~Agiato で Agitato に~

再開後約20年になるピアノを通して、地域やほかの世代とつながっていきたいと考えています。

秋ちょっと深き

2012年09月09日 01時53分42秒 | 雑感

朝夕、とくに夜はやけに涼しくなってまいりました。

シーシーと虫なんか鳴いちゃって・・・いけません。若いころは春が格別に苦手でいろいろ困ってましたが(笑)、このごろは、気温にしろエスカレーターにしろ、クダリのほうが苦手になりつつあります。

なんですかね~・・・、ある年齢までは秋はロマンチックだったりセンチメンタルだったりしましたけど、胸ときめくような機会と無縁となった今、気温が下がってくるとどうしても「老・病・死」に思いが至ります。ブラームスの作品番号の大きいほうの曲なんか、凍りつくような思いで聴いたりすることもあります。・・・・聴くのにけっこう勇気がいったりもする。

9月以降は現実の生活では行事続き。演奏会も多いし、運動会、文化祭、ハロウィン、クリスマス、などなどのうちに、あっという間に来年になってしまいそうです。積み上げられた書類のなかになにか忘れている大事な用があるようでコワい(汗)。

子供2人でも、よく「あああっ」と忘れてしまっていることがあるのに、4人5人の子供のいいるお母さんってすごいです。しかも仕事しながら・・・なんて神業としか思えません。まして、習い事や勉強に熱心なお母さんはほんと尊敬です。習い事は送迎だけでもかなりの負担です。もし、外部の方(シッターさんとか)に依頼したら、それだけで相当な額になりますもん。

逆に一日のほとんどを家族の用事で走り回っていたお母さんたちが、まったく子供の用事がなくなったとき、生きがいがなくなったかのようにボーッとなってしまうのもわかるような気がします。うちはまだまだ手がかかりまくりですが。

 

ところで今日こそは書類をやっつけるぞ・・と思いつつ、珍しく読みふけってしまった本2冊。

中山七里著「おやすみラフマニノフ」と、サイバラ先生の「西原理恵子の人生画力対決2」。

「おやすみラフマニノフ」は基本ミステリーですが、音楽の細かいことがかなり書き込まれていて、「へー」なことやタメになることも多く、一気に面白く読みました。

サイバラ先生のご本は、例によって、超のつく破壊力で、笑い死にするかと。浦沢直樹氏との絵対決なんてもう勝負以前の問題だと思うのですけど、いちいちオカシイ。浦沢氏にポニョを描かせて(さすがにあまりなじみはおありでなかったよう)「これは浦沢線が出てない」とかケチつけてたり。

息子が読んで「これは12禁だ」言うてました。・・私もそう思います。もう娘は読んでしまったかもしれませんが。

 

・・・・いけない・・・明日は本番だった(汗)。

 


横顔

2012年09月07日 00時50分31秒 | 雑感

以前(3年前くらい)録画した、音楽関係番組を、たまたま見ておりました。

音楽番組と言っても、演奏中心のものではなく、トークやドキュメンタリー系のもの。

ひとつはバイオリニストの庄司紗矢香さん、もうひとつは指揮者の大野和士さんが出ておられ、内容はもちろんそれぞれ大変おもしろかったのですが、

「ああ、自分はこういうものがたまらないんだな」とあらためて自覚したことがあります。

それは、このお二方の譜面を見ているときの横顔。「譜面を見ている」といっても、演奏しているときではなく、読譜している時の顔。

頭の中は最大限に働いているはずなのに、表情としてはほぼ動くことなく、透徹した視線が楽譜を追っている・・・

これは音楽家だけではなく、自分が学生のとき、テキストに目を通している教授もそういう横顔でしたし、おそらく、ほかの職種の方でもそういうことはあると思います。

私が、「これは・・・・プロだ」と感じるとき。

ひとつのことに膨大な時間と労力をかけてきた人たちの、凝縮された一コマ。 

一分の感傷もない、透明ささえ感じるとき。

 

