なんとも意味不明なタイトルではじめてしまったが
1973年 10月5日 ~ 11日の7日間にわたり
第4回 国際航空宇宙ショーが航空自衛隊 入間基地 で開催された
第3回の国際航空宇宙ショーは、1971年に小牧基地で開催され
超目玉の米海軍 ブルーエンジェル が来日した航空ショーだった
当時は子供が一人で名古屋へなんて、家出でもしないと無謀な時代で(笑)
親に強請っても今のように高速はないし、長距離公共交通機関も不慣れ
というわけで諦めた苦い記憶を、長~く引きずっていた 1973年の秋
前年に入間基地航空祭で 航空祭デビュー した自分
入間基地への訪問に少しは慣れた父に再度 強請り
弟の友人も交え家族で出かけることに
10月10日は体育の日、晴れの得意日となれば大混雑だったが
人出よりも、初めてみる航空機の数々、晴天下のデモフライト
前年は雨で流れたブルーインパルスのアクロ飛行に興奮状態だったことを覚えている
米国からの飛行可能な旧日本陸軍の四式戦「疾風」がデモフライト
当時のソ連からも大中小の航空機が多数来日、地上展示と飛行も披露してくれるなんて
ただ当時の私の撮影装備は、父のレンジファインダーのカメラのみ
フィルムも2本持参しただけで(それでも頑張って買ってもらった本数だった)
記録的には証拠写真で終わってしまったのは残念だった
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/e8/63c5b3f5eb7ea0581ea4adb6f96c69c2.jpg)
国際航空宇宙ショーは有料の航空ショーで、入場料は 800円?だったかな
右は公式パンフレット、左が後日に販売された爆音入りソノシートが付録だった冊子 600円
ソノシート、捨てた覚えはないが見当たらないや・・・
このショーでの目玉は、米国から日本に里帰り? 売却?された旧日本陸軍の四式戦「疾風」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/32/74e5f8f6e9cd3f9eb2b574e26abafcb0.jpg)
沢山の人垣を掻き分け、やっと撮れた疾風だったが
レンジファインダーの画像は豆粒で
今回のフィルムスキャンでデジタル化し、拡大できたが粒子の荒れが目だつね
さらに、ショーでのデモフライトは超豆粒画像でボツに
ところで、せっかくフライアブル状態にレストアして日本に帰ってきたのに
その後の扱いは・・・
自分が次にこの「疾風」に会えたのは 京都の嵐山博物館
そして機体はさらに人手を渡り、知覧の博物館でも会うことになったが
元々展示のみの機体なら仕方ないが、日本は動態保存する土台が貧弱で・・・
米海兵隊のシースタリオン大型ヘリ、グリーン系の海兵隊塗装が時代を感じさせてくれる
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/3c/036ab0edad817c8d98e33e82444f04e5.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/6f/da23073fe93f478c9f3936d53a970d91.jpg)
それに比べると、CH-47チヌークは陸軍のオリーブドライブ色で大きな変化はない
それにしてもチヌークは改修を重ねたとはいえ、長く使われているもんだ
いまだ世界的に現役だし、国内でも自衛隊機として見かける機会も多い
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/a7/7a31292a50ad3c4cd20984981e89e716.jpg)
前年の入間基地航空祭でも展示されていた、米海兵隊 OV-10A ブロンコ
個人的に大好きな機体で、プラモも レベル と ハセガワ で2機を完成させた記憶
ところで、展示機の背景に見え隠れする
当時の入間基地、格納庫の姿が今とはだいぶ違い古さを感じるが
このショーでは格納庫が各国の航空会社のブース(シャレー)となっていた
航空宇宙ショーの目的はあくまでトレード、航空機や軍用機の売り込みなのだ
こちらはイギリスからの飛来機
コメット旅客機をベースに造られた対潜哨戒機 ニムロッド
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/02/7a71e1bfa0527e781c8750abd7c376bc.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/a2/586b248ef3cefcb329a10263a313743e.jpg)
下面にあるボムベイ(地上展示でも少し開いているのがわかるね)
をオープンしてのデモフライトもあり、イギリスでの航空ショーと変わらぬ飛行だったよう
この約20年後に渡英し、飽きるほどニムロッドを撮ることになるとは~
ニムロッドも日本への次期 対潜哨戒機 としての売込みだったが
残念ながら、米国のP-3 オライオンに敗北している
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/d0/bdb7d59a50a54fd8eb5080f281047493.jpg)
同じくイギリス ショート社の民間輸送機 スカイバン
この機体はショーの後、レジ(機体番号)を書き換え JA8793 になり商社の社有機に
5年後、撮影に出かけた仙台空港で JA8793 と再会することに
スカイバンは売り込みに成功?したのか、後に海上保安庁でも導入していた
つづいて、ソ連から大挙飛来したアエロフロートの展示機を
持参カメラは35mm程度の広角レンズだと思うが
機体が大きく、全体は入りきらないので2コマを合成して
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/26/0162f971071ab4649c24cd22414b0955.jpg)
大型ヘリと言うよりも 巨大ヘリ 、こいうデカブツはソ連が上手い!
