パッキーの多言語日記(ヒッポファミリークラブ板橋)

多言語活動、ヒッポファミリークラブで体験する面白い話や、小ネタをきままにつづっています。

このご時世に

2020年03月08日 | インドネシアホームステイ

サラマッパギー パッキーです

またまたご無沙汰ですが、その間に世間はすごいことになっていますね。

この新型肺炎の収束の先が見えないのが不安ですが。

そんなわけで、在宅時間も長く、ブログを引っ張り出して久々に読んでみると・・・・

 

恐ろしい事 書いてたなって 焦っております。

たった一か月前なのに・・・・

 

この 手で食べて味わう体験とか

 

インドネシアのホームステイで出会った儀式とか

 

大皿の上によそられたご飯の上に、一人がおかずを数種類トッピングしてくれて

それをその人の手で、その人がまぜてくれて、それをみんなで大皿から手で取って食べるという

なんとも、素手で 素手で、ビニール手袋などせずに

今考えると アンビリーバビルや!と思いますが、

 

だけど、こうやって脈々と文化や歴史は刻まれてきたわけで、

きっとインドネシアではずっと今でも同じことやっているのでしょう。

 

それにしても、気になることがあり、

インドネシアではなぜかこのコロナの感染者はすごく少ない。

なんでだろう。

 

普段から体の中にいろんな菌が共存共生していることが、外敵からの新たなる菌を攻撃する

力があるのか・・・なんて素人の残学で考えていますけど。

兎に角 一日も早く収束することを願っています。

 

 

 

 


手で食べる体験

2020年02月11日 | インドネシアホームステイ

サラママラン  インドネシアマイブームは帰国してから一か月以上たつのにまだ続いています。

 

先日は、我が家で今度行われる多言語講座の準備会があり、ヒッポ仲間が集まりました。

その際のお楽しみ実験で「手で食べる体験」をみんなでやってみたんです。

 

その日は色々みんなの都合に合わせて、二部制で集まりをしました。

午前の部では、シンガポールのお土産の海南チキンライスの素でご飯を炊き

鶏肉とご飯を手で混ぜて、食べてみました。

右手の人差し指、中指、薬指をくっつけて皿状にして、ご飯を乗せ、親指で押しだして食べる

インドネシアで教わったことを伝えてトライしてみましたが

結果は、

全然楽勝でした。

 

日本のお米は粘り気があるので、ちょっと指でまとめただけですぐに

団子状態になり、あっさり口に放り込むことができ、あっけなく実験終了の午前の部。

 

そこで、夜の部ではレトルトですが、ホウレンソウのカレー(写真のような感じ)を買ってきて

米は日本のお米でしたが、お皿によそってやってみました。

まず、カレールーの中に手を入れるのはちょっと勇気が!!

 

が、そこで、すぐに感じたこと、それは 

「熱い」でした。

そうだ、そういえば、インドネシアでは、熱い料理が出てこなかったんです。

作り置きしていたおかずが並べられていて、ご飯は炊きたてではありましたが、

皿によそられているので、これもそんなに熱くない。

つまり、手で食べるので熱い料理は無いんですね。 なるほどーー

やってみて、初めてわかりました。

 

そして、ご飯とグリーンのカレーを混ぜて食べたのですが、

これが意外においしくて、みんながおいしいというので、

鈍感な私はゴミ箱に捨てたレトルトカレーの箱を拾ってきて、この会社だよと

見せたのですが、

考えたら、やっぱり、カレーもおいしかったのですが、手で食べたから

味が馴染んでおいしかったのかもしれません。

 

