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文学や史跡で登場するマチを旅しながら、折々、紹介することを心がけています。

交響曲第101番 ニ長調 ハイドン

2014年11月30日 10時08分42秒 | 生活
 交響曲第101番 ニ長調 ハイドン.
 日曜日の朝、留守番のなかの朝食.CDで聞きながら.

 第二楽章の<アンダンテ>の部分.
 そこが、中学生のころ聴いていた旺文社が文化放送の英語番組の冒頭、テーマ曲でながしていたと、思う.
 開封して、最初に聴いたときに、思い出した.<時計>のタイトルがふされている.

 留守の最初は、冷蔵庫の整理.
 <蛋白源>がんもどきの煮物2個、サケ切り身半片.
 <炭水化物>カボチャ煮物4片、にんじん・コーン・馬鈴薯の混合サラダ風.
 <無機質>海草=モズクの酢の物(但し外部依存の加工食品)
      自家製ヨーグルト、きな粉・黒のすり胡麻・青汁粉+メープルシロップ

 食器洗い、洗濯洗い物取り込み(じぶんのだけ)終了.
 後は帰宅後、「皿や茶碗を置く場所が(10センチほど)違いますが」の苦言をもらわぬように、乾燥かごで水切り中.長い間の生活の知恵.

 曲を、ベートーベン交響曲 第5番ハ単調<運命>にかえて、聴いている.
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教王護国寺文書 赤松俊秀

2014年11月30日 08時35分59秒 | 人物
教王護国寺文書』が「東寺百合文書」を紹介していると、最初に知った.その編者が、赤松氏であることも承知していた.

 吉川弘文館の人物叢書に、『親鸞』を記載して『鎌倉仏教の研究』や、その後の『続鎌倉仏教の研究』が基盤になっているのかと、思うようになった.

 モノごころついたときには、京都大学教授の肩書きであったから、国立大学で宗教思想史専攻も希有のとと、おもっていたが.

 赤松俊秀氏が、北海道生まれとは知らなかった.もとの鷹栖町.
大谷派の末寺で次男にあたるそうで、しだいにつながってきた.

 ただ、それはネットでの人物紹介のなせるワザ.学界サイドの伝記では、私記にそこまで記載がなかったと、おもう.

 永年、知らなかったこと、ネットで知ったが、ネットの記載には<ウラ>をとることが必要とされている、が.
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