アマゾンわんわん日記 2018

復活しました!
のんびりやっていきます。
また よろしくお願いします。

今日の絵本「Sítio do Picapau Amarelo」

2015年08月27日 | 読書
読書勢いがついているところで、一気に行きましょ~!!

今日はブラジルの児童文学の代表作ともいうべき物語。

Sítio do Picapau Amarelo



Monteiro Lobato 作

これは、一冊の本でなく、シリーズもの。
作者のMonteiro Lobato が 1920年から1947年までの間に書いた23冊の本からできています。

絵本だけでなく、子供向けの舞台や、テレビ番組にもなっていて、今のちびっこから昔ちびっこのおじいちゃんおばあちゃんまで知っているという国民的な物語です。



これは私が一番親しみのあるテレビ版。
娘が小さかった時、いっつも見ていました。

舞台はその名も「Sítio do Picapau Amarelo(黄色キツツキ農場)」。
そこで繰り広げられる 色々な事件が物語になっています。

登場人物もにぎやか。

Narizinho と Pedrinho という二人の子供たちが主人公。
二人はいとこ同士で、Narizinhoは この農場におばあちゃんと暮らしています。
Pedrinhoは町に住んでいて、時々農場を訪れます。

農場の主人は Dona Bento
お菓子作りの名人で、二人に様々な物語を語ってくれる人でもあります。
Dona Bentoの作るお菓子は、伝統的なブラジルのお菓子で、このお菓子の作り方の本も物語とは別に出版されています。

Dona Bentoを助けて農場の切り盛りをしているのがTia Nastácia
黒人の、ブラジルの田舎の典型的な家政婦さん。
子供たちと一緒に事件に巻き込まれます。

それから重要なのが、現実にはない、空想の世界の登場人物たち。

Narizinhoの人形の Emília
人形のくせに、しゃべるは、あるくは、いたずらするは!!
最後には、本当の人間になることができました。
トウモロコシの皮で作った人形の Visconde de Sabugosa (Sabugosa公爵)
物知りですが理屈っぽいのが玉に瑕。
豚の Marquês de Rabicó (Rabicó 男爵)
人に意見してあるくロバの Conselheiro
やさしいサイの Quindim
どうして、ブラジルの話なのに、サイが出てくるんだろうね。

そのほかにも、ブラジルの民話に出てくる一本足のお化けSaciとか、ワニの姿の魔女Cucaとか…



とにかく23冊ともなると、登場人物も多く、にぎやかにぎやか。

ブラジルの田舎の暮らしがそのままという感じの本なのですが、実際にはこのシリーズが発表されると、世間では様々な波紋が起こったようです。

まず、このシリーズ中の何冊かが当時の政治を批判しているということで、作者のMonteiro Lobatoは、政界からにらまれることになりました。
また、ブラジル伝統の妖怪(おばけ)や空想の登場人物が多く出てくるため、カトリックの学校では、図書館にこのシリーズを置くことを禁止したということです。
また、この中で黒人が主として下働きなどの役割で描かれているため、「Monteiro Lobatoは人種差別主義者だ」という批判も受けたそうです。

まあ、批判が多ければば多い分、人に読まれていたんだなと私は理解するのですが。

イタリアやロシアなど、何か国語には訳されているそうですが、残念ながら日本には公式には
翻訳版は入っていないそうです。
まあ、ここブラジルでも、最近はどちらかというと、活字よりもテレビや舞台で親しむ子供のほうが多いのですが。

ブラジルの古き良き時代の姿、懐かしい田舎の生活を生き生きと見ることができる作品だと思います。
ブラジルのお化けってかわいらしいんですよ。
今では、ブラジル人の子供でも、伝統的なお化けを知らない子供も多いしね…






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今日の絵本「やまんばのにしき」

2015年08月21日 | 読書
6月に あまんきみこ さん作の「おにたのぼうし」を読んで以来、軽く「絵本ブルー」だったペケママ。
いろいろ考えさせられまして…
昔読んでなんて言うことなかったのに、読み返すと昔気が付かなかったことに気が付いたり、昔は何も感じなかった言葉一つが妙に気にかかったりすることがありますよね。

で、なぜか、ほかの絵本のことでも、何も書くことができなくなっていました。

お休みに入って、少し心に余裕ができて、絵本を眺めることができるようになって、最初に手に取ってみたのが、これ!!