ヤホー情報によると、日本人の食生活は、バラバラに食べて口内調合する文化。

あちらでは、皿の上で手で調合する文化。手で混ぜるとご飯も馴染み一層おいしくなると

書いてありました。文化の違いですね。

まあ、そんなんで、食べた全員が「おいしかったー」と大満足の実験でしたが、

その後がちょっと。

手が脂ぎってしまい、ウエットティッシュで拭いたり、石鹸で洗ったりと

それぞれ自由行動に走り、テーブルの上はティッシュの山、

しかも、きれいにはなったんですが、その後、鼻をかもうと思ったら

手がカレー臭に覆われて、その夜は風呂に入るまで、手を鼻にちかづけようものならずっとカレー状態。

 

でも、きっとそれも慣れて馴染んでくるんでしょうね。

 

逆に言うと、あちらから来た人々は、日本の箸で食べることに慣れるまでは違和感だったのでは。

もしかしてどこかに、インドネシアパッキーみたいな人がいて、みんなで箸で食べる体験してたりして

 

 

 


インドネシアのお土産に110万!!

2020年02月03日 | インドネシアホームステイ

サラママラン  

今日はインドネシアのルピアの話です。

ホームステイを無事の終えて、最後に氷入りのココナッツジュースで洗礼をうけつつ、

それもなんとかやり過ごし、帰国の途に就く前に空港でお土産を買いました。

 

ヒッポに、職場に、友人にとリストを基に買いあさり会計。

すると、レジの表示にびっくり、びっくり、

なんと、1,110,000 となっているではありませんか?

えっつ、と驚き職場に買ったチョコレートを見ると

詰め合わせのチョコが 375,000  

たかいーーーとわが目を疑うも、何回見ても見慣れないこの

ゼロの数。ルピアと円の関係ですが、

ざっくり円に換算するには、ゼロを二つとり八がけすればいいらしいんだけど。

結果的には、土産は一万円ぐらいで収まり、チョコのセットは3000円ぐらいだから

そんなに驚くことはないんだけど、まあー慣れないはこの数字。


帰国後の楽しみ

2020年01月21日 | インドネシアホームステイ

サラマシアン  前回、帰国してからも楽しいと書きましたが、

どんなことが楽しいかというと、やっぱりヒッポはことばの活動なので、それにつきるかなと思います。

それぞれが、ホストファミリーでどんな風に話していたかを思い出しながら報告してくれるのですが、

ウチのホストは全部インドネシア語だったので、想像で生きていくしかなく、

どうしても想像がつかない音があり「別荘、別荘」と日本語のような音を何度も言われたと話したら

それ、うちも使ってたけど、「明日」ってことみたいだねと

互いの想像を持ち寄って意味をさぐりつつ、その状況にその意味が合うことがわかり、

一謎とけました。

しかし、

まあ、これは現地で溶けたからよかったのですが、

謎のまま持ち帰ったものも沢山あり、

 

ちょうばばかい すごく気になってたのですが、

何の会だか?? ほんとインドネシア語ってこんなよくわからないけど、笑っちゃう音が沢山あり。

 

キラキラ、らきらき、もごもご かぱかぱ、くぷくぷ ばにゃばにゃ!!

 

で、その、「ちょうば」を現地で聞いて来た人発見

料理が出たときに 「ちょうば?」と言われたとのこと。

「ナマちょうばが聞けて、感動っ」て言ってましたが・・・・

 

なんだか、わからない文章ですが、状況からすると、TRY みたいな様子だったとのこと。

そんなことがあり、帰宅して、インドネシア語を聞いてみたら、

あるある 「ちょば、ちょうば、ちょうばばかい」 

日常的に多言語のCDを家にスピーカーを何台も置いて流していますが、

普段何気なく、聞き流していた音が、急に大きく、はっきりと聞こえてくるのが すっごく面白い

今日この頃です。

で、あまりに、はまりすぎたのか、先日インドネシア語で話す夢を見ました。

しかも、なんか、ナンパされる夢で 

私が「インドネシア語、話せません」とインドネシア語で言ったら

追いかけられてしまい、あわてて帰国したという、よくわからない夢でしたが、

昨日もスカーフをかぶり、自転車に乗っている人をみかけて、あっつ、インドネシアの人だって

思ったら、単に寒いので帽子をかぶってマスクをしていただけで、

やばい、これは、もはや、妄想と、幻覚症状ですか

 

