pacific0035'写真BBS

文学や史跡で登場するマチを旅しながら、折々、紹介することを心がけています。

丹精 南部菊 160314

2016年03月14日 08時19分05秒 | 放送
丹精 南部菊 160314.
 実に手がこんでいる.テレビでの紹介を見ていての実感.
 別に小生の感想ではなく、連れ合いの<感想>である、が.



岩手県三戸郡南部町
 菊の栽培は山の丘頂.防風林を設けて、風が直接あたることを防ぐ.
 降霜をふせぐ配慮.もちろん、取り除いたり、設備したり.
 花は美しい.当たり前のことが、当たり前であるために施される<手の数>.



南部氏の出自?.

 南部町と聞いて、ひょっとしたら.あとで、調べてみよう.
 岩手県と青森県東側の下北半島を<南部領>と、申していたが.
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厚岸かぐら 復興に不可欠・支持慣習

2016年03月13日 07時39分16秒 | 催事
道東、ニシン漁業地
 江戸時代後期.北海道東部に伝承した<神楽>は、大正4年の御大典の時期に休止となったとされる.
 復興したのは、釧路営林署長だった近藤という人.あわせてその記録もつくり、以下のように記載.
 藤営林署長はさらに、神楽演舞の態様を次のごとく説明している.




ニシン景気、神楽支える
 「正月二日よりはじめ、厚岸神社前にて奏し、ついで町内を歩き、所望せらるる家にて悪魔払いの意味にて正月五日か六日ころまで獅子舞をなし」、と.
 正月2日から6日ころまで「所望せらるる家」というのは、厚岸でのニシン生産最盛期の「門付け=人家の門前に立って音曲を奏するなどの芸をし、金品をもらい受けること」の伝統を示しているものと、考えられる.

復興を口にするが
 現在、地元の児童が伝統を継承しているが、大人の参加が少なく危うい.
 <復興>を口にするも、漁期開始の前に<祈り>も<感謝>もなくなった.
 「資源は神様がくれたモノ」の思想にカゲリ、<祈祷料を出せぬは神の働きがニブイ>と、人間は勝手に決め込んでいまい、か.

 <祈り>も<感謝>も希薄.資源枯渇のみならず、<地球温暖化>は止まらない.
 厚岸かぐら 復興に不可欠・支持慣習.(140224 「厚岸かぐら」).
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感覚相異? or 人権意識 3月9日の<日本三苦>

2016年03月12日 10時32分17秒 | 時代



感覚相異? or 人権意識 3月9日の<日本三苦>

 舞台は国連女子差別撤廃委員会.日韓間の政府合意事項が俎上にのせられた.
 「不可逆」の確認があっても、幕引きとはなるまいと感じてはいたが.
 二国間ではなく、三者機関を巻き込んで.3月7日.国内で報じられた.

表面化しなかった点も
 そこでは、皇室の男系相続の是非が、最終報告まであがっていった、と.3月9日になって、読売や産経が伝えるた内容を、ネットで読んだ.



政治の劣化 外国人記者
 夕方のテレビ番組案内.3月9日には、「国会議員が育児休暇を」「不倫」「メディア圧力」.
 そこに言及しつつ、外国人記者は見た日本 in the World.
「ゲス不倫、問題発言、メディア圧力…」
「海外から日本の政治家の資質が問われている!」
「“議員”の質は本当に劣化しているのか?」

 余計なお節介?、それとも、さすがに「主権者軽視?」.
 たまたま3月9日.日本!!、政治の三苦労.
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開創時出願記録 公文書調査

2016年03月09日 08時04分30秒 | 記録


 釧路市の米町、弥生に甍をそろえる寺社仏閣に、開創の時期がありますね.その時には、開設の出願などさまざまな手続きで文書を用意するとおもうのですが.
 そのような記録を閲覧する方法は、可能なのでしょうか.
 『釧路市統合年表』によると、開創に関係する時期は、つぎのようになっています.

 
明治 8 年 聞名寺前身の説教所開教
明治13年 令闡寺、寺号公称(10月)
明治17年 大成寺 寺号公称(11月)
1886年 北海道庁設置で三県一事業局廃止(1月26日)
  3月 根室県廃止で、根室支庁が開庁。
明治19年 定光寺 寺号公称(2月)
(本行寺前身の浄土真宗本願寺派教務所開教=年表22年)
明治24年 厳島神社が現在地に移転
明治25年ころ 西端寺の前身開教(32年 寺号公称 年表31年)
明治31年 本行寺、寺号公称
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エサ 美味&敬遠 鶴居

2016年03月05日 15時48分04秒 | 放送



エサ 美味&敬遠
 写真はタンチョウの給餌場(きゅうじば ヒトが冬場エサのトーモロコシを与えている)に、異変と報じられた.
 例年は200羽前後があつまる場所に飛来するタンチョウが激減でいている、という.



輸入品&畑作落ち穂

 近くに、台風で倒れたために放置したトーモロコシ畑があるのだそうで.
 タンチョウはそちらn飛来、自給する.給餌場であたえるエサは輸入家畜飼料のトーモロコシ.
 畑に放置されているのは、ヒトの食糧用作物.味は<違う>ということか.

