以前にも書いたが
ネットのおかげで、昔のヒコーキ仲間に再開できる機会は増えてくれた
今でも昔と同じように飛行機マニアやってることを互いに嬉しく、誇りにさえ思うが
それとともに、久しぶりに会えた仲間から聞く訃報に驚くことも
歳は確かにとったが、それで片付けるには 皆 あまりに若い!
以前、私のコレクションに助言をいただいた 「KS」さん の事を書いたが
その記事から6年、その間にも3人の仲間が他界してしまった
一人はやはり、1976年頃の羽田でたむろしてた仲間「K」さん

( Kさん 撮影 )
私よりは少しだけ年上だったかな
塾講師だったこともあり話術は上手い! というか声がデカくて賑やかな方だった(笑
当時の頃を思い出すと~
「ベイシティー・ボイラーズ」なんて、仲間内での流行り言葉
「ボイラーズ」、その言葉の由来は仲間にしかわからないハズ(笑
そうそう、本家のベイシティ-ローラーズが確か初来日
それに集まったグルーピーな女の子をナンパして~
「皆 嘘つきなんだから~」と呆れた自分(爆
日曜夜の帳が降りれば、ワイワイ騒ぎながら皆で向かうのは
半分空港職員の社員食堂みたいだった、空港ビル1Fにあった「オアシス」
自分はいつも「カニクリームコロッケ・カレー」、確か380円位だったかな
夕食時だから、空港関係者で満席状態だったね
それを食べてアパートへ帰宅するパターン
偶には目蒲線沿いにあった、喫茶店レイバンにも立ち寄ったりもした
夜の羽田空港、青い滑走路灯とともに
「K」さんの日に焼けた顔や、濃いひげそり跡と共にアノ笑顔を思い出す
セントレアが2005年2月に開港してから続いていた大混雑だったが
そろそろ落ち着いた頃かな~、とその年の春に初遠征した
その時に声を掛けていただいた 「M」さん
しばらくしたら松本空港へ逆訪問してもくれたが
私は仕事でメールでしかお相手できなかったのが、今でも心残り
その後も、セントレアで何回かお会いできたが
地元からのセントレア直行高速バス廃線と共に、遠征回数も次第に減っていった
そこに届いた訃報に、心底驚いた! というか信じられなかった

先日、昔の仲間から届いたメール
書かれた苗字に、一瞬 「ん~、誰だっけ?」
記憶を整理してると~、 浮かんだ「あっ、J ちゃん」
その「Jちゃん」が急逝したという
羽田でたむろしてたアノ時代以降、お会いするチャンスはなかった
というか、すれ違ていたのかもしれないが・・・
記憶に残る彼は、大人びた大柄な風体に
彼は年上だとズ~と思っていた
当時の航空雑誌への投稿欄に、名前を連ねる常連で
今でも名前で検索すればシッカリと飛行機画像が出てくる
私に雑誌への写真投稿を奨めてくれたのは彼
そして初めて読者欄だが、写真が載った時に
「ライバル登場! これからは競争率高くなるぞ!」
と誉めてくれたのも彼だった

そして、なにかのきっかけで知った彼の歳に「ゲッ 俺より年下じゃん」
それまで「○○さん」だったのが、「Jちゃん」に変った(笑

(Jさん からいただいた唯一の写真、ヒューズエアウェスト DC-9 ※加工してあります)
そんな昔の小ネタも忘れられない思い出
あれから一度も会えなかった彼だったけど、想い出をありがとう
昨日の仕事帰り、何処からか流れてきた エレファントカシマシ の「俺たちの明日」に足が止まる
「~オマエは今日もどこかで不器用に闘って~」、「さぁ、頑張ろうぜ!」
飛行機仲間達の姿を重ねてみる
蘇る、顔、顔、顔
あの頃以来、会えない仲間も未だ何人かいるが
今も元気でいてくれることを願いながら、この曲を聴いてしまった
ネットのおかげで、昔のヒコーキ仲間に再開できる機会は増えてくれた
今でも昔と同じように飛行機マニアやってることを互いに嬉しく、誇りにさえ思うが
それとともに、久しぶりに会えた仲間から聞く訃報に驚くことも
歳は確かにとったが、それで片付けるには 皆 あまりに若い!
以前、私のコレクションに助言をいただいた 「KS」さん の事を書いたが
その記事から6年、その間にも3人の仲間が他界してしまった
一人はやはり、1976年頃の羽田でたむろしてた仲間「K」さん

