パッキーの多言語日記(ヒッポファミリークラブ板橋)

多言語活動、ヒッポファミリークラブで体験する面白い話や、小ネタをきままにつづっています。

普段から笑顔

2016年03月30日 | ヒッポファミリークラブ

昨日の道案内の件書いたら、

 

反響がありまして、

 

あんまりギラギラしてると、返ってひいちゃうのではとのこと。

その彼曰く、自分は中学生の時からやたらと声かけられやすく、

登校途中やら、大人になってからは

地方に旅行に行って声かけられたり、

 

なんとトルコ旅行でも、写真一緒に撮ってって声かけられたらしく・・・・・

 

んーー 何だろうこの違い。

 

 

で、思うに、雰囲気、その人から醸し出される

ちょっと声かけてみようかなって、フレンドリーなオーラ

 

 

 

そういえば、私の知り合いでいつも笑顔の人がいて

以前その人に、どうしていつもニコニコしているの?って聞いたら

母親に、いつも笑顔だと人が寄ってくるよって教わったとのこと

 

そうだ、そうだ、これだわね。

これからはこれを心がけて、口角上げて駅の構内歩いてみようかな

怪しくない笑顔で


道なら、聞いてよーー私に

2016年03月28日 | ヒッポファミリークラブ

ニーハオ、

先日池袋のMの内線に乗ろうとした時、階段降りてたら

階段下に、日本人ではなさそうだけど・・・・アジア系の男の人が

手に地図のようなものを持って、きょろきょろしていました。

 

その人は私が階段を下りて来るのを、見ていたようでしたが、

すれ違いざまに

excuse me ! と声をかけてきたーーーー   

 

 

かも?

 

 

 

やったー フォーリンピーポー 道案内 キターって

思って振り向いたら 

なんと、私の後ろに歩いていた 背広姿の身なりのしっかりした男性に

道を聞いていました。

TOJO LINE が どうのって言ってたけど 

 

えっつ、なんで、なんで 私に聞いてよって

オーラだしてましたが、時すでに遅し

 

どう見ても

私のことをその人は見ていたけど

スルーして後ろの背広にターゲットをしぼったにちがいない

 

どう見ても、

こんなオバサンじゃあてにならないと、瞬時に判断されたにちがいないーー

もう、東上線ぐらいなら、一緒に乗ってやるっつーのに。

 

思い起こせば

自分から教えにいったのは多々あるんですが、

覚えている範囲内で、道聞かれたのって

人生において、一回ぐらいかな 

 

その時は、住宅街で人が他に誰もいなくて

困って、私に来たって感じだけど、

その日本語の音から 韓国の人だってすぐわかり

韓国語対応で、しかも、聞かれてもいない最寄りの激辛ラーメン屋まで

教えてあげたら、その若者は最後は引いてましたっけ。

 

 

てなことを、ぶつぶつとヒッポ仲間に話したら

そんなに言うんだったら 道案内のプラカードでも下げといたらって

おーナイスアイデア 

 

って、そんなに言うほど話せはしませんが

 

 

 

 

 

 


頑張ってます

2016年03月23日 | 今日の小ネタ

 

ありゃーー 間違えた って

この写真を見て、違うブログひらいたかなって思ってる人もいませんか。

間違いじゃありません。

 

今日は新ジャンルの話。

 

知り合いの息子さんが、

なんというか、このジャンル、

このような感じで歌うグループで

 この夏初ミニアルバム発売し

初ワンマンライブも行うことになったとのこと。

 

 

この年代になって、一生縁がない世界と思っていましたが、

以前もライブに行かせてもらい

新たなる世界を知りました。

 

音楽大好きの息子さんが、一歩づつその夢を実現しているとのこと。

 

聞くところによるとこのようなグループは本当にたくさんあるらしく

 

なかなか、ここまで行くのは大変とのこと。

 

きっとそれはどこの世界でも同じだと思いますが、

そんな中、形になって世に出るというのは並大抵のことではないはず

 

その友人曰く、

どの世界でも 毎日色々心折れる出来事もあって大変だけど 現実を受け止めて 逃げずに上を目指して頑張ってほしい!

って応援しているそうです。


息子が頑張っている姿にこちらも励まされますね

 

 


スワヒリ語

2016年03月22日 | パッキーハウス/PakkyHouse

ハムジャンボー

スワヒリ語ですが、あんまり日常生活で出くわすことがありませよね。

 

しかし、なんと、先日身近で使う機会が  やってきたどーーー(とったどーー的な喜び)

初タンザニアのゲストがパッキーハウスにやって来たのです。

 

 

毎週一回 しがない掃除オバサンをやっているパッキーですが

ある日、雑巾やバスマットなど大量の洗濯物をリュックにいれて訪問、

ドアを開けていると、後ろからやってきたのは

これぞ、タンザニア!のいでたちの方が立っていました。

もしかして・・・

ハムジャンボーと挨拶してみたら

ばっちり、

スワヒリ語 知ってますか??って

驚かれました。

 

しかし、スワヒリ語ってあまり、自分の中で浸透してないのですが、

その時、自分の中で、あるヒッポ仲間の姿が浮かび、

彼がいつも、スワヒリ語の自己紹介をしているのがインパクトがあったようで

口からするすると、

ハバリガーニー ムズーリサナー

などなど、意味も流れもわからず音だけでてきました。

 

そして、次に出て来たのは、ピリピリマンガー 

 

 

あっつ、これは?と

ふと我に帰り、

確か、ピリピリマンガー・・・・・コショウだったかな?

