ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

kiyasumeさんとの約束

2021-12-17 15:50:54 | 徒然の記

 10月頃だったと思います。「さびしがりやのハーモニカ吹き」という表題に惹かされ、この方のブログを時折読んでいました。

 ジャズバンドにいたという人で、音楽の造詣が深く、フアッションや読書についても、独特の意見を持っています。コミック分野でも、専門家並みの知識があります。自分の生きる道を追及し、自己実現のため日々苦闘されているというブログです。

 音楽、読書、興味の対象、何をとっても私と無縁な世界の人ですが、ブログの叙述に敬意を表しています。辛い出来事があっても、めげずに頑張る姿に、共感させられるものがありました。医者に処方された薬のため体調を崩し、苦闘する日常など、隠さずに書いています。

 氏の境遇にいれば、大抵の人間は自暴自棄になり、周囲に八つ当たりし、暴言を吐くと思います。氏は、抑制された言葉で、自分を観察しながら、冷静な文章を綴っています。嫌な仕打ちをする親や兄弟、或いは親類縁者への批判も、文章は抑制され、暴言がありません。

 これは、誰にでも真似のできることではありません。

 私と氏の共通項は、「めげずに生きている」・・という事実だけで、それ以外は、おそらく何もありません。しかし「めげずに生きる」という懸命さは、「人間の共通項」だと、私は思っています。

 話が飛躍しますが、保守党も野党も、「めげずに頑張る」という、「人間の共通項」を持っていますが、彼らは互いを非難し、糾弾します。議論の目的が、「相手を打ち負かす」ことにあり、何らかの「結論」や「妥協点」を生むことにありません。

 私とkiyasumeさんは、依って立つ場所が違っていますが、対話をしています。それは氏が、相手を頭から否定せず、普通の言葉で対応してくれるからです。

 7月の時点だったと思いますが、私はそんな氏と、次の4項目について、ブログにすると約束しました。

   1. 吉本隆明氏  2. 三島由紀夫氏  3. 宇宙戦艦ヤマト  4. カムイ伝

 その時私は、人物往来社が昭和41年に出版した、『近代の戦争』シリーズを読んでいました。

   1.  『日清戦争』   工学院大学教授 松下芳雄

   2.  『日露戦争』   東京大学教授 下村冨士夫

   3.  『第一次世界大戦』 早稲田大学教授 洞富雄

   4.  『満州事変』   武蔵大学教授 島田俊彦

   5.  『中国との戦い』  評論家 今井武夫

   6.  『太平洋戦争(上)』 早稲田大学助教授 大畑篤四郎

   7.   『太平洋戦争(下) 』 早稲田大学助教授 大畑篤四郎

 昨日予定した読書が終わりましたので、kiyasumeさんとの約束を果たします。長い前置きになりましたが、息子たちと「ねこ庭」を訪問される方々への報告です。

  1. 吉本隆明氏について、kiyasumeさんは『共同幻想論』と『遠野物語』を紹介してくれました。偶然にも、預かっている長男の本棚の中に、『共同幻想論』を発見しました。

  2. 三島由紀夫氏については本でなく、「決起の日の動画」をkiyasumeさんが送ってくれました。私の本棚に、三島氏の著作『葉隠入門』があります。

 今机の上に、『共同幻想論』と『遠野物語』、『葉隠入門』を置いています。私のブログは書評がメインですから、kiyasumeさんには申し訳ないことながら、「3.宇宙戦艦ヤマト」と「4.カムイ伝」につきましては、割愛させていただきます。

 『共同幻想論』の参考文献のひとつが、『遠野物語』ということなので、ここから始めます。たった三冊ですが、中身は皆、濃い本ばかりです。頑張ろうと思います。

 ただし、師も走ると言われる「師走」ですから、年末の大掃除、正月の準備と、それなりに慌ただしい日々です。年内にどこまで進めるかは不明です。

 追伸 :  kiyasumeさんへ   以下2点につき、お詫びします

     1. 貴方の承諾無しに、ブログを書きましたこと

     2. 他の方のコメントを全て削除していますが、貴方のコメントだけを表示していること

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『太平洋戦争 - 下 』 - 10 ( 大畑氏の 「東京裁判論」 )

2021-12-16 18:51:13 | 徒然の記

  今回は、氏の「東京裁判論」です。私は「復讐裁判」だと考えていますが、氏は「文明による裁判」と述べています。ファシズムの日本が、文明国によって裁かれたと、そういう意味なのでしょうか。

 「ポツダム宣言には、俘虜を虐待する者を含む、」「いっさいの戦争犯罪人に対しては、厳重な処罰を加えるべしと、ある。」「すでにドイツでは、昭和20年11月20日、」「ニュールンベルグ国際軍事裁判所が、開廷されていた。」

 「戦争裁判のうち、最も重要なのはA級戦犯の裁判で、」「極東軍事裁判所条例によれば、平和に対する罪(A)、通例の戦争犯罪(B)、人道に対する罪(C)に関し、」「個人責任を裁くこととしていた。」

 「東京裁判は、昭和21年5月3日に開かれ、この日起訴されて被告席に並んだ者は、」「いずれも日本を動かしてきた人物である。」「中でも発狂した大川周明は、水色のパジャマを着て、」「落ち着かずに座っていた。」

 この辺りは、多くの本が出ていますから、知っている人が多いと思いますが、氏の著書に沿って転記します。

 「原告はアメリカ、イギリス、ソ連、中国、フランスなど、11ヶ国であった。」

 キーナン主席検事の起訴状朗読の後、日本側弁護人の清瀬一郎氏による異議が出されたが、全て却下されます。続いて6月24日に行われたキーナン氏の、冒頭陳述が紹介されています。

 「被告らは、文明に対して宣戦した。」「民主主義とその基礎を破壊しようとして、侵略戦争を計画し、」「準備し、開始した。」「被告らは多くの人々を殺し、征服し、奴隷化してきた。」

 このような理由で日本が裁かれるのなら、イギリス、オランダ、フランスも同罪です。武力に勝る彼らが、無抵抗なアジアの国民を一方的に殺戮し、奴隷化した事実はどうなるのでしょうか。もう一度、先日のデータを確かめて見ましょう。

 〈 イギリスの植民地と統治期間 〉

   ビルマ ( 124年間  )   マレーシア ( 123年間  )  インド ( 99年間  ) 

 〈 オランダの植民地と統治期間 〉

   インドネシア ( 300 ~ 350年間  )  

 〈 フランスの植民地と統治期間 〉

   ラオス ( 80年間  )   カンボジア ( 60年間  )  ベトナム ( 79年間  ) 

