パッキーの多言語日記(ヒッポファミリークラブ板橋)

多言語活動、ヒッポファミリークラブで体験する面白い話や、小ネタをきままにつづっています。

次回作が降りてきて!

2020年01月31日 | 今日の小ネタ

サラマシアン  パッキーです

前回無事に職場歓送迎会を終えて、楽しかったなーーと思い出していた朝

突然、降りてきました。 何がって

次回作 

まだ誰が転勤とかも全然わかりませんが、

朝、電車に乗っていたら急に降ってきました、アイデアが

 

まあ、いうてもパクリですが、M-1の 

やってくれる人はあたりを付けていますが、果たして

あのテンポのいい調子が出せるかは未知数 

しかも関西弁じゃないし

 

今回は劇ではなく  「漫才」   ミルクボーイならぬ、ミルクガール

どーもー ミルクガールです (モーモー

A:今度、また転勤の人がいるらしいのよ

B:だれだれ、そろそろ〇〇さんが転勤かなって思うけど

A:そうそう、私もそう思っていたんだけど、上司がその人の名前忘れてしまったらしくて・・・

B:えっつ、忘れるって やばくない じゃあ、私が一緒に考えるからどんな人だか教えてくれる

A:上司が言うにはね その人は、確かね、男らしくて、ガタイのしっかりした人って言うのよ

B:じゃあ、〇〇さんじゃないね、あの人はこないだも白塗りのマット役だったし・・・

 

なんてことを考えていたら、もうおかしくておかしくて、ふと電車のドアに映った自分の顔を見て

 ぎゃあ”---まずぃ、  なんと言うか、全力で口を閉じて笑っているので 

 

スマホ見てるとか、何か聞いてるならまだしも

 

素で全力 口閉じ笑いは超不気味

 

急いで、ドアに顔を近づけて、目撃者が出ないように防御 まずいまずい 

 

だけど・・・・次回といえば4月ぐらいだし、時は1月。まだあと3か月ぐらいあるし、

そして・・・・このコーンフレークネタ 4月まで盛り上がるかしら。

 

まあ、気にせずに、とりあず落ちまで考えよっと。 というわけで、楽しい痛筋電車です。

 

  


歓送迎会の結果報告

2020年01月27日 | 今日の小ネタ

サラマシアン  パッキーです

 

前回のブログで書いた、職場の歓送迎会の劇の報告です。

3人の転出者がでて、3作品発表した、日暮里紅白歌合戦。

動画を撮ってもらい翌朝すぐに仲間内に配信されたのですが、

それを朝の通勤電車で見てしまった人がいて

苦しかったとのこと・・・

なぜ WHY 

そうです。 笑いをこらえるのに。

 

写真はゲストのちこちゃんと、白組司会のマット

これもすっごい良くできていて。そっくり。さすがY田さん。

ちこちゃんもいい仕事して、大うけでした。

 

で、私の「天城越え」ならぬ、熊本転勤者に向けてのはなむけの歌

「熊本越え」 ですが、 やはり この歌は、歌唱力が問われて、お恥ずかしい次第でしたが、

そこは、歌詞でごまかして。

ちゃんと、知り合いの熊本出身者に聞き取り調査をして、熊本についての替え歌を考えました。

 

では、ここでご披露 

 

隠しきれない、にんにくが、いつしかあなたにしみついた

豚骨ラーメン 何杯も 食べ歩きしていいですかーー

球磨焼酎、美少年 馬刺しもうまい、かれしれんこんーーー 

飲み歩き―― 食べ歩きーーー 熊本城のむこうに あなた

〇〇(転勤者の名前)が もえええーーるーー

食べすぎ飲みすぎ注意して、たまには仕事もしないとね---

 

と続くわけで、歌唱力は歌詞と演技と助っ人でカバーし

なんとも、ウチワ受けでしたが、楽しい時間でした。

 

その後、送り出された転勤者には、思いがけず嬉しかったと

とても感謝され、思わず、涙したりする姿に こちらも嬉しくなり、

転入者の方々には、「さ、さきほどの劇も楽しく、明るい職場の雰囲気のようで・・・」と

ちょっと引いてましたが、まあ、雰囲気は伝わったでしょうかね。

 

 

 


歓送迎会の劇

2020年01月22日 | 今日の小ネタ

今回はインドネシアネタではありませんが、職場ネタで、

またまた、転勤の季節。年に4回あるので、このごろ4ステージやっている歓送迎会の劇。

もう10年ぐらいやっているでしょうか。誰も「辞めたら」とも言われないので。

 