当時は世界最大のヘリだった Mil-6 NATOコード名 ヒップ
この機体、横から見るより斜め前方から見たほうが迫力あるのだが・・・
飛んでいる姿が見られなかったのは、ホントに残念
これも巨大な輸送機 IL-76
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/c8/bfb3b583856f0cf5e8da317c5b90867a.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/8d/864196cd826ae7115be6c8dd0af5d3f0.jpg)
こんなにアゴ部分が目立つんだ! デカイ顔!
改修を受けながら今でも運用を続けており、時々は日本の空港でも見る事ができる
上の画像には観客の姿も写っているが、着物姿のお歳よりは当時の お出掛け スタイル
入間の小さな管制塔も写っているし、時代がわかる画像です
次はアメリカの B727 に似た、T尾翼に3発エンジンのソ連 旅客機 TU-154
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/0b/17548995e397b7a17dd6d1a9a3c57996.jpg)
新潟空港や名古屋空港では、定期便や貨物便として見ることができた機種
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/99/599b73db2df5d7e1b72beccebeee80c9.jpg)
いかにもソ連らしい小型ヘリ、カモフ Ka-26
カモフ伝統? の二重反転ローターは現代でも健在だ
大きなキャノピーのおかげで、昆虫のような容姿が可愛い感じ
展示されていたソ連機のうち、唯一 日本に輸入された機体だった
この外にも、エンジン音がやかましい Yak-40 も展示していたが
デモフライトの準備でこんなところに機首のみチラリ見え
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/db/548a215441443d6424b57194ee260171.jpg)
一時、新潟空港へも定期乗り入れしていたことがあった Yak-40
エンジンの大きな音を覚えている方も多いのでは
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/b1/d08ffa6b371ba33148cc7c1a041bebce.jpg)
薄い画像になってしまったが、民間ヘリの異機種 ダイヤモンド編隊飛行
先頭から順番に Bell206 (JA9100)、SA341G (JA9098)、Bo105(JA9515)
後尾の ヒューズ500(369 HS)(JA9052)は川崎重工がライセンス生産することになる
Bo105 や ヒューズ500 はデモフライトで宙返りも見せてくれた
「ヘリが宙返り出来るんだ!」
ノーヒンジの樹脂製ローターで可能となったことを帰宅後に知る
この日の帰りがけ、居並ぶ売店の中で 航空機のジャンクパーツ を扱う店に足が止まった
目が釘付けになったのは、形式不明の パイロットヘルメット
とても手が出せるような値段ではなかったので
旅客機のピトー管とシートベルトを買ってもらった記憶
~これが マニア の深い沼に足を滑らせる一歩になるとは・・・(爆
最後に
先のソノシート付き冊子(航空宇宙ショー協議会本部発行)の裏表紙に載っていた会場写真をお借りして
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/97/448d5d1310ef7d4a36bd1401842eef4d.jpg)
消防庁の大型ヘリ ピューマ と Mil-6 が並んで写っているが
世界最大のヘリだというのがわかる
ローターのダウンウォッシュでピューマなんか飛んでちゃいそうだよ
~ピューマのダウンウォッシュに、大木にしがみついて撮影したことある自分です・・・(笑
混雑具合は入場料がかかることもあってか
一日の入場者は最近の入間航空祭よりも少ない感じかな
ちなみに、この冊子に載っていた期間トータル入場者数は 609,000人とある
1973年 10月5日 ~ 11日の7日間にわたり
第4回 国際航空宇宙ショーが航空自衛隊 入間基地 で開催された
第3回の国際航空宇宙ショーは、1971年に小牧基地で開催され
超目玉の米海軍 ブルーエンジェル が来日した航空ショーだった
当時は子供が一人で名古屋へなんて、家出でもしないと無謀な時代で(笑)
親に強請っても今のように高速はないし、長距離公共交通機関も不慣れ
というわけで諦めた苦い記憶を、長~く引きずっていた 1973年の秋
前年に入間基地航空祭で 航空祭デビュー した自分
入間基地への訪問に少しは慣れた父に再度 強請り
弟の友人も交え家族で出かけることに
10月10日は体育の日、晴れの得意日となれば大混雑だったが
人出よりも、初めてみる航空機の数々、晴天下のデモフライト
前年は雨で流れたブルーインパルスのアクロ飛行に興奮状態だったことを覚えている