 「今行われようとしているのは、通常の裁判ではなく、」「全文明を破滅から救うための、文明の断固たる闘争の一部である。」「被告らを裁くのは、文明である。」

 キーナン氏がこのような演説をしていたとは、知りませんでしたが、現在氏については、次のような情報があります。

 「キーナンは、警察業務を統括する司法省刑事部局長に就任し、ギャングや誘拐犯等の検挙、取り締まりを指揮し、司法長官補にまで昇進した。」

 「第二次大戦後に、それまでの功績を買われ、トルーマン大統領から、」「日本の戦争犯罪者捜査の、法律顧問団団長に任命された。」

 「キーナンは司法省での経験を活かし、日本軍閥に対して、」「〈 ギャング退治 〉の意気込みを以って臨み、満州事変前後から敗戦までの日本の動きを、」「〈 犯罪的軍閥 〉による、侵略戦争の推進と考えた。」

 いくら左系の学者と言っても、ここまで自分の国がおとしめられて、黙っていられるものでしょうか。氏が本を書いた当時は、まだ、キーナン氏に関する情報が公開されていなかったのかもしれません。

 「この裁判で、国民の知らない多くの事実が明るみに出された。」「開戦に至るまでの事情、経過や、占領地での残虐行為が、」「これほどまとまった形で、国民に知らされたことはなかった。」

 裁判資料に基づいて、氏の著作が執筆されているのだと思いますが、「文明による裁判」という言葉は、どこから生まれているのでしょう。占領地の残虐行為とは、おそらく「南京事件」を指しているのでしょうが、今では捏造事件という意見が大勢を占めています。

 「この裁判では、多くの被告の責任逃れの発言が目立った。」「ドイツの裁判では、被告は、自分がやった、」「自分が指示したと、自己の行動に確信を持っているように、」「胸を張って答えた。」

 「これに対して東京裁判では、被告や弁護側の主張の辻褄を合わせていくと、」「最終責任が、どこかへ行ってしまうか、」「わからない例が多かった。」「しいて言えば、天皇の責任ではないということであった。」

 独裁者のいたドイツと日本を、一緒にして語るのは間違いだと、まだ氏は気づいていません。陸海軍の対立をあれほど説明していながら、キーナン検事の法理論の破綻に触れません。

 「キーナン検事の法理論」とは、

 「28人の被告の、全面的共同謀議により、」「侵略戦争が計画され、準備され、実施された」、という理論です。総理大臣が短期間で何人も変われば、責任の所在も不明になって当然です。ヒトラーという一人の独裁者が、戦争の開始から終了までいた国と、日本の違いを、氏はなぜ読者に説明しないのでしょう。

 「裁判では、連合国側の不法行為や、戦争責任の問題は取り上げられず、」「証拠の採用や、さらには判決の内容にも問題が多く、」「文明の名を借りた報復裁判、勝者の裁判という批判も高い。」

 「しかしそのために、国民を戦争と破壊に追いやった、」「指導者の責任追及を忘れ去ったり、」「戦争法規違反や、占領地での不法行為、」「残虐行為に、頬かむりすることがあってはならない。」

 これが、氏の「東京裁判論」のまとめです。キーナン検事の冒頭陳述と双璧をなす意見、と私には思えます。やはり氏は、駆除すべき「反日左翼学者」です。あまり自分の意見を述べますと、GOO事務局から「不適切表現」の指摘をされるので、ここで終わりましょう。( あやかさんへのご返事は、諸般の事情により、今回のブログで替えさせて頂きたく。ご理解ください。 )

 左系学者について、私が説明しなくとも、「ねこ庭」を訪問される方々には伝わると思います。長いシリーズも本日で終わり、明日からは別の本を読みます。

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『太平洋戦争 - 下 』 - 9 ( 大畑氏の「太平洋戦争論」 )

2021-12-16 08:36:13 | 徒然の記

 前回は、加藤教授の「戦争時の指導者の無謀さ批判」を紹介しました。本日は、大畑氏の「太平洋戦争論」を紹介します。

 「この戦争では、自由主義 ( 資本主義 ) 陣営と社会主義国のソ連とが手を握り、」「ファシズム陣営に対抗し、共同して戦った。」「それは国家的利害にもよるが、やはりファシズムが、」「人類にとって、忌まわしいものだったからである。」

 「ファシズム」と言う言葉を、氏がどのような意味で使っているのか。最初に浮かぶ疑問です。三省堂の大辞林には、次のように書かれています。

  1. 「第一次大戦後に現れた、極端な全体主義的、排外的政治理念、またその政治体制」

  2. 「自由主義を否定し、一党独裁による徹底した専制主義、国粋主義をとり、」「指導者に対する絶対的服従と、反対者に対する過酷な弾圧政策」」

  3.「対外的には反共を掲げ、侵略政策を取ることを特徴とする」「イタリアのファシスト党に始まる。」

 3. 番目の説明がなければ、習近平氏の中国のことか、あるいは、金正恩氏の北朝鮮かと、そんなふうに受け取る人がいるのではないでしょうか。

 「ファシズム」と言う用語が、世界で一人歩きし、多くの人が相手を批判する時に使う便利な言葉になっています。ネットで調べますと、次のような説明が並んでいます。

 1.「ファシズム」という用語は、単なる全体主義や軍国主義の意味で使われたり、特に社会主義の立場からの、政治的なレッテル貼りにも多く使われた。

 2. 第二次世界大戦中になると、連合国側が、ファシズム・ファシストを厳密な意味ではなく、枢軸国とその国民に対する一、般的な悪口や蔑称として使用するようになった

 3. 政治学の論文では、通常は権威主義的な傾向を意味するが、左翼や右翼両方の信奉者が、敵対者を中傷するための軽蔑的な悪口としても使っている。

 息子たちと「ねこ庭」を訪問される方々には、物好きで疑問を持っているのでないことが、分かってもらえたのではないでしょうか。「大辞林」ではファシストの例として、イタリアを上げていますが、多くの場合はヒトラーのドイツです。

 そのヒトラーが、昭和2年の演説で、ナチスは「社会主義者」だと語っています。演説の一部を紹介します。

 「我々は社会主義者である。」「我々は、その不公正な賃金や、人間を責任感や能力でなく、」「富と財産により不適切に評価し、経済的な弱者を搾取している、今日の資本主義経済体制を、敵とする。」

 「そして我々は、この体制をいかなる場合でも、完全に打倒する事を決定する。」

 ヒトラーは、ドイツのナチスが「国家社会主義」であると主張し、当然ですが「ファシズム」とは言っていません。

 このように掴みどころのない言葉ですから、読者である若者たちのためには、定義をすべきではなかったのかと思います。

 「人類にとって忌まわしいファシズム」と簡単に言い、戦前の日本を含めているのだと思いますが、これでは私の疑問が解けないままです。

 日本にとって大東亜戦争の大義は、西欧列強とソ連の侵略から日本を守るための、「自衛戦争」でした。日韓併合、満州国の独立と進むにつれ、中国と韓国にはこれが、「日本による侵略」となります。歴史を知らない学生も読むのですから、いつから日本が「ファシズム」の国となったのか、どうしてそうなったのかを説明すれば良いのに、と思います。

