パッキーの多言語日記(ヒッポファミリークラブ板橋)

多言語活動、ヒッポファミリークラブで体験する面白い話や、小ネタをきままにつづっています。

今 自分に できること

2011年03月30日 | ヒッポファミリークラブ

アパカバー   マレーシア語の挨拶です。

ヒッポはいろいろな国のことばに壁を作らず

どんな人とも壁を作らず

 

そんな人たちが集まっているせいか、

今回の地震などで被害にあわれた方に対して

何かしたい と 思っている人がたくさんいます。

まあ、この緊急事態では、世の中みんなそう思っているでしょうね。

 

そんな中、

福島で救援物資を必要としている!という

メンバーのみゅうみゅからの発信があり、

急遽、ヒッポの仲間に呼びかけたところ、

なんと、なんと、集まる 集まる、

 

先週のヒッポの集まりには、 服、本、おもちゃ 歯ブラシ、マスク。。。。。。

それぞれが、手提げいっぱいに運んできました。

 

チャリ通の 私は それらを

前かご、うしろかご リュック ハンドルに手提げをぶら下げて

 

そして、マスクに、帽子 という

かなり怪しい格好で、

40分チャリをこいで、自宅に持って帰りました。

 

みんなの、あったかい善意が福島に届きますように

その、気持ちで、

この一週間 パッキー便は町を走り

緊急物資の回収に回りました。

おかげで、今日は 自転車のりすぎて、

筋肉痛  いやいや  尻痛です。

 


緊急歓迎会

2011年03月30日 | パッキーハウス/PakkyHouse

マガンダン ハポン    フィリピンはタガログ語の挨拶です。

さてさて、

前回のブログで書いたように、この日は

パッキーハウスに いわき から緊急避難してきた

新しい住人の ヒサ 君の 歓迎会を開きました。

写真はその時のものですが、

住人のマレーシアのイズルと、息子のニュージーランドの友人の ようへい さんと

まあ、一期一会のような、奇妙な関係性のなか、

ほとんどが1時間前ぐらいに 初めて会った仲間でしたが、

楽しい食卓でした。

そこで、写真を一枚とりましたが、

いったい、誰が、どこの 国の人??って感じ

 

そして、一人光っている、若い 女性。

彼女こそ、今回の 緊急避難を手助けした立役者

あずみちゃん

でもそのあずみちゃんも

イズルとは ツイターーで知り合ったとか、、、、

とうわけで、きっかけは、皆 薄いのですが、

濃い 交流が出来た パッキーハウスでした。

 


避難所として・・・・

2011年03月21日 | パッキーハウス/PakkyHouse

大変な地震の爪あとが日を追うごとに広がり、

10日以上たってもまだまだ、被災者の数が増えていくのを見ながら

自分でも何かできないかと、

空いているパッキーハウスの部屋 2部屋を 被災してきた人に貸すことにしました。

 

でも、未経験のこの発想、

遠いけど使う人いるのかな、

ゲストハウスでマレーシア、イギリス、韓国の人と一緒で

それを楽しめるかな?

保険はどう適用?

住んでる人には承諾を得た方が??

 

 

などなど、想定できることを書き上げながら

条件を考え、ヒッポファミリークラブの

仲間達のメーリングリストに流しました。

ところが、そんな時

 

帰国もせず、頑張っているマレーシアのイズルと

励ましのお茶会をしながら、この話をしていると

 

イズル・・・・

彼は山形大学にかよっていて、東北地方にもたくさん

友達がいて、

僕も声をかけてもいい?との

意外なところから声があがりました。

 

 

まあ、だれしもが緊急性を要するので

ヒッポファミリークラブと同時進行で募集をかけたところ、

翌日にすぐ一人、イズルの関係で応募があり部屋を見にきました。

メール流してから一日という早さにこちらもびっくり。

 

関係性からいうと、イズルの友達の友達とのことで、イズルとも初対面、

私達も面接と称して リビングで待ち構える状態となり

部屋には緊張感が走りました。

 

自己紹介をしたのですが、

緊張?なまり?とにかく顔がこわばって聞き取りにくいことば。

徐々に話を聞き、部屋を見てもらい うちとけてきて

即決断となりました。

 

聞けば、南三陸町が実家で

住まいは いわき市の26歳の男性。

金融関係の仕事で、15日の段階で 

いち早く職場から、避難命令がでて・・・・・

 

