唯のブログ。

病気の体験、療養生活や日々思いついた事などを書き留めているブログ。時々毒吐き。楽しめれば最高、無理なら受け流す。

通院日。NT-proBNP,6800。

2020-03-25 08:17:37 | 劇症心筋炎

 前回は、体調が優れずに予約を待たずに2月上旬に受診したので、今回は約2ヶ月ぶりの通院。
  ずっと体調が優れないでいたが、 NT-proBNPが 6802と上がっていた。

  
 

 数値の基準値は、「900から重症」という事なのだが、、、、6802。
  ずっと3000とか、4000だったのだが、今回は最高数値更新。

この数値は、通常の生活をしていいレベルなのだろうか?
 辛ければ、我慢していればいいレベルなのだろうか?????  
   俺には解らない。

 しかし、先生は特に気にする事もなく、いつものような会話をして、次回の予約を入れて終了。

 更に、、
 前回、こちらからお願いして検査項目に加えてもらったKL-6についても、私が聞くのを忘れしまったので、今日メールで数値の連絡をお願いした。

 どうせ、「もうやることがないから」と思って、
  在宅酸素療法の手続きのためだけに病院へ行かないと生けないから行くだけだと思って一番近くの診療所的病院を選んでいたが、、、、、、、
 しっかりした病院で診てもらった方がいい時もあるのかも知れない。。。
 
 特に、検査については、何も出来ない病院では現状把握もできないから、対応も出来ない。  
 検査で状態が解れば、 
 動いていいのか、食事は普通でいいのか、寝ていたほうがいいのか、動かないほうがいいのか、、、、、など等、選択できる。
 
 まあ、しかし、自分で選んでやっている事なのだから、今更責めても仕方がないでしょう。。

 
 冬季間、ずっと使えなかった車に久しぶりに乗車。
  気がつくと、距離メーターがぞろ目で揃っていた。。。ついてる。

 

 


病院 キャンセル。

2020-01-28 12:36:27 | 劇症心筋炎

 思い起こせば、そこに原因があったと気が付いたがもう遅い。 

 特別に、年始の誓いと言う訳でも無かったのだが、雪も少なく、体調も良くて、体力回復プログラムの継続という感じで、年始から本当に強度の弱い病人向け筋トレを始めていた。
 
 腕立て5回×3セットが出来て大喜び、、、自信を付けて、
  外で重心を落としながら下半身を鍛える歩行。 足上げでの腹筋。腸要筋。
   更には、階段の上り下り、 それに加えて、毎朝の立禅30-50分はずっと継続していた。
 その期間中に、駐車場までの歩行での往復。

 風邪で38.7℃の熱を出した事もあった。
もしかしたら、熱は疲労のせいかも知れなかった。

 それに気が付かず、ずっと普通の、強度強めに動いて生活していたから心臓に疲れが溜まってしまったのでしょう。。
 浮腫んで、呼吸も辛い状況まで進んでしまいました。

 なんとなくダルイという状況では気が付けづに、2.3日過ごし、やっと今日、通院をキャンセルしようか迷っている時にやっと気が付いた。

 動けているのは、身体が酸欠に慣れたからで、、、機能が回復している訳ではない。   酸欠状態でも動けていただけなのです。 
 酸素濃度70台などという事もある。 星が出たり、暗くなったり。

 酸欠状態で動くから、負荷がかかり筋肉も疲労する。 酸素が十分に行き渡らないので、回復も遅れる。 しかし、低酸素状態でも動けるから動いてしまい疲労がさらに溜まる。  気がついた時には、4.5日寝込んで回復させないと生けない状態になっていて、少しの筋トレの効果など吹っ飛んで元の木阿弥となった。。。。。

 残念ながら、昔と同じ事を繰り返してしまいました。最近は動けていたので忘れていました。

 そういう訳で、今日の通院は思い切ってキャンセル。
 しかし、「体調が悪いので、病院をキャンセルする」って、
    どういう事なのかと。。。。

 今日も5時半に起きていたが、、キャンセル後眠くなり、昼過ぎまでコタツで熟睡していた。 この時期珍しく、太陽が差し込み暖かい中で気持ちよく寝させてもらって、、、これで回復してくれることを願います。