 氏の「太平洋戦争論」には、続きがあります。

 「戦争中手を握っていた、この二つの勢力は、」「戦後、激しく対立するようになり、」「社会主義陣営は、一層強化されるようになった、」「アメリカは反ファシズムよりも、反共を国策の基本とし、」「今や、反共ならどんな政権でも良いと、言われるほど、」「ファッショ的な右翼政権でも、支持と援助を与えるようになった。」

 ここからは、「人類にとって忌まわしいファシズム」を支援する、アメリカについての説明です。

 「そう言う政権は、多く後進国・低開発国に見られるが、」「それらの地域では、同時に民族解放闘争が進展している。」「まだ国内の建設は不十分であるが、反帝国主義、反植民地主義、民族独立主義を叫ぶ、」「アジア・アフリカの勢力が、国際政治に大きな発言権を持つようになった。」

 氏は左系の学者ですから、アメリカに対峙する勢力を評価するのは当然です。アメリカは、「人類にとって忌まわしいファシズム」を支援する国なのです。

 「その中にあってアメリカは、極めて保守的である。」「日本もまた、そうしたアメリカの陣営に組み込まれている。」「これが現代の日本を取り巻く、国際的な環境である。」「この現実をしっかりと見つめ、世界の中での、」「これからの日本の進路を、見据えなければならない。」

 氏はこのように言いますが、私の疑問はそのままです。「日本は本当に、ファシズムの国だったのだろうか。」

 三省堂の大辞林の説明をもう一度、読みましょう。

「自由主義を否定し、一党独裁による徹底した専制主義、国粋主義をとり、」「指導者に対する絶対的服従と、反対者に対する過酷な弾圧政策」」

 この説明が正しいとするのなら、日本は「ファシズム」の国ではありません。「指導者に対する絶対的服従」、「反対者に対する過酷な弾圧政策」」をとった人物は、日本の歴史にいません。それをしているのは、習近平氏の中国であり、金正恩氏の北朝鮮であるような気がします。

 氏の説明が十分でないため、私ばかりでなく、氏の著書を読む読者も疑問を抱くのではないでしょうか。原因は、曖昧な「ファシズム」と言う言葉を、定義せずに使ったところにもあります。

 次回は、もう少し、氏の意見に耳を傾けたいと思います。

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『太平洋戦争 - 下 』 - 8 ( 毛沢東の『持久戦論』 )

2021-12-15 10:19:37 | 徒然の記

 本日は、左翼系学者・東大教授加藤陽子氏の意見について、述べます。今後は、自分と違う意見を持つ人に対し、私が感じた疑問点に絞って語ろうと思います。

 強い反論や批判は、相手を感情的にするだけでなく、読んでいる第三者にも不快感を与えると言うことが分かりました。今日、テレビの国会中継を見ていたら、若い野党の議員が岸田総理に質問をしていました。

 自民党の失点を取り上げ、大声で追及し、居丈高に問い詰めると言うのが、従来の国会質疑でしたが、何がどうなったのか、穏やかな質疑でした。これまでは、相手をなじるだけの質問で、不毛な議論でしたから、テレビのスイッチを切っていました。重要な事案は相手を尊重しつつ、冷静に話すことが大事・・、どこまで実行できるのか自信はありませんが、今日はテレビでそれを教えられました。

 本題に戻り、私が感じている加藤教授への疑問を述べます。

 日本とアメリカの国民総生産、鋼材生産量、自動車保有台数、石油生産量などの数字を比べていますが、むしろ比較すべきは、日清・日露戦争と、「日中戦争」・「大東亜戦争」の歳月ではないでしょうか。戦争開始から終了までの期間を調べますと、次の通りです。

   1. 日清戦争・・10ヶ月   2. 日露戦争・・1年2ヶ月

  3. 日中戦争・・5年間     4. 大東亜戦争・・4年間

 日清戦争も日露戦争も、現在の目で数字を見ればそうでないと思えても、当時の指導者には大変な彼我の差だったはずです。だからご先祖さまたちは、開戦と当時に終戦工作にかかっています。日本を理解し、支援してくれる国を見つけ、戦争遂行に劣らない力を注いでいました。

 薄氷を踏む勝利でしたが、諸外国が日本の負けを思い描く中での戦勝です。日本は短期決戦であれば力が発揮できますが、何年もかかる戦いでは、国力が持ちません。分かっているはずなのに、なぜ昭和の指導者たちは、力を超える長期戦をしたのか。

 ここに先の戦争を解く鍵があるのではないかと、私は思います。

 「中国との戦争は、3ヶ月で終わらせる。」「米英との戦いは、半年もあれば目処がつく。」

 緒戦の勝利の華々しさが、指導者たちの緊張感を失わせ、驕りを生じています。信頼できないヒトラーのドイツに心酔し、振り回された失敗の大きさも手伝いました。加藤教授の語る、アメリカとの国力の差、生産力の差も、短期決戦なら負けないと言う自信の前では、無視されていたのではないでしょうか。だから私は、氏の語る数字説を、敗戦後の日本から見た「結果論」ではないかと考えてしまいます。

 「日本が戦争をやめようと思っても、火つけ強盗が火事を起こすから、引きずられてしまった。」

 今でも林房雄氏の言葉を正しいと受け止めていますが、コミンテルンの指示を受けた毛沢東の『持久戦論』が、その火事の一つでしょう。

 コミンテルン、毛沢東、そして蒋介石を支援する米英の反日勢などにより、日本は、抜けるに抜けられない戦争に引き摺り込まれていたと言えます。図式にすれば、蒋介石と日本は、世界の資本主義勢力と共産党勢力の代理戦争をさせられていたという、一面も見えます。

 緒戦の戦果に酔って自信をつけ、国際情勢を見誤ったところが、昭和の指導者の失政であろうと、私は考えます。しかもこの失政は、後世の私たちが言うほど、簡単に気づけないものでした。

 昭和13年に毛沢東が発表した、『持久戦論』の一部をもう一度読んでみましょう。

 〈 持久戦論 〉

  ・戦争の勝利を得るのは、正規軍による戦闘だけではない。

  ・一般大衆を立ち上がらせ、これと組んでゲリラ戦をやることが極めて重要だ。

  ・人間そのものが武器であり、中国には億単位の武器がある。

  ・最終的には、中国の「人民ゲリラ戦」が必ず勝利を収める。

 当時の中国の人口がおよそ13億人で、毛沢東は、一億人の人間を武器として消耗しても、国のためなら当然と考えていたと言われています。日本の人口が7千万人くらいの時ですが、この数字についても、昭和の指導者は注目していません。と言うより、気づけなかったのではないでしょうか。