車を提供してくれた先輩、

ガソリンを提供してくれた同僚

そして後輩の女子職員の母親(仙台在住)に

とにかく1cmでもいいから

ガソリンの続く限り娘を逃がしてほしいと

電話で懇願され

二人で身支度をして、南下してきたとのこと。

 

そして、ガソリンが尽きたのが、東京。

同乗した女子職員は池袋近くの親戚の家に避難。

そして、彼は西日暮里の東京で働く、後輩の家に

たどり着いた・・・・という 緊迫した話を聞きました。

 

 

 

 

で、その後は「緊急歓迎会」ってほどではありませんが、

家から用意していった、おにぎり、つけもの、けんちん汁

やきそばなどを、みんなで一緒に食べました。

 

やっぱり、食べることはいいねー

ごはんをご馳走になるなんて

向こうも考えていなかっようで

久々の暖かい食事に

大変喜んで

すっかり緊張もほぐれたようです。

 

なんだか、急展開で お互いビックリでしたが、

見ず知らずの家に泊まる彼の不安を思って

「私達は悪い人ではないから」と

安心させようと思ったら

なんだか悪い人みたいになってしまい

皆で大笑い。

しかもゲストハウスに泊まるなんて

予想もしていなかった彼

帰る時には英語がぺらぺらになっているかな?

なんて、冗談も最後には出て

ひとまず、住人一人が決まりました。

 

私の思いつきを

パッキーハウススタッフ一丸となり実現できた

ことに感謝です。

 

 

 

 

 

 

 


自分で何ができるか考えよう

2011年03月17日 | ヒッポファミリークラブ

ニーハオ パッキーです。

連日の報道に心がいたみますが、

何ができるか、自分でも考えています。

そんな時、いとこの リエイロ という 四万十川で

ネット専用のお菓子やさんをやっている りえちゃんの

ブログから 役に立ちそうな記事があったので、

転送許可をもらい、アップしました。

できること、考えてみましょう。

 

救難救命の自衛隊パイロットの友人の記事だそうです。

 

 

災害が起きると全国から様々な支援物資が送られてきますが、物資が原因の新たな災害が引き起こされる危険性があることはあまり知られていません。

中越地震では物資が無節操に届き過ぎることで、被災者が毎日徹夜で仕分け作業を行わなければならなくなったり、日が経って腐ってしまった生ものを報道陣に隠れて処分しなければなりませんでした。