 

 

 


帰国してから、もっと楽しい

2020年01月19日 | インドネシアホームステイ

サラマシアン  

インドネシアから帰って20日近くたちましたが、また一層楽しい日々が続いています。

一般的な旅行であれば、帰って来てから荷物かたづけ、お土産渡して、周囲の友達に話したら

まあ、一巡して 思い出も、日々褪せていきますが、

ヒッポで行く交流はその後がまた楽しいです。

と、いつもみんな言ってるので、このセリフは私の中では定型句となってしまい、感情抜きで

人に話していることが多かったのです、今は違います。

 

ほんと、帰って来てからがまた、楽しすぎる。

 

まず、今回の仲間は一緒に行ったメンツが深く長く、ヒッポの多言語活動を楽しんでいる人が大半。

なので、帰ってからも、毎週各地で行われているヒッポの活動に報告に参加するわけです。

私も数えてみたら、すでに10回ぐらい、話させてもらっていますが、

昨日は、私の主催する土曜日の大山の活動に2人が遊びに来てくれました。

すると一瞬にインドネシアの音、匂い、人々が蘇り、まるで舞い戻ったかの気分。

 

そして同じ時間、同じ土地に行った二人の話を聞くと、

すごくよくまとまっていて、時系列、関係性、土地の歴史など、そうだったんだーーということが

沢山あり、私としては、何を見てきたんだか、同じ場所にいたはずなのに、

あの集まりは、商工会議所主催だったんだーー

あの土地は世界に3か所しかない、女系社会で、長男が家督を継ぐという日本とちがい

長女が土地、家を継ぎ、家長はおばあちゃんだった、とかとか。

 

しかも、写真がすごくうまくて、その話をしたいときには、ちゃんと全体像がとらえられていて

話が整理されていて、

こーゆー風に話せるって事は、きっと頭の中も、部屋も整理されているんだろうなって

感心して聞いてしまいました。

 

そして、最後に私が話す番になったのですが、

本当にインパクトのあったところだけの写真と言葉の話のみ。

しかも内容も  

えっとーー部屋がすごく大きくて 

えっとートイレが こんな感じで 

えっとーご飯を手で食べたら沢山こぼして 

馬車に乗ったら怖かったーー

 

って、これじゃやっぱり3歳おばさん 

 

もう、これで生きていくしかないか!

 


歯が白い、歯並びきれい

2020年01月15日 | インドネシアホームステイ

今日はインドネシアで出会った子供達の歯についてです。

町から、かなり入った、高原に行ったわけですが、

そこでも、道路沿い、街中には、やせた犬、放し飼いの鶏、やぎに、はだしの子供達が

一緒になって走り回っている光景をたくさん見ました。

 

子供たちも、粗末な服を着ているこも多く

しかし、一つ発見したことがありました。

子供たちの歯並びが皆きれいで、肌の色の対比もあるかもしれませんが、

輝く白さの子が目につき、この歯のきれいさ?どうして 

 

まさかの、矯正? どんな歯磨き使ってるのかな?

だけど、歯とか磨いてるのかな?

などなど、疑問を持って帰ってきました。

 

そして、その疑問をママ友のジョイナ―に聞いてみました。

(このブログにもよく出てくる元ヒッポ仲間で

今はトライアスロンにはまり、世界転戦しています。)

なんたって、トライアスロン意外に歯医者もやっているので。

 

そこで、納得、面白いことを聞きました。

まあ、その生活状況なら、甘いお菓子を沢山食べることもなさそうだから、

虫歯もできず、

食事も固いものが多いだろうから、自然と顎が鍛えられ骨格もしっかりし

顎の幅に対して歯がしっかりと生えそろうとのこと。

 