「やまんばのにしき」
松谷みよ子 文    瀬川康男 絵

ばばあ VS やまんば

いえいえ、決して血みどろの戦いがあったり、知恵比べがあったりするわけじゃないのよ。
そこにあるのは、「ばばあ」と「やまんば」のほのぼのした時間。
「遠くにあっても相手を思いやる」という心の交流が、読んだ後にじ~んときます。

物語を少し…

ある、秋の月が美しい夜、村人たちがみんなで月見をしていると、空が急に暗くなり、激しい嵐になりました。
嵐の中から
「ちょうふくやまの やまんばが子供を産んだで、餅をついてもってくるように」
という声が聞こえました。

村人たちはびっくり。

慌てて餅をついて…さて、誰が持っていくか?!

「あかざばんば」と呼ばれる、ばあさまと若い男二人が持っていくことになりました。

山に登り始めて間もなくすると、若い男たちは逃げ帰ってしまいました。
あさざばんば は 仕方なく一人で山に登ります。

やまんばのところについてみると、やまんばは子供を産んだばかり。



「しばらく 手伝いをしていってけろ」と言われ、あかざばんば は やまんばの身の回りの世話をしたり、家の仕事を手伝ったりしました。




21日目にやまんばは「すっかり世話になった」と あかざばんば に 反物を一反持たせて村に返しました。

反物は切っても切ってもなくならない、不思議なものでした。
あかざばんば は 村の人たちみんなに分けてあげました。



その後、この村の人たちは やまんば に守られて、村にははやり病一つもなく、みな幸せに暮らしたということです。

    *     *     *     *     *

「やまんば」というキャラクターほど、様々な性格を持つキャラクターはいないのではないでしょうか。
「安達ケ原の鬼婆」のように恐ろしいものから、中には村人のために自分の命を投げ出してしまう長野県に伝わる「やまんば」の話などもあります。

そもそも「やまんば」とはなんぞや?!

年を取って山に捨てられた老婆だという説もありますし、戦いに負けた武家の女が落ち延びた姿だという説もあります。
私は後者の説を推しますが。

いろいろなキャラクターがある中でも、この「ちょうふくやまの やまんば」は、天真爛漫、あっけらかん、とっても人間臭いですよね。

「しんどいから 手伝いしてよ」って あかざばんば に 手伝いを頼むところなんか、うんうん わかる わかる って 思わずうなずいちゃう。

それに対して、あかざばんば も豪快で、一緒に鍋なんか囲んじゃって…

なんとも豪快で、ほっこりしたお話。
私を「絵本ブルー」から引きあげてくれた絵本でした!
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TVぺけぺけ今日の料理 「おやつ 2種」

2015年08月19日 | 読書
ちゃっ ちゃら ちゃらちゃら ちゃっ ちゃっ ちゃ~(今日の料理のテーマで!)



今日は、ペケママには珍しい…っていうか初めてかも!!
「おやつ 2種」です!!

最初は、これ!!



マンジョッカ芋を使って作ったお菓子。
ボーロって日本で言ったらスポンジケーキみたいなものだけど、これはどちらかというと、ねっとり、もっちり。
練り切り的な食感というか…

作り方は簡単。

500gのマンジョッカ芋を適当な大きさに切り、紙パック中1箱分(395g)のコンデンスミルク、紙パック小一箱分(200g)のクレーメ デ レイチ(エバミルクのようなもの)、大匙2敗の小麦粉、小さじ2杯のベーキングパウダーと一緒にジューサーでぐわわわわんと混ぜます。
混ざったらそのまま型に入れて焼くだけ。

マンジョッカ芋ってこんなの。



粉にしてファロッファというブラジルごはんの付け合わせにしたり、タピオカっていうパンケーキのようなもの作ったりと、ブラジル庶民の食生活には欠かせないもの。
これのフリッタ(から揚げ)もおいしい!!