せっかくの支援物資が災害を起こさないために読んで欲しいです。

中には過去の情報もありますので、今回の地震には当てはまらない点もある可能性があります。



○物資の送り方○

・1つの段ボールには1品のみ。
いろいろなものを少しずつ入れると仕分けに苦労します。

・段ボールの表面の見えやすい場所に何が入っているかを大きく書く
「水」や「大人用/子供用おむつ」など。サイズがあればそれも記入。

・重すぎないようにする。ペットボトル飲料などを入れるときは注意。

・常識ですが、食べ残しのようなものや、消費期限の切れたものは入れない。

・お金を送る方がいい場合もあります。
お金は封筒に入れて送るとわかりにくいので必ず振り込みましょう。

12日現在、すでに詐欺まがいのメールも出回っているみたいです。きちんとした振込先が提示されると思うので、注意しましょう。



○何を送ればいいか○

避難所で喜ばれる物資を分類して書いておきます。また、送られると困るものも書いておきます。

ソースは「震災がつなぐ全国ネットワークさんの冊子より」

食料

喜ばれるもの:飲料水、カップ麺、お湯だけで作れるレトルト食品、乳児用粉ミルク、哺乳瓶

困るもの:野菜や魚などのなまもの、アイス、電子レンジで調理しなければならないもの、消費期限切れ食品

送ってもすぐ手元に送られる保証はないので、消費期限が十分なものがいいと思います。

衛生用品

喜ばれるもの:おむつ、生理用品、歯磨き、石けん、タオル、トイレットペーパー、ウエットティッシュ、マスク、水を使わないシャンプー、

その他

喜ばれるもの:毛布、マスク、新品の肌着や衣類、使い捨てカイロ

肌着や衣類は、具体的に分けてひと箱ずつ梱包するといいと思います。季節も考えましょう。

困るもの:古着(古着は誰も貰いません、ゴミになるだけです)、家でかきあつめたようなこざこざ、趣味で作った装飾品、絵画など。



医薬品

医薬品は医師や薬剤師がいないと配れません。

自分に処方された薬などをたまに送る方がいらっしゃいますが誰も使えません。


本音を言えばモノよりお金です。

自宅の不要品処理のような気持ちで送らないようにしましょう。



もちろん、時間経過とともに必要なものは変わってきます。

個人で送る場合は、よく見極めて、貰った相手がすぐ見て分るように工夫して送ることが大切だと思います。奥尻の津波の時も、この荷物仕訳で時間がかかりすぎたようです。「地震支援物資在中」と書くこともお勧めします。

今のところ、まだ東北地方への宅配運送はストップしているようです。
送り先は、各県庁へとなっていますが、定かではありません。何か情報分りましたら教えてください。

また、不要な電話やメールも控えたり、関東地方は大きな会社に節電を呼びかけています。どんな小さなことでも出来ることはあるのかなと思います。


みんな 無事かな。

2011年03月12日 | パッキーハウス/PakkyHouse

すごい地震でしたね。

 

我家は10階ですが、最上階の15階の水道管が破裂して、

一日たっていますが、となりの家の玄関はまだ水がながれています。

 

こんな時、マンションの役員もあたっており、被害状況を確認にあるきましたが、

最上階の住まいは本棚、食器棚が倒れてきて 食器がこなごなとのこと。

 

皆さん、これからも余震がありそうなので、気をつけてください。

 

パッキーシーハウスは 御宿で、津波が心配でしたが、

幸いにも、御宿あたりは津波の被害はなかったとのこと。

でも、かなりゆれたそうです。

 

そして、大塚のゲストハウス・・・・パッキーハウスも見に行きました。

壁がひび割れているところが2ヶ所あったぐらいでした。

 

地震のない国から来ている人もいるので、

こわかったーーーと言ってました。

 

日本で地震!

 

と世界のニュースに出たようで、

それぞれ母国の家族が大変心配して

ネット、携帯、などなど連絡を取り合っていたようです。

 

昨晩帰宅できなかった友達も数人、緊急でとまっており、

 

ベトナム、 タイ、韓国と・・・・・・・

 

こんな時も多言語で確認  

マレーシア  テイダアパアパ?

韓国  ケンチャナヨ?

そして、タイ語の大丈夫をわすれてしまい、

思わず、サワディーピーマイカー?といってしまい

何か違う??

そうだ、それはあけましておめでとうだ

 

まずい、こんな時に。

 

マイペンライカー  でした。

 

でも、みんな元気で、とりあえずよかったです。

 

パッキーハウスから10秒ぐらいのところが、

公園になっていて、緊急避難所となっています。

そこで、みんな寒い中、避難していたそうで、

ゲストハウスの住人とは言えど

家族同様、心配とともに、顔を見て安心しました。

 


我家で送別会

2011年03月11日 | パッキーハウス/PakkyHouse

アンニョンハセヨ  パッキーです。

 

外国人向けゲストハウスの

パッキーハウスですが、

入れ替わりも多く、短期滞在の人は

一ヶ月と言う人もいます。

 

で、毎月 歓送迎会をひらきますが・・・

まあ、自分が好きでやってるんです!!

 

今回は  韓国のすんちゃん、。。。。。

男の子でしたが、いまどきの

韓国系ソフトタイプ 一年の滞在を終えて、韓国で就職するとのこと。

 

初の我家での 送別会でした。

フランスのこーちゃん、香港のウイニーちゃん

そして次男の友達の ごっちゃん 

 

ごっちゃんはこの4月から 晴れて社会人 

でも、就職先が海外出張もたくさんありそうで、

同期もいろんな国の人がいるとのことで、

その エスニックな環境になれようと

このごろ、この怪しい、多言語空間に

出没するようになりました。 

 

そして、むしろ、エンジョイしている。 

 

テーブル上では、日本語、英語、韓国語、中国語が

飛び交う・・・・っていうか

日本酒、韓国焼酎、ビール、そして 45度の中国酒が飛び交う

楽しい 空間 でした。

 

 

 

 

 


