住宅メーカーのCMで、モダンな木造住宅の軒先に干し柿を干して、自然と融合した生活を演出しているのだが、
どう見ても、甘柿で干し柿を作っているようにしか見えないのだ。
キャンプも流行っているが、火起こし一つとってもどうにもぎこちなく、杉の枯葉に着火用の麻縄などを使ってわざわざ火をつけて面倒な事をする。
20代の時に都会には炭を熾せないない人間が大勢居てびっくりした。
田舎で育った私たちは、子供の頃から新聞紙とうちわで当たり前のように炭をおこしていたので驚き、呆れた。
電気もガスも無かったらどうやって生きていこうと思っているのか不思議でならなかった。
子供の頃からの習慣で身についたものではなく、知識を得た事をやっているからそうなるのでしょう。 幼少時の実体験が無いと、いくら知識があっても全体をまとめてみる事が出来ない。
厚労省のコロナ対策なども同じで、全く整合性や全体のまとまりがない。
教科書の勉強ばかりしていると、信じられないようなアホな事を当然のようにやって平気で居られる頓珍漢な大人が出来上がる。
自分が子供の頃に周りには居なかったような人種が、当たり前のように今の日本にはたくさんいる。 そして、むしろそちら側の人間が主流のようで、恐ろしい。
自然のない世界で育つ事の恐ろしさ。
子供の頃は全くの田舎で草刈や山仕事を手伝って育ち。学校では運動部だった。
一応、受験勉強も経験し、大学にも行った。
就職はガチガチの銀行で最初は全く肌に合わずに苦労したが、苦手なマニュアルや事務手続きにも慣れ、営業や交渉ごとも多く経験できた。お陰で苦手だった細かい仕事も難なくこなせる様に身についた。
そこそこ美味しい物も食べていたし、散々あちこち飲み歩いたりもした。
その後は体調を崩した事で、病院、病気と健康の知識も付き、空手で学んだ事を基礎に身体についても、食事についても一通りの事は知るようになれた。
結局、俺は、散々苦労したお陰で、色々経験できたのだ。
知らない間に、結構スキルが高くなっていたのかも知れない。
だからと言って、他人ができない事を責めては生けない。
皆、俺と同じ環境で生きてきた訳では無いのだから、解らなくて当たり前なのだ。
「火も熾せないのかよ」等と見下しては生けない。
Drヘリで運ばれて生死の境も経験したし、終末期の長期療養病院のベットの上で1年近く過した経験もある。 医師から死の宣告も一度ならずされているのだが、、今は生きている。
何でも来いと思える訳だ。