FELIZ ANIVERSARIO!!
本日10月24日はマナウスは休日です。
ブラジルではね、その町だけとか、超地域限定のお休みがあるんです。
今日はマナウスのお誕生日。
345歳です。
345年前、ネグロ河の岸辺に作られた要塞がマナウスの起源。
その要塞を中心として発展したのがマナウスの街と言うことです。
私が初めてマナウスを訪れたのは1992年の7月。
今から22年前。
まだ、空港からトロピカルホテルへ続く「AV。TURISMO」も完成しておらず、トロピカル周辺のポンタネグラ地区も草が生い茂る河岸でした。
現在ではネグロ河に沿ってビーチや公園、遊歩道などが整備され、高層アパートの立ち並ぶ高級住宅地となっています。
まだ免税地域としてにぎわっていた頃で、混沌とした市内にはテレビなどの電化製品屋さんが軒を連ねていました。
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絶対にここに住むことはないだろうと思っていたマナウス。
ここに越してきたのは10年前。
セントロニはまだたくさんの小さな支流が残っていて、そこには「パラフィッタ」と呼ばれる高床式の家が並んだ貧民地区が存在していました。
現在では支流のほとんどは整備され、遊歩道が通り、その頃の貧民街は公営住宅となっています。
「パラフィッタ」は現在ではこうして本流沿いのわずかな地域に残っています。
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日本からリオに越してきたときよりも、リオからマナウスに越してきたときのほうが激しかったカルチャーショック!!
「同じブラジル国内なのに…」と思うことがたくさんありました。
リオではいつでもクラシックのコンサートやバレエの講演などが行われ、たくさんある博物館や美術館ではいつでも何か興味深い催しが行われていました。
しかも、そのほとんどがとても安いか、無料!
ですが、マナウスではそうした催しがほとんどない。
また、リオにはいつも私や娘のことを気にかけて声をかけたり、食事に誘ってくれていた友人達がいました。
マナウスでは、まずは人と知り合うことからはじめなければ。
夫が気を使って色々なところに誘ってくれるのですが、正直、気疲ればかり。
夫の交友範囲と私の交友範囲は完全に別!っていうのがリオでの生活だったしね。
そのうちに、娘の学校のお友達を通じて、ぼつぼつ気のあう友達ができてきました。
そんなこんなで10年。
素敵なコンサートが少なかった分、娘がここ!
アマゾナス劇場で演奏するという機会をたくさんいただきました。
リオで普通にピアノを習っているぐらいでは、なかなかめぐり合えないチャンス。
オーケストラとの協奏曲も経験できました。
また、この写真の向こう側に小さく見えている、コレージオ ミリタール。
この学校にも、マナウスだからこそ合格できたのかもしれないし。
普通の学校ではなかなか経験できないことをし、良いお友達ともたくさんであうことができました。
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この先、どのぐらいマナウスでくらしていくのか?
ずっと住み続けるのか?
それとも他の街に移るのか?
ブラジルに家族と言うものが娘しかいない私達には、どうなるのかわかりません。
ただ、きっと、次にここから引っ越すことになったら、その街でまた「マナウスがよかった」と泣くことになるのかな?と今となっては思います。
色々欠点もあり、不満もありますが、10年ここに住み続けることができたということは、やはり私がこの街を好きだからなのだと思います。
PARABPÉNS MANAUS!!
美しい自然と共存する、素敵な街として発展できますように。