三丁目の飛行機屋

飛行機マニアのオヤジが
撮影遠征記やマル秘コレクションの公開などをしていきます。

梅雨空を見上げながら想う~

2015年07月07日 | Weblog
以前にも書いたが
ネットのおかげで、昔のヒコーキ仲間に再開できる機会は増えてくれた

今でも昔と同じように飛行機マニアやってることを互いに嬉しく、誇りにさえ思うが
それとともに、久しぶりに会えた仲間から聞く訃報に驚くことも

歳は確かにとったが、それで片付けるには 皆 あまりに若い!


以前、私のコレクションに助言をいただいた 「KS」さん の事を書いたが

その記事から6年、その間にも3人の仲間が他界してしまった


一人はやはり、1976年頃の羽田でたむろしてた仲間「K」さん


 ( Kさん 撮影 )

私よりは少しだけ年上だったかな
塾講師だったこともあり話術は上手い! というか声がデカくて賑やかな方だった(笑

当時の頃を思い出すと~
 「ベイシティー・ボイラーズ」なんて、仲間内での流行り言葉
 「ボイラーズ」、その言葉の由来は仲間にしかわからないハズ(笑

  そうそう、本家のベイシティ-ローラーズが確か初来日
  それに集まったグルーピーな女の子をナンパして~

  「皆 嘘つきなんだから~」と呆れた自分(爆


 日曜夜の帳が降りれば、ワイワイ騒ぎながら皆で向かうのは
 半分空港職員の社員食堂みたいだった、空港ビル1Fにあった「オアシス」
 自分はいつも「カニクリームコロッケ・カレー」、確か380円位だったかな
 夕食時だから、空港関係者で満席状態だったね

 それを食べてアパートへ帰宅するパターン
 偶には目蒲線沿いにあった、喫茶店レイバンにも立ち寄ったりもした

 夜の羽田空港、青い滑走路灯とともに
 「K」さんの日に焼けた顔や、濃いひげそり跡と共にアノ笑顔を思い出す



 セントレアが2005年2月に開港してから続いていた大混雑だったが
そろそろ落ち着いた頃かな~、とその年の春に初遠征した
その時に声を掛けていただいた 「M」さん

しばらくしたら松本空港へ逆訪問してもくれたが
私は仕事でメールでしかお相手できなかったのが、今でも心残り

その後も、セントレアで何回かお会いできたが
地元からのセントレア直行高速バス廃線と共に、遠征回数も次第に減っていった


そこに届いた訃報に、心底驚いた! というか信じられなかった




 先日、昔の仲間から届いたメール

書かれた苗字に、一瞬 「ん~、誰だっけ?」
記憶を整理してると~、 浮かんだ「あっ、J ちゃん」
その「Jちゃん」が急逝したという


羽田でたむろしてたアノ時代以降、お会いするチャンスはなかった
というか、すれ違ていたのかもしれないが・・・

記憶に残る彼は、大人びた大柄な風体に
彼は年上だとズ~と思っていた

当時の航空雑誌への投稿欄に、名前を連ねる常連で
今でも名前で検索すればシッカリと飛行機画像が出てくる

私に雑誌への写真投稿を奨めてくれたのは彼

そして初めて読者欄だが、写真が載った時に
「ライバル登場! これからは競争率高くなるぞ!」
 と誉めてくれたのも彼だった



そして、なにかのきっかけで知った彼の歳に「ゲッ 俺より年下じゃん」
それまで「○○さん」だったのが、「Jちゃん」に変った(笑


 (Jさん からいただいた唯一の写真、ヒューズエアウェスト DC-9 ※加工してあります

そんな昔の小ネタも忘れられない思い出
あれから一度も会えなかった彼だったけど、想い出をありがとう


 昨日の仕事帰り、何処からか流れてきた エレファントカシマシ の「俺たちの明日」に足が止まる
 「~オマエは今日もどこかで不器用に闘って~」、「さぁ、頑張ろうぜ!」
 
 飛行機仲間達の姿を重ねてみる
  蘇る、顔、顔、顔

 あの頃以来、会えない仲間も未だ何人かいるが
 今も元気でいてくれることを願いながら、この曲を聴いてしまった
 
コメント (6)
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