( Kさん 撮影 )
私よりは少しだけ年上だったかな
塾講師だったこともあり話術は上手い! というか声がデカくて賑やかな方だった(笑
当時の頃を思い出すと~
「ベイシティー・ボイラーズ」なんて、仲間内での流行り言葉
「ボイラーズ」、その言葉の由来は仲間にしかわからないハズ(笑
そうそう、本家のベイシティ-ローラーズが確か初来日
それに集まったグルーピーな女の子をナンパして~
「皆 嘘つきなんだから~」と呆れた自分(爆
日曜夜の帳が降りれば、ワイワイ騒ぎながら皆で向かうのは
半分空港職員の社員食堂みたいだった、空港ビル1Fにあった「オアシス」
自分はいつも「カニクリームコロッケ・カレー」、確か380円位だったかな
夕食時だから、空港関係者で満席状態だったね
それを食べてアパートへ帰宅するパターン
偶には目蒲線沿いにあった、喫茶店レイバンにも立ち寄ったりもした
夜の羽田空港、青い滑走路灯とともに
「K」さんの日に焼けた顔や、濃いひげそり跡と共にアノ笑顔を思い出す
セントレアが2005年2月に開港してから続いていた大混雑だったが
そろそろ落ち着いた頃かな~、とその年の春に初遠征した
その時に声を掛けていただいた 「M」さん
しばらくしたら松本空港へ逆訪問してもくれたが
私は仕事でメールでしかお相手できなかったのが、今でも心残り
その後も、セントレアで何回かお会いできたが
地元からのセントレア直行高速バス廃線と共に、遠征回数も次第に減っていった
そこに届いた訃報に、心底驚いた! というか信じられなかった

先日、昔の仲間から届いたメール
書かれた苗字に、一瞬 「ん~、誰だっけ?」
記憶を整理してると~、 浮かんだ「あっ、J ちゃん」
その「Jちゃん」が急逝したという
羽田でたむろしてたアノ時代以降、お会いするチャンスはなかった
というか、すれ違ていたのかもしれないが・・・
記憶に残る彼は、大人びた大柄な風体に
彼は年上だとズ~と思っていた
当時の航空雑誌への投稿欄に、名前を連ねる常連で
今でも名前で検索すればシッカリと飛行機画像が出てくる
私に雑誌への写真投稿を奨めてくれたのは彼
そして初めて読者欄だが、写真が載った時に
「ライバル登場! これからは競争率高くなるぞ!」
と誉めてくれたのも彼だった

そして、なにかのきっかけで知った彼の歳に「ゲッ 俺より年下じゃん」
それまで「○○さん」だったのが、「Jちゃん」に変った(笑

(Jさん からいただいた唯一の写真、ヒューズエアウェスト DC-9 ※加工してあります)
そんな昔の小ネタも忘れられない思い出
あれから一度も会えなかった彼だったけど、想い出をありがとう
昨日の仕事帰り、何処からか流れてきた エレファントカシマシ の「俺たちの明日」に足が止まる
「~オマエは今日もどこかで不器用に闘って~」、「さぁ、頑張ろうぜ!」
飛行機仲間達の姿を重ねてみる
蘇る、顔、顔、顔
あの頃以来、会えない仲間も未だ何人かいるが
今も元気でいてくれることを願いながら、この曲を聴いてしまった