 関東は雪で大騒ぎ、湯沢は晴れ乍ら、台風並みの強風で、変な気候が続く今日日。

 色々経験しながら、順調に人生は進む。
 



プロ野球 王、長嶋 互助会。

2019-12-29 14:19:19 | 劇症心筋炎
 劇症心筋炎で緊急搬送され、
  人工心肺をつけられて意識が無いまま2週間をベットの上で過ごしたのだが、
    早いもので、それからもう7年が経つ。

 当時の今頃は、意識が戻ってから少し時間が経ち、やっと色々と考える事ができるように成っていた時期だった。

 窓から雪景色を見ながら過ごし、立てるようになるとやせ細った自分の身体を見てびっくりしていた。 





     



  寝ている間中たくさん夢を観ていた中で、思い出した夢がプロ野球の互助会の話。


 王、長嶋 無くしてプロ野球の人気継続は無いという共通認識が出来上がり、
誰もが 王、長嶋 に活躍してもらわないと生けないと考えていた。 のだ。


 そこで、周りの人間は王、長嶋に本気で立ち向かうピッチャーを全力で潰しにかかる。
いい場面で必ず王、長嶋に活躍してもらうように周りから八百長まがいの事をするように作っているのだ。
 「暗黙の了解」を破って、王、長嶋に真剣勝負を望んでいって抑えてしまうような事が続けば、その互助会から睨まれ一斉に標的にされ滅多打ちにされてしまう。

 江夏や金田などの実力派は自分の好きなようにプレーしても何の問題もない。 実力で他の選手も自分で抑えられるから。。
 しかし、実力不足の選手は逆らうと生き残れない、直ぐに成績が落ちて引退に追い込まれてしまう。
 長くその世界にいたいと思えば、互助会で持ちつもたれつと言う生き方をしないと生けない世界が出来上がっていた。

自分の実力を試したくて、王、長嶋に真剣勝負を挑んで選手寿命短く引退していく選手。
互助会に賛同し長く選手生活を続ける選手。
 様々な選手の生き方、葛藤があった。

 もちろん、王、長嶋はそんなことは知らないで、本人たちはただただ努力を続けるだけでプロ野球界が上手くまわっていたという、、、、、、、
 とんでもなく面白い夢だった。

 そんなことを思い出しながら過ごしていたのだ。 と言う事を思い出してみた。

 それにしても、自分でも考えつかないような物語を思いつく人間の脳とはすばらしく優秀なものだと感心もしていた。

 SF映画や面白い小説などは脳のそういう機能を上手に使える人間が生み出すのか、
それとも、自然に降りてくるのか、、詳しいことは解らないが、なんとなく、生み出される仕組みと言う所が少しだけ理解できたのだ。。。

 
観ていた夢は明るく前向きなものが多かった。
ふわふわした感じが漂っていて、笑顔が絶えないような場面が多かった。
ドキュメントのようなものが多く、何処からか聞こえない声でナレーションのようなものが聞こえて来ていた。

 それら全てに、生きる上での大切な考え方が含まれていた。。




 



 
 



 

 室内なのに、、、しもやけ。

2019-12-05 19:35:16 | 劇症心筋炎

 右手の中指から3本の外側が痒くて、、、痛くなり、赤くはれ、しもやけかなと思ったが、治る気配が無いので診療所へ行ってきた。

 自分でもびっくりしたが しもやけだそうだ。

 外出もせず、室内で、少しは寒いがそれなりの部屋の中に居るのに。。。。
 しもやけができるほど、末端が血流不足を起こしている。

心臓が弱っていて、寒いし、指先が異常に冷えると言う感覚はあったが、まさかしもやけができるほどになってしまっているとは、、

  どれだけ、弱っているのだ、、、。

気をつけて生きるしかないでしょう。
 


  厳しい状況でいつも思うこと、
「だったら、死んだほうがいいのかい。。。。」

 生きているだけで有難いと言う事を忘れないように。。。



 取り敢えず、馬油。。


人生のカリキュラム

2019-09-17 14:26:38 | 劇症心筋炎

  マラソンランナーは何故あれほど苦しい事に本気で取り組めるのだろうか?
   答えはそれぞれだと思うが、全員「自分には必要だ」と思うから必死で戦うのだろう。

  大相撲の力士を観ていても思う。
   何と激しい、命を削らざるを得ないような人生を良く選んだなと、
   毎日、毎日、怪我と向き合い、勝ち星に異常な緊張を強いられる、平和な日本で戦争以上に苦しいような世界をよく選んだなと。