米国からの飛行可能な旧日本陸軍の四式戦「疾風」がデモフライト
当時のソ連からも大中小の航空機が多数来日、地上展示と飛行も披露してくれるなんて
ただ当時の私の撮影装備は、父のレンジファインダーのカメラのみ
フィルムも2本持参しただけで(それでも頑張って買ってもらった本数だった)
記録的には証拠写真で終わってしまったのは残念だった
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/e8/63c5b3f5eb7ea0581ea4adb6f96c69c2.jpg)
国際航空宇宙ショーは有料の航空ショーで、入場料は 800円?だったかな
右は公式パンフレット、左が後日に販売された爆音入りソノシートが付録だった冊子 600円
ソノシート、捨てた覚えはないが見当たらないや・・・
このショーでの目玉は、米国から日本に里帰り? 売却?された旧日本陸軍の四式戦「疾風」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/32/74e5f8f6e9cd3f9eb2b574e26abafcb0.jpg)
沢山の人垣を掻き分け、やっと撮れた疾風だったが
レンジファインダーの画像は豆粒で
今回のフィルムスキャンでデジタル化し、拡大できたが粒子の荒れが目だつね
さらに、ショーでのデモフライトは超豆粒画像でボツに
ところで、せっかくフライアブル状態にレストアして日本に帰ってきたのに
その後の扱いは・・・
自分が次にこの「疾風」に会えたのは 京都の嵐山博物館
そして機体はさらに人手を渡り、知覧の博物館でも会うことになったが
元々展示のみの機体なら仕方ないが、日本は動態保存する土台が貧弱で・・・
米海兵隊のシースタリオン大型ヘリ、グリーン系の海兵隊塗装が時代を感じさせてくれる
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/3c/036ab0edad817c8d98e33e82444f04e5.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/6f/da23073fe93f478c9f3936d53a970d91.jpg)
それに比べると、CH-47チヌークは陸軍のオリーブドライブ色で大きな変化はない
それにしてもチヌークは改修を重ねたとはいえ、長く使われているもんだ
いまだ世界的に現役だし、国内でも自衛隊機として見かける機会も多い
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/a7/7a31292a50ad3c4cd20984981e89e716.jpg)
前年の入間基地航空祭でも展示されていた、米海兵隊 OV-10A ブロンコ
個人的に大好きな機体で、プラモも レベル と ハセガワ で2機を完成させた記憶
ところで、展示機の背景に見え隠れする
当時の入間基地、格納庫の姿が今とはだいぶ違い古さを感じるが
このショーでは格納庫が各国の航空会社のブース(シャレー)となっていた
航空宇宙ショーの目的はあくまでトレード、航空機や軍用機の売り込みなのだ
こちらはイギリスからの飛来機
コメット旅客機をベースに造られた対潜哨戒機 ニムロッド
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/02/7a71e1bfa0527e781c8750abd7c376bc.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/a2/586b248ef3cefcb329a10263a313743e.jpg)
下面にあるボムベイ(地上展示でも少し開いているのがわかるね)
をオープンしてのデモフライトもあり、イギリスでの航空ショーと変わらぬ飛行だったよう
この約20年後に渡英し、飽きるほどニムロッドを撮ることになるとは~
ニムロッドも日本への次期 対潜哨戒機 としての売込みだったが
残念ながら、米国のP-3 オライオンに敗北している
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/d0/bdb7d59a50a54fd8eb5080f281047493.jpg)
同じくイギリス ショート社の民間輸送機 スカイバン
この機体はショーの後、レジ(機体番号)を書き換え JA8793 になり商社の社有機に
5年後、撮影に出かけた仙台空港で JA8793 と再会することに
スカイバンは売り込みに成功?したのか、後に海上保安庁でも導入していた
つづいて、ソ連から大挙飛来したアエロフロートの展示機を
持参カメラは35mm程度の広角レンズだと思うが
機体が大きく、全体は入りきらないので2コマを合成して
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/26/0162f971071ab4649c24cd22414b0955.jpg)
大型ヘリと言うよりも 巨大ヘリ 、こいうデカブツはソ連が上手い!
