このドアミラーが手動であることを知っているかのように。
初めて運転席に座った時にドアミラーの電動スイッチを探しました。
何処にも見当たらなくて手動だと気が付くのに暫らく時間を要したんです。
もしかして白い猫の飼い主は同じ車に乗っていたんでしょうか?
「100万回生きたねこ」(作、絵・佐野洋子・講談社)
ネコもこんな白い猫を見たのでしょうか?
どんな暮らしにも、どれほど可愛がられても生まれ変わってきた
とらねこが恋した白いねこ。
飼い主の気持ちはさて置いて死を恐れず悲しまず誰よりも自分を好きだった猫はこの白いねこに出会って生きる意味や素晴らしさ自分以上に大切なものを知り生きていたいと思ったんですね。
誰の心の中にもネコは住んでいるのかも知れません。
生き返らないネコもいれば人間社会のシガラミや洗脳によって
ネコは眠っていたり動かなかったりしているだけかも知れませんし
心の中で彷徨っているネコもいたりして・・・
もしも「生活が安定すると思った?よく働くと考えた?病気なんか
しないと思った?残念だったね~。好きでもないけど仕事仲間だから
逆チョコ無くても まぁいいかぁ・・・もし違うと言うなら逆チョコの
一つくらい くれるもんだ・・・」なんて事を女性に言われたら
子供の頃に「北風と太陽」を読まなかったんだと思うしかありませんね。
それに言われた事が当たらずといえど遠からずだとしたら責任を取って
相手の希望を聞かなきゃならんと思うのです。
一度しかない人生の残りが少なくなってきたら100万回までに
残り少ない人生で到達するには多少焦りますね。
駄目なら生まれ変わって最初から課題をクリアーせねばなりませんが
言葉を覚えるのと引き換えに悲しいかな課題を忘れていくような気がします。
一つだけ希望が叶えられるなら来世では自分のコンプレックスなんか
木っ端微塵に吹き飛ばしてくれる姉を一人お願いしたいものです。
友人が何不自由の無い生活をしながらも
生活に疑問を持ったと相談されたら・・・
現実の人間社会じゃ生活していかなければなりませんから
まず第一に安定して快適な生活を将来に亘って確保しつつ
自分の持った疑問に答えを出すのは時を待つように
常識的なアドバイスをすると思います。
時が解決する事も多々あると思われますからね。
「まさか」もありますから当然のように時を待つのも
一種のギャンブルではありますけど・・・
「ねこは もう、けっして 生きかえりませんでした。」
これが この絵本の最後のページの全文です。