唯のブログ。

病気の体験、療養生活や日々思いついた事などを書き留めているブログ。時々毒吐き。楽しめれば最高、無理なら受け流す。

お盆。 亡父2年目。

2015-08-16 14:44:40 | 

今更ながら。。。

親父に教育されて、自分の人生を歩んで来れなかった。

 怒られ、怒鳴られ、殴られ、無言の圧力をかけられ、、親父の意に沿う生き方をして、親父が納得するような人生の選択をして来た。 
 いつも監視されているようで手を抜けない。
 結果を出さないと怒られる。
 失敗すると責められる。        そういうプレッシャーの中で生きていた。

 俺が選択していた人生だったが、いつも親父の影響を受けて生きたいようには生きてなかった。

しかし、親父の制約なしで俺の人生は成立しなかっただろう。 し
  自由気ままにやっていたら、俺の歩んできた人生は経験できなかった。

 自分のような緩い人間には、ある程度の強制力が必要だったのだろう。
ほとんど何も考えず、辛かろうが、きつかろうが、それすらも感じることなく馬車馬のごとく走っていた。
  それで良かったのだが、勝手に不満を募らせた。
  できることの積み重ねが大切なのに、高望みをしていた。
(今更ながら。。。親の力)
  
 
  親父の晩年、奇跡的に会話ができるまでに関係は戻ったが、
    憎しみを刻み過ぎて許せなくなっていた自分と、 頑固で非を認めずに謝らない親父。
  最後まで心許せる事はなく。 腹を割って酒を酌み交わす事もなく、逝った。

冷静になれていれば、もう少し違った形でお互いが良い人生を経験できたのにと思うが、
   これが、俺と親父の関係だったのでしょう。 未熟な人間が人生を未熟にしてしまった。

どういう腹づもりで、何を意図して俺と接して来たのかわからないが。 親には悪気はなかったのかもしれない。 ただ、息子に批難されれば面白くもなく全否定に走ったのかもしれない。 本能的に自己を守ったのかもしれない。  追い込んだのは俺だから、作用反作用で引き金の責任は自分にある。
 
親不孝に勝る犯罪無し。 
 山岡鉄舟も親不孝は語るにも及ばないとしている。
 
 そもそも、親を批判する? 思い上がり以外の何ものでもなかった。
最低だったのは俺。   後悔しないと決めていたので後悔はないが、今更ながら。。。。
 
 
人に愚痴を言ったり、物事を相談したりしない父が、
  俺に愚痴をこぼす。 悩みがあると話をする。  頼みごとをする。   勝手に俺の資産を使う。

 子供の立場で嫌っていたから、こちらの気持ちも知らないでと、怒りが先に来ていたが、 
    もしかしたら、、頼りたかったのかもしれない。。
       (病気で長い間社会から遠ざかっていたのに。)

 くだらない事に拘って子供のままでいたからそんな事にも気づかずに、大人の関係に成れなかったのかもしれない。
 

 実家に帰り早々に墓参りだけを済ませ帰ろうとする自分に、こちらがどれだけ嫌がっても、いいから寄って行けと何度も何度も寄って来た。。。。。。これが最後となった。 



 




神は楽しむことを喜ぶ。

2015-08-09 07:05:24 | 

 有名な若手俳優のインタビューを聞いていると、
 「俳優になりたての頃は、実力が無くて恥ずかしかった。この世界で食っていけないと思っていた。」と、言っていた。
 危機感から相当な努力をしたのでしょう。 高倉健も同じような事をいっていた。成功した人は、ほとんど同じ事をいう。

 自分も銀行員として人生を歩みだしてすぐにふがいない時代があった。 毎日毎日罵声を浴び、業後9時、10時からは居酒屋で説教されるという日が続いた。 酒もつまみも手をつけず、延々2時間罵声を浴び続ける。 情けなさが俺の心を覆い、いまのままではこの世界で確実に食っていけないとおもった。
周りはガキの頃から受験勉強をして難関を突破して来たような人間ばかり、そんな連中が目的の会社就職をして、それでも1年目で500人中100人が辞めていくような環境だから俺のような運動ばかりしてきた人間がはじかれるのは当然だった。  でも、
お先真っ暗、どうしようもない現実の中で、 追い込まれて、自分も相当な努力をした。
今までの人生で経験したことのない世界で何をしたらいいかも解らない中、できる努力を必死に続けた。