当時は世界最大のヘリだった Mil-6 NATOコード名 ヒップ
この機体、横から見るより斜め前方から見たほうが迫力あるのだが・・・
飛んでいる姿が見られなかったのは、ホントに残念
これも巨大な輸送機 IL-76
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/c8/bfb3b583856f0cf5e8da317c5b90867a.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/8d/864196cd826ae7115be6c8dd0af5d3f0.jpg)
こんなにアゴ部分が目立つんだ! デカイ顔!
改修を受けながら今でも運用を続けており、時々は日本の空港でも見る事ができる
上の画像には観客の姿も写っているが、着物姿のお歳よりは当時の お出掛け スタイル
入間の小さな管制塔も写っているし、時代がわかる画像です
次はアメリカの B727 に似た、T尾翼に3発エンジンのソ連 旅客機 TU-154
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/0b/17548995e397b7a17dd6d1a9a3c57996.jpg)
新潟空港や名古屋空港では、定期便や貨物便として見ることができた機種
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/99/599b73db2df5d7e1b72beccebeee80c9.jpg)
いかにもソ連らしい小型ヘリ、カモフ Ka-26
カモフ伝統? の二重反転ローターは現代でも健在だ
大きなキャノピーのおかげで、昆虫のような容姿が可愛い感じ
展示されていたソ連機のうち、唯一 日本に輸入された機体だった
この外にも、エンジン音がやかましい Yak-40 も展示していたが
デモフライトの準備でこんなところに機首のみチラリ見え
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/db/548a215441443d6424b57194ee260171.jpg)
一時、新潟空港へも定期乗り入れしていたことがあった Yak-40
エンジンの大きな音を覚えている方も多いのでは
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/b1/d08ffa6b371ba33148cc7c1a041bebce.jpg)
薄い画像になってしまったが、民間ヘリの異機種 ダイヤモンド編隊飛行
先頭から順番に Bell206 (JA9100)、SA341G (JA9098)、Bo105(JA9515)
後尾の ヒューズ500(369 HS)(JA9052)は川崎重工がライセンス生産することになる
Bo105 や ヒューズ500 はデモフライトで宙返りも見せてくれた
「ヘリが宙返り出来るんだ!」
ノーヒンジの樹脂製ローターで可能となったことを帰宅後に知る
この日の帰りがけ、居並ぶ売店の中で 航空機のジャンクパーツ を扱う店に足が止まった
目が釘付けになったのは、形式不明の パイロットヘルメット
とても手が出せるような値段ではなかったので
旅客機のピトー管とシートベルトを買ってもらった記憶
~これが マニア の深い沼に足を滑らせる一歩になるとは・・・(爆
最後に
先のソノシート付き冊子(航空宇宙ショー協議会本部発行)の裏表紙に載っていた会場写真をお借りして
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/97/448d5d1310ef7d4a36bd1401842eef4d.jpg)
消防庁の大型ヘリ ピューマ と Mil-6 が並んで写っているが
世界最大のヘリだというのがわかる
ローターのダウンウォッシュでピューマなんか飛んでちゃいそうだよ
~ピューマのダウンウォッシュに、大木にしがみついて撮影したことある自分です・・・(笑
混雑具合は入場料がかかることもあってか
一日の入場者は最近の入間航空祭よりも少ない感じかな
ちなみに、この冊子に載っていた期間トータル入場者数は 609,000人とある
僕も、最初のエアショーは入間でした。
その時にブルーと、
三沢へ帰るF-2の姿に魅せられてずるずると沼へと落ちていきました。
ツポレフにイリューシンにカモフとはすごい!