逆に言うと、日本では、甘いものを多く食べる機会もあり、虫歯にもなりやすく

柔らかいものが多いので、顎が発達せず、そこに歯が入りきらずに

歯並びが悪くなるとのこと。

そうか、社会が発達するとこそんなことも起こるんですね。

 

ちなみにですが、街中には、住むだけが精いっぱいの中で 娯楽施設もあまりなさそう

しかも、イスラム教の人も圧倒的に多く、お酒も飲まないので、居酒屋的なものも皆無

なので、自宅で過ごす時間も多いのか

 

そんな話をしていたら、だから子供も多いんじゃないという声も聴かれ。

少子化に歯止めをと言われて久しい先進国ですが、

 

この国には、人間本来の形があるのかなと感じました。

 

 

 


多言語ギャグですべる

2020年01月13日 | インドネシアホームステイ

サラママラン

今回、私はインドネシアに行くにあたり、自分のミッションを決めて行きました。

得意の多言語ギャグを飛ばすでしたが!

さてさてその結果はいかに?

 

前のブログ記事で、赤はメラ!と書きましたが

ピンクは メラムダと色鬼で覚えて来ました。

 だから

ムダは、薄いという意味で、薄い赤がピンク?

と思っていたら、ムダは 若い と言う意味らしい

若い赤でピンク   若いみどりで黄緑

成る程  じゃあ、自己紹介の時に

サヤ ムダ と 言ったら 受けるかも!と

これを無謀にもミッションにしたわけです。

 

で、とりあえず、ホームステイ宅に到着し

早速、名前を言って、なんとかインドネシア語で

行けたようなので

次に

サヤ ムダ 

私は 若い!

と、満面の笑顔で言ってみました。

すると、そのリアクションはいかに?

 

チーン

は?

みたいな 一面に広がる❓⁉️マーク

 

しまった、滑った

 

まだ、関係性もできておらず。

 

この人は海のもの山のもの状態のその雰囲気では

笑いどころか、リアクションもなく?!

 

とにかく滑ったと多言語ギャグでありました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


べんりな馬車

2020年01月13日 | インドネシアホームステイ

サラマシアン  写真は観光地によくある観光馬車 名前は 「ベンリ」 と言ってました

日本語だと「ベンリ」は「便利」という意味だから便利なんだねって

得意の多言語ギャグも3歳では言うこともできず。

坂の多い観光地を馬車で巡るのかと思っていましたが・・・・

 

ある日の夕方 「バザールに行くけど、一緒に行く?」と聞かれて、「行く行く」と気軽に一緒に出掛けました。

近所にお使いだからカバンも軽くしてと軽装の私。だが、それが、のちに不安を招くのでした

 

とりあえず、連れて行ってくれたのはこの県で一番大きい玉ねぎと香辛料の問屋の社長であるママの事務所兼倉庫。玉ねぎが沢山あり、壁には大統領と一緒に撮った写真も飾ってありましたが、

その雰囲気たるや、、、、NHK朝ドラで戦後まもないドラマの紹介など、闇市などの状況をあえて

モノクロで紹介しますが、まさにあんな感じ。喧噪と、土ぼこりと、両側に広がる沢山の食材。

混沌の中に活気もあり、なんというか、パワーも感じるものの、一緒に行った仲間はそこで、

鶏を絞めて売っているのを見たとか。

人も物も車も多いので、とにかくママが手をつないでくれてその通りを抜け、アンコッタというタクシーに

乗りました。タクシーと言っても、軽ワゴン車の乗り合い白タク的なもので、ドアがなく、どんどん人がのり

適当におりて、適当に料金払うもの。

20分ぐらい乗って着いたバザールでお土産を買ったりしていると急に大音響でムスクからコーランが

響きわたり、ママがお祈りに行くと言って、雑踏の中にある教会に入っていきました。

「ここで待っててね」ということでしたが、人は多いし、場所は全くわからないし、

残念ながら、カバンを軽くするために、住所など書いた紙を全部置いてきてしまい、

ここで、迷子になったら、二度と日本に帰れないのではと思うと急に不安になってしまい、とにかく

ママが脱いだ靴をずっと見ていて、まるで子供状態。動くこともできずじっと視線を靴に落としながらしばし

待っていると、ママがお祈りを終えて無事帰ってきました。よかったーー

 

