<クリスチィアン・ツィメルマン リサイタル>を聴きに行った。
兵庫県立芸術文化センターは、西宮北口駅直結の新しいホール。
エントランスの採光やシースルーエレベーター、植物の配し方、
と設計のこまやかさを感じる、大変すばらしい建物であった。
大ホールも椅子、手すりを始め壁面もすべて木製。
まさにホール自体が楽器といった風情。
ここで今宵どんな演奏が聴けるのか・・。
<プログラム>
モーツァルト:ピアノ・ソナタ第10番 K330
ラヴェル:高雅で感傷的なワルツ
ショパン:バラード第4番
~~~~~休憩~~~~~
ショパン:4つのマズルカ 作品24
ショパン:ピアノ・ソナタ第2番「葬送」
プログラムは当初の発表とは多少変更があったが、
インタビューによると、ツィメルマンはピアノの調子等さまざまなことに配慮し、
プログラムについてはフレキシブルに考えているようだ。
モーツァルトについては、演奏者自身が大変楽しそうであり、
茶目っ気たっぷりのしぐさもあったりで、こちらも心から楽しめた。
左右のペダルをとにかく細かく使い分けて、
強弱とは関係なく巧みに左ペダルで音色のコントロールをするあたり、
やはり当時の楽器をふまえての奏法かと思われた。
次のラヴェル・・
さあ、どんな音色で始まるのかと固唾をのんで待つ中、
なんと数人の客が席探し。
たしかに曲と曲の間は短めかもしれないが、
いくらなんでも後ろからホールに入り、前から数列目の席に到達するのは無理だ。
数人がうろうろする中、曲は始まった。
そうこうしているうちに、今度はセキの大合唱。
モーツァルトの時から、コホンコホンとあちこちから聞こえてはいたが、
「ガマンできません・・・・コホン・・」という類のものではなく、
どうきいても「ごほん!」という遠慮のない咳払い、
そしてそれに便乗して私も私も・・・・と。
さらに、最悪なことに最後のこれ以上ないという超弱音とかぶるように
「ぴーーーーーーー」という電子音が!
マエストロ、挨拶もせずに舞台を下がられました。
「私は1つの曲を完璧に準備するのに10年を要します」とおっしゃるくらい周到な用意をされても、
こんな聴衆では・・・・
残念なことにこの曲に関しては、私もほとんど集中できなかった。
続くショパンプログラムに関しては、
音を作りに作り、練りに練った演奏という感じではなく、
よくいうと「感興にまかせてストレートに」といった趣。
テクニックは冴え渡り、バラード4番の怒涛のコーダもまさに完璧。
ツィメルマンのバラードは昔の映像を見たことがあるのだが、
それとは明らかに違っていて、もしかしたら曲が生まれた時点での姿というのは
案外こういうものだったかもしれない・・と思った。
マズルカは、4曲のつながりを強く感じ、とても新鮮な思いで聴いた。
独特なリズムをここまで自然に演奏するのは、
やはりポーランド出身ということを思わずにはいられない。
そして・・・「マズルカ」と「葬送」はどうも続けて弾くつもりだったようなのだ。
だが、拍手。。しかたなく立ってお辞儀。
「葬送」はもう、驚くしかなかった。
まずテンポがすごく速かった。
ツィメルマンがいつもどの程度の速度で弾くのか知らないので、私にはなんとも言えないのだが、
若きポゴレリチの「葬送」よりももっと速く、マエストロの超絶技巧をもってしても、冒頭かすってしまう音があったほどだ。
オクターブの連打なんか眩暈がしそう。
はっきり言って、これは「怒れる超高速葬送」だった。
第3楽章は終わり近くは左ペダルを踏みこみ、もはやフォルテになることもなく、
あたかも葬列が遠く遠く過ぎ去るように、消えるように終わった。
第4楽章、息もつかせぬプレスト。
が、またまた早過ぎる拍手。
結局、アンコールはなかった。
どうもツィメルマンは怒っていたのではないだろうか・・・
CDなどからは聴かれないような、感情をぶつけるような音も出ていた気がする。
それはそれで、聴衆としては貴重な機会だったといえなくもないのだが。
「ナイスミュージックやったなあ」
と、出口で兄ちゃんたちが語り合っていた。
いつもなら、ちょっと笑わしてもらうが、今日はちょっと・・な気分だ。