挨拶のあと、いくらなんでも、コショウ はないかってやめてみましたが、

 

増々ワールドワイドなパッキーハウスとなっております

 

 

 


久々の歓迎会 in パッキーハウス

2016年03月21日 | パッキーハウス/PakkyHouse

ニーハオ ハーイ オーラ 

久々にストハウスで、新入居者の歓迎会を開きました。

現在10名  中国、台湾、タンザニア、イギリス、メヒコ、アメリカ、香港、フランスと

相変わらず多国籍のパッキーハウス。

 

今回は食事制限・・・・宗教的、ベジタリアン、好き嫌いなどもないようなので、

ホットプレートビビンバを作りました。

準備は簡単で、見栄えもいいし、ホットプレートに蓋をして

出来上がったときに蓋を開けると

サプライズな美しさもあり・・・そして美味しいのでお勧めです。

 

今回の参加者はアメリカの男性Jさん・・・・といっても日本人の奥さんが北海道にいます。

なので、英語と日本語はネイティブ並みに話せます。

あとRさんは千葉で中国人の両親の元に生まれ育ち、その後、アメリカに住み、今は東大に留学中

なので、英語、中国語、日本語がどれもネイテイブ並みに話せます。

 

そして、上記の二人はルームメイト

するとこの二人での会話は何語なのかってところですが、

日本だから日本語かと思いきや

二人とも英語を話すのが日本語より楽 とのことで、英語だそうです。

沢山言語が話せても二人の共通言語でしかも一番楽に話せる言葉が

自然に選ばれるんですね。

自然は自然だわね。

 

そして、もう一人メヒコ カンクン から東大大学院に留学しているCさん

こちらは姉妹ゲストハウス?っていつからかわかりませんが

K板橋のヤネクハウスからの参加 

 

彼はスペイン語 英語とポキート日本語でしたが、こちらも東大大学院。

で、彼の話が結構面白くて(私的なツボ)

 

日本では 名前のあとに 「さん」をつけると教わったので、

山本さん、 田中さん と さんを付けることに慣れてきたところ

 

学校の授業では毎回先生が  「みなさん」というので、

「ミナさんって誰?」毎回登場する謎の人って思ってたとのこと。

一同爆笑 

 

そして失敗談はまだ続き マックでハンバーガーを頼んだ時。

一個でいいですか聞かれて

「OK」と指でサインをだしたら

3個と間違えられて、、確かにOKサインは指3本立ってますが

 

 ってことでワイワイと賑やかに盛り上がり、その後卒業生のインドのRちゃんや

パラグアイのカップルなど、など、楽しい時間をすごしました。

ほとんど趣味の飲み会ですが、住人とのコミュニケーションもとれて・・・ちゃんと仕事もしてますよ。

 

 


交換留学、アメリカで

2016年03月13日 | ヒッポファミリークラブ

ナマステー  ケハナジ? 

随分とご無沙汰のブログでしたが、

色々忙しくて、というか、いつも忙しいのですが・・・

ホント色々あってお休みしてました。

 

その間にも書きたいことがありましたが・・・・

今日は個人的・・・ですが、すごくインパクトのある最近聞いた話を書きます。

2008年のリーマンショック

覚えてますか?

この年にパッキーハウスをオープンし

世界的な不況に入る年、めでたくオープンしたので、

私には忘れられない年です。

 

そして、仕事上で経済環境を話す時に外せないキーワードなので

よく口にはするのですが、でもそれは口にするだけでしたが。

が・・・・

先日聞いたリーマンショックという言葉は

生きた言葉でした、言葉が生きる?

そうなんです。ナマナマしい体験。

 

 

アメリカに高校生の時に交換留学に行ったMさんの話。

ホームステイ先は暖かい家族と犬、猫、そして沢山の動物たちに囲まれ

充実した生活だったとのこと。

 

ところが突然襲ったこの不況。まずはお母さんがパート先を解雇され

徐々に飼っているいる動物たちが飼いきれないのでどんどん減り 

そして食事もどんどん減り、最後にはとうとう一日一食で

アメリカに一年近く留学すると帰国する時は

かなり太って帰るというのが通常ですが、

彼は痩せて帰って来たとのこと。

 

彼の感想によると 動物たちがどんどんいなくなり、一日一食になり

それでも、自分を居させてくれたことにはすごく感謝しているとのこと。

 

そして、交換留学では一人一人それなりのことが起る!と事前に

聞いてたが、自分の起きたことはこれなのかと思い、

最後まで頑張ってきたとのこと。

 

当時アメリカの生活現場ではそんなことが起っていたんですね。

高校で行く交換留学は自分が高校生になった3年の間でしか

行けないので、その時期に世界的にどんなことがあっても

ずらすことができない

それが運命として受け止めるしかないわけで・・・

 

でも、彼はそれを前向きに受け止めて帰国。

この年齢で、この体験、大変だったとは

思いますが、彼にとっては得難い体験だったと思います。

 

最近 海外に行く若者が減ってきていると聞きますが、

若いからこそできる、感じられる体験もあるもの。

沢山の若者が世界に飛び立ってもらいたいなって思います。