外に出てみると 生憎の雨 タクシーは拾えないし、ママは上から降ってきた鳥の糞で、服を汚すし

焦って気まずい雰囲気。それがよく伝わったので、何か言わなければと思いつつも何も言えない3歳おばさん。

裏道を回り、坂を下りているとふと壁にドラえもんの絵が書いてあり、思わずこの空気を和ませるために

壁に指をさして「ドラえもん」と言ってしまった私。

「えっつ? あー ドラえもんねっ」 とママ、速攻スルー

そりゃそうだよね、私もその扱い、自分の子供でやってましたよ。

 

こっちは焦ってるのに、今、ドラえもんどこじゃないのよ

 

ママの気持ちもわかるけど、私の最大の努力で言えた言葉が「ドラえもん」

情けないやら、おかしいやら、やれやれ、この歳でこんな体験ができるとは、ありがたや

 

 


ことばについて

2020年01月12日 | インドネシアホームステイ

サラマシアン  今回はことばについてです。

ホームステイ先の家族は65歳と60歳の夫婦でしたが、行ってみると奥さんの妹夫婦も一緒にいて

4人で住んでいました。

なので、あわててお土産を二等分して分けてあげたのですが。。。。。

 

とりあえず、できるだけのインドネシア語で自己紹介をしたのですが、

妹夫婦は片言で英語が話せるようで、

その二人の英語でなんとか状況が分かったのですが、

2日目にはもう帰ってしまい、考えると私が来るので初めだけ手伝いに来てくれたようでした。

しかしその夫婦も

妹の旦那さんが60歳で、一生懸命グーグル翻訳を使ってくれるのですが、

さすが60歳、スマホの扱いに相当時間がかかり、やっと翻訳をだしてくれたら話題から10分ぐらいたったあとで、そのことはもうわかりました的な流れ。

それでも頼みのその二人が帰ると

現地語のミナン語とインドネシア語だけでの生活となりました。

 

この言語だけで暮らす日々 

なので、わからないことだらけ、

なので、わかることだけで

暮らしていました。だから全く困らない。変な話ですが。

 

毎回ご飯になると、「マリ マカン」と言われるので、そう言われるとご飯なんだなってわかってきたり

まあ、餌を入れる皿が出てきたら、餌をもらえると思ってしっぽを振る犬のような条件反射で、す、が 

 

繰り返しの状況の中で同じ言葉が出てくるとだんだんと意味が分かってきました。

沢山歩いたあと、疲れたーーって思ってたら、ママが足をなでて「チャペ?」と聞くので

「疲れた?」って聞かれてるんだなとか、なんだろう、3歳のおばさん  になってました。

 

そして、その関係性の位置づけがはっきりする場面がある日やってきました。

ママは、何やら、ジャパンとかエン、インドネシア、ルピアみたいな話をしていたのですが、

それが全くわからず、何が言いたいのか、予想もつかなくて、ママも一生懸命

ゆっくり話したり、大きな声で話したりしてくれたのですが、聞こえないわけではなく、

早いからわからないわけではなく、結果ママもあきらめて、話題は終了。

 

そうか、私はやっぱり3歳なんだと、互いに実感した一場面 それからは手をつないで歩いてくれたり

ジェスチャーを交えて伝えてくれたり、私のつたないインドネシア語を一生懸命聞いてくれたり

料理がいつもおいしかったので、ミナン語「ラマバナー」を教えてくれたので、それを乱発していたら

「おいちい?おいちいの!よかったわねー」みたいな受け止め方で、なんだかもう

なにも言葉で防御することもない、無防備な状態がすごく楽で、3歳生活をエンジョイしてました。

 