板橋の母

2011年03月06日 | 今日の小ネタ

ナマステー  ヒンディー語の挨拶です。

先週、易の話をしに行きました。

易 とは ・・・・なんて難しいことではなく、

ヒッポの中のミニカレッジで、話されていることを、

自分なりに理解したところで、話ました。

 

もちろん、発表ではないので、楽しく盛り上げて、

まずは、自分名前は

 

「板橋の母」  

 

自称ですが、これで つかみはOK

 

もちろん、衣装は、黒のガウンに、黒のスカーフで

入場の曲も超、あやしげな、アラビアンチックな曲。

 

対象はヒッポの社会人メンバー、

若い人たち40名ぐらいいたかな。

普段、あまり、研究部門のトラカレには

なじみがないので、

易の話できる人!!ってことで、行ってきたしだいです。

 

 

で、一通り話したあと、

最後はお待ちかねの

占い

 

陰と陽の組み合わせで

64卦の中から、自分の今の状況を選ぶのですが、

 

易の考えでは、

63が 既済 といって すでに できている

完成の意味をあらわしますが、

64で、未済 となり、また 全部ちゃらでもとに戻る

 

つまり、私は完璧と思って

すべてうまくいっていると

 

ガツン

 

 

落ち込みがやってくる、

 

でも、あーー私ってどん底、

辛いワーー ッて時は

これから、上がって行く時なので、

いい時なんです。

 

まあ、人生、山あり、谷あり、

易の思想で、いろいろあっても、

焦らずに考えられるようになりました。

 

 

自称「板橋の母」ですが、

その時に、易に興味を持った、小学生の女の子がいたので、

「新宿の子供」として、

占いを伝授してきました。

 

 

 


国際理解授業に参加したよ。

2011年03月02日 | ヒッポファミリークラブ

ボンジュー   今日はとても寒い一日でした。

 

そんな 寒い一日でしたが、 心はぽかぽか

またまた、楽しい体験をしてきました。

コクリカ  国際理解授業です。

 

ヒッポファミリークラブでは、近隣の小学校から 国際理解授業を

よく頼まれます。

 

子供たちに世界を感じてもらう!!そんな場を

学校は考えているんでしょうか。

 

小学校から、英語教育となってきましたが、

英語の苦手意識を低年齢化させるだけとの声も聞こえますが。。。。

 

そんな声のある中、ヒッポの活動は

世界には、いろんな国があり、いろんな人がいて、

いろんなことばがあるんだよって、感じてもらう

授業をします。

 

なんたって、世界一周旅行を体育館でしちゃうんですから。

 

みんなが、それぞれ、民族衣装を持参して、

ドイツ語、スペイン語、スワヒリ語、トルコ語、タイ語などなど

それぞれなりきって、 子供たち一人一人と挨拶をします。

 

その前に、ことばは、まねっこすればいいからね!!って

体験談を聞いてもらい、それからスタート。

 

私はトルコの挨拶担当。

メルハバーと挨拶して、最後に ありがとうの  

テイッシュクレーー

を言うと、大体みんな笑いました。

へーーありがとうが 

テイシュクレなんだってーーー!!

 

楽しい笑い声の中、ゲームあり、お話あり、

あっというまの3,4時間目の授業でした。

 

先生方も、マレーシアと中国の衣装を着て、おお張り切り。

なんだか、先生もとっても楽しそうで、

見学のお母さん達も、ニックネームをつけて 

皆が楽しめた授業でした。

短い時間でしたが、

ことばの壁を作らない、子供たちに成長していけることを

願っています。

 

写真はゲストハウスのパッキーハウスから、

フランスと韓国の学生が参加した様子。

右の二人です。

 

全然打ち合わせもなく、でしたが、

韓国のゆんちゃんが 子供の時によく歌った歌ですといって

熊の家族の歌を踊りを交えて歌ってくれました。 

すると、隣にいた、フランスのコーネリアも

なんと、一緒に歌うし、踊るし びっくり  

 

彼女は韓国ドラマが大好きで、

何度も見ているうちに覚えてしまったとのこと。

意外なワザを発見しました。 

フランス人が歌って踊る 韓国の童謡!

 

ヨッシャー   これはヒットかも。

 

ゲストハウスの住人もどんどん、技を磨いてもらい、

国際理解授業に  売りだそうかな!

なんだか、怪しいプロデユーサーのようですが・・・・

 

彼女達にも、貴重な体験だったようです。