最初は誰に言われるわけではなく、一人、同じ課の人が転勤なので、その人にまつわる

エピソードをを交えて替え歌で送りだしていたのが、発祥でした。

しかも、やったりやらなかったりと気ままにやっていたところ、意外と好評で、

違う課の人からも僕の時もお願いと言われてしまい、それを機に、他の部署の人も

やることになる流れになってしまい、今回は3人分の歌を作り、

日暮里紅白歌合戦としました。

確か、前回は アド街っく天国 IN 日暮里

その前は、家を売るオンナがはやっていたので、それをネタにやったり

 

今回もまたまた、練習時間もなく焦っていますが、脚本だけは日暮里の橋田寿賀子が書き上げ

グッズは毎度のごとく、美術担当のY田さん、ばっちりと完成。

紅白歌合戦。紅組の司会は 綾瀬はるかで、たまに 噛んでしまう。

白組の司会は matt 白塗りのお面にばっちり眉毛書いてそっくり

そして、ちこちゃんも登場予定。こちらは小道具があるとのことで超楽しみ。

若手のパーフェクトヒューマンからの

天城越えと、恋するフォーチュンクッキーなどなど

用意しましたが、予定していた歌い手の OKさんが、欠席とのことで、

歌う人がいず、しかも、天城越えなんて難しいもんで作ったので、

歌い手を探しましたが。。。。。

「歌うまいですか?」とみんなに聞いて回ったのですが、

そんなの誰も、うまいですなんて言うわけがなく、

結局、欠席のOKさんの歌唱指導を受けて 私が歌うことになり、

超、マジ、恥ずかしい 石川さゆり ハードル高すぎ 前奏長すぎ、どんな顔すればいいのか。

とういわけで、いつもの居酒屋でやる予定、いったいどうなるかのドタバタ喜劇。

結果はまた!

 

 

 


帰国後の楽しみ

2020年01月21日 | インドネシアホームステイ

サラマシアン  前回、帰国してからも楽しいと書きましたが、

どんなことが楽しいかというと、やっぱりヒッポはことばの活動なので、それにつきるかなと思います。

それぞれが、ホストファミリーでどんな風に話していたかを思い出しながら報告してくれるのですが、

ウチのホストは全部インドネシア語だったので、想像で生きていくしかなく、

どうしても想像がつかない音があり「別荘、別荘」と日本語のような音を何度も言われたと話したら

それ、うちも使ってたけど、「明日」ってことみたいだねと

互いの想像を持ち寄って意味をさぐりつつ、その状況にその意味が合うことがわかり、

一謎とけました。

しかし、

まあ、これは現地で溶けたからよかったのですが、

謎のまま持ち帰ったものも沢山あり、

 

ちょうばばかい すごく気になってたのですが、

何の会だか?? ほんとインドネシア語ってこんなよくわからないけど、笑っちゃう音が沢山あり。

 

キラキラ、らきらき、もごもご かぱかぱ、くぷくぷ ばにゃばにゃ!!

 

で、その、「ちょうば」を現地で聞いて来た人発見

料理が出たときに 「ちょうば?」と言われたとのこと。

「ナマちょうばが聞けて、感動っ」て言ってましたが・・・・

 

なんだか、わからない文章ですが、状況からすると、TRY みたいな様子だったとのこと。

そんなことがあり、帰宅して、インドネシア語を聞いてみたら、

あるある 「ちょば、ちょうば、ちょうばばかい」 

日常的に多言語のCDを家にスピーカーを何台も置いて流していますが、

普段何気なく、聞き流していた音が、急に大きく、はっきりと聞こえてくるのが すっごく面白い

今日この頃です。

で、あまりに、はまりすぎたのか、先日インドネシア語で話す夢を見ました。

しかも、なんか、ナンパされる夢で 

私が「インドネシア語、話せません」とインドネシア語で言ったら

追いかけられてしまい、あわてて帰国したという、よくわからない夢でしたが、

昨日もスカーフをかぶり、自転車に乗っている人をみかけて、あっつ、インドネシアの人だって

思ったら、単に寒いので帽子をかぶってマスクをしていただけで、

やばい、これは、もはや、妄想と、幻覚症状ですか

 

 

 

 


