大変な地震の爪あとが日を追うごとに広がり、
10日以上たってもまだまだ、被災者の数が増えていくのを見ながら
自分でも何かできないかと、
空いているパッキーハウスの部屋 2部屋を 被災してきた人に貸すことにしました。
でも、未経験のこの発想、
遠いけど使う人いるのかな、
ゲストハウスでマレーシア、イギリス、韓国の人と一緒で
それを楽しめるかな?
保険はどう適用?
住んでる人には承諾を得た方が??
などなど、想定できることを書き上げながら
条件を考え、ヒッポファミリークラブの
仲間達のメーリングリストに流しました。
ところが、そんな時
帰国もせず、頑張っているマレーシアのイズルと
励ましのお茶会をしながら、この話をしていると
イズル・・・・
彼は山形大学にかよっていて、東北地方にもたくさん
友達がいて、
僕も声をかけてもいい?との
意外なところから声があがりました。
まあ、だれしもが緊急性を要するので
ヒッポファミリークラブと同時進行で募集をかけたところ、
翌日にすぐ一人、イズルの関係で応募があり部屋を見にきました。
メール流してから一日という早さにこちらもびっくり。
関係性からいうと、イズルの友達の友達とのことで、イズルとも初対面、
私達も面接と称して リビングで待ち構える状態となり
部屋には緊張感が走りました。
自己紹介をしたのですが、
緊張?なまり?とにかく顔がこわばって聞き取りにくいことば。
徐々に話を聞き、部屋を見てもらい うちとけてきて
即決断となりました。
聞けば、南三陸町が実家で
住まいは いわき市の26歳の男性。
金融関係の仕事で、15日の段階で
いち早く職場から、避難命令がでて・・・・・
車を提供してくれた先輩、
ガソリンを提供してくれた同僚
そして後輩の女子職員の母親(仙台在住)に
とにかく1cmでもいいから
ガソリンの続く限り娘を逃がしてほしいと
電話で懇願され
二人で身支度をして、南下してきたとのこと。
そして、ガソリンが尽きたのが、東京。
同乗した女子職員は池袋近くの親戚の家に避難。
そして、彼は西日暮里の東京で働く、後輩の家に
たどり着いた・・・・という 緊迫した話を聞きました。
で、その後は「緊急歓迎会」ってほどではありませんが、
家から用意していった、おにぎり、つけもの、けんちん汁
やきそばなどを、みんなで一緒に食べました。
やっぱり、食べることはいいねー
ごはんをご馳走になるなんて
向こうも考えていなかっようで
久々の暖かい食事に
大変喜んで
すっかり緊張もほぐれたようです。
なんだか、急展開で お互いビックリでしたが、
見ず知らずの家に泊まる彼の不安を思って
「私達は悪い人ではないから」と
安心させようと思ったら
なんだか悪い人みたいになってしまい
皆で大笑い。
しかもゲストハウスに泊まるなんて
予想もしていなかった彼
帰る時には英語がぺらぺらになっているかな?
なんて、冗談も最後には出て
ひとまず、住人一人が決まりました。
私の思いつきを
パッキーハウススタッフ一丸となり実現できた
ことに感謝です。