 正規軍の戦いしか知らない日本の指導者は、簡単に退却していくゲリラを見ながら、「敵の敗走」と考え、「自軍の勝利」と思い込み、彼らに引きずられ、泥沼の戦争に誘われました。毛沢東の『持久戦論』を、もう少し読みましょう。

〈 『持久戦論』続き 〉 

 「敵側は、中国の泥沼に落ち込んだ数十個師団の軍隊を、」「そこから、引き出すことができない。」「広範な遊撃戦と、人民の抗日運動とが、この大量の日本軍を疲労困憊させる。」「一方では兵を大量に消耗させ、また他方では、彼らの郷愁、厭戦の気分を反戦にまで発展させて、」「この軍隊を瓦解させるであろう。」

 「日本は資本が欠乏しており、また遊撃隊に苦しめられているので、」「急速に、大掛かりに、成功することは不可能である。」

 「中国が独立国となるか、それとも植民地となり下がるかは、」「第一段階における大都市の喪失によって決まるのでなく、」「第二段階における、全民族の努力の程度によって決まる。」

 「この第二段階は、戦争全体のうちでは過渡的段階であり、」「また最も困難な時期でもあるが、しかしそれは、転換のための枢軸である。」

  「もし抗戦を維持し、統一戦線を堅持し、持久戦を堅持することができれば、」「中国はこの段階で、弱いものから強いものに変わっていくだけの力を、獲得するであろう。」

 この上で加藤教授の意見を読み直しますと、

 「日本は、世界を敵としてしまった。」と言う言葉の正しさが分かります。ドイツと組み、イタリアと組み、スターリンのロシアと便宜的提携をすることにより、日本は孤立しました。しかも提携した相手から、最後には裏切られます。

 「当時の指導者たちは、絶対的な差を克服するのが "大和魂 " だとした。」「国民をまとめるには、〈 危機を扇動する方が良い 〉と判断した。」

 そうでなく戦争の末期になると、指導者たちは正常な判断ができなくなり、「大和魂」も「危機の扇動」も、考えた上での政策と言うより、そうしかできないところまで追い詰められていた・・と言うのが事実ではなかったのでしょうか。

 加藤氏の意見の紹介は、本題でありませんので、次回は大畑氏の著作に戻ります。

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『太平洋戦争 - 下 』 - 7 ( 戦争指導者の無謀さ批判について )

2021-12-14 17:16:48 | 徒然の記

   1.  『日清戦争』   工学院大学教授 松下芳雄

   2.  『日露戦争』   東京大学教授 下村冨士夫

   3.  『第一次世界大戦』 早稲田大学教授 洞富雄

   4.  『満州事変』   武蔵大学教授 島田俊彦

   5.  『中国との戦い』  評論家 今井武夫

   6.  『太平洋戦争(上)』 早稲田大学助教授 大畑篤四郎

   7.   『太平洋戦争(下) 』 早稲田大学助教授 大畑篤四郎

 予定していた本を、本日読み終えました。左翼系の学者とマスコミが言う「忘れてはならない戦争」とは、上記の戦争のどれを指しているのでしょうか。

 大きく分けると、二つの考え方があるようです。

 1.  保守系学者

   ・幕末の下関戦争、薩英戦争を含む、上記 1. 以降、7. 番目までの戦争を言う

   ・ひっくるめて「大東亜百年戦争」

   ・単に「大東亜戦争」と言う場合は、昭和16年から昭和20年にかけ、日本と連合国が戦った戦争

   ・連合国側は「太平洋戦争」、日本は「大東亜戦争」と言った

 2.  左翼系学者

   ・左翼系学者 A は、上記 1. 以降、7. 番目までの戦争をひっくるめた「戦争」を言う

   ・左翼系学者 B は、東京裁判の対象となった「太平洋戦争」を言う

 私の知る限りでは、左翼系学者 Aは反日でなく、日本を大切にする人物が多く、反日となるのは左翼系学者 Bです。左翼系学者は、A、Bに拘らず、弱い者に愛を注ぐ博愛主義者が多く、もともと悪人ではありません。

 貧しくて弱い立場にいる人間を、酷使する権力者(経営者等)を許さない点では、保守も左翼もありません。私と彼らが共通するのは、金儲けだけを考え、人間を無視する権力者(経営者等)への怒りです。かって自民党の金権腐敗政治を嫌悪し、国民の多くが民主党に投票したのは、ここに共通点がありました。

 保守と左翼の違いが、どこから生じるかといえば、次の2点でしょう。 

   1. 保守は、八百万( やおよろず )の神が存在する「神道」の流れを汲む、土着思想を信じる

     2. 左翼は、マルクス主義と言う「一神教」を、科学的社会主義として信じる

 簡単言えばこう言う話ですから、左翼系学者は、弱い者に愛を注ぐ人道主義者が多く、学生時代の私や息子たちが、彼らの意見に惹かされても不思議はありません。

 大切なことは、二つの思想の「行き着く先」がどこなのかです。極論に走れば、いずれの思想も国民を不幸にします。

  1. の極論が、異論を許さない「神州不滅の大日本帝国論」 

  2. の極論が、異論を許さない「科学的社会主義マルクス論」

 「イギリス、オランダ、フランスなどの植民地として、圧政に苦しんでいた南方諸民族の間には、」「兼ねてから民族自立を求める風潮が強く、特にロシア革命後は、」「共産主義的思想を拠り所とした、民族解放運動が根強く続けられていた。」

 解説を読めば分かる通り、大畑氏は左翼系学者で、「共産主義的思想を拠り所とした、民族解放運動」を評価しています。強国に抵抗する手段を持たず、支配された弱い彼らの独立への共感は、共産主義的思想を拠り所にしなければ、私も同じです。かって伊藤博文は、満州について次のように述べています。

 「満州は、決して我が国の属地ではない。」「属地でもない場所に、わが主権の行わるる道理はないし、拓殖務省のようなものを新設して、事務をとらしむる必要もない。」「満州の行政責任は、よろしくこれを清国に負担せしめねばならぬ。」

 民族独立の重要性を認め、満州国の創立に賛成しないのは、左翼系学者だけでないと知っておくことも大事です。

 左翼系学者・東大教授加藤陽子氏が、「太平洋戦争」について次のように解説しています。

 「人間の常識を超えて、学問から導かれる判断をも超えて、戦争は起こされた。」「日本は、世界を敵としてしまった。」

 「当時のアメリカと日本の国力の差は、国民総生産では12倍、鋼材は17倍、」「自動車保有台数は160倍、石油は721倍あった。」「これだけの差があれば、普通は戦争など考えない。」

