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私儀と公儀 蝦夷地国泰寺.
蝦夷地に江戸幕府が設置した寺院.そこに伝来する寺務日記.
三世住職の巻は、明確な楷書で(かいしょ)で記載がはじまる.
在地に赴き、勤務して数年.書体は青蓮院流というか、御家流というか.流麗な筆に、かわる.
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前後の時期.
二つの記録に、いかなる作法、対応の差異を読むべきであろうか.
1)人生初の大任に緊張.
2)幕府設置寺院の住職発令前は「私人」.一身上の私議たるゆえに、楷書?.
3)発令後は「公儀」.幕府の公式文書記載の筆法をもちいる?.
4)そうしてみると蝦夷地寺院.いまにいう指定管理者制度のもとに、あった?.
ともかくも、朝廷の寺院ではないく、徳川家の寺院.北東の鬼門を制し
て、征夷大将軍の威容を体現.
書体の差異.
そうした点を考えてみるべきかも.