帰国してから、もっと楽しい

2020年01月19日 | インドネシアホームステイ

サラマシアン  

インドネシアから帰って20日近くたちましたが、また一層楽しい日々が続いています。

一般的な旅行であれば、帰って来てから荷物かたづけ、お土産渡して、周囲の友達に話したら

まあ、一巡して 思い出も、日々褪せていきますが、

ヒッポで行く交流はその後がまた楽しいです。

と、いつもみんな言ってるので、このセリフは私の中では定型句となってしまい、感情抜きで

人に話していることが多かったのです、今は違います。

 

ほんと、帰って来てからがまた、楽しすぎる。

 

まず、今回の仲間は一緒に行ったメンツが深く長く、ヒッポの多言語活動を楽しんでいる人が大半。

なので、帰ってからも、毎週各地で行われているヒッポの活動に報告に参加するわけです。

私も数えてみたら、すでに10回ぐらい、話させてもらっていますが、

昨日は、私の主催する土曜日の大山の活動に2人が遊びに来てくれました。

すると一瞬にインドネシアの音、匂い、人々が蘇り、まるで舞い戻ったかの気分。

 

そして同じ時間、同じ土地に行った二人の話を聞くと、

すごくよくまとまっていて、時系列、関係性、土地の歴史など、そうだったんだーーということが

沢山あり、私としては、何を見てきたんだか、同じ場所にいたはずなのに、

あの集まりは、商工会議所主催だったんだーー

あの土地は世界に3か所しかない、女系社会で、長男が家督を継ぐという日本とちがい

長女が土地、家を継ぎ、家長はおばあちゃんだった、とかとか。

 

しかも、写真がすごくうまくて、その話をしたいときには、ちゃんと全体像がとらえられていて

話が整理されていて、

こーゆー風に話せるって事は、きっと頭の中も、部屋も整理されているんだろうなって

感心して聞いてしまいました。

 

そして、最後に私が話す番になったのですが、

本当にインパクトのあったところだけの写真と言葉の話のみ。

しかも内容も  

えっとーー部屋がすごく大きくて 

えっとートイレが こんな感じで 

えっとーご飯を手で食べたら沢山こぼして 

馬車に乗ったら怖かったーー

 

って、これじゃやっぱり3歳おばさん 

 

もう、これで生きていくしかないか!

 


紅白歌合戦でました。嵐のバックダンサー

2020年01月16日 | 今日の小ネタ

嵐、嵐、 今回はインドネシアの話ではないのですが、

前回の記事で登場した、ママ友、ジョイナーの娘さんの なっちゃんが

なんと、今年、いや、去年暮れの紅白歌合戦に嵐のバックダンサーとしてテレビに出ていたのです

なっちゃんの事は、このブログにも何回か登場しましたが、

もう10年前ですね、高校を出て、ダンサーになりたいとアメリカに単身わたり

あれから10年かーー

今や、有名アーティストのオーデションにも受かるようになり、大活躍。

そして、昨年秋には「嵐」の

「turning up」 という曲のPVにも登場し

その、流れで、紅白の出演が決まったとのこと。

当日は私はインドネシアに行っていたので、帰国してから録画した画面を

母のジョイナ―と見ました。

紅白のエピソードを聞きながら、キレキレに踊るなっちゃんを見て

 

自称第2の母としては感慨無量でございました。

 

写真は次の日のスポーツ新聞の一面をかざったとのことで、その写真です。

相葉君の左端のピンクススーツがなっちゃんです。

これからも、世界へ羽ばたけ 

 

 


歯が白い、歯並びきれい

2020年01月15日 | インドネシアホームステイ

今日はインドネシアで出会った子供達の歯についてです。

町から、かなり入った、高原に行ったわけですが、

そこでも、道路沿い、街中には、やせた犬、放し飼いの鶏、やぎに、はだしの子供達が

一緒になって走り回っている光景をたくさん見ました。

 

子供たちも、粗末な服を着ているこも多く

しかし、一つ発見したことがありました。

子供たちの歯並びが皆きれいで、肌の色の対比もあるかもしれませんが、

輝く白さの子が目につき、この歯のきれいさ?どうして 

 

まさかの、矯正? どんな歯磨き使ってるのかな?

だけど、歯とか磨いてるのかな?