二つ目は、これ!!



クプアスという果実のムースのようなもの。
ブラジルでいうところのムースにするには、ゼラチンで固めなくちゃならないのですが…
ゼラチン、あると思ったのに、なかったのよ!

クプアスってこんな果実。



白い果肉は一つ一つ分かれているものの集合体。
その中に、大きい種がが入っていて、はさみで、そとがわの果肉だけをはがしていくの。
それが結構大変なのよね。

今回は、果肉だけのものを冷凍したものをいただいたので助かりました。

材料はボーロ デ マンジョッカと全く同じ。
小麦粉とベーキングパウダーがないだけ。

作り方も、同じ。
クプアス、コンデンスミルク、クレーメデレイチをジューサーに入れて、ぐわわわわん!!
あとは、冷蔵庫で冷やすだけ。
クプアスの酸っぱさがコンデンスミルクでやわらげられて、たまらん!!

    *     *     *     *     *

今回のクプアスもマンジョッカも、娘のお友達から農場直送のものをいただきました。
ただ、いただいたのが、娘がブラジリアに帰るその日だったので、娘には食べさせられなかったのよ。
どちらも娘の大好物のおやつなのですが。
残念!!

というわけで、ペケママのおやつ。
作ったはいいけれど、一人では持て余してしまい、結局人に食べてもらいました。
また3年後ぐらいに作ります。
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今日の絵本「Luciana e a Bolsinha nova」

2015年06月10日 | 読書
今日はブラジルの絵本。

「Luciana e a Bolsinha nova」(ルシアーナと新しいバッグ)

作者 Fernanda Lopes de Almeida
挿絵 Agostinho Gisé


作者のFernanda Lopesはおとぎ話を中心とした絵本を発表しています。
1971年に始めて発表した絵本で国内の絵本賞を受賞しています。



この本は、以前紹介した「はじめての おつかい」と同じように、普通の、どこにでもいる女の子の日常生活の一こまを描いたものです。
主人公のルシアーナの物語は、そのまま日本のどこかの街の小さな女の子に置き換えてもありそうなこと。

そこにちょっとしたブラジルの日常がトッピングされているところが、日本人の私には興味深く感じられるのです。

お話をご紹介。



ルシアーナは、おばさんから新しい小さなバッグをもらいました。



ルシアーナはバッグがとても気に入ってどこへでも持って行きます。
食事のときも...


眠るときも、片時も離しません。



ある日、ルシアーナはお手伝いさんと公園に遊びに行きました。

公園でアヒルにえさをあげていると...



!!
間違って、バッグを池に放り投げてしまいました。



ないているルシアーナに気づき、警備員さんが来ました。



警備員さんは、近くにあった木の枝で、バッグを取ってくれました。



家に帰って、ルシアーナとお手伝いさんは、お母さんに公園での出来事をお話しました。

    *     *     *     *     *

という、なんでもない、小さな女の子の日常生活の一こまです。
日本の話と違うのは、お手伝いさんが家族の生活の中に深く入り込んでいるスタイル。
公園での警備員さんの姿でしょうか?

そう思っていたのですが、最近になって、「ああ、これは、少し前のブラジルの家庭の姿だな~。」としみじみ思うようになって来ました。

なぜか?!

昨年ぐらいから国会で議論されている「お手伝いさん保護法」。
お手伝いさんの生活と社会的分を保障するために、雇い主は就労時間を守りましょう、社会保障費を払いましょう、休日の給与を割り増ししましょう等々。
社会的には正しいことなのですが、この影響で、今まで普通にお手伝いさんを雇えていた中流階級の人たちが、経済的な理由でお手伝いさんを雇うことが出来なくなってきたのです。
その影響で、解雇されるお手伝いさんが増加。
お手伝いを解雇した家庭では、週に2回程度、「お掃除おばさん」を雇うというケースが増えたのだそうです。
ブラジルでは現在の経済的な危機と相伴って、失業者増加の大きな原因の一つになっています。

なので、こうして、家庭の中で家族の一員のようにすごすお手伝いさんを見ると、「ああ、そんなころもあったなあ...」としみじみしてしまう、ペケママおばさんなのです。

それはまたおいておいて...

