかれるか はたもだせるか
きけ はてしなきわだつみのこえ
この戦没学生記念像は広く世にわだつみの像として知られている
一九五三年一二月八日
立命館大学総長 末川 博 しるす 」
けれども氏は、戦時中にはどのような発言をしていたのか。昭和17年に出版した著書『歴史の側面から』の中より、紹介します。
「事あらば、命に従って急に赴くの用意と覚悟とのもとに、平常時よりも一段とさかんな意気と感激をもって、学問に精進することを要する。」
「将来をになう者としての自覚と責任感、そして同年配の友の多くが銃をとりハンマーをにぎりしめている、雄姿を思うての反省、それらによって、学問への熱意はいよいよ高めらるべきである」
「人類のながい歴史のなかでそれぞれの民族や国家は、波瀾興亡をくりかえして きたが、現代における奇跡といってもよいほどに、驚異的な発展をとげて、栄光と勝利に輝いているのは、朝鮮民主主義人民共和国である。」
「かって幾世紀かの間、内憂と外患のために苦しんできた朝鮮民族は、いま金日成首相を天日と仰いで、社会主義国家としての基本路線をまっしぐらにつきすすみ、ゆるぎない基盤を築きあげている。」
「まさに金日成首相は、百戦錬磨の偉大な政治家であるとともに、国際共産主義運動と労働運動の、卓越したリーダーである。この伝記は、ありきたりの記録ではない。」
「世界史上にもまれな、民族解放闘争を勝利へと導いた人間金日成将軍の、感動あふれる一大叙事詩であり、輝かしい朝鮮 近代史であり、人類の良心とも希望ともいえる不滅の人間ドラマである。」
戦時中は学生の戦意高揚に努め、敗戦後に一転して平和主義者となった氏と、そんな氏を褒め称える日本の軽薄さを、悲しみとともに記録に残します。罪もない日本人を拉致したままの犯罪国家北朝鮮を、ここまで賛美する氏は、まさに関西における「獅子身中の虫の親玉」です。
こんな人物がいたから、拉致された日本人がいつまでたっても日本へ戻れません
関西には北朝鮮賛美者の氏がいて、関東にはソ連を称賛する大内兵衛氏がいました。敗戦後の日本は、氏のような反日の左翼学者によって、日本学士会、日本学術会議が占拠されました。東大社会科学研究所と同様、この組織は反日左翼学者の養成機関で、大きな力を持っています。色々調べながら、初めて知る事実に怒りと失望と、悲しみを味わいました。
しかし希望もあります。私のブログを、読んでくれる方々がいると知ったことです。今まで知られなかった事実が、少しずつでも、広がっていくだろうと期待できるからです。
私は今回で、「憲法問題研究会」メンバーに関するブログを終えたいと思います。やや疲れましたが、読んでいただいた方々はもっと疲れたことでしょう。そのご苦労にお礼を言うと共に、感謝いたします。
皇室をお守りすることは、国民の心を守ることにつながります。陛下のお気持ちに添うのだと、野党の政治家は言いますが、彼らは「天王制廃止論者」です。
私が心を痛めますのは、罪もない愛子様の、別人のようにやつれられたお姿を拝見する時です。保守といい、野党といい、政争のため、愛子様を弄んでおります。
このようなことは、悪質な「いじめ」です。日本人のすることではありません。大人の争いに、未成年の愛子様を巻き込む非情さを、悲しみます。
優国殿、今はここまでしか申し上げられません。いかにしましても、辛い日々ですが、お互いに、日々を大切にしましょう。
国会論戦特に民進党の一流大学出身を鼻にかけたような議員の政府に対する質問に
あなたが述べて来られた変節学者の悪影響を見るような思いをしております。
自分は偉いと勘違いするその態度は無礼極まりなく救い様のない害毒の蔓延を憂います。
普通一般の人間と違って、人を教える大学教授、学者と云うところに日本の不幸があるのです。
皇室についても、例えは不遜かもしれませんが、目の前が見えない歩み、結果どうなるでしょう?
皇室消滅を計る遠大な策略、私たちはその意図を正しく掌握して皇室を護らなければなりません。
onecat01さん渾身の一灯が、国民を誤った眠りから醒ますのです、その力は大きくて尊い。
左翼教授たちが育てた「獅子身中の虫」どもが、大切な皇室を廃止しようとしています。
この虫たちの恐るべきいかがわしさを、何日もかけブログにしましたのは、「皇室の危機」を述べたかったからでもあります。陛下にも、美智子様にも、何としても気づいていただきたいものです。
有識者会議のメンバーや、会議に呼ばれる学者たちをご覧なさい。天皇廃止論者の系譜につながる者が、沢山います。皇室は、日頃は国民に縁のないものに見えますが、本当は日本の宝です。
国民を支配した大昔もありましたが、それは世界中同じことでしょう。違っていますのは、天皇が国民を思い、国民が天皇を敬い、力を合わせて日本という国を、外国の侵略から守ってきたという事実です。
左翼は支配者とか、圧政者とか言いますが、この長い歴史の年月を、庶民とともに永らえてきた皇帝や王が、どこの国にありましょう。
左翼学者が言うように、国民統合のため、たとえ故意に作られた天皇であるとしましても、そこに座り、国民の尊崇の中心として、大変な重責を果たしてこられた歴代の天皇に、私はやはり頭を下げずにおれません。そういう意味では、今上陛下に対しても同じ気持ちです。
獅子身中の虫たちは、平成の時代で、やっと駆除される時が来たと、私は信じています。
広い視野で見れば、残虐さを伴う凶悪犯罪や危険な薬物取引、
そして国家を危地に陥れるテロ策動などが含まれるはずですが、
末川見解を見る限り、それは狭い視野の「反権力」だけに
留まる様に見えて仕方がありません。
左傾有識者の多くが嵌って行った空想論、そして、
日弁連理想志向派の弁護士達が陥った、偏狭な人権思考の裏が取れた様な気が致します。
もう一つ、末川教授の「北」そして「金王朝」礼賛の言動から、
本気で皇統廃絶と、我国の赤化を図ろうとしていた事
も想像でき、その危険性を改めて感じます。
学生運動が全盛期だった戦後の昭和中期、末川教授の「曲解的」思考がその理論的支柱になっていたかと思うと、ちょっと慄然とします。
少し前、報道家 辛坊治郎さんが番組中で「誤解を解く事はできるが、曲解を解く事はできない」のお言葉を披露されていたのを覚えています。一つ、真実を突いていると感じるのは、拙者だけではないと心得ます。
今回も、ご講釈に一礼です。