などなど、疑問を持って帰ってきました。

 

そして、その疑問をママ友のジョイナ―に聞いてみました。

(このブログにもよく出てくる元ヒッポ仲間で

今はトライアスロンにはまり、世界転戦しています。)

なんたって、トライアスロン意外に歯医者もやっているので。

 

そこで、納得、面白いことを聞きました。

まあ、その生活状況なら、甘いお菓子を沢山食べることもなさそうだから、

虫歯もできず、

食事も固いものが多いだろうから、自然と顎が鍛えられ骨格もしっかりし

顎の幅に対して歯がしっかりと生えそろうとのこと。

 

逆に言うと、日本では、甘いものを多く食べる機会もあり、虫歯にもなりやすく

柔らかいものが多いので、顎が発達せず、そこに歯が入りきらずに

歯並びが悪くなるとのこと。

そうか、社会が発達するとこそんなことも起こるんですね。

 

ちなみにですが、街中には、住むだけが精いっぱいの中で 娯楽施設もあまりなさそう

しかも、イスラム教の人も圧倒的に多く、お酒も飲まないので、居酒屋的なものも皆無

なので、自宅で過ごす時間も多いのか

 

そんな話をしていたら、だから子供も多いんじゃないという声も聴かれ。

少子化に歯止めをと言われて久しい先進国ですが、

 

この国には、人間本来の形があるのかなと感じました。

 

 

 


多言語ギャグですべる

2020年01月13日 | インドネシアホームステイ

サラママラン

今回、私はインドネシアに行くにあたり、自分のミッションを決めて行きました。

得意の多言語ギャグを飛ばすでしたが!

さてさてその結果はいかに?

 

前のブログ記事で、赤はメラ!と書きましたが

ピンクは メラムダと色鬼で覚えて来ました。

 だから

ムダは、薄いという意味で、薄い赤がピンク?

と思っていたら、ムダは 若い と言う意味らしい

若い赤でピンク   若いみどりで黄緑

成る程  じゃあ、自己紹介の時に

サヤ ムダ と 言ったら 受けるかも!と

これを無謀にもミッションにしたわけです。

 

で、とりあえず、ホームステイ宅に到着し

早速、名前を言って、なんとかインドネシア語で

行けたようなので

次に

サヤ ムダ 

私は 若い!

と、満面の笑顔で言ってみました。

すると、そのリアクションはいかに?

 

チーン

は?

みたいな 一面に広がる❓⁉️マーク

 

しまった、滑った

 

まだ、関係性もできておらず。

 

この人は海のもの山のもの状態のその雰囲気では

笑いどころか、リアクションもなく?!

 

とにかく滑ったと多言語ギャグでありました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


べんりな馬車

2020年01月13日 | インドネシアホームステイ

サラマシアン  写真は観光地によくある観光馬車 名前は 「ベンリ」 と言ってました

日本語だと「ベンリ」は「便利」という意味だから便利なんだねって

得意の多言語ギャグも3歳では言うこともできず。

坂の多い観光地を馬車で巡るのかと思っていましたが・・・・

 

ある日の夕方 「バザールに行くけど、一緒に行く?」と聞かれて、「行く行く」と気軽に一緒に出掛けました。

近所にお使いだからカバンも軽くしてと軽装の私。だが、それが、のちに不安を招くのでした

 

とりあえず、連れて行ってくれたのはこの県で一番大きい玉ねぎと香辛料の問屋の社長であるママの事務所兼倉庫。玉ねぎが沢山あり、壁には大統領と一緒に撮った写真も飾ってありましたが、

その雰囲気たるや、、、、NHK朝ドラで戦後まもないドラマの紹介など、闇市などの状況をあえて

モノクロで紹介しますが、まさにあんな感じ。喧噪と、土ぼこりと、両側に広がる沢山の食材。

混沌の中に活気もあり、なんというか、パワーも感じるものの、一緒に行った仲間はそこで、

鶏を絞めて売っているのを見たとか。

人も物も車も多いので、とにかくママが手をつないでくれてその通りを抜け、アンコッタというタクシーに

乗りました。タクシーと言っても、軽ワゴン車の乗り合い白タク的なもので、ドアがなく、どんどん人がのり

適当におりて、適当に料金払うもの。

20分ぐらい乗って着いたバザールでお土産を買ったりしていると急に大音響でムスクからコーランが

響きわたり、ママがお祈りに行くと言って、雑踏の中にある教会に入っていきました。

「ここで待っててね」ということでしたが、人は多いし、場所は全くわからないし、

残念ながら、カバンを軽くするために、住所など書いた紙を全部置いてきてしまい、

ここで、迷子になったら、二度と日本に帰れないのではと思うと急に不安になってしまい、とにかく

ママが脱いだ靴をずっと見ていて、まるで子供状態。動くこともできずじっと視線を靴に落としながらしばし

待っていると、ママがお祈りを終えて無事帰ってきました。よかったーー

 