 何が良かったかはわからなかったが努力が成果をあげ始めた、。数字が上がるようになり、徐々に周りから評価されるようにもなった。 
昇進も遅れた事は無かったのだから順調だったと言っていいと思う。  
 しかし、銀行員としては順調でも俺全体としては順調ではなかった。
だから結果的に破綻した。 一山も二山も乗り越えて落ち着いて来れば来るほど心はむなしくなり努力の意味も感じなくなり、うれしい事が無くなっていく。 酒だけは毎日浴びるように飲んで連れ立ってはしごして歩いていた。 典型的な自暴自棄か。
 
  

 当時は、好きな事を努力するのは簡単だ、嫌いな事を我慢して努力する方が大変だし「偉い」などと思っていたが、実はそうではない。

神様は楽しむ事を喜ぶ、などともいわれるが、楽しんでいるかどうか大切なのだ。
「脳は3層構造」で、最下層は爬虫類脳、本能的に好き嫌いを判断する。
いくら給料が良くても、職場の環境が良くても、順調に昇進しても、本能的に楽しくなければ良しとしないのだ。 脳がバラバラでは気持ちよく働かないのだ。
 そういう状態が長く続けば破綻する。 
今更ながら、自分の鈍感さと生き方の間違いがよくわかる。 いつかどこかで何か間違ったものがインプットされていた。 

  でも、インプットされた通りに動く優秀な脳を自分は持っている事は確実に言える。 
それで、十分です。 有難うございます。





自分次第。

2015-08-08 07:43:19 | 
 
 同じことでも、
 尊敬するAさんに言われると、素直に聞くが、
 嫌いなBさんに言われると、腹を立てる。
全て神様から言われていると捉えれば、、、、解決する。
 
  
耳触りの良い事を言ってくれる人は受け入れ、
自分に都合が悪い事を厳しく指摘する人は遠ざける。。。という悪癖
  
自分の成長を第一に考えられれば、どうという事はなく解決する。
 


超敏感体質、つづき。

2015-08-08 07:35:32 | 
先の、「Highly Sensitive Persons略してHSP(敏感すぎる人)」の話。
  
朝、ヘルパーさんが、「看護婦が、やるべき患者のケアがされていない」と、こぼしていたので、
 
「朝の看護婦さん、機嫌が超悪いから、。。。」と言ったら、
「なんで解るの?」と返された。  朝一で婦長に怒られていたらしい。
 
 何でわかるの?、と、言われても解るから解るとしか言いようがない。
  
いつも、逆に「なんで、こんなことも解らないの?」というのが自分の感覚なのだ。
  

 幼少時、多感な青年期、それだけ神経をすり減らすような環境にあって感覚が研ぎすまされて来た結果なのでしょう。と、都合よく解釈している。

 兎に角、相手の感情がよく解る。 裏表のある人間なのか、誠実な人間なのか、が、わかり、大体合っているのだ。
  
 ここへ来てからも、「にこにこしている看護婦さん」とは最初から合わず、嫌いだったが、、、、その人が移動になってから、その話をしたヘルパーさんに、最初からよくわかりましたね。といわれた。
  
  
 心配してくれる人の気持ちがよくわかる。
これがあまりに重たく感じると、1,2回と差し入れを頂く分にはいいが、それ以上回が進むと今度は重たすぎて段々気分が悪くなってくる。
  そして、爆発寸前、大量にお菓子を買いお礼にいく、棘がある言い方で礼をいい、もうかまわないでくれと言う。そんなこともある。
 何故、こういう感情が生まれるかわからないが、段々と重たくなって嫌になるのだ。 こういう性格だから人間関係は難しくなる。 でも、群れるのが嫌いだからちょうどいい。
 
 心配してくれる方には、気遣い頂いたのに嫌な思いをさせてしまい申し訳ないです。
「親切を有難くお受けするのも大切な修行です。」 天の声。
 もしかしたら弱い自分を受け入れられない葛藤かもしれない。




「Highly Sensitive Persons略してHSP(敏感すぎる人)」

2015-08-08 07:35:06 | 
 通りががりで変な本が目につく。
 

人から神経質だとか、細かいなどと言われるが、一方、良く気が付くとか、繊細だとも言われる。
  感情の変化が体に表れ困ることもあるにはあるが、、 
  
厳しい環境で生きれば、思考は深くなり、繊細な感覚が身に付きそれは財産だと思っているのだが、
「Highly Sensitive Persons略してHSP(敏感すぎる人)」として 自分を病気と思ってどうするのか?
 
 
 自分の身長が高くなったり低くなったりしないように、鈍感になったり敏感になったり都合よくなるはずないンじゃないかい??????

 
営業マンでも経営者でも友人でも、ガサツな奴はだめでしょう。

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