唯のブログ。

病気の体験、療養生活や日々思いついた事などを書き留めているブログ。時々毒吐き。楽しめれば最高、無理なら受け流す。

自分を戒めてくれるもの。

2019-06-13 13:56:46 | インポート
自分を戒めてくれるもの。

戸隠神社に参拝して来た。
 例年参拝しているので、何日も前から気になっていたのだが中々踏ん切りがつかなく、11日になってしまった。

 所々雨に降られ、体調もだるくてどんよりしている感じだったので入梅前の体調の良かった時に行かなかったことを後悔した。
 折角遠出するのでいつもは行きつけの蕎麦屋に行ったり、買い物などをするが今回はまっすぐ帰ってきた。
 
 中社のみの参拝だったが、丁度雨も止んで日が出ていたから寒さも酷くなく良いタイミングで参拝をさせて頂いた。  丁度誰も居ない中で参拝でき神聖さが際立っていた。 
 そんな中、誰にも遠慮することなく十分な休みを入れながら境内を歩かせて戴けた。

 帰り道は気になるナンバーが次々と現れて来るから、良かったのかな、順調なのかなと、気持ちも落ち着かせてもらった。
 
  神様を信心する事は、何事にも感謝の気持ちが薄い自分には、 感謝の訓練ともなる。

  そして、
   傲慢な生き方、自分勝手な生き方、思いやりの足りない自分、への戒め。 にも繋がる。
 
 未熟な我には、 正直に、誠実に生きる為に、ズルイ生き方をしない為にも、
  ある意味の恐怖感を与えてくれるようなものが人生に必要なのかも知れない。

 ご先祖様の供養も同じ意味をもつ。 

 さらには、 癌、 病気、不自由な身体も謙虚に生きる為に与えられたものなのかもしれない。

 全てに充実した時期は、自分を勘違いし、傲慢になりがちなのだ。
  逆に、今のような環境は、世間がよく見えて色々な事に気がつかせてもらえる。
  人生のヒントにも気がつきやすいし、成長のチャンスをもらっている。
  傲慢な自分を修正する機会となる。
  
 
  
 幼少時の虐待は、今でも許せないのだが、
  もし、それが無い人生だったら身勝手な乱暴物で育ったかも知れない。

 許す努力は散々したが許せない。 多分、許したくない自分がいるのだろう。 絶対に許さない、謝罪しないやつを許さない、そういう誓いにも似た感情が自分の中にあるのだろう。

 それはそれで仕方がないが、色々な経験が出来て、人生に育ててもらった事は自覚しておくべき事。


  辛く重たい経験をすればするほど、他の事が軽く感じられる。

 生きるのが楽になっていく。 

 何の苦労もなく、学習する機会が無ければ成長はない。

  苦しい人生には意味があり、
    制約があればこそ、戒められる。 

 良き環境に、ありがたい。
 

 


 

 


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