詩人PIKKIのひとこと日記&詩

すっかりブログを放任中だった。
詩と辛らつ日記を・・

会津賛歌

2008年12月28日 | 日記
天皇誕生日の日に
会津を思い出してしまった
先の天皇の新婚旅行の地が会津だったという
会津に別荘のようなものまであって
皇居内にゴルフ場まで作った
天皇がゴルフを始めたのが
会津でもあったという

二十歳前後のぼくは
休みになるとほとんどいつも
会津の山へと夜行列車で向かっていた
会津盆地に入るとほっとした
空気さえもが違っていて
まるで遠い父祖の地へと
還ってきたような既視感に襲われるのが常だった

京都での盆地暮らしが長かった
天皇家の末裔もそうだったのかもしれない
戊辰戦争で最大の被害者だった
会津の人々への贖罪に意識があったのかもしれない
あるいは
公式の歴史には語られていないけれど
継体天皇以来の
天皇家の先祖の関係がある土地だったのかもしれない

サブプライム問題以後
10万人もの派遣等の非正規労働者が解雇され
仕事と住む場所を奪われて
寒空へと放り出されつつある
この未曾有の緊急事態に
日本の指導者層の中で唯一
思いやり溢れる言葉を発したのが
現天皇だったと思う

天皇家は
明治以来ずっと
千数百年間住んできた京都から
東京へと連れて来られて
一切の人権(選挙権、恋愛結婚権等)を奪われて以来
官僚・政治家たちの寄生するがままだ
せめて欧米の王家のように
もっと人間的なものにしてあげるべきではないのか
日本が主権在民の民主国家だというのなら・・

今日も車の中で「マディソン郡の橋」という歌を口ずさみながら・・

2008年12月28日 | 日記
映画は全然好きではなかったけど、この歌は大好きだ。http://jp.youtube.com/watch?v=71C51ZBb-C0
ぼくらがいったい何処へと漂流しつつあるのかはわからないけど・・今でもずっとぼくの生きる原点だったのはー

   反対    金子光晴

僕は少年の頃
学校に反対だった。
僕は、いままた
働くことに反対だ。

ぼくは第一、健康とか
正義とかがきらひなのだ。
健康で正しいほど
人間を無精にするものはない

むろん、やまと魂は反対だ
義理人情もへどが出る。
いつの政府にも反対であり、
文壇画壇にも尻を向けてゐる。

なにしに生まれてきたと問はるれば、
躊躇なく答えよう。反対しにと。
ぼくは、東にゐるときは、
西にゆきたいと思ひ、

きもの左前、靴は右左、
袴はうしろ前、馬には尻をむいて乗る。
人のいやがるものこそ、僕の好物。
とりわけ嫌ひは、気の揃ふといふことだ。

僕は信じる。反対こそ、人生で
唯一つ立派なことだと。
反対こそ、生きていることだ。
反対こそ、じぶんをつかむことだ。
(金子光晴詩集『赤土の家』1919年発行)

いつまでも元気でいて欲しいという願いを込めてーhttp://jp.youtube.com/watch?v=s6JjQHfScIc
1968年の歌はーhttp://jp.youtube.com/watch?v=tIhZY6UkKJQ&feature=rel