(上)(下)2巻のまずは上巻から。
上巻では、アルカイダ構成メンバーの個人史を淡々と追っていく。
そのメンバーたちを歪ませていったのは、復讐への渇望を生み出してしまった「拷問」(ザワヒリ)だったり、「成功欲」だったりする。
優秀な建築家の息子に生まれたものの、自分のやりたいことが見つからず、ソ連が進攻したアフガンに行き、そこで遂に経験した「戦争」経験から、急進的なイスラム発想へ。
行くところのない若者たちに、自分のカネを気前良く与え続けることで人望を集め、アルカイダという組織を結成する。
その人物が、ウサマ・ビンラディン。
P193のくだりを引用したい。
殉教という行為は、報われることのあまりに少ない人生との理想的な代替物をそうした若者に与えた。
輝ける死によって、罪人は最初の血のほとばしりとともに許され、死に至る以前に、すでに遠国にそのところを得ると言われている。
ひとりの殉教者の犠牲により、一族の70人が地獄の業火から救われるかもしれないのだ。
貧しい殉教者は天国で、地球そのものよりも価値のある宝石で飾られる。
カネがなめれば女性と知り合うチャンスもなく、しかも高望みを厭う文化の中で育てられた若者が、ひとたび殉教者になりさえすれば、72人の処女と夫婦になる喜びに浸れるという。
コーランによれば、「黒い目の美しいおとめたちは「秘められた真珠のように純血」だというではないか。
そんな女性たちが肉と果物とこのうえなき清浄なワインというご馳走とともに、殉教者を待っているのだ。
ムスリム社会に亀裂を生み出した「ジハードの宣言」は、本来のコーランの「無理強いは禁物」という強制改宗への否定から180度ずれた代物だった。
これにはまってしまう若者たち、という構造は、現代でいうと、まるで新興宗教まがいの出来に感じる。
だが現実はこれらの人物が集合体の形を強め、アメリカを倒すべき敵として突き進む。
最後の章で場面はアメリカに移り、911への緊迫が高まり、Finish。
上巻は慣れないイスラム社会の話が多く読みづらかったが、注釈の量が多いことからもすぐわかるように、取材がしっかりしていて好感がもてた。
さすが、ピュリツァー賞受賞作品。
さっそく下巻を読もう....
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