兵庫県立芸術文化センターは、西宮北口駅直結の新しいホール。
エントランスの採光やシースルーエレベーター、植物の配し方、
と設計のこまやかさを感じる、大変すばらしい建物であった。
大ホールも椅子、手すりを始め壁面もすべて木製。
まさにホール自体が楽器といった風情。
ここで今宵どんな演奏が聴けるのか・・。
<プログラム>
モーツァルト:ピアノ・ソナタ第10番 K330
ラヴェル:高雅で感傷的なワルツ
ショパン:バラード第4番
~~~~~休憩~~~~~
ショパン:4つのマズルカ 作品24
ショパン:ピアノ・ソナタ第2番「葬送」
プログラムは当初の発表とは多少変更があったが、
インタビューによると、ツィメルマンはピアノの調子等さまざまなことに配慮し、
プログラムについてはフレキシブルに考えているようだ。
モーツァルトについては、演奏者自身が大変楽しそうであり、
茶目っ気たっぷりのしぐさもあったりで、こちらも心から楽しめた。
左右のペダルをとにかく細かく使い分けて、
強弱とは関係なく巧みに左ペダルで音色のコントロールをするあたり、
やはり当時の楽器をふまえての奏法かと思われた。
次のラヴェル・・
さあ、どんな音色で始まるのかと固唾をのんで待つ中、
なんと数人の客が席探し。
たしかに曲と曲の間は短めかもしれないが、
いくらなんでも後ろからホールに入り、前から数列目の席に到達するのは無理だ。
数人がうろうろする中、曲は始まった。
そうこうしているうちに、今度はセキの大合唱。
モーツァルトの時から、コホンコホンとあちこちから聞こえてはいたが、
「ガマンできません・・・・コホン・・」という類のものではなく、
どうきいても「ごほん!」という遠慮のない咳払い、
そしてそれに便乗して私も私も・・・・と。
さらに、最悪なことに最後のこれ以上ないという超弱音とかぶるように
「ぴーーーーーーー」という電子音が!
マエストロ、挨拶もせずに舞台を下がられました。
「私は1つの曲を完璧に準備するのに10年を要します」とおっしゃるくらい周到な用意をされても、
こんな聴衆では・・・・
残念なことにこの曲に関しては、私もほとんど集中できなかった。
続くショパンプログラムに関しては、
音を作りに作り、練りに練った演奏という感じではなく、
よくいうと「感興にまかせてストレートに」といった趣。
テクニックは冴え渡り、バラード4番の怒涛のコーダもまさに完璧。
ツィメルマンのバラードは昔の映像を見たことがあるのだが、
それとは明らかに違っていて、もしかしたら曲が生まれた時点での姿というのは
案外こういうものだったかもしれない・・と思った。
マズルカは、4曲のつながりを強く感じ、とても新鮮な思いで聴いた。
独特なリズムをここまで自然に演奏するのは、
やはりポーランド出身ということを思わずにはいられない。
そして・・・「マズルカ」と「葬送」はどうも続けて弾くつもりだったようなのだ。
だが、拍手。。しかたなく立ってお辞儀。
「葬送」はもう、驚くしかなかった。
まずテンポがすごく速かった。
ツィメルマンがいつもどの程度の速度で弾くのか知らないので、私にはなんとも言えないのだが、
若きポゴレリチの「葬送」よりももっと速く、マエストロの超絶技巧をもってしても、冒頭かすってしまう音があったほどだ。
オクターブの連打なんか眩暈がしそう。
はっきり言って、これは「怒れる超高速葬送」だった。
第3楽章は終わり近くは左ペダルを踏みこみ、もはやフォルテになることもなく、
あたかも葬列が遠く遠く過ぎ去るように、消えるように終わった。
第4楽章、息もつかせぬプレスト。
が、またまた早過ぎる拍手。
結局、アンコールはなかった。
どうもツィメルマンは怒っていたのではないだろうか・・・
CDなどからは聴かれないような、感情をぶつけるような音も出ていた気がする。
それはそれで、聴衆としては貴重な機会だったといえなくもないのだが。
「ナイスミュージックやったなあ」
と、出口で兄ちゃんたちが語り合っていた。
いつもなら、ちょっと笑わしてもらうが、今日はちょっと・・な気分だ。