外に出てみると 生憎の雨 タクシーは拾えないし、ママは上から降ってきた鳥の糞で、服を汚すし

焦って気まずい雰囲気。それがよく伝わったので、何か言わなければと思いつつも何も言えない3歳おばさん。

裏道を回り、坂を下りているとふと壁にドラえもんの絵が書いてあり、思わずこの空気を和ませるために

壁に指をさして「ドラえもん」と言ってしまった私。

「えっつ? あー ドラえもんねっ」 とママ、速攻スルー

そりゃそうだよね、私もその扱い、自分の子供でやってましたよ。

 

こっちは焦ってるのに、今、ドラえもんどこじゃないのよ

 

ママの気持ちもわかるけど、私の最大の努力で言えた言葉が「ドラえもん」

情けないやら、おかしいやら、やれやれ、この歳でこんな体験ができるとは、ありがたや

 

 


ことばについて

2020年01月12日 | インドネシアホームステイ

サラマシアン  今回はことばについてです。

ホームステイ先の家族は65歳と60歳の夫婦でしたが、行ってみると奥さんの妹夫婦も一緒にいて

4人で住んでいました。

なので、あわててお土産を二等分して分けてあげたのですが。。。。。

 

とりあえず、できるだけのインドネシア語で自己紹介をしたのですが、

妹夫婦は片言で英語が話せるようで、

その二人の英語でなんとか状況が分かったのですが、

2日目にはもう帰ってしまい、考えると私が来るので初めだけ手伝いに来てくれたようでした。

しかしその夫婦も

妹の旦那さんが60歳で、一生懸命グーグル翻訳を使ってくれるのですが、

さすが60歳、スマホの扱いに相当時間がかかり、やっと翻訳をだしてくれたら話題から10分ぐらいたったあとで、そのことはもうわかりました的な流れ。

それでも頼みのその二人が帰ると

現地語のミナン語とインドネシア語だけでの生活となりました。

 

この言語だけで暮らす日々 

なので、わからないことだらけ、

なので、わかることだけで

暮らしていました。だから全く困らない。変な話ですが。

 

毎回ご飯になると、「マリ マカン」と言われるので、そう言われるとご飯なんだなってわかってきたり

まあ、餌を入れる皿が出てきたら、餌をもらえると思ってしっぽを振る犬のような条件反射で、す、が 

 

繰り返しの状況の中で同じ言葉が出てくるとだんだんと意味が分かってきました。

沢山歩いたあと、疲れたーーって思ってたら、ママが足をなでて「チャペ?」と聞くので

「疲れた?」って聞かれてるんだなとか、なんだろう、3歳のおばさん  になってました。

 

そして、その関係性の位置づけがはっきりする場面がある日やってきました。

ママは、何やら、ジャパンとかエン、インドネシア、ルピアみたいな話をしていたのですが、

それが全くわからず、何が言いたいのか、予想もつかなくて、ママも一生懸命

ゆっくり話したり、大きな声で話したりしてくれたのですが、聞こえないわけではなく、

早いからわからないわけではなく、結果ママもあきらめて、話題は終了。

 

そうか、私はやっぱり3歳なんだと、互いに実感した一場面 それからは手をつないで歩いてくれたり

ジェスチャーを交えて伝えてくれたり、私のつたないインドネシア語を一生懸命聞いてくれたり

料理がいつもおいしかったので、ミナン語「ラマバナー」を教えてくれたので、それを乱発していたら

「おいちい?おいちいの!よかったわねー」みたいな受け止め方で、なんだかもう

なにも言葉で防御することもない、無防備な状態がすごく楽で、3歳生活をエンジョイしてました。

 

 

 

 


