今朝のステップワンを聞いていたら、ノイハウス萌菜さんの日本語がとてもきれいなので、久しぶりに晴れ晴れとした気持ちになった。
それは、ノイハウス萌菜さんがサッシャさんに対して、「~とおっしゃるように」と言っていたのだ。
前後はラジコでも聴けるので、興味のある方は聞いてほしい。
この放送を聞いていて、日本語の尊敬語や謙譲語は小学校で習ったが、本当の使い方はマスターしていなかったのではないかと思った。
単に「型」として覚えていたのではないか。
ノイハウス萌菜さんがサッシャさんに対して、「~とおっしゃるように」と言っていたのをリスナーとして聴いていて、サッシャさんに対する「敬意」を感じることができて、とても美しい日本語だなと実感した。
サッシャさんに対する「敬意」がひしひしと感じられた。
ロシアとウクライナの停戦交渉は日本語ですればいいのではないかと思った。
確かに、敬語や謙譲語のない日本語は手っ取り早くて、直接的であるがゆえに分かりやすい。
しかし、それはAIのようにまったくAIからの「敬意」や「息遣い」を感じることはない。
具体的には、アップルミュージックのチルステーションやラジオはAIが曲を選曲して構成されているらしく、確かに好みの曲で「外してはいない」が、無味乾燥だ。
単にAIが学習したリスナーの好みの押し付けで、リスナーに対する「敬意」がないからだろう。
AIは、日本語の「尊敬語」や「謙譲語」つまり相手に対する「敬意」を理解できないのではないだろうか?
私が「ステップワン」を聞いていて快いのは、この「敬意」があるからだと今日の放送を聞いてはっきりと認識した。
ナビゲーターのノイハウス萌菜さんの敬意、流れる曲を選曲される方のリスナーにたいする敬意(何が今リスナーに本当に聞いてほしい曲か等の息遣い)、これらが番組に満ち溢れているからだと。
だから、私はステップワンが好きなのだ。
AIがいくら優れていても、リスナーや他者への敬意を「学習」することは出来ないし、出来たとしても時代遅れのものになり、無味乾燥なものにしかならないだろう。
AIは私たちと一緒に、今の時代に生きていないからである。
つまり、AIには息遣いがない。
「息遣い」とは「敬意」そのものではないだろうか?
TVや新聞等の報道に疲れたら、FM放送のJ-WAVE、ステップワンを聴かれることをぜひお勧めします。
もちろんラジコでも聴けます。
(^_^)