パッキーの多言語日記(ヒッポファミリークラブ板橋)

多言語活動、ヒッポファミリークラブで体験する面白い話や、小ネタをきままにつづっています。

お疲れ様でした。

2019年01月06日 | 今日の小ネタ

本年もよろしくお願いします。

そして、なぜ「あけおめ」でないのか、

そしてなぜ、タイトルが「お疲れ様でした」なのかというと

 

たまに、このブログにも登場していたので・・・・・

流れ上、個人的で恐縮な記事ですが、取り急ぎ報告しておきます。

 

長年にわたる介護が、終わりを迎え、1月1日の朝に91歳の父が亡くなりました。

 

父は、一人暮らしが難しくなった去年の2月、我が家の近所の老人施設に入りました。

とてもアットホームな施設で、

11月末に、少し体調を崩し、そこからの入退院が始まりましたが、

結果的にはもう入院はせず、そこの施設で

好きなものを食べ、好きなことをして、家族に見守られ、旅立つを選択しました。

 

私は、それまで病院で亡くなるということしか、考えが無かったので、機械をつけて、点滴をして、

モニターのピピピピーーー と 波がフラットになって終わるものと思っていました。

それまでに、できる治療に最善を尽くし、食事、水分が取れなくなれば、点滴で無理に栄養、水分補給をして

苦しくても1分でも長く、生かさせる しかないと思っていました。

 

ところが、そこの施設では、

「こちでは、自然な形で看取る のお手伝いもできます。」との申し出があり、

よく説明を聞いて、父に相談したところ、父も最後まで考えもしっかりしていたので、

その形を自分で選択しました。

 

幸いにも万全の体制が整えられている環境があり、また持病もなく、

病院での治療も必要なかったので実現できた形かもしれませんが、

これが昔ながらの、自然な旅立ちなのかなと思われる、後悔のない良い形だったと思います。

 

実はそれが決まってから、施設もしっかりと体制を整えてくれて 広い部屋に移り、面会時間もいつでもOK

飲み物、お菓子、食べ物持ち込みも比較的ゆるく、自由にさせてくれました。

 

なので、出された栄養のある食事はとれずとも、

飲むと舌が緑に染まりそうな、 大好きなメロンソーダをはじめ、缶コーヒー

マックのポテト、アイスクリームとほとんど小学生状態ですが、毎日喜んでとっていました。

 

するとどんどん回復してきて・・・・

 

こちらは焦って親戚中に連絡をしてしまい、

すると毎日、ほぼ、毎日親戚がやってきてお別れを言い 

最後にぎりぎりかと思っていた、シンガポールに転勤した次男も1泊3日ぐらいの短さでやってきて、

来られる関係者は全員に挨拶をすることができました。

 

すると、またまた元気になり、寝たきり状態からの、起きてお手洗いも行けるようになり。

 

もう 挨拶をする人のネタも尽きてしまい、思いついたのが、施設で仲良くなった同じ年のおばあちゃん

部屋に入ってもらい、握手をして互いに励まし合っていましたっけ。

 

すると、気落ちしていた気持ちが前向きになり、

メロンソーダはやめて、牛乳の方が栄養あるから

明日からはそれにするとか、

今年は入院が多かったから、来年の医療費の確定申告のやり方を教えるから持ってきてくれとか

年賀状も書いてあるから出してほしいとかとか、

人間の生命力に驚いていました。

 

しかし、まあそのあたりがピークで

結果的には水分だけで、3週間ぐらい頑張っていましたが、最後の3日ぐらいは寝ることが多くなり、

「なかなか よくならないな、よくなったら、近所の温泉行きたいなーー、もう終わりだなーー」

とか言ってましたっけ。

 

そのあたりの気持ちになると、どうだったのか、

恐怖と、不安と、いよいよの覚悟と、体験したことのない世界で想像はつきませんが、

何か宗教的な思想などがあると、心穏やかにいられたのかなとも・・・・ 

私にできることは、そばに寄り添うことかなとも思っていました。

 

 

そんなわけで、20年以上にわたる介護に終止符が打たれ、ぼっかり空いた時間

どうしたものか。まあ、当面はバタバタはしていますが・・・・

 

今は、父も私もお疲れ様という感じです。