のほほん自転車日記

早く走るより、回りの景色をみながらのんびりゆっくり。
自分の人生も介護ものほほんと…

9月12日(金)

2008-09-12 16:41:51 | 自転車で豊田市外へ(日進・長久手方面)

ってことで、今まで近いのに行ったことがなかった五色園に行ってみました。

我が家からまずは、八草駅に向いました。車で走ると平坦に思えるところですが、自転車で走ると微妙にゆるやかな上りになります。そして、駅で左折。上り道ではあるもの広くて走りやすいです。ですが、ゴミが気になります…明日?か明後日?にモリコロパークでゴミ拾いのボランティア活動があるようですが、ここまで来て拾うのかしら???↓

ちょっと急な上り坂ですが、途中左手にリニモの車庫をみることができます。春にはここでイベントやっているんですよね。

 

このリニモの車庫を過ぎるとすぐにモリコロパークが見えてきます。そして、自転車と歩行者のための広い道がしばらく続いていきます。車庫を少し過ぎたあとからは、ほとんど下りなので、快適です

公園西駅側からみたモリコロパークです。9月20、21日あたりに夜まつりがあるようなので、観覧車もライトアップされてきれいかもしれませんね。

さて、どんどんモリコロパークも過ぎていくと、今度は右手にトヨタ博物館がみえてきます。

イベントに合わせてリニモを利用すると無料で見学ができることもたま~にあります

さて、目指すは五色園。長久手古戦場駅から左折し、さらに左折。。。こちゃこちゃした道を通り、やっと五色園に到着しました。

人気(ひとけ)が全くないので、本当に静か…。入口を入ると左手にこんな人形が立っていました。

 

ここは親鸞のことを視覚的に感じとることができる場所で、説明書きがあり、結構ふぅ~んと感心しながら見ていました。左の写真は“月見の宴”で、親鸞が2歳まで言葉を発しなかったのに、月見のときに「なみあみだぶつ」と言葉を急に話したことに対し、驚き歓喜したということです。他にもさまざまなエピソードが綴られ展示されていましたが、もうちょっときれいに整備しておくといいのにもったいないなぁと思ってしまいました。

それにしても、金曜日だからか本当に静かで…場所も広いし、半分もみずに終わってしまいましたが、夜に来たら怖い場所かもしれませんね

さぁ、五色園をみたあとは、高速道路脇を走りながら、愛知牧場へと向かいました。

高速道路と並行に走ったりしたのですが、高速を走っている車の音と勘違いして、後ろから猛スピードで車が来たぁ!!と思って、ついつい冷っとした気持ちになってしまいます

やっと着いた愛知牧場です。

 

ここは、金曜日ではありますが、若い人や子ども連れや、いろいろなひとが訪れていました。

さぁここまで来たら絶対食べて行きたいジェラード。

生いちごバニラ?を頼みましたが、形そのままのイチゴは入ってませんでした残念~。

しばしここで休憩し、いよいよ家まであと少し。

黒笹からいっきに三好ヶ丘へ、、そして豊田に。

と道路をスイスイと自転車で行きたいところですが、ここは路肩も狭いし、トラックもよく通り、自転車が通るには非常に危険です。三好までは自転車も通れる歩道があるのですが、豊田に入るといきなり歩道がなくってしまいます。ということで、ちょっと大回りだけどトヨタスポーツセンター内を通ることにしました。

 

広い道の両サイドには、陸上競技場や、グランパスの練習場、プールなど、とにかくいろいろな施設があります。10月18日には、ここでBIGHOLIDAYが開催されます。夜の花火は、小規模ながらにもお勧めです

今日の総走行距離…16・6K

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8月6日(水) No5

2008-09-12 09:22:03 | ピースサイクル

旧軍港宇品港…過去(日清戦争から太平洋戦争)ここの場所から兵士が輸送船に乗り、戦場に送りだされていき、多くの戦士が再びもどることはなかったそうです。

日清戦争凱旋碑…小さな公園にあり、碑には「平和塔」と書いてあります。

でも、写真をよくみてください。何か不思議に感じませんか?

わたしは、これをみた瞬間に違和感を感じました

塔の上部に飾られているのはトビです。(わたしは最初鷹かなと思いました)平和の象徴といえばやっぱり鳩だと思いますが…。

戦勝記念碑として置かれた鉄像のトビ(金鵄勲章の金鵄)は、太平洋戦争中も金属徴発を免れました。しかし、その後進駐軍にとがめられるのを恐れて、「日清戦争凱旋碑」の文字を落として「平和塔」と文字を入れたという話でした。

広島鉄道被爆電車…当時、運転士も車掌も多くは女性で、犠牲者もひときわ女性が多かったそうです。まだ現役で走っているといわれる「651、652被爆電車」を倉庫で今回はみることができました。ちょうどこの日に、被爆電車爆破予告があったということをあとで知り、その影響で倉庫で休ませていたんでしょうか?わたしにとってはラッキーでした。

日本赤十字原爆病院…爆心地から1500M。鉄筋コンクリート3階建てのこの病院は外郭のみを残す無残な姿になったものの、多数の負傷者で埋まり混乱を極めたそうです。

 

現在は、原爆でゆがんだ窓枠部分が、L字型に切り取って高さ1.5Mの台座に据え付けられているだけとなっていました。

浄国寺…原爆で一家全滅となった無縁の墓、S20年8月6日と記された墓などがあり、そのなかでも無縁墓の前にある「おこりじぞう」を連想させる被爆地蔵をみていると、怒りと悲しみが入り混じった感情が湧きあがってくるようでした。

多くの戦争跡を訪ね、年配の男性が汗をかきながら必死に説明する姿に、平和を維持するためにもこの過去の忌まわしい出来事を風化させてはならないという熱意が伝わってきました。

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