演奏も結局はそういうものかもしれません。聴く側は、のた打ち回り天を仰ぐような、演奏者個人の喜怒哀楽を見聴きしたいわけではなく、「演奏者を通してこちらに伝わるもの」を受け止めたい。・・・少なくとも私はそうです。

その場で「わあ~」と感動するのも悪くないですが、時間がたてばたつほどジワジワ効いてくるタイプの感銘のの方が、いつまでもいつまでも記憶に残る。

表現するほうが深いところから発していると、受け取るほうはもしかするとその場ではすぐに反応できないかもしれませんが、実は、気づかないうちに深いところに届いていて、時間がたつにつれ効いてくるのかもしれません。

大量の刺激にはもう対応できない年齢になってきましたので(汗)、静かに深い方向にいきたいと思えども、私にはまだまだ無理のようです。いまだにアバレ馬・・・・


事件ばかり

2012年09月05日 02時35分49秒 | 雑感

小学生女児をめぐる事件が続き、怒りのやり場に困っております。

とくに昨晩の、小学生六年を旅行かばんに入れて誘拐しようとした事件、
これは時間も場所も、私、まさにニアミスでした。あの時間のあの場所の様子を考えると、犯人は非常に計画的だったとしか思えません。

女の子が短時間で発見され、助けられたのは不幸中の幸いでした。

こんなことはどんな変な性癖があろうと絶対にしてはいけないし、未遂だったからといって軽い事件でもありません。

夏休み明けを待っていたかのような、監禁事件、もうあってはならないです。


大野和士 オペラ・レクチャーコンサート in Hiroshima

2012年09月03日 23時28分25秒 | その他音楽

これはほんとうに良かったです。家族全員で行ったかいがありました。

3年ぶりに拝見する大野さんでしたが、まずはお元気そうでほっといたしました(一時療養されていたので)。

 

プログラム**************************************************

<前半>

歌劇「仮面舞踏会」~第2幕リッカルドとアメーリアの二重唱(作曲:ヴェルディ)

歌劇「リゴレット」~第2幕ジルダとリゴレットの二重唱(作曲:ヴェルディ)

<後半>

歌劇「ラ・ボエーム」~第4幕全曲(作曲:プッチーニ)

<アンコール>

歌劇「椿姫」より乾杯の歌 

*********************************************************

うちの家族については、

私と主人が「ラ・ボエーム」のライブを見たことがあり、

娘は「リゴレット」と「ラ・ボエーム」の筋を熟知しており、

息子は予備知識はほぼなし

・・・・というそれぞれのレベルで臨んだわけですが、 

これが全員トリコになって帰ってまいりました(笑)。つまり初心者から少々の知識のあるものまで、すべてが楽しめたレクチャーコンサート。

入口では対訳がひとりひとりに渡され、客電(客席の照明)は字が読める程度、演奏(お芝居)は要所要所でストップをかけて説明がありました。

まずは、歌手のみなさん(「仮面舞踏会」が2人、「リゴレット」が2人、「ラ・ボエーム」が前の4人に2人を加えた6人)、どの方もすばらしい声量、豊かな表現力、巧みな演技!

盛り上がってるところや抱き合っているところで大野さんにストップをかけられ、間に解説をはさまれたとしても、次を同じテンションで続行できるというのには驚きました。

「じゃあ、すすり泣くところから」でいきなり入れるなんて、音楽家であると同時にやはり役者さんです。

大野さんは、自分がよよと泣いてみせたり、よれよれと倒れてみたり、女優さんに触れんばかりの動作で客席をわかせる一方で、

1800年代半ばに活躍したヴェルディと、1800年代末つまり世紀末に活躍したプッチーニの音楽の違い、表現の違い(ヴェルディは勇壮なところがあるけど、プッチーニにはどこか諦観がある。またヴェルディは、「リゴレット」で体に障がいを抱える人を、「椿姫」でそれまで描かれなかった職業の女性を、また「オテロ」で有色人種を主役にし、初めてマイノリティーを描きステージに登場させた作曲家である。)、