トイレ話パート2

2020年01月12日 | インドネシアホームステイ

ぱぎー パッキーです

前々回のトイレ話の続きですが、なぜホストファミリーのトイレが居心地が懐かしく思われたかというと

洋式トイレのホスト宅でしたが、桶の代わりに、ハンディーシャワーがついていたんです。

なんというか、庭に水を撒く時に使うような、取っ手を握ると水が出るタイプで、直径2cmぐらいの

シャワーの口から威勢よく水が出ます。

慣れてくると、だんだんと、的確に 水を当てることができて、周りを水で濡らすこともない

テクニックも身に付き、帰るころには使いこなしていた自分。

そして、ウチにもこれ、付けたりしてなんて妄想してました。


食事中の方すみません。ホームステイ中 最大の課題 トイレ

2020年01月12日 | インドネシアホームステイ

サラママラン ナマニャ パッキー

毎回のインドネシアホームステイ報告ですが、今回はことばの問題に次ぐ第2の問題 トイレについてです。

写真はリアルなインドネシアのトイレ写真をヒッポ仲間から頂戴したのですが、

大きく分けると 和式と洋式に分かれていて  まあ、和式っていうのもへんですが、日本の和式みたいなもの

 

空港や私のステイした先は洋式でしたが、観光地やレストラン、道路沿いに建っている土産物屋のトイレは

ほぼ、ほぼ、ほぼ和式で、結構、鍵が壊れている、ドアが壊れている、鍵がかからないなど

楽しい体験をたくさんさせてもらいました。

 

で、帰国してこれを報告せずに先にはすすめないと、ネットでトイレについて調べていたら

なんと、帰国10日目にして発見、私の使う向きがまちがっていたんです。

事の流れとしては・・・・

ホストファミリー宅に着くまでに大渋滞に巻き込まれてしまい、

道路沿いのトイレに皆で入りました。

そしてまず、とまどったのは、

靴、靴下を脱いで、はだしで入る。水が流れているので、濡れてもいいように。

そこからすでにカルチャーショックでしたが、その後

まず、どちらに向いて入っていいんだか?と誰にも聞けずにとりあえず入ったものの

見ると便器の端にメーカーの名前が入っていたので、それが読める向きかと思い

しゃがんだのですが、それは逆だったということが昨日判明。

 

写真で説明すると こちらを向いてするらしいんです。

だから、右側に桶があり、左で拭いて、右手で水を汲んで洗い流すというなんとも

システマティックな配置であったわけです。

 

ヒッポの交流の楽しいところは、行く前の準備会でみんなに会うのも楽しいのですが、

帰国してから報告会と称してまたまたみんなで会う、これがまた楽しさ倍増で

ざっくばらんにトイレの使い方についても相談したわけで、いやあ、みんなで大笑い

 

まあ、私たちのような、桶の水を使いなれないものは、紙を持参し、それは流さないで、ごみ箱に捨て

使用した後は、桶から水を汲んで流すという、手動水洗とでもいうのでしょうか。

 

まあ、もう慣れるしかないと腹をくくりつつも、

インドネシアにいる間中

トイレについてはいつも気がかりでした。

だから帰国して、日本のトイレ入ったらホットして、TOTO最高と思えるかと思いきや

なぜか、あの ホストファミリー宅のトイレ 慣れてしまうと意外に良かったかもと思える今日この頃です。

 


インドネシア語 色

2020年01月11日 | パッキーハウス

サラママラン  パッキーです 

写真はジャカルタの空港についた頃の写真で、ブログはすでに何回か書きましたが、

まだ本題に入れず、とりあえず途中経過のジャカルタにやっとついたところです。

何気ない写真ですが、多言語活動ヒッポをやっていると感動の写真で。。。

 

インドネシアに行く前の準備として、鬼ごっこをやりました

えっつ、おにごっこ

色鬼です、

鬼がその色を言って、部屋にあるその色をタッチ

誰かの服でも、バックでも、壁紙でもなんでもOK

そんな色鬼をして遊んでいた時に誰がかが

メラ!と言ったのです。

メラって何?とおもいましたが、

なんだか、メラメラ燃えるみたいなイメージで気が付けば

赤を触っている人が多かったので、とりあえず真似してみたら

そうです、インドネシア語の赤でした。

そんな感じで、ヒジャウと言われてすぐに緑を触りました。

これは10年以上前に、メンバーが受け入れをしたゲストが信号を指して言っていたので、

覚えていて、緑をタッチしました。

 

まあ、そんなこんなで、しょうもないゲームをエンジョイして出発したのですが、

なんと、現場で見ましたよ。生メラ、生ヒジャウ  

本当にそう言うんだとうれしくて、本場の看板を思わず撮ってしまった、の写真です

 