 

 

 


トイレ話パート2

2020年01月12日 | インドネシアホームステイ

ぱぎー パッキーです

前々回のトイレ話の続きですが、なぜホストファミリーのトイレが居心地が懐かしく思われたかというと

洋式トイレのホスト宅でしたが、桶の代わりに、ハンディーシャワーがついていたんです。

なんというか、庭に水を撒く時に使うような、取っ手を握ると水が出るタイプで、直径2cmぐらいの

シャワーの口から威勢よく水が出ます。

慣れてくると、だんだんと、的確に 水を当てることができて、周りを水で濡らすこともない

テクニックも身に付き、帰るころには使いこなしていた自分。

そして、ウチにもこれ、付けたりしてなんて妄想してました。


食事中の方すみません。ホームステイ中 最大の課題 トイレ

2020年01月12日 | インドネシアホームステイ

サラママラン ナマニャ パッキー

毎回のインドネシアホームステイ報告ですが、今回はことばの問題に次ぐ第2の問題 トイレについてです。

写真はリアルなインドネシアのトイレ写真をヒッポ仲間から頂戴したのですが、

大きく分けると 和式と洋式に分かれていて  まあ、和式っていうのもへんですが、日本の和式みたいなもの

 

空港や私のステイした先は洋式でしたが、観光地やレストラン、道路沿いに建っている土産物屋のトイレは

ほぼ、ほぼ、ほぼ和式で、結構、鍵が壊れている、ドアが壊れている、鍵がかからないなど

楽しい体験をたくさんさせてもらいました。

 

で、帰国してこれを報告せずに先にはすすめないと、ネットでトイレについて調べていたら

なんと、帰国10日目にして発見、私の使う向きがまちがっていたんです。

事の流れとしては・・・・

ホストファミリー宅に着くまでに大渋滞に巻き込まれてしまい、

道路沿いのトイレに皆で入りました。

そしてまず、とまどったのは、

靴、靴下を脱いで、はだしで入る。水が流れているので、濡れてもいいように。

そこからすでにカルチャーショックでしたが、その後

まず、どちらに向いて入っていいんだか?と誰にも聞けずにとりあえず入ったものの

見ると便器の端にメーカーの名前が入っていたので、それが読める向きかと思い

しゃがんだのですが、それは逆だったということが昨日判明。

 

写真で説明すると こちらを向いてするらしいんです。

だから、右側に桶があり、左で拭いて、右手で水を汲んで洗い流すというなんとも

システマティックな配置であったわけです。

 

ヒッポの交流の楽しいところは、行く前の準備会でみんなに会うのも楽しいのですが、

帰国してから報告会と称してまたまたみんなで会う、これがまた楽しさ倍増で

ざっくばらんにトイレの使い方についても相談したわけで、いやあ、みんなで大笑い

 

まあ、私たちのような、桶の水を使いなれないものは、紙を持参し、それは流さないで、ごみ箱に捨て

使用した後は、桶から水を汲んで流すという、手動水洗とでもいうのでしょうか。

 

まあ、もう慣れるしかないと腹をくくりつつも、

インドネシアにいる間中

トイレについてはいつも気がかりでした。

だから帰国して、日本のトイレ入ったらホットして、TOTO最高と思えるかと思いきや

なぜか、あの ホストファミリー宅のトイレ 慣れてしまうと意外に良かったかもと思える今日この頃です。

 


持ち寄り歓迎会

2020年01月08日 | インドネシアホームステイ

サラマシアン

前回、手で食べる食事の事を書きましたが、今回は持ち寄り歓迎会での食事体験の事を書きます。

この歓迎会は地域の女性団体が、私たちを歓迎するために、6か月前から準備したとのことで

盛大に開催してくれました。

 