ピアノで弾くと(こういう)トレモロだけど、オーケストラで弦楽器全員が奏でるとざわざわとした、鳥肌がたつような感じになる、

この部分は日本のある曲に似ている、

「今の場面は抱き合うタイミングはどうでしたか?早くなかったですか?映画監督になったつもりで考えてみましょう」と、伴奏とのタイミングを考える、

・・・・・などなど非常にわかりやすく説明され、たぶん日頃あまりクラシックを聴かない方でも退屈するひまがなかったのでは???

もともとオペラに興味のあった娘、「わあ~、ほんもののオペラ歌手だ!!」と大興奮。

レクチャーの始まる前から、手元の対訳台本を見てひとりで盛り上がってましたので、今後は大変なブームになりそうです(笑)。

 

私はヴェルディもですけど、「ラ・ボエーム」の和声に非常に興味をもちました。

3年前、東京のある小児病院での大野さんのコンサートに参加させていただいたとき、「蝶々夫人」の二重唱のハープパート(オーケストラの中の)を電子ピアノで弾いたのですが、そのときのかなり複雑な和声の移り変わりを思い出しました。(何回音源を聴いても丸覚えできず、しかも歌手さん独特の間のとり方に慣れず、かなり緊張いたしました。)

オーケストラで聴くと、オペラの伴奏というのは、音量的にも音色的にも大がかりな感じで、インパクトを受けるのはそのせいだと今まで思っていたのですが、

ピアノひとつでも、胸をわしづかみにされるような音楽でありまして、これはまずは曲そのものの持つ力、次に曲そのものをどこまでも深く理解して情熱を注ぎ込んで弾かれる演奏の力だと思いました。

もちろん大野さんは指揮者でいらっしゃると同時に、ピアノの名手でもあられるわけですけど、コンサートピア二ストのように、繊細なタッチやぺダルを使われるとか、特別に多彩な音色で弾かれるというわけではなく、

曲の構成、和声、表現の底にあるものを鮮やかに展開され、魂を吹き込まれるというタイプのピアノ。

つまりピアノに関しては、いわゆる音響的な部分はあまりないわけですが、逆に譜面そのものを表現することだけで、これだけの衝撃が伝わるのだ・・・という点において、おおいにショックでした。

違いすぎる才能の問題はおいといて・・・・・やはり楽譜です。理解、教養。。。そして魂の問題。

 

あらためてすごい方だ・・・・・


便利な時代ではありますが

2012年09月02日 23時14分57秒 | 雑感

写真は、一昨日行った某区民センター近くのレトロ系喫茶店です。

ぬいぐるみは、うちのペットです(笑)。

 

最近の言い間違い(誰の・・とは言いません)

  sf ・・・・ スペシャルフォルテ(正:スフォルツァンド)

  ベートーヴェンソナタ第21番「ワールドシュタイン」(正:ワルトシュタイン)

  サッカーの「ワイルドカップ」(正:ワールドカップ)  

  ゲーテの「かみきょく(神曲)」(正:しんきょく)

 ・・・・・・・ とりあえず以上です。

 

 

娘がなぜかドビュッシーの「喜びの島」が気にいっていて、時々「弾いて」といいますが、そんなもん母は弾けませんから。ぜひお金払って、ちゃんとした演奏を聴きに行ってください(笑)。

以前、ドビュッシーやラヴェルの有名曲を収めたCDも2枚ほど持っていたのですが、フランスものが大好きな学生さんにあげてしまいまして、今は手元にありません(殴)。なかなかCDも買わなくなり、いけませんねえ。

若いころは、どうしても欲しいCDや本があると、ご飯抜いてでも手に入れていたものですが、今はそういう強い思いがなくなりました。ネットで音源が手軽に聴けるようになったということもあるのですが、やっぱりCDはCDです。「お金出して買ったもの」という事実もけっこう大事です。「いつでもただで聴ける」というのは便利だしありがたいですけど、それなりの熱意やテンションをこちらが持たなければ、時間がたってみると結局肥やしにすらなってません。