 「当時の指導者たちは、絶対的な差を克服するのが「大和魂」だとした。」「国民をまとめるには、〈 危機を扇動する方が良い 〉と判断した。」

 国運を賭した大戦争と言われた、日清・日露戦争時の数字を紹介しながら、氏の意見の妥当性を考えてみましょう。青字が日本で、黒字が清国、ロシアの数字です。

 日清戦争  兵力 24万人    63万人   戦艦  6万トン   8.5万トン

 日露戦争  兵力 109万人   208万人   戦艦  26万トン   51万トン

 日清戦争当時、眠れる獅子と称された清国のGDPは、世界一と言われ、日本はその5分の1でした。ロシアのGDPは1063億ドルで、日本はその10分の1の、370億ドルでした。

  これらの数字を比較し、氏は日本の指導者たちの無謀さを語り、戦争責任に言及します。しかし私は別の観点から、大東亜戦争時の指導者の無謀さを説明します。次回は、それについてご報告いたします。

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NHKの 「真珠湾特集」番組

2021-12-11 21:27:46 | 徒然の記

 今年は、真珠湾攻撃から80年が経つ節目の年だということで、NHKが特集番組を作っています。

 12月8日と12月11日(本日)、偶然NHKの番組を見て、それが分かりました。最初は、どうして何度もNHKが、戦争の記録を取り上げるのかと不思議でしたが、今は理解しています。

 12月8日に見たのは、 「しぶ5時」という番組の中で、「太平洋戦争開戦80年」が扱われていました。

 12月11日(本日)見たのは、「あの日あの時あの番組」「太平洋戦争80年 日本人はなぜ戦争へと向かったのか。」というドキュメントでした。調べてみますとNHKは、関連する番組を4本作っていました。

     1. NHKスペシャル  新・ドキュメント太平洋戦争
    「1941 第1回 開戦(前編)」

                    【放送予定】12月4日(土)[総合]後9:00~9:49

  2. NHKスペシャル 新・ドキュメント太平洋戦争
    「1941 第1回 開戦(後編)」

        【放送予定】12月5日(日)[総合]後9:00~9:49

        3.   歴史探偵「写真で迫る真珠湾攻撃のリアル 若者たちは何を感じたのか?」

             【放送予定】12月8日(水)[総合]後10:30~11:15

   4.   あの日あのときあの番組「太平洋戦争80年 日本人はなぜ戦争へと向かったのか」

         【放送予定】12月11日(土)[総合]後3:05~4:15

 私が見たのは、青字で表示した2本でした。わざわざブログで取り上げるのには、理由があります。現在書評をしている『近代戦争シリーズ』と、中身が重なるからです。

 しかもこの書評のブログに関し、GOO氏事務局のスタッフから、

 「一部の表現内容が不適切な表現に繋がる恐れがあるため、文章の一部を加工しています」、という警告までもらっています。

 GOO事務局が、なぜ私のブログに警告を出したのか、NHKの特集番組を見ながら、自分なりに納得しました。今回はその内容を、息子たちと、「ねこ庭」を訪問される方々にお伝えしようと思います。

 それこそ、「ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言」と、聞き流していただければ結構です。

 まず最初に、青字で表示した2本の番組に関するNHKの説明を紹介します。

 〈 1.    3の説明 〉

  「パイロットとして出撃する直前に撮られた宴会写真。満面の笑みの裏には、どんな思いがあったのか?」「仲間で撮った集合写真。なぜ、1人だけ白く塗りつぶされてしまったのか?」「さらに、日本人捕虜第1号として、絶望のどん底に落ちた若者を救った、ハワイの謎の老人とは?」      

 〈 2.    4の説明 〉

  「勝ち目がないことを知りつつ、重大案件を先送りし、」「 “ 決意なき開戦 ” に追い込まれていった、リーダーたちの姿をとおし、」「21世紀の日本に生きる私たちにもつながる、教訓について考える。」

  番組の中では、一般国民の声が伝えられています。

「映像を見ることで、戦争や平和について考えてほしいと訴えます。」 

「戦争がどれだけ悲惨かを、わかってほしい。映像を見て考えていただきたい」

 いつもの報道ではないかと、ほとんどの人が気にかけないのでしょうが、しかしもう一度、〈 2.    4の説明 〉を読んでください。この文章は、私たち日本人が乗り越えなくてならない「東京裁判史観」が、そのまま生かされています。

 戦死した山本五十六長官の遺族にあたる老婦人が、インタビューを受け、「私たちは、もう一度あの時のことを反省しなければなりません。」と答えられています。日本人にだけ反省を強いているという風はなく、上品で温和な老婦人の話ですから、大抵の人は素直に聞きます。

 NHKの報道の仕方は、いつもこのように、さりげなく、客観的であるかのように、視聴者に訴えます。しかしここには、亡くなられた方々への哀悼の念がありません。「軍国主義の政府と強権支配の軍によって、戦場へ送られ、大切な命を失った気の毒な人」という、見方だけが強調されています。亡くなられた多くの方の「尊い犠牲」の上に、今の私たちの平和な暮らしがあるという、感謝の気持ちは決して語られません。

 大東亜戦争の事実が判明している現在になっても、「軍や政府に騙された。」「二度と同じ過ちを繰り返さないよう、反省しなければならない。」と、NHKは戦後70余年間発信した主張を、懲りることなく繰り返しています。

 「NHKの報道特集取材班には、日本人がいないのだろうか。」

 このようなドキュメンタリー番組を見る時、私はいつも疑問に思います。公共放送にふさわしい素晴らしい番組を、たくさん制作し、多くの国民の役に立っていながら、政治絡みのドキュメンタリー番組だけは、常に「日本が悪い国」となり、「過去を反省すべき国」として描かれます。

 だから私は、NHKの中にいる、こうした番組を制作するスタッフを、「反日左翼」と呼びます。スタッフが役員なのか、幹部なのか知りませんが、こうした役員クラスのスタッフを、「報道の自由」の理屈で擁護するのが、反日左翼の学者です。

 裕福なNHKには、お抱えの学者や教授が結構な報酬で雇われています。だから私は、こうした学者たちを、「駆除すべき害虫」と呼びます。

 さてそこで、いよいよ、「ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言」です。

 GOOを運営しているのは、「エヌ・ティ・ティレゾナント株式会社」で、東京都港区にある、NTTグループの企業です。筆頭株主は、NTTコミュニケーションズで、楠木健氏が代表取締役社長です。
 