  
 
   彼らのような走っていて気持ちがいい感覚など全く感じられないようなレベルで、苦しみしかない競技だったのに、、、、、
    自分でも何故選んだのか解らないが、自分も長距離ランナーだった。

  辞める機会はいくらでもあって、むしろ続けてるほうが不思議な事だったが、高校でも長距離ランナーを選んだ。

  入学式後の健康診断で偶然顧問の監督に名前を見つけられて、、。

   弱くて、恥を晒す為に大会に出ているようなものだったのだが、、何故か続けたのだ。 残り何人がトラックに取り残される世界、長距離ランナーは弱いと最後に晒される。 本当に惨めな世界なのだ。 

  それでも、高校2年になると、県大会で何度か予選を通り決勝へ行く事も出来て、
   多少でも、走っていて気持ちがいいと思える経験もするようになれた。

 

  大学では極真空手を選んだ。偶然見たテレビで引き込まれるように始めるまで道があったようだった。
  今度は、苦しいに、痛いが加わり、試合や練習前は極度に緊張した。 おまけに、後に潰瘍性大腸炎になる前兆の継続的な下痢、、毎日下痢でそれを処理して練習や授業に出ていた。

  それでも、それまでの経験もあり少しは強くなっていると実感できて、、辞める事など考えもせず、できるだけの努力をした。
   それまで以上によく考え、長距離ランナーだった時には考える事もなかった遠い世界、全日本にも出場するようになっていた。

   何故か、全てがうまくかみ合い試合での結果に恵まれ、順調な事が多かった。
 
  


   社会人になってからの生活は今まで以上に苦しみが大きかった。
   全くの畑違いで、どうにも出来ない自分の小ささを、未熟さを嫌というほど感じさせられた。
   
    毎日毎日罵倒され、居酒屋で深夜まで説教される事が1年以上も続いた。

   しかし、不思議な事に、心は絶対に見返してやると決まっていて、辞める事など考えもしなかった。
    きちんと評価されるようになり、恥ずかしくないサラリーマンになったと思う。

  
   
   そこから、潰瘍性大腸炎で激しい下痢になるが、、ここがまた、人生で一番きつい状況を迎える。
   
    一日20回もトイレに駆け込みながら、2年は働いていたが、、 結局会社を辞めて療養した。 5.6年は普通の生活に戻れないでそれまで以上に酷い経験もした。

  やっと、普通の生活に近づきつつある最中に、いきなり劇症心筋炎。 この時も人生最大のきつい時期となった。
   人工心肺で、2週間意識なく眠っていた。 肺炎を合併、肺に溜まった血液を抜く時もきつかった。 そして3ヶ月で退院したが心臓にダメージが残って虚血性心不全。


 

  一時は回復したように思えたが、不整脈を押させる薬で薬剤性の間質性肺炎。 
   酸素の管が離せなくなって、、それと同時に施設に入院。 医師からは今後の人生はどういう風に生きるか自分でよく考えてくださいと言われていた。


  寝たきり状態から、退院、何とか自立生活を始めて、今までこれた。

 
 

   よく考えたら、全部繋がっている。 苦しいことを乗り越えて、、、また次の試練、、と、順を追って、しっかりとカリキュラムされているではないかい。


  今の状態を受け入れられているのは、それまでの経験が段階的に負荷を掛けてくれてたお陰でした。

  今までの人生全部繋がっていたのか。。。順調なのか。。。

 

  そして、今は障がい者なのだが、徐々に回復し、もしや人生一番の平安な時期かもしれない、、、これからもっと起伏が激しくなる事もあるのか??


  身体はもう持たないようだが、、さあどうなる。

 
 何はともあれ、、結構色々と経験できていて、ノウハウも溜まっている人生。
  経験があれば不安も少なくなるし、チャレンジもしやすい。。。良い状態。


 
 しかし、心の奥底に固まっている、、得体のしれない不安感、恐怖感はどうしてもぬぐいきれない。
  本当、困ったものだが、これも意図的につけられた天の采配なのかもしれない。