今回は私たちがゆかた、歓迎してくれた団体の方々は皆民族衣装の正装でした。

キラキラ輝くアクセサリ―を身にまとい色もきらびやかで賑やかな会となりました。

 

歓迎のあいさつがあり、いよいよ歓迎の食事となるわけですが、6人組に車座になり、直径30cmぐらいある

大きなお皿に白いご飯が山盛りよそられており、その上に、各自が作ってきた、一品料理を乗せて代表者が

それらをぐるぐると大胆にかき混ぜて、食事会がスタート

普段は小分けにするご飯を大皿で皆で食べるという意味の裏には、

家族のように一緒のお皿から食べて

仲良くなるという意味があるらしいのです。

ですが、一つやってはいけないルールがあり、、、

共通の大皿で食べるので、自分の口に運ぶ時は、指を直接自分の口につけて食べると

汚い?ので、指から口に放り込んで下さいとのこと。

すでにいろんな人の手で混ぜる段階でどうなの?とも思いますが

とりあえず言われるがままにトライしてみました。

 

だが、しかし、まず食べる前に、浴衣での正座がすでに難関、

足を崩すと、浴衣がはだけてしまい、何度も直しながら

指でコメをつかむものの相変わらず、ぽろぽろこぼれ、皿からはみ出し

絨毯やらゆかたの膝の上にこぼれ、口に投げ入れるも

三分の一は床にこぼれ 

三分の一は手に残り、残りがやっと口にはいるもののその半分は

口のまわりに飛びはね、口に入るのは計算すると3分の一の半分ですか

コメ何粒?の世界  

ふと他の人を見るとみんな同じようでしたが、

きれいな民族衣装にご飯がこぼれ、浴衣にソースのシミが付き

絨毯にコメが撒かれてもなんか、楽しい雰囲気。

顔にを汚して食べることがおいしいを意味するらしく、思いっきり飛び跳ねてました。

 

そして最後にまた、おかずがトッピングされて、素手でぐるぐる混ぜられ

6人の手から相当のダシが出るのか、最後は本当にご飯がおいしくなり

混沌とした中にも、一体感のある、何とも言えないこの食べ方。

かしこまって食べるホークやナイフなどないので、

なんだか、食欲むき出しの人間の本来の姿になれたような食事会でした。


手だ食べる

2020年01月07日 | インドネシアホームステイ

サラママラン  パッキーです 

写真はインドネシアホームステイ、

ホストファミリー宅での、手で食べる食事デビューの写真です。

 

とりあえず、スプーンとフォークは出ましたが、みんなは手で食べていました。

それが、流儀であれば挑戦と、2日目ぐらいに私もやってみたら、それ以降スプーンが出なく

なりました

 

まあ、初の手での食事、なかなか慣れなくて、

 

流れとしては、大皿にまず、白いご飯がよそられ、

と言っても日本のお米のような粘りはないので、

パラパラしています。そこに、おかずを数種類乗せて、手でぐるぐるっと混ぜて食べます。

なかなかまとめて、口に運ぶことが難しくて、

 

まず、つかめる量が少ない、そこから、口に行くまでにこぼれ、最終的に口からもこぼれ

結果、わずかのコメが口に入るというなんとも、まどろっこしい食べ方をしておりました。

その間、手は油でべたべた、指を洗うボールも何度も洗うので水も汚れて

つめの間にも食べ物が入ってしまい。。。。んーーこれってどうなのと初めは思いましたが、

だんだん、なれてくると多く口に運べるようになり、

しかも発見 

最後の方になればなるほど、ご飯が混ざり、指からダシでも出ているのか、ご飯もお美味しくなり

スープも馴染んでまとまりやすくなり、終わりの頃には

手で食べるのは うまし!と思える自分がいました。

やっぱり 習うより慣れよ ですね。