この絵本、背景に描かれている、人々の様子、町の様子などを細部にわたって忠実に人々の生活を描写していることでも評価されているそうです。

どこにでもいる女の子の日常を描いた絵本って、どこか自分の幼い頃、子どもの幼かった頃の姿を重ね合わせて読んでしまいます。


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今日の絵本「はじめてのおつかい」

2015年05月16日 | 読書
少し前にはやった話題の絵本です。

「はじめてのおつかい」
筒井頼子 作
林 明子 絵




「はじめてのおつかい」をテーマとしたテレビ番組なんかもありましたよね。
小さい子がドキドキしながら、一人でお母さんに頼まれた仕事をやり遂げようとするのがかわいかったな~。

絵本の内容は題名の通り。

5歳の「みいちゃん」は忙しいお母さんに頼まれて、一人で牛乳を買いに行くことになりました。
近くのお店ですが、初めて一人で外を歩くみいちゃんには、ドキドキがいっぱい!
風のように通り過ぎる自転車にドキッとし、お友達に会ってちょっぴり得意になっちゃったり、転んでお金を落として泣きそうになったり。

ようやくお店に着きましたが、だれも小さなみいちゃんに気がついてくれません。



後から来た大人の人がどんどんみいちゃんより先に用事を済ませていきます。

そのうちに、お店のおばさんが気がついて、ようやく牛乳を買うことができました。
おばさんは「まあ まあ、小さなお客さん。気がつかなくてごめんなさいね。」とあやまってくれました。
みいちゃんの目から涙が一つこぼれ落ちました。

牛乳をもらいお金を払うと、みいちゃんは、早く帰ろうとお店を飛び出します。



お店のおばさんが後ろから追いかけてきました。



みいちゃん、おつりをもらうのを忘れていたのです。

おつりをもらって一安心。



家の近くまで来ると、お母さんが待っていてくれました。
  
  *    *    *    *    *    *

ブラジルで子育てをしている方はみんなそうでしょうが、私は娘が8歳になるまで、一人で買い物をさせてことがありませんでした。
まず、子どもが一人で買い物に出るということなど考えられないですしね。
スーパーなどに連れて行っても、欲しいものを持ってこさせて、私が払っちゃう。

うちの娘が一人で買い物をしたのは、マナウスに引っ越してきてから。
最初に通ったラサール校は高校まで(現在は大学まで)ある大きな学校で、校内に購買コーナーや軽食コーナーがありました。
リオのときは小学校のみの小さな学校だったので、毎日おやつを持たせていましたが、せっかく軽食コーナーがあるのだから、今度は自分でお金を持って買い物をさせてみようと思い、お小遣いを渡して毎日のおやつはその中から買わせることにしました。
お小遣い帳もきちんとつけてね。
でも、はじめの2,3日で何かおかしいことに気がつきました。
お金が足りないのよ。
買い物と残高が合わないの。
よくよく調べてみたら...

むすめ、おつりを受け取ってなかった。

母としては、結構ショックだったわよ。
お釣りって物がわからなかったのね。
いくら算数ができても仕方がありません。
生活経験って偉大なんだな~っ、子どもって大人が当たり前と思っていることでも教えてあげなくちゃいけないんだな~ってひしひしと感じました。
すっごく反省しましたよ、母として 大人として。

   *    *    *    *    *

あっ、もう一つ、思い出深いことが...

