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「トー・ケシ to-kesi 沼の・末端」 転じて「トン・ケシ」=頓化(釧路市)・富岸(登別市)250110

2025年01月10日 10時48分13秒 | 季節
  「トー・ケシ to-kesi 沼の・末端」 転じて「トン・ケシ」=頓化(釧路市)・富岸(登別市)250110

釧路市浪花・寿町界わいは、昭和7年8月15日の町名地番改正で旧名「頓化 (読み トンケシ)」を改めた。
 その語源。山田秀三著『北海道の地名』(北海道新聞社 1,984年)は、釧路市の「トンケシ」には触れていない。
 しかし、胆振国幌別川の河口に誓い「富岸 トンケシ」を取り上げている。

 山田著は記載。「アイヌ時代のコタン(部落)があったところ」「だいたいが低湿地」
 つづけて「昔そこに沼があってそのトー・ケシ(沼の・末端)にコタンがあったのでついた地名」。
 「ただトンケシと呼ばれてきたので少々読みにくい」と、<断り書き>が添えられる(前掲書 397p)

 この地名オリジナルポイントには、山田氏に先行した記録が残る。氏は筆をすすめる。
 知里博士。「to-um-kesi (沼・尻・の末)と書いたり、またto-hon-kesi(沼・の腹・の末)とも書いた」。
 そもそも胆振幌別川の支流、鷲別川に流入する富岸川があって、州域に現在は若山町、新生町、富岸町はその奥の方にだけの地名。つまり登別市富岸は、今も現存する行政字だ。

 平成2年~3年時点。釧路市末広で開業医をされた鈴木先生(大正11年生まれ)の談。
 「現在の長崎屋あたりは武田木工場の木材置き場であったが、その前は一面の沼で」。
 「私の父が若いころ江縫呉服店の丁稚を勤めていたが、配達に出た先でこの沼を見つけてイカダ遊びに興じていたところ」
 「誤ってイカダから転落し、<仕事中に>と大目玉をくらったそうだ」。

 「ぜひ、あなたに書いて欲しいと思って」。旧制中学校で<同期生の叔父にとって甥>にあたることを承知の先生は、申された。
 「現在の長崎屋」は釧路市幸町13丁目で、跡地にはパチンコ店が開業している。
 昭和6年9月、釧路川を切り替える新水路が完成し、低湿地帯の乾燥化がすすんだ。

 釧路川右岸に広がった低湿地は都市化の進展もあって、沼沢地が姿を消す。
 それまで幸町から浪花・寿に至る沼があり、海岸線にちかい地点が「沼の・端(末端)」にあたった。そうした地形と景観を想定しておくことに。
 万延元年=1860年筆とされる『東西蝦夷山川地理取調図』は、「トンケシ」の名で読め、かつ「沼沢地」の存在を記載している。
 
 因みに「浜頓別町」の自治体ともゆかりの頓別川。
 山田氏は頓別川 ト・ウン・ペツ to-un-pet 沼の:ある(に入る)・川 とする(前掲書 168p)


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