-畑沢通信-

 尾花沢市「畑沢」地区について、情報の発信と収集を行います。思い出話、現況、自然、歴史、行事、今後の希望等々です。

背炙り峠(7) 背炙り古道のルート(中間報告-畑沢版)

2013-06-27 20:49:43 | 歴史

 久々に背炙り峠です。背炙り古道については、大分前に中間報告しましたが、その後、既に6月1日に畑沢ルートの探索をしております。その結果について、直ぐに報告すればよろしかったのですが、何とも気が重いものがありました。古道の往時を偲ばせるものが殆ど見られなかったからです。先に調査した村山市内の古道は、ほぼ昔のままで残っていましたが、畑沢側は水田、畑、造林のためにかなり地形が変形しています。畑沢側のルートがある山地は、緩い斜面となっているため、重機による開発がしやすかったようです。農地等への道(「農道」と呼ぶことにします。)は、古道を拡幅して、そこに採石を敷いています。採石の材料は、立石山からのものと思われる流紋岩です。近くに採石場があったことも災いしたようです。それでも、峠に向かう半ばごろまでは、農道がほぼ古道であろうかなと推定されます。所々に、幸か不幸か古道がそのまま残されている場所もありました。次の写真のように杉が植林されているため、農道を作るときに杉を避けて、古道をそのままにして古道の直ぐ脇に平行に造成してあります。

 古道がそのまま残っている場合は、U字型に地形が凹んでいます。杉のお蔭で助かったというべきか、何も古道に杉を植林しなくてもよいではないかというべきでしょうか。

 

 農道が突然林から畑に変わるところに出るところがあります。それよりも上の農道は、古道なのか別に造成された道なのかが分からなくなります。昭和40年代か50年代に桑畑に開墾され、古道が寸断された可能性があります。桑畑は耕作が放棄され、雑木林に戻っていますが、一度、変形された地形は古道の判別を困難にしています。それでも、農道を登っていく道すがら、横の藪の中を覗き込むと、道の跡らしきものが随所に見られます。しかし、どれも確信が持てません。落葉の時期にもう一度確認する必要がありますし、私だけでなく複数の人で確認した方が良いようです。

 ところで、話が前後してしまいましたが、畑沢ルートの入口は「丸森」と言われている場所でした。ここから南下して、千鳥川を渡ります。川を渡る橋は、今はコンクリート製ですが、近年までは村人によって作られた石橋があったそうです。石橋に使われた石材はまだ近くに保存されているそうです。

 また有路S氏によると、入口には馬頭観音があったというのですが、確認することができませんでした。もしかしたら、水路の橋にされていたこの石だったのでしょうか。文字を読み取ることができません。

 

コメント
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