道ばたの草&栽培の牧草

 味がちがうことを、飼育牛が体現した点を放送した番組=TVHがあった.
 ポイントは化学肥料.自然の<道ばたの草>が<おいしく>、化学肥料を施した<栽培品>に牛は見向きしなかったそうで.

 飼育家は<化学肥料の成分がぬける>ことが、大事ともうしていたが.
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旧名ヌサ・オマ・イ 「Nusa-oma-i」

2016年03月04日 16時09分18秒 | 景観


旧名ヌサ・オマ・イ 「Nusa-oma-i」
 幣舞は、アイヌの人たちに伝わる地名「ヌサ・マイ」に由来し、ヌサ・オマ・イ=幣場・ある・処の意です。幣場は神まつりのため、柳の皮をはぎ、先をけずって房状にしたイナウ(木幣)を、並べた所です。

単数=イナウ 複数=ヌサ
 あるとき幣舞橋の上流に、石灰質の岩があり、木幣が流れついて、この岩に抱かれるように見えたとする説、
 橋をみおろす丘陵に幣場があったため、とする説があります。
 木幣は、関東では「削りかけ」とも言われ、二本以上複数となったとき「ヌサ=幣」と呼び幣を祭るところを「ヌササン」=幣棚として敬われます。
 →佐藤直太郎「幣舞の語源について」(『佐藤直太郎郷土研究論文集』 釧路叢書第3巻 釧路市発行)
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モシリヤ Mushiriya pet(永田方正著)

2016年03月03日 06時22分35秒 | 景観



モシリヤ Mushiriya pet(永田方正著)

 北海道東部、釧路市.城山・材木町・大川町・住吉をあわせて、旧名「モシリヤ」.
 永田方正著『初版 北海道蝦夷語地名解 復刻版』は、そこの表記を「Mushiriya pet ムシリヤ ペツ 川島」と記載しています.
 
 昭和初期.釧路川に新放水路=「新釧路川」を開いて川幅を狭くした時まで、現在の「旭橋」所在地に中洲=川島があったことに、因みます.




サル シ プト Sar ush putu

 同様に永田は、「Sar ush putu サル シ プト 茅の・川口」と、釧路川に合流する支流=サルウシナイ川についても、記載しています.

 サルウシナイ川、釧路川とサルウシナイ川の合流点を見おろす位置に<国指定史跡 モシリヤチャシ址>=黒印が、あります.




モシリヤ&サルウシナイ

 現在の行政字「城山」は、アイヌ民族の一大土木工事である<チャシ跡>に由来しています.

 上図中、茶印は釧路仏舎利塔、紺色は<生活雑貨店 OKAMEINKO>さんが、出店のビル、黄緑印が写真撮影地>.
 取材は2月27日、良く晴れた土曜日の午後のことでした.

 この表音・表記について、山田秀三著『北海道の地名』で探してみました.どうも見当たらない.
 そこで本欄では、永田方正著『初版 北海道蝦夷語地名解 復刻版』によって、メモっておきます.
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和商モニターツアー報告会 160219

2016年03月02日 06時09分02秒 | 旅紀行



提供と消費をむすぶ

 雇用創造実践メニュー「滞在型観光ツアー商品開発事業成果報告会」.
 すこぶるお堅いが、160227に実施の「釧路和商市場でおこなった、勝手丼=かってどん+地酒・福司=ふくつかさ」の組み合わせで、新しい観光プログラムの提案.



提供者の存在感、存在意味の提示
 流通システムの変革.消費者指向の変化、台湾・中国・韓国などから富裕層が、亜寒帯を訪問するツアーの一般化.
 時代の変化で基盤低下の小売業界に、あたらしい枠組みを示す.そうした意図が、こめられていたか.

 案内、説明のバイリンガル.国内需要よりも、国外需要を意識した提案が、活発であった.
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「命がけで獲ってくるから」 余別・積丹

2016年03月01日 06時47分38秒 | 放送


「命がけで獲ってくるから」 余別・積丹.
 NHK番組「小さな旅」.30歳代のユースホステルの若妻が、海に出て漁をする夫の漁獲物に、語りかける.

 「命がけで獲ってくるから」、こちらも「命をかけて調理しなければ」.
 舞台の<余別=よぺつ>は、積丹半島の先端「+」印の位置にある.



漁家の主婦.
 女性は非漁業家から嫁いだと、紹介された.「少しでもはやく、漁業家の生活に慣れなくては」.
 
 そう語りながら、嫁いで覚えたという<魚のサバキ>に登場.<冬漁のホッケづくし>料理を振る舞っていましたよー.



余別川の河口
 余別は余別川の河口.冬のホッケ、岩海苔漁業が紹介された.<川下さま>と親しまれている、漁村信仰.
 厳しい冬を、150人の住民が<春>を待つ.

 手前の美国は江戸時代からのニシン漁場で識られる.その先の余別.
 1970年ころ、バスの路線図とダイヤ表を手に、「訪ねてみたい」.

 まだ出かけていないが、尋ねてみたい.HPでの紹介.  
 「積丹ユースホステルは、家族が漁に出て獲れたてのウニをふるまってくれる」.

 <良いこと>に先んじて、<厳しい漁>が気象の合間に営まれる.<たくましさ>と<相互扶助>.
 バスの便は日に五本.不便と言うなかれ、<急がぬ旅、環境にやさしい旅>が、できそう.
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