リオで仕事をしていたときに、毎年何人かの日本人のお子さんを連れて動物園へ行くということがありました。
で、動物園のおみやげ物やさんで自分でお買い物させるの。
7歳8歳の子どもたち。
もちろん一人で買い物するのは初めて。

あらかじめお店のほうに事情を話して、時間がかかっても許してもらうことにして、おうちの方にはできるだけ細かいお金を持たせてくれるよう頼んで、子どもたちには買い物をするときのポルトガル語を教えたり、自分の持っているお金で買える範囲の値段を考えさせたり...
お店の品物の値段を見て、子どもに持たせても問題ないぐらいのお小遣いの額を決めるのも結構大変だったな~。

さて、動物園訪問当日。
一通り動物を見て、最後におみやげ物やさんに。
子どもたち、緊張してお財布を握り締めながら品物を選んでいました。
レジには同行の大人が一人付いて、おつりの間違いがないかどうかチェックしてね。
リオの動物園はあまり治安が良いとはいえないところにあるので、園内で安全とはいえ、そういう点で大人のほうがドキドキしました。

後日、子どもたちに感想を尋ねると、みんながみんな、見てきた動物のことよりも、一人で買い物をしてきたことについて話していました。
企画した私たちも、送り出した親御さんたちも、そして当の子どもたちもみんなそれぞれドキドキした経験でした。

今、この絵本のことを書いていて、ひょいと思い出しました。
思い出したら、懐かしくて涙が出てきそうだ。
初めて何かをするときの、わくわく、ドキドキの子どもの顔って、本当に素敵ですよね!
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「MICO MANECO」

2015年04月27日 | 読書
今日の本はこれ!



「MICO MANECO」(マネッコ小猿)

作者は ANA MARIA MACHADO
挿絵  CLAUDIUS
 
ANA MARIA MACHADO は本業はジャーナリストでしたが、たくさんの幼児向けの本を書き、
2000年には同書でアンデルセン童話賞を受賞し、注目を集めました。
また2003年にはアカデミア ブラジレイラの一員に選ばれています。

この「MICO MANECO」は5冊シリーズになっていて、17ヶ国語に訳されているそうです。

この本の魅力は、この間の「がらがらどん」と同じように、「言葉のリズム」。

たとえば最初の一説は...

Maneco é nome de menino ou é nome de boneco.
マネッコ エ ノーミ ジ メニーノ オウ エ ノーミ ジ ボネッコ

Mas este Maneco é um mico e todo mico é macaco levado.
マス エスチ 「マネッコ」 エ ウン ミッコ イ トード ミッコ エ マカコ レヴァード

    「マネッコ」は男の子とか人形の名前。
    でも、この「マネッコ」は小猿。
    小猿はみんな いたずら猿。

声に出して読むと、ぽんぽん弾むようで、ポルトガル語がまだ口になじんでいなかった頃の私にも、調子よく読み進めることができました。

   *    *    *    *    *    *

リオにいた頃、夫が仕事をしていたビルの裏側に小さな広場がありました。
その広場の一角に、赤い屋根の小さな建物。
そばを通るたびに「なにかな~」と気になっていたのですが、ある日娘と一緒に入ってみると...

子供向けの図書館!!

ブラジルでは非常に珍しい、公立の子供向けの図書館でした。
しかも、開架式!!
盗難やいたずらが多いブラジルですから、学校の図書館でさえ、閉架式のところが多いのです。
娘と通い詰めました。
そのときに、この「MICO MANECO」シリーズも読破!!
日本もそうですが、ブラジルでも良い子供の本は高いですから。
これは助かりました。

この図書館では週末や学校の長期休業中には「読み聞かせ」「絵本のワークショップ」等々の行事も充実していて、娘とよく通いました。
また、だれかが寄付していった日本の絵本などもあって、その何冊かをブラジルの子どもでも読めるように簡単なポルトガル語に訳したこともありました。

みんなに読んで欲しい本なので、娘の本もどなたかに送ってしまい、残念ながら手元にはもう一冊も残っていません。
現在でも児童向けの絵本のベストセラーで、「子どもに最初に与えたい絵本」の第1位なのだとか。

機会があったら、「マネッコ小猿」のいたずらをのぞいてみてください!




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「3びきのやぎの がらがらどん」

2015年04月13日 | 読書
多くの方が子どもの頃に読んだ絵本だと思います。



原作はノルウェーの民話。
マーシャ・ブラウン 絵
瀬田 貞二 訳
福音館書店

たぶん、一番日本で知られている版?