 天下のNHKが、組織をあげて「東京裁判史観」を全国へ発信し、「日本人へ反省」を促している時、これに逆らうようなブログを許してはならないと、暗黙の指示が出され、運悪く私のブログも網にかかった・・と、これが私の結論です。
 
 「一部の表現内容が不適切な表現に繋がる恐れがあるため、」という警告の意味も分かります。GOOスタッフから、何が不適切発言なのか回答はありませんが、その必要も無くなりました。
 
 「東京裁判史観の払拭」、「反日左翼学者は駆除すべき害虫」・・こういう私の言葉は、彼らからすれば「不適切な表現」になります。「異論を認めない同調圧力」や「世論に流された国民の熱狂」が、先の大戦の原因だったと、NHKのアナウンサーが語っていますが、彼らのやっていることも、「異論を認めない同調圧力」なのに、そんな反省はないようです。
 
  NTTも、天下のNHKには気を使い、ブログの世界にまで干渉しました。彼らは、「言論の自由」を尊重する組織なのに、果たして多くの国民はなんと受け止めるのでしょうか。
 
 
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『太平洋戦争 - 下 』 - 6 ( 参考情報 2 )

2021-12-10 19:35:45 | 徒然の記

  私がこだわるのは、日本の占領統治に関する氏の説明です。アジア諸国を支配してきた、イギリス、オランダ、フランス、アメリカのそれと比較した時、氏の説明は日本の状況を、正く読者へ伝えているのかと疑問が残ります。

 〈 イギリスの植民地と統治期間 〉

   ビルマ ( 124年間  )   マレーシア ( 123年間  )  インド ( 99年間  ) 

 〈 オランダの植民地と統治期間 〉

   インドネシア ( 300 ~ 350年間  )  

 〈 フランスの植民地と統治期間 〉

   ラオス ( 80年間  )   カンボジア ( 60年間  )  ベトナム ( 79年間  ) 

 〈 大畑氏の説明 〉  

 「日本は3年半にわたる南方占領中に、現地の住民と資源を絞れるだけ絞り、」「全て日本の戦争遂行手段として、使い果たそうとした。」「赤道をめぐる宝庫とまで言われた地域が、飢餓線上に追い詰められたのである。」

 下記に示す通り、昭和18、19年は、日本が敗戦への道を転げ落ちている時です。本土を守ることで精一杯になっていたため、アジア諸国の統治が杜撰になったのも、分からないではありません。氏に言わせれば、都合の良い言い訳となるのかも知りませんが、欧米諸国の統治との比較を、全くしないのは学問的に客観性に欠ける説明です。

 〈 日本の戦況 〉

  昭和18年 5月 アッツ島守備隊玉砕

  昭和18年10月 明治神宮外苑で、学徒壮行会

  昭和19年2月 クェゼリン島、ルオット島、グリーン島守備隊玉砕

  昭和19年4月 独ソ和平斡旋案をソ連に申し入れ、拒否される

  昭和19年6月 マリアナ沖海戦 日本陸海軍大敗

 ネトウヨの意見と軽視されても、一言言っておく必要があります。以下のように内閣が目まぐるしく変わりながら、それでも日本は自衛のための「大東亜戦争」を戦っていました。陸軍と海軍の対立を抱えながら、非情な国際社会で、孤軍奮闘した政治家や軍人に、氏はなん考慮もしないのでしょうか。

 〈 内閣の変遷 〉

     1. 近衛内閣  昭和12年6月から、14年1月まで

     2. 平沼内閣  昭和14年1月から、14年8月まで

     3. 阿部内閣  昭和14年8月から、15年1月まで

     4. 米内内閣  昭和15年1月から、15年7月まで

     5. 近衛内閣  昭和15年7月から、16年7月まで (・・第二次近衛内閣  ) 

     6. 近衛内閣  昭和16年7月から、16年10月まで (・・第三次近衛内閣  ) 

     7. 東條内閣  昭和16年10月から、19年7月まで 

 「参考情報2」のため、詳細の説明が次回に延びましたが、本日は息子たちと「ねこ庭」を訪問される方々へ、もう一つの報告があります。

 12月8日の『太平洋戦争 - 下 』 - 4 ( 氏の説明と別の意見 ) のブログに、GOO事務局から、次の警告メッセージが書き込まれました。

  一部の表現内容が不適切な表現に繋がる恐れがあるため、文章の一部を加工しています

 何度か読み返しましたが、どこにそのような表現があったのか、今も分からないままです。GOOのブログにはお世話になっていますので、苦情を言いたくありませんが、不親切な気がします。どこかの国のネットのように、利用者への干渉を始めたのでしょうか。

 そうでないことを願いつつ、今回は終わりとします。

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『太平洋戦争 - 下 』 - 5 ( 参考情報 )

2021-12-10 15:44:24 | 徒然の記

 75ページまで読みました。タイトルは「大東亜共栄圏の夢」で、サブタイトルが「たそがれの大東亜共栄圏」です。

 ここでもう一度、巻末に掲載されている氏の履歴を確認します。

 「昭和4年東京生まれ、早稲田大学文学部卒」「同大法学部教授、専攻・政治、外交史」

 存命であれば今年92才ですが、今は亡くなられているようです。著名な学者でなかったのか、これ以上のデータが見つかりませんでした。37才の時に書かれたこの本は、意気軒昂な時期の自信作だったと思われます。

 昭和20年の敗戦以後、昭和30、40、50年代と、反日左翼学者の本が、日本中に溢れていたことを思えば、氏を取り立てて批判する必要性も薄れます。「赤信号、みんなで渡れば怖くない」という、流行の中での出版物です。

 今は流れが変わり、若くて元気な、保守を自認する学者が、「赤信号、みんなで渡れば怖くない」と、反日左翼の学者たちを批判しています。私はあまり関心がありませんので、自分の信じる道を歩きます。

 30ページ以降、フィリピン、ビルマ、インドネシアにおける日本の統治についての説明です。「たそがれの大東亜共栄圏」という表題で分かる通り、これらの国で失敗した日本統治の解説です。負けた日本の話ですから、どのように批判しても自由で、むしろ酷評するほど本が売れた時代です。

 「歴史的にこれを見るならば、日本ほど、」「アジアを、白人の植民地支配から離脱させることに貢献した国はない。」

 「しかしまた、その解放を助けたり、」「多くの事柄に範を示してやった諸国民から、」「日本ほど誤解を受けている国はない。」

  ビルマのバー・モウ元首相の言葉でしたが、「たそがれの大東亜共栄圏」の中で、大畑氏が私の知らない事実を紹介しています。省略せず、息子たちと「ねこ庭」を訪問される方々に紹介しようと思います。氏の意見がどの程度正しいのかが、見えてくるのかもしれません。

