唯のブログ。

病気の体験、療養生活や日々思いついた事などを書き留めているブログ。時々毒吐き。楽しめれば最高、無理なら受け流す。

メンタルの力。

2015-07-03 17:06:28 | 

 体力が無くなると身体は些細な刺激を敏感に拾ってくれる。

 健康な人には何でもないような普通の事、入浴、トイレなどで酸欠になるし、立ったまま歯磨きなどしていたら苦しい。 以前は感じなかった些細な運動が結構身体に負担をかけていることが良く解る。
 (数字に直すと、例えば0.3の影響は、以前の体力100の時には感じないが、今の体力3の時は敏感に感じるというような。)



 同じような事がメンタルについても起こるのだと実感する。

 ヘルパーさんと気持ちよく会話をしている時、酸素吸入を忘れていても気が付かない。  平気である。
  感謝の気持を書面にしている時は、普段の汚い文字が 少しは読めるようなものになっている。

 思考、行動、感情などが、波動を決めるといわれるが、実感する。 
  自分の心を気持ちよくする事が波動を上げるコツ。  メンタルを大切にしないといけない。

 敏感と言うより、弱っていると 少ない刺激を良く感じるようになる。

  
健康な特は仕方ないと諦めるが、、、弱った時は横柄なナースは遠慮したい。


 


体験と学び。

2015-01-04 12:49:12 | 
平成27年1月4日 。 

気力体力十分で元気な時はその状態で体験できる事から学び、
病気怪我で弱っている時はその時でまた、同じようにその状態で経験する事から学ぶ。  
 要は、二つの経験を通して学べるという事。

 一日一日の積み重ね。
     日々、出来る努力をしながら生きれば何かに繋がると思って生活するだけ。 
    今の経験が何かに役に立つことがあるかもしれない。 そう思うと、おろそかにするにはもったいない。
 
 


お盆から連想。

2014-08-13 19:56:48 | 
  【お盆からの連想】 

 幼少時の体験は人格形成に大きく影響する。
 
 マッサラなPCにソフトが入れられるようなもんで、そこが全てを決めてしまう。

 
 親がサラリーマンなら、毎月決まった給料をもらうのが当たり前との感覚が入る。
 農業なら、いくら丹精込めて作っても天候次第で水の泡となる事もあると悟る。
 マンションで育つのと、田舎の広大な土地の上で育つのでも違う。
 スイッチを押せば暖かくなる家と、自分で炭をおこして暖を取るのが当たり前の家。
 カーテン閉めて、風呂はガス。一方、雨戸をたてて、薪で風呂を炊く。
 受験勉強が全てで成績が良ければ褒められる人生と、間伐、草刈、野良仕事を手伝ってその上で勉強しろと言われる人生。
 豊かな経営者の親の元に生まれるも、幼少時に倒産し一家離散。
 親の顔を知らないで育つ、親に虐待されて育つ、親に関心を持たれないで育つ。
本当に様々です。 
 

お盆-飾り付け、お迎え、お見送り、来客、ご馳走。
十五夜-ススキ、秋の味覚、のお供え。
年末-臼杵での餅つき、門松の松の調達、家財道具を出しての大掃除、おせち料理。
年始-餅つき、神棚お供え、年始会、年始来客。
節分-豆まき、鰯の頭、蔵、稲荷様、弁天様、権現様、山ノ神。
山ノ神-もち米、あんこ飯、
地蔵っこ、閑散期、お雛様、鯉のぼり、地域の協力人力での田植え、池さらい。


遊びは、
山の中に秘密基地、缶蹴り、凍った道路で自転車タイムトライアル、竹馬、ため池でのスケート、爆竹、メンコ、ベーゴマ、自作の凧揚げ、ロケット花火の打ち合い。

多彩な環境で育った事に 本当に 感謝。 

周りに対して、「なんで知らないの?」 ばかりのはずだ。

反対にこちらも、何でしらないの?と、やられた。
  小学6年で、ボーナスを知らなかった。 俺一人。
  4畳半で部屋が作れなかった。  トーストを知らなかった。
  
しかし、サラリーマンになり、みんなが知っている事は全て知った。(知識で)
 周りは大人になっても自分の知っている事をしらない。

 周りとは感覚が違う、そして周りは知らない世界、違う感覚を理解できない。
   
 まわりに理解されるはずはない。   
   
 


ゆるし。

2011-05-14 08:39:35 | 
困っている、という言葉が頭から離れず少しだけ手伝いをする。

その旨、電話をして話しをすると、何チャラカンチャラと、奥歯に物の挟まったような話しをされて、一気に昔の記憶がよみがえり、怒りがこみ上げてきた。
 ムカついて、電話を切り、気持の切り替えを図ったが、  よみがえったムカムカ感が、中々消えなくなってしまった。

とうとう寝るまで一日中嫌な気持を引きずる事になった。  最悪だ。

表面を消しても、奥にしまいこんだトラウマを出してきて、処理しないといつまでも回復しないと言われていたのを思い出した。
 いまだ、心の奥底では許せていなかったようだ、 まだまだ、出てこないと、消えていかないようだ。 
一つ前進だが、こういう作業を今後も続けていかないといけない。 そう簡単ではなかった、と、改めて感じる。

 取りあえず、まだ、接するには時期が早い事。
 自分の後ろめたい気持が、やらなくていい親切までやらさせるという事に、、気がつく。