物語はごくごく単純。

3匹のヤギたちが、山に草を食べて太りにいこうとしました。
ヤギたちの名前は、どれも「がらがらどん」



でも、途中、谷川にかかる橋の下には、恐ろしい「トロル」という怪物が住んでいます。



トロルはやってくるヤギたちを食べようとしますが、うまく言いくるめられて、逃がしてしまいます。

そして、最後に一番大きなヤギに粉々に殺されてしまいます。





内容を良く考えてみたら、まったくひどい話だと思います。
でもね、これが2,3歳ぐらいの子どもたちに大人気なんですって。

お話がごくごく単純だということも、子どもたちに人気の理由かもしれませんね。
一匹目も二匹目も同じ具合にして橋を渡っていきますから。
そして最後に「怪物 トロル」がやっつけられる。
テレビのヒーロー物と同じ具合?
大人の視点からすれば「トロル、結局ご馳走を全部逃して、おまけに殺されちゃって気の毒に...」なんて思ったものでしたが。

もう一つは、この日本語のリズムかもしれません。

ちょっと一節を抜粋してみると...

「のぼるとちゅうの たにがわに はしがあって、そこを わたらなければなりません。
 はしの したには きみのわるい おおきな トロルが すんでいました。
 ぐりぐりめだまは さらのよう、 つきでた はなは ひかきぼうのようでした。」

抑揚がつけやすく、リズミカルに声に出して読むことができます。

また、大中小、それぞれの大きさのヤギの声色を分けたり、トロルの気味悪い声を真似たりしながら読むと、聞いている子どものどきどきはらはらしている様子がよくわかりました。

そんな具合に、我が家も娘が2歳ぐらいの頃、毎晩のようにこの本を読んでいました。一度読み終わっても、「もう一回、もう一回」と繰り返してせがまれることもありました。
これは、やはり「翻訳」のちからでしょう。
今でも、たまに声に出して読み返すと、今度は娘でなく読んでいる本人の私のほうがどきどきしてきたりして...

日本語のリズムを感じることのできる、楽しい絵本だと思います。
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「BATIYAN VEM BRINCAR !」

2015年04月04日 | 読書
今日は、ブラジルの絵本。



「ばあちゃん こっち来て遊ぼう!」

娘がまだリオの幼稚園に通っていた頃に、幼稚園の絵本フェアで買ったものです。
娘をお迎えに行ったときに、たまたまのぞいた絵本フェアで見つけました。
そのときに持ち合わせのお金が無かったので、「お願い、すぐにお金持ってくるからとっておいて!」って頼んでとりおきしてもらっていたのよね。

余談ですが、リオでは幼稚園や学校でよくこうした絵本&子どもの本フェアがありますし、フラメンゴの ラルゴ ド マッシャード広場やセントロのカリオカ広場などで古本市があります。
お値段的は、普通の本屋さんより「少し安め」というぐらいですが、すでに絶版になってしまっている本や写真集が出るので、掘り出し物を見つけるのも楽しみ!
機会がありましたら、のぞいてみてください!

さてさて、話が横道にそれました。

この本の題名「BATIYAN、VEM BRINCAR!」の「BATIYAN」はれっきした日本語「ばあちゃん」のことです。
ブラジルでは、かつて日本人が入植した場所は「コロニア」と呼ばれ、その場所独特の「日本語」が話されました。
入植した人たちの故郷の言葉とブラジルポルトガル語が混じった言葉は一時「コロニア語」とも呼ばれました。
ただし、この「コロニア語」という呼び方は入植した人たちからはあまり良い感情を持たれなかったようで、現在ではほとんどこう呼ばれることは無いと思います。

この本の文章は意外にも日系の方が書いたものではなく、日系人が多く暮らす地方のブラジルの方が「日伯修好100周年」のときに書かれた物語です。
そのためか、一部に「時代的におかしいのでは?」と思うような箇所もありましたが、全体として「移民一世」の方とそれを受け継ぐお孫さんの心情をとてもよく描けているのではないかと思いました。
「絵」は日系の方が描きました。
ちょうど絵本の中の女の子と同じような立場の方です。