 詳細は次回からといたしますが、予備知識として、フィリビン、ビルマ、インドネシアの統治に、日本が関与した年代を一覧にします。

 〈 フィリピン 〉

  昭和17年 1月 東條内閣 フィリピン新政府行政機構確立

  昭和17年 2月 東條内閣 フィリピン臨時政府事務開始  

 〈 ビルマ 〉

  昭和18年 1月 東條内閣 ビルマ独立施策決定

  昭和18年 3月 東條内閣 ビルマ独立指導要項決定 バー・モウ長官来日

  昭和18年 8月 東條内閣 ビルマ独立宣言 対英米宣戦

 〈 インドネシア 〉

  昭和18年11月 東條内閣 大東亜会議開催 ジャワ参議院議員スカルノ来日

  昭和19年 9月 小磯内閣 独立運動の激しさから、インドネシア独立を認める声明発表

  昭和20年 8月 鈴木内閣 インドネシア共和国建国宣言 ( スカルノ )

 当時の日本の戦況についても、一覧で示します。

 〈 日本の戦況 〉

  昭和18年 5月 アッツ島守備隊玉砕

  昭和18年10月 明治神宮外苑で、学徒壮行会

  昭和19年2月 クェゼリン島、ルオット島、グリーン島守備隊玉砕

  昭和19年4月 独ソ和平斡旋案をソ連に申し入れ、拒否される

  昭和19年6月 マリアナ沖海戦 日本陸海軍大敗

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『太平洋戦争 - 下 』 - 4 ( 氏の説明と別の意見 )

2021-12-08 17:23:10 | 徒然の記

 「大東亜会議」に出席したバー・モウ氏は、ビルマの初代首相ですが、戦後に氏が語っている言葉を紹介します。この意見の方が、私たちの胸に響くのではないでしょうか。

 〈 バー・モウ元首相 〉・・ビルマ
 「歴史的にこれを見るならば、日本ほど、」「アジアを、白人の植民地支配から離脱させることに貢献した国はない。」「しかしまた、その解放を助けたり、」「多くの事柄に範を示してやった諸国民から、」「日本ほど誤解を受けている国はない。」

 なぜそうなるのかについて、具体的に語られていませんので、現在の私たちが考えなくてなりません。

 氏の本が出版された9年後に、タイの首相になったククリット・プラモート氏が、日本について語った言葉があります。こういう考えがあるという事実も、参考にして頂けたらと思います。

 〈 ククリット・プラモート元首相 〉・・タイ
 「日本のおかげで、アジアの諸国はすべて独立した。」「日本というお母さんは、難産して母体をそこなったが、」「生まれた子供は、すくすくと育っている。」「今日東南アジアの諸国民が、米英と対等に話ができるのは、」「いったい誰のおかげであるのか。」「それは身を殺して、仁をなした、」「日本というお母さんがあったためである。」
 
 「12月8日は、我々にこの重大な思想を示してくれたお母さんが、」「一身を賭して、重大な決意をされた日である。」「さらに8月15日は、我々の大切なお母さんが、」「病の床に伏した日である。」「われわれは、この二つの日を忘れてはならない。」
 
 得意になってはダメですが、こういう意見を述べる政治家もいました。日本では、NHKと朝日新聞が先頭に立ち、敗戦後72年間、「日本はアジア諸国を侵略した。」と悪口を拡散し、大畑氏のような学者が反日の書を出版していた事実と合わせますと、戦後の歪みが見えてきます。
 
 平成6年、当時の村山首相が、土井たか子衆議院議長と共にマレーシアを訪問しています。この時マハティール首相が、二人に語った言葉を紹介します。
 
  〈 マハティール・ビン・モハマド元首相 〉・・マレーシア
 「日本が、50年前に起きたことを謝り続けるのは、理解できない。」「過去のことは教訓とすべきだが、将来に向かって進むべきだ。」
 
 「日本は、これからのアジアの平和と安定のため、」「国連の安保常任理事国となり、すべての責任を果たしてほしい。」「過去の反省のため、日本がPKOの派遣もできないのは、」「残念なことだ。」
 
 社会党の党首でもあった村山富一首相と、土井たか子衆議院議長は、帰国してもマハティール氏の言葉を国民に伝えず、マスコミも得意の「報道しない自由」で、ほとんど記事にしませんでした。
 
 次に、日本問題の専門家として、GHQに在籍していた人物の話を紹介します。
 
 〈 ヘレン・ミアーズ氏 〉・・アメリカ
  「歴史的に見て、アジアの民衆を奴隷にしていたのは、日本でなく、」「私たちが同盟を結ぶ、ヨーロッパの民主主義国である。」
 
 「日本は、現地住民に独立を約束しただけでなく、独立を保障した、具体的な行動を進めていた。」
 
 「1935 ( 昭和10 ) 年には、すでに満州での治外法権を放棄していたし、」「1943 ( 昭和18  ) 年には、中国に租借地を返還している。」「大戦中、日本は、占領したすべての地域の現地独立政府を承認していった。」
 
 「私たちが解放戦争と呼んでいたものは、実はヨーロッパによる、アジアの再征服だったのである。」「恥ずかしいことに、アメリカが手を貸した・・。」
 
 最後になりますが、マレーシアの詩人ラジャ氏の書いた詩を転記しましょう。氏は戦後マレーシアの上院議員となり、アセアンの設立に尽力した人物です。詩は、平成元年に書かれたものです。
 
 〈 ラジャ・ダト・ノンチック氏 〉・・マレーシア
 
   かって 日本人は 清らかで美しかった
   かって 日本人は 親切でこころ豊かだった
   アジアの国の誰にでも
   自分のことのように 一生懸命つくしてくれた
 
   何千万人もの 人の中には 少しは 変な人もいたし
   おこりんぼや わがままな人もいた
   自分の考えを おしつけて いばってばかりいる人だって
   いなかったわけじゃない
 
   でも その頃の日本人は そんな少しの いやなことや
   不愉快さを超えて おおらかで まじめで
   希望にみちて明るかった
 
   戦後の日本人は 自分たちのことを 悪者だと思い込まされた
   学校でも ジャーナリズムも そうだとしか教えなかったから
   まじめに
   自分たちの父祖や先輩は 悪いことばかりした残酷無情な
   ひどい人たちだったと 思っているようだ
 
   だから アジアの国に行ったら
   ひたすら ぺこぺこあやまって
   私たちはそんなことはいたしませんと
   言えばよいと思っている。
 
   そのくせ 経済力がついてきて 技術が向上してくると
   自分の国や自分までが えらいと思うようになってきて
   うわべや 口先では すまなかった 悪かったといいながら
   ひとりよがりの 自分本位の えらそうな態度をする
   そんな 今の日本人が 心配だ
 