昔はアエロフロートは旧ソ連機で運行されていたようですが、
今ではすっかりエアバス機やボーイング機に。
近年は民間主催の航空ショーというのが殆ど無くなりましたね。
今後は、
大規模なのはもう丘珠でしかやらない気もします。
でもなかなか上手くいかないものですね。
白黒画像にしちゃえばなんとか誤魔かせますが、色が出ない・・・。
この当時は~
ソ連が崩壊するとか、アエロフロートのフリートが西側機になってしまうとか
まったく想像もつかない時代。
これからも何が起こるか、10年後、20年後の世界が予想できなくなってきますね。
日本国内で航空トレードショーは規模が小さくなるばかり
ショーをメインに考えれば、確かに丘珠あたりがこれからも楽しみです。
せっかくの広大な北の台地、広い空港か基地で定期的にやってくれたら良いのですが。
…なんというか!圧巻!
ソ連が来てるっていうのが、またびっくりです。
今と違って、随所に工夫が…!
ソノシートに爆音とは! 欲しいです。(^^)
今と違って、音を残す、映像を残すのに
お金もかかるし手間もかかる時代、音を残そうというのが
なんとも気が利いてる!!
チヌたんが…
色や形態が多少違えど、チヌたんはやはり魅力的〜〜〜
チヌたんは、この先も残る気がしますね♪
いや、残って欲しい〜〜〜
カモフ、かわいいなあ…
こういうヘリ、陸自にも欲しいですね。
アイドルになれそう
今のヘリはみんな「シュッ」としてますから
時に、ポッテリさんもいい感じ〜〜
なるほど〜〜〜
ここがノザワヤさんの「沼入り」原点なんですね!!
メット、残念でしたね。
でもここでの体験が後の奮起につながって…大人になってから
たくさんのメットを手に入れられて…♪
マニア魂、お見それいたしました〜〜〜
ブルーエンゼルも見ましたか! 羨ましい限りです。
その当時の隊員達を追った映画、ブルーエンゼルで大興奮した私でしたが
やはりホンモノが見たかったです。
私が一眼と望遠レンズを手に入れるのはこの3年後。
当時は200mmでも大満足で、完全にマニアの道を歩み始めました。
昨今の自粛生活でMRJも先日のムーリアも諦め。
仕方ないので古い画像のデジタル化進めてます。
また何か出しますね。
機体尾翼の国旗も当然 ソ連。それだけで なんとなく威圧感が(笑
カモフの小型ヘリ、テールローターがなく後方キャビンは観音開きなんて
今ならドクターヘリにうってつけなんですが・・・。
輸入された機体も、今は成田空港近くの科学博物館に展示されてるのは寂しいです。
ただカモフ系列の中型ヘリは、今も国内で元気に物輸に活躍しています。
ヘルメットは泥沼でしたが(笑)、近いうちにもう一つ紹介したら終わりになります。
1973年(昭和48年)といえば・・中学2年生。
夏休みに九州へ、蒸気機関車を撮影に行きましたよ。
飛行機は伊丹へ時々・・家の真上をアプローチして行きますから、見飽きるくらいでした(いま思えば贅沢?)。
707、727、DC-8全盛期でしたね。
航空祭デビューは意外と遅く、1983年の「岐阜国際航空宇宙ショー」からなんです。
マルヨン現役で、T-1も全面白塗装のがいました。
A-7コルセアⅡを初めて見たのも、このとき。
もっと早く始めてたら良かったと、後悔しきりです。
興味の矛先が変わっていたかも。
でもそういう私も中学くらいまでは鉄が好きでした。
大きなヤードが近くにあったので、貨物の入れ替え作業を見て育ちましたから。
でも、何故か空へ興味が向いてしまいました。
1983年の岐阜国際といえば、墜落事故からの復活を遂げたブルーに涙が出そうだったのを覚えています。
そういえば、A-7も展示されてましたね、懐かしい!
私はこの時、重いビデオ機材をかついで出かけたのを覚えています。
その時のビデオ映像は何処にいったのやら・・・。