   *    *    *    *    *

物語をちょっとだけご紹介。

物語を語るのは「まゆみ」という幼い女の子。
「まゆみ」のおじいちゃんとおばあちゃんは、大きな旅行かばんを一つと柳行李を一つだけ持って、大きな船で何日もかけて日本からブラジルにやってきました。



言葉も習慣もまったく異なるこの広大な土地で、二人は多くの人たちに支えられて、つねに愛情と感謝を心に、一生懸命に働きました。



おじいちゃんとおばあちゃんは「まゆみ」にたくさんの日本の遊びや物語を教えてくれました。



おじいちゃんとおばあちゃんの「柳行李」には、たくさんの日本のものが入っていて、まるで「宝箱」のようでした。

ある日、「まゆみ」は「柳行李」の中に、忘れられたようにひっそりと隠れていた箱を見つけ出しました。
箱を開いてみると...
そこには、美しい日本人形が入っていました。

「まゆみ」は人形を取り上げると、そっと抱きしめ、鏡に映しました。



「BATIYAN VEM BRINCAR!」
おばあちゃんを呼ぶ声を思い出し、懐かしさに涙がほほをぬらしました。

震える指で白くなった髪に触れると...もう、あのころの小さな「まゆみ」はどこにもいません。
時は、楽しかった思い出だけど残して、過ぎ去っていきました。

そんな「まゆみ」の耳に、遠くで小さな孫が呼ぶ声が聞こえてきました。

「BATIYAN VEM BRINCAR!」

   *    *    *    *    *

現在でも、日系の日本語を話さない方たちでも、「BATIYAN(ばあちゃん) DITIYAN(じいちゃん)」という呼びかけだけは日本語でするという方が多くあります。
世代は移り変わりつつありますが、やはり「おじいちゃん おばあちゃん」という存在は、ファミリーをまとめる上で大きな役割があるのだということを実感します。

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「みかんぢょうちん」

2015年03月19日 | 読書


なんと、私が小学校1年生のときに買った本。
今からざっと40年以上の本よ。
この本でたしか「読書感想文」なるものを書いたのよ。
私と同じ年代の人だったら、きっと「夏休みの宿題」で書かされた人が多いんじゃない?

久しぶりに目に付いて手にとって見たら、昔読んだときには気がつかなかったことなどがはっきりとしてきて、お掃除の途中で一気に読んでしまいました。

この本は珍しい「中国の児童文学」です。
(中国の文学のジャンルわけはなかなか複雑なので、ここでは簡単に「子どもの読み物」という意味で「児童文学」としてしまいます。)
作者はシェ ピンシン、日本語訳は出沢万紀人です。

物語は、作者が昔の出来事を振り返るという形で書かれています。



作者は、春節に友人を訪ねます。
そこで8歳ぐらいの女の子に出会います。
女の子は母親が病気で吐血したので医者を呼びたいと、友人の住む町役場の電話を借りに来たのでした。
作者は代わりに電話をかけてあげました。

夕方になりましたが、友人は戻ってきません。
作者は思い立って女の子の家をたずねてみることにしました。
友人の家の前で「みかん」を買い、女の子が言っていた家を目指します。

女の子の家では母親が寝ていました。
小さななべの中には、「お祭りのご飯」だという芋のおかゆ。
作者が「他にご家族は?」と問いますと、女の子は「いまはだれもいません。お父さんはよそへ行っちゃって...」と答えます。
後になって、父親は政治的な問題に巻き込まれて姿を隠したことがわかります。

最後に暗い夜道を帰る作者のために、女の子は「みかん」を使って「ランタン」を作ってくれます。
その後の様子を作者はこうつづっています。。

「もうしばらくで、お父さんはきっと帰ってきます。そのときはお母さんも良くなるでしょう」
そして、手で前に大きく円を描いて、その手を私の手におろし、
「わたしたちみんな、幸せになるでしょう。」
と言ったのです。