   ほんとうに どうなっちまったんだろう
   日本人は そんなはずじゃなかったのに
   本当の日本人を知っているわたしたちは
   今は いつも 歯がゆくて 
   悔しい思いがする
 
    自分たちだけで 集まっては 自分たちだけの 楽しみや
   ぜいたくに ふけりながら 
   自分がお世話になって住み
   自分の会社が仕事をしている その国と国民のことを
   さげすんだ目で見たり バカにしたりする
 
   こんな人たちと 本当に 仲良くしていけるのだろうか   
 
   どうして日本人は
   こんなになってしまったんだ         
 
 過激な在日の活動家や、中国人の不躾さを批判してきた私も、ラジャ氏の詩を読むと、恥ずかしくなってきます。現在の日本人が、アジアで嫌われている理由の一端を知り、戦前の日本人が、意外にも親しまれ、敬意を抱かれていた事実も発見しました。
 
 大畑氏の説明とは、違った意見もあるということになります。
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『太平洋戦争 - 下 』 - 3 ( 大東亜会議 )

2021-12-08 08:31:00 | 徒然の記

 フィリピン、ビルマ、インドネシアで、敗戦間際の日本が何をしたのかについて、氏の主張を紹介する前に、「大東亜会議」について述べなくてなりません。

 昭和18年の11月、東京で開かれた会議に、大東亜共栄圏から次の代表が出席しました。

  日本 ・・東條首相               中国 ・・汪精衛国民政府行政院長  

  タイ ・・ワンワイ・タイヤコーン首相代理    満州 ・・張景恵国務総理

  フィリッピン・・ラウレル大統領         ビルマ ・・バー・モウ首相

   以上6ヶ国の他、オブザーバーとして、自由インド仮政府・・チャンドラ・ボース首班

 この会議に関する氏の批判を、紹介します。長くなりますが、省略せず、そのまま転記しようと思います。大学の教壇に立ち、学生たちに語っている氏の姿を想像してください。

 「このうち満州と中国は、すでに傀儡政権であり、」「タイは、かねてから日本に友好的であった。」「これと先の、〈大東亜政略指導大綱〉とをあわせ見れば、」「この会議が、茶番劇であることが知られよう。」

 ここで氏は、当時の読売報知新聞の記事を紹介します。

 「会議では各国の代表により、必勝必成の方策と、熱血の決意が披歴された。」「かくて東亜の一大解放と、新秩序建設のため、」「過去数世紀にわたり、十億の民族を奴隷視し、」「その国土を横領して来た、暴戻アングロサクソンに対する、」「大東亜の団結は、遺憾無く顕現された。」

 「共存共栄、独立親和、文化高揚、経済反映、世界進運貢献の、」「五原則からなる〈大東亜宣言〉を、満場一致で可決した。」

 戦後に豹変したマスコミもついでに批判すれば良いのに、氏はそうしません。

 「〈大東亜共栄圏の建設〉というスローガンが、そのかげに、」「侵略と収奪の意図を隠していることは、この会議に出席した指導者たちはもちろんのこと、」「被占領民族も、十分承知するところであったが、」「イギリス、オランダ、フランスなどの、帝国主義支配からの解放を求めていた彼らは、」「日本の武力を利用して、西欧の力を排除し、」「これを機会に、独立への一歩を進めようという期待があった。」

 大東亜戦争を幕末から戦っている日本の指導者たちは、国の独立が武力なしでは手に入れられないと知っています。非情な国際社会で、日清、日露の大戦を戦った政治家や軍人が、出席者各位の複雑な心情を知らないはずがあるでしょうか。ロシア革命を信奉し、東京裁判を鵜呑みにし、日本国憲法を有り難がっているような、現実を見ない単純な自分と、ご先祖さまを一緒にしては駄目でしょう。

 それでも本が出版された当時なら、このような意見も通用し、学生たちが惑わされたはずです。

 「日本が言葉通りの解放者でなくとも、逆に役立てることはできる・・」「南方民族主義者の、そのような意図は、」「しかし現実には、日本軍の欺瞞、残虐、略奪によって、」「完全に打ち砕かれていく。」

 「日本は現地民に対し、支配者として、」「独立の恩恵を与えるという態度であったため、」「自分を一段高く置いて、現地の行政、経済はもちろんのこと、」「文化、教育に至るまで、あらゆる面に強い干渉を行なった。」

 戦時中の困難な時期ですから、氏の指摘するような事実が皆無だったとは言いません。帝国軍人という過剰な意識から、余計な世話をした者がいなかったとも、言いません。私が滑稽に思うのは、連合国軍に統治されたいた7年間を、氏は何も感じていなかったのかということです。

 GHQは、日本の行政、経済はもちろんのこと、文化、教育に至るまで、あらゆる面に、強い干渉を行ないました。国際法に違反してまで「憲法」を押し付け、皇室崩壊を企み11宮家の皇籍離脱を強行し、挙げ句の果ては共産党を支援しました。氏のような学者が、現実を忘れたままの、馬鹿な意見を言っても見過ごされる社会を作ったのは、彼らでした。

 私たち日本人が、個人の手紙まで検閲されていたというのに、都合の悪い話はしません。氏の目は「節穴」かと、笑いたくなります。

 「外国語を禁止して日本語、日本の歴史を義務教育にしたり、」「意味のない〈日本精神〉の、鼓吹が行われた。」「フィリピンのように、統制嫌いなところにまで隣組を作らせた。」「インフレ、食糧不足、挑発に悩まされた上に、」「こんな押しつけがましい支配者に、誰が好意を抱くであろうか。」

 東京裁判で連合国軍に復讐され、敗戦国となった日本は、彼らに為されるがままでした。それが戦いに負けるということですから、ご先祖さまは、黙って受け入れるしかありません。その戦勝国の奢りに便乗し、自分の国を叩くというのが、氏の本の中身のようです。

 「日本は三年半にわたる南方占領中に、現地の住民と資源を絞れるだけ絞り、」「全て日本の戦争遂行手段として、使い果たそうとした。」「赤道をめぐる宝庫とまで言われた地域が、飢餓線上に追い詰められたのである。」

 大畑先生、少し話が大袈裟過ぎませんか。日本は3年半ですが、イギリスやオランダやフランスは、200年以上もアジア諸国を収奪していますよ。そこは何も言わないのですか・・言いたくなるではありませんか。

 しかし私は、息子たちに言います。

 「驚いてはいけません。」「氏のような学者や教授が、日本にはいくらでもいましたし、」「現に今でも、います。」「この人が特別なのでなく、石を投げれば反日・左翼学者・・」「これが日本の実情です。」「驚くことは、ありません。」

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