まあ、平たく話せば、申告のある人、無い人で色分けされているだけなんですが、

緑と赤、看板だけでもすごくも盛り上がる、ヒッポの仲間たちでした。

 

 


持ち寄り歓迎会

2020年01月08日 | インドネシアホームステイ

サラマシアン

前回、手で食べる食事の事を書きましたが、今回は持ち寄り歓迎会での食事体験の事を書きます。

この歓迎会は地域の女性団体が、私たちを歓迎するために、6か月前から準備したとのことで

盛大に開催してくれました。

 

今回は私たちがゆかた、歓迎してくれた団体の方々は皆民族衣装の正装でした。

キラキラ輝くアクセサリ―を身にまとい色もきらびやかで賑やかな会となりました。

 

歓迎のあいさつがあり、いよいよ歓迎の食事となるわけですが、6人組に車座になり、直径30cmぐらいある

大きなお皿に白いご飯が山盛りよそられており、その上に、各自が作ってきた、一品料理を乗せて代表者が

それらをぐるぐると大胆にかき混ぜて、食事会がスタート

普段は小分けにするご飯を大皿で皆で食べるという意味の裏には、

家族のように一緒のお皿から食べて

仲良くなるという意味があるらしいのです。

ですが、一つやってはいけないルールがあり、、、

共通の大皿で食べるので、自分の口に運ぶ時は、指を直接自分の口につけて食べると

汚い?ので、指から口に放り込んで下さいとのこと。

すでにいろんな人の手で混ぜる段階でどうなの?とも思いますが

とりあえず言われるがままにトライしてみました。

 

だが、しかし、まず食べる前に、浴衣での正座がすでに難関、

足を崩すと、浴衣がはだけてしまい、何度も直しながら

指でコメをつかむものの相変わらず、ぽろぽろこぼれ、皿からはみ出し

絨毯やらゆかたの膝の上にこぼれ、口に投げ入れるも

三分の一は床にこぼれ 

三分の一は手に残り、残りがやっと口にはいるもののその半分は

口のまわりに飛びはね、口に入るのは計算すると3分の一の半分ですか

コメ何粒?の世界  

ふと他の人を見るとみんな同じようでしたが、

きれいな民族衣装にご飯がこぼれ、浴衣にソースのシミが付き

絨毯にコメが撒かれてもなんか、楽しい雰囲気。

顔にを汚して食べることがおいしいを意味するらしく、思いっきり飛び跳ねてました。

 

そして最後にまた、おかずがトッピングされて、素手でぐるぐる混ぜられ

6人の手から相当のダシが出るのか、最後は本当にご飯がおいしくなり

混沌とした中にも、一体感のある、何とも言えないこの食べ方。

かしこまって食べるホークやナイフなどないので、

なんだか、食欲むき出しの人間の本来の姿になれたような食事会でした。


手だ食べる

2020年01月07日 | インドネシアホームステイ

サラママラン  パッキーです 

写真はインドネシアホームステイ、

ホストファミリー宅での、手で食べる食事デビューの写真です。

 

とりあえず、スプーンとフォークは出ましたが、みんなは手で食べていました。

それが、流儀であれば挑戦と、2日目ぐらいに私もやってみたら、それ以降スプーンが出なく

なりました

 

まあ、初の手での食事、なかなか慣れなくて、

 

流れとしては、大皿にまず、白いご飯がよそられ、

と言っても日本のお米のような粘りはないので、

パラパラしています。そこに、おかずを数種類乗せて、手でぐるぐるっと混ぜて食べます。

なかなかまとめて、口に運ぶことが難しくて、

 

まず、つかめる量が少ない、そこから、口に行くまでにこぼれ、最終的に口からもこぼれ

結果、わずかのコメが口に入るというなんとも、まどろっこしい食べ方をしておりました。

その間、手は油でべたべた、指を洗うボールも何度も洗うので水も汚れて

つめの間にも食べ物が入ってしまい。。。。んーーこれってどうなのと初めは思いましたが、

だんだん、なれてくると多く口に運べるようになり、

しかも発見 

最後の方になればなるほど、ご飯が混ざり、指からダシでも出ているのか、ご飯もお美味しくなり

スープも馴染んでまとまりやすくなり、終わりの頃には

手で食べるのは うまし!と思える自分がいました。

やっぱり 習うより慣れよ ですね。