世界史で、「周口店の北京原人」を学習しました。その後の人生で、北京原人に関わることがなかったので完全に忘れていました。北京へ来て、「周口店」が北京市内にあると知り、野次馬としては、出かけてみることにしました。もちろん、北京市内といっても、中心部から南西へ50kmほど離れています。交通手段は、万里の長城と同じで、ツアーバス、路線バス、鉄道が考えられます。鉄道の場合、周口店遺跡の真ん前に駅があります。
北京原人は、北京市周口店竜骨山の森林で発見された化石人類。学名は、「ホモ・エレクトス・ペキネンシス」テストに出るので暗記しました。あれから45年経っているのに、まだ覚えている。昔の記憶は結構残っているのに、ここ10年の記憶が薄い。典型的な老人性痴呆の前兆…かな?
周口店には、日本人向けのツアーガイドがいたので、案内してもらった。そこで、問題が発生。北京原人はいつ頃生きていたかですが、最近のニュースで「77万年前」という報道があったばかり。しかし、周口店のガイドは、「50万年前」と言って譲らない。北京原人の専門家中の専門家であるはずのガイドが、古い情報しかない。日本の田舎から周口店へ行ったアンティークなオヤジのほうが、新しい情報を持っている?これは困ったことです。
万里の長城は、6,350kmだったはずなのに、この度、8,851kmだったことが判明(4月25日のニュース)。北京のガイドさん達知ってるのかなあ!
北京原人の化石が発掘された場所へ行きました。大きな洞窟に入ったとき、「77万年前に、ここで暮らしていたのか!」と…気が遠くなるような歴史を遡上し、北京原人の皆さんと同じ所に立っている自分がいる。うらやましがる人はいないでしょうから自慢にはなりませんが、嬉しかったです。
北京原人の狩猟の手段は、「投石のみ」。そのため、たいていの場合「獲物なし」だったらしい。「人食い」が行われていたことは確実のようです。「葬儀」を行ったらしいので、「感情」は芽生えていたらしい。火を使い石器も作った。しかし、狩猟で、槍・弓・落とし穴などを作る(使う)だけの知能は持っていなかった。
家内が、「私は、北京原人の子孫かも知れない」と、小声でつぶやいた。理由は、「20年前、ネズミに石を投げたら当たったことがあったから」とのこと。その現場に私もいたが、もちろん単なる偶然。日本一運の悪いネズミでした。クジとか抽選とかに当たったためしがないのに、投石はネズミに当たる・・・。なお、家内は北京原人の子孫ではありません。なぜそう言い切れるか?「ミトコンドリアDNAの系統解析」の結果、北京原人は現代人の祖先ではないことが判明しているからです。
1929年に、中国の考古学者が完全な頭蓋骨を発見。結果的に合計十数人分の北京原人の骨が発掘された。しかし、日中戦争の激化により、化石は調査のためにアメリカへ輸送することになったが、その途中に紛失…。盗んだ人がいたとしたら、部屋に北京原人の頭蓋骨を飾って楽しんだのでしょうか?売りに出すと、足がついてしまいますから。