ちょっとした調べものにしても、学生のころは、大学の図書館にこもり、本屋で立ち読みをし、はては大きな図書館にまで行かねばならず、無駄に時間がかかるような気がしていらいらしたもんです。

一字一字写して、しかもそのうち使える部分はほんのわずかだったり、せっかく写したものが誤写だったり、今思うとあの時間はなんだったんだ・・・と思いますけど、そうやってゼミで発表したことは、やっぱり記憶に残ってます。

今は、恵まれているのか恵まれてないのかよくわからない時代ですが、「これがほしい」「これをやりたい」という気持ちは大事にしたいです。でもそれって、周りが無理やり引きだすものではなくて、自分のなかで抑えきれないくらいまでにきたとき、周りが見かねて「そんなにやりたいのなら応援するよ!」くらいでちょうどいいんじゃないかと思うんです。

ただ問題は、全体に元気のない世相のなか、子供たちにそういう強い希望や夢が希薄になってきたこと。

これは大人の責任です。なんとかしないといけないです。


9月1日

2012年09月01日 23時02分36秒 | 雑感

さて昨日のつづきから書きます。

昨日は、某ホールの試奏会に娘と行ったわけですが、これは自分で申し込んだものではありません。

どうしても行けなくなった方がおられて、その方から連絡をいただいたのです。

とくに弾かなければならない曲もないですし、1時間もどうしようかな・・・と思いましたけど、せっかくなので、娘とふらっと行ってきました。

娘は私の練習やリハを見たことがあっても、自分では発表会の本番くらいしかホールで弾いた経験はないんですね。(まあ、そういう子が大多数だとは思いますが)

娘の発表会はまだ先ですけど、この試奏会と同じ会場ですし、たまにはいいかも・・・・ということで。

お辞儀の練習からさせましたけど、う~ん、お辞儀ひとつがなかなか。演奏は当然まだまだ。。

でも「おかあさんひとりしか客席にいなくて、ただ椅子がずらーってあるだけなのに、なんで緊張するんだろう・・・」としきりと言ってましたので、少しはなにか感じてくれたかもしれません。

私のほうもよく考えてみれば、だいたいが、本番、もしくは本番前のホール練習、あと誰か聴きにきている状況(たとえ身内であっても)でないと、500席のホールで弾くことなんかありませんから、こうボケーっとぜいたくにフルコンで遊ぶのは初めてだったかもしれません。

何回かここのピアノは弾いてるはずなんですけど、今回初めて「自分の演奏」でなくて「楽器そのもの」に意識がいったような気がします。

「お人形の夢と目覚め」なぞを私も弾いていたのですが、次の順番ということで入ってこられた方は・・・・知り合い・・・しかもコレギアでコンチェルトを弾かれた方のおひとり。ハハハ、聴かれちゃいましたね、きっと(笑)。

            *******************************

今日は、伴奏合わせのあと、あるコンサートに行き、戻ってまた伴奏合わせをやってました。終日娘連れ。

遅くに晩御飯終わって、そのあと娘のバイオリンをみながら、これまた伴奏。

もう体が伴奏体です・・・。誰かいないとやっていけません(殴)。

そうそう、先日コレギアの練習を見学にいったとき、パイプ椅子にすわったまま、ポジションを変えようとずりずりっと動いたら、そのまますべって見事椅子ごと倒れたんですけど、

今朝は、引き出しで指を詰め(何も問題はありませんでしたが)、

帰ってきてコンタクトを外して洗っていたら、「ぺりッ」と真っ二つに割れました(ハードレンズです)。

なかなかにワイルドなんですが(そのワイルドのすぎちゃんも大ケガをしたとか)、ほかは大過なく暮らしております。

・・・・・・・・・というわけで、本日防災の日。