今日は息子の32回目の誕生日。
朝イチで 「おめでとうメール」 を送った。

毎年、息子の誕生日が来ると思い出す、妊娠中の辛かったこと…
結婚してすぐ妊娠したはいいが、
子宮が異常に大きく、筋腫がたくさんあることがわかった。
結婚前から薄々感じてはいたが、ああやっぱり…

婦人科の敷居が高くて、乙女な私はうじうじと受診を躊躇していたのだ。
初診のとき、流産の危険性が高いから注意するように、と医者に言われた。
案の定、11週目に流産しそうになった。
即入院、絶対安静

その時、医者に言われた言葉、
「そのうち流産するから、病院にいた方がいい」

初めての妊娠でこんなことを言われ…
なんでもっと早くに治療をしておかなかったかと後悔したが、あとの祭り。
子宮が大きくなるのに合わせて筋腫も伸びていけばいいが、
筋腫というのは筋肉なので伸びにくいのだそうだ。
薬の服用だけで、あとはじっとベッドの上で過ごす日々…
吐き気がするほど猛烈にお腹が痛かった。
流産の恐怖と後悔とおなかの痛さに泣きながらも
私は赤ちゃんに
「出てきちゃダメだよ、しっかりしがみついててね。大丈夫、大丈夫」
と毎日、話しかけていた。
ひと月経ち、ふた月経ち…私のおなかは順調に膨らんでいった。
その間、いろんな人が入院しては退院していった。
出産して赤ちゃんと共に幸せいっぱいに退院していく人、
子宮外妊娠で泣き叫びながら救急搬送されてくる人、
流産した人、
抗がん剤治療の人、
癌末期でモルヒネが切れると苦しむ人…帰らぬ人もいた…
みんな退院していくのに…いつしか私は病室の古株に^^;
医者の見立てに反して、私は流産しなかった。
ここまで来ればもう大丈夫ということなのか、
退院してもいいと言われたのは初夏のころだった。
冬に入院して4カ月、やっとシャバに出られる!
木々の緑が目に痛いほど鮮やかだった。
そして、7月に帝王切開で無事出産。
2550gと小さな男の子だったが、元気な泣き声を聞いた時には
ドクターはじめ、この世のありとあらゆるものに感謝した。
「絶対、流産すると思ったけど、よく生まれたね」
産科の先生が入れ代わり立ち代わり、生まれたばかりの息子を見に来た。
「この子が筋腫に挟まれながら育った子か」
「生命力、強いよ」
励まされてるんだかなんだかわからないが、
とにかく先生がたはみんな驚いていた。
現代の医学をもってしてもわからないこと、
命の誕生は不思議、神秘…
私は奇跡が起きたと思った。
あれからもう32年、そんな息子ももうすぐ3人の子の父に。
今じゃいっぱしのオヤジ、流行りのイクメンだ。
体質は遺伝するのか?
娘にも筋腫がある。
秋ごろに摘出手術を受けることにした、とメールが来た。
娘は私より度胸がある。婦人科受診もためらわない。
私の出産苦労話をたびたび聞かされている娘、
母と同じ轍は踏まぬと思っているのだろう、
ほんとは悶々と悩んだに違いないが、
「ハラキリするよ~。早く妊活したいから」
と明るいメールが来た。
母は全面的にサポートするよ。がんばれ! 大丈夫!