作者は、この「みんな」という言葉の中に、自分も含められていると感じました。
そして、暗い夜道をぼんやりと照らすみかんぢょうちんの光は、作者の行く手を限りなく照らす光だと感じます。



12年後、作者はこのときのことを振り返り「きっと女の子の父親も帰ってきて、女の子も幸せに暮らしているだろう」と物語を締めくくります。

ここには、中国の圧政時代から革命による解放で、人々が「明るい未来」を夢見る気持ちが色濃く現れているといわれます。
私は個人的にはこの最後のページを読まずに、女の子の「わたしたちみんな、幸せになるでしょう」という言葉で締めくくってしまうほうが好みです。
たぶん、女の子の言う「幸せ」は、きれいな服を着たいとか、お金持ちになりたいとか、大きなことではなく、母親が少しでも良くなるように、その日食べるものに困らないように、とかの小さな身近なことではないかと思うのです。
みんな、世界中の人が幸せになるように、幸せを感じる心を忘れないように。
女の子は、広げた手、円を描いた手で、作者だけでなく、世界中の人の幸せを願ったのではないかと。
みかんぢょうちんの照らす光は、よく書評に語られるように「解放後の中国の未来を照らす光」ではなく、世界中の人の明日を導く、小さな小さな光ではないかと思うのです。



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「ずうっと ずっと だいすきだよ」

2015年03月08日 | 読書
きっと誰もが読んだことがあるんじゃないかな?

ハンス・ウィルヘルム作 久山太一訳の絵本。
小学校2年生の国語の教科書でも取り上げられていますよね。

こんなお話です...

主人公の「ぼく」には「エルフ」という名前の犬が一匹います。



エルフは家族みんなから愛され、大切にされて育ちます。



やがて「ぼく」は成長し、それよりももっと速いスピードでエルフは年をとっていきます。
毎晩、毎晩、一緒に眠るベッドの枕元で「ぼく」はエルフにささやきます。

「ずうっと ずっと だいすきだよ」

やがて時が来て、エルフは旅立っていきます。
「ぼく」も家族も、みんな肩を抱き合って泣きました。
でも、「ぼく」は少し心が楽でした。

だって、毎晩

「ずうっと ずっと 大好きだよ」

って 言ってあげていたから。

というようなお話です。

   *   *   *   *   *   *   *

エルフは犬ですから、もちろん人間の言葉は理解できません。
でも、相手が言葉がわかろうとわかるまいと、声に出して相手に自分の気持ちを伝えるということが、どれだけ大切かということですよね。
相手に自分の好意を伝えるとき、人は自然に優しい口調になり、相手を安心させるような語り口になりますから。
なにを言われているのかわからない動物でも、安心して穏やかな気持ちになることは確かだと思います。

おもしろいもので、我が家のガレージ猫、シロタさんは「かわいいね~、シロタさんはいいこだね~。シロタさん大好きよ~。」ってほめまくると、体調が良くなるんです。
もうおじいちゃん猫ですからね、意識してほめまくっています。

口に出して自分の気持ちを伝えるということは、動物相手でも本当に大切なことなんだな~と思います。
日本人は、特に相手に愛情を伝えることが苦手といわれますしね。
たまに、この物語のエルフの部分を「人間」に置き換えて考えてみたりもします。
もう旅立った友人たちに、私の気持ちは伝わっていたかなって考えたりもします。

   *   *   *   *   *   *   *

エルフが死んでから、「ぼく」は隣の家の子から小犬を勧められますが、断ります。
「ぼく」は決して悲しくて悲しくてその気になれないわけではないんです。
気持ちの整理をして、それから...なのです。

一番大切だった友人である動物が死んでしまったのは、悲しい。
でも、これから...ということを考えさせてくれる物語。
そこが、この物語の大好きなところです。

最後に「ぼく」は物語をこう締めくくります。

いつか、僕も、ほかの犬を飼うだろうし、子猫や金魚も飼うだろう。
何を飼っても、毎晩、きっと言ってやるんだ。

「ずうっと、ずっと、大